6:魔法学校の制服
やはり魔法学校は寮でないと!
公爵令嬢ともなると、仕立て屋が家にやってくる。
ドレスは慣れたが、学校の制服までそうだとは思わなかった。デパートに両親と、なんなら両家の祖父母も揃って買いに行き、帰りにお子様ランチを食べる行事だと思っていたリンダはカルチャーショックを感じた。もちろんこの世界にもデパートはある。しかしお歳暮の包装紙で相手の懐事情を探る文化は存在しなかった。良いお家の人たちはデパートを家に呼ぶ。俺たちがデパートだ状態。外食の楽しみは死んだ。
「まあまあまあ! なんって可愛らしいお嬢様方!」
制服の採寸に呼ばれた仕立て屋は、リンダと翡翠を見るなり歓声をあげた。
お世辞だけではない賛辞に猫を被ったリンダはにっこりし、翡翠は顔に出さずにむっとした。
二人は仕立て屋が来る前に賭けをしていた。
すなわち、仕立て屋が翡翠が男だと気づくか否か。
リンダは気づかないに賭けた。見た目も態度も翡翠は完璧な美少女である。少し声はハスキーだが、そういう少女がいないわけではない。むしろ翡翠の完璧さは、声がコンプレックスな少女が懸命に習ったと健気さに直結する。リンダよりよほど女らしかった。
翡翠は気づくに賭けた。いくら外見や仕草に気を使っていても相手は百戦錬磨の仕立て屋だ。男女の体格差くらい、いくらなんでも気づくだろう。むしろリンダと同室で採寸していいものか、誰か止めてくれと焦っていた。
そして蓋を開けてみれば仕立て屋は二人を女として見た。女物の制服の依頼なのだから当然かもしれない。それでも翡翠はむかついた。賭けの景品は二人乗りツーリング。翡翠の三半規管が試されている。
「ええと、それでは……」
「わたくしからお願いしますわ」
翡翠が立ち上がった。ハーツビートの遠縁の娘ということになっているので東覇国の衣裳ではなくドレスを着ている。メイドが背中に回り手早く脱がせていった。
下着も女物だ。肌触りの良い絹にレースがたっぷりついて翡翠の体形を隠している。仕立て屋と助手が手早くサイズを測っていった。
続いてリンダの番だ。なんのためらいもなく脱ぐリンダとメイドに男として見られていないと実感し、翡翠はこっそり傷ついていた。
「成長期ですから少し大きめに仕立てましょうね。今はぶかぶかでもあっという間にちいさく感じますからご心配なく」
魔法学校の制服は男女共に上が青のブレザー、下は男子がズボンで女子は青と白のチェック柄プリーツスカートだ。ネクタイは学年ごとに違い、ネクタイピンに校章が付いている。制服の上には黒いローブを羽織る。そのローブの留め具には校章ではなく所属寮の紋章が入るのが習わしだった。
見本のローブを着せてもらったリンダは、これだと空を飛ぶのに邪魔だな、と感想を漏らして翡翠に呆れられていた。
仕立て屋が帰り、リンダと翡翠は魔法学校の卒業生であるプルートに学校の話を聞いた。
「魔法学校には三つの寮があって、私が入ったのは黄金の麦がシンボルのシーヴ寮。他には舟がシンボルのエーギル寮、鳥をシンボルにするテュール寮がある。寮分けは入学式で決めるんだ」
三年間生活を共にする寮生の結束は自然と固くなっていく。魔法学校で得た友は一生の親友になるともいわれていた。
学校を卒業しそれぞれの道に進んでも、あの楽しい時間を共有した思い出はなくならない。プルートは懐かしそうに微笑んだ。
「どうやって寮を決めるの?」
リンダと翡翠は同室になる予定だ。新入生名簿から適当に決めるのか、それとも名前順か。当然の疑問にプルートが自慢げに答えた。
「大広間に門が現れるんだ。それを潜ると門がふさわしい寮を教えてくれる。ローブに寮紋が刻まれるのもこの時だよ」
ほら、と言ってプルートが留め具を見せた。手のひらサイズのやや大き目な円形のブローチには波打つ麦穂が刻まれている。
「では、リンダとは別の寮になる可能性があるということですか?」
「いや、それはないと思う。たいていの生徒は希望する寮に入れるよ。特に希望がなければ門が適性を見て決めるというけど……」
そこでプルートは不安そうなリンダと翡翠を見て、くすっと笑った。
「兄様?」
「ごめんごめん。門を潜りし輩は 荒野が行く手を阻むとも 互いに競い 支え合い 真の友となりたもう」
軽い口調で謝ったプルートが歌いだした。リンダと翡翠が顔を見合わせた。
「プルート様、それは?」
「三つの寮にはそれぞれの寮歌があってね、出だしは三つとも同じ。今のは寮歌の出だしのところだよ。リンダと翡翠殿はもう友人だろう、別寮になることはないと思うよ。言ったろ、学校の友人は一生の友人だ、真の友だよ」
プルートが照れくさそうに説明する。真の友、とリンダは目を輝かせ、翡翠は釘を刺されたと感じた。
リンダはどうも忘れているようだが、翡翠はれっきとした男である。どんなに見た目詐欺だとわかっていてもなにかの拍子にうっかりそういう雰囲気にならないとも限らない。ない、と翡翠には言えなかった。
翡翠はリンダを親友だと思っている。もしもリンダが裏切るのであれば、そうさせるだけの非が自分にあるのだと思えるくらいにはリンダを信頼していた。
だからこそ公爵家を出て、不特定多数の男女が集まる学校でリンダが自分以外の誰かと仲良くなったら――好きな男ができたとしたら、素直に応援してやれる自信がなかった。こんな気持ちははじめてだ。
「シーヴ寮は慈悲の精神。エーギル寮は勇気の精神。テュール寮は自由の精神を掲げている。まあ、クラスには別寮の子もいるし、そんなに気負うことはないけどね」
「私はテュール寮がいいな。翡翠はどこがいい?」
「自由の寮か、リンダらしいな。そうだな、俺様は……」
リンダなら断然テュール寮だ。翡翠は立場を考えるなら慈悲のシーヴ寮か勇気のエーギル寮だろうが、自由への憧れは強く抱いている。
「テュール寮、かな。やっぱ。学生の間くらいは自由にやりたい」
ハーツビートに東覇国の刺客はやってこないが、情報を得ようと動いている者がいるのだろう。時折難しい顔をしたオービットが執事の報告を受けているのを見たことがある。
リンダと考えて製作した対刺客用の罠は森に設置した。これは二人には秘密にしているが、実は何度かノヴァが点検し、その都度土に還りそうな刺客を国に帰している。殺意の高い人間を森の栄養にするわけにはいかないのだ。埋葬はきちんとした儀式を行わないと穢れが発生する。悪戯半分で殺傷能力の高い罠を作り上げた二人にノヴァが頭を抱えていた。罠は取り外さなかった。
学校では東覇国の翡翠皇子ではなくジェダイト・リリーとして通う。身分関係なく学べる喜びに翡翠の頬が綻んだ。
そういえば、と翡翠はプルートに問いかけた。
「母上はシーヴ寮だったと聞いたことがあります。リリャナ様も……?」
するとなぜかプルートが遠い目になった。フ……ッと哀愁漂う微笑を浮かべる。
「ああ……そうだね。うん、母様と黒曜妃もシーヴ寮だ」
「?」
「兄様?」
様子がおかしい。なぜ、母親の話題でそんな煤けた表情になるのだ。聞いてはいけないことだったのかとうろたえる翡翠に、プルートは手を振った。
「いや、いずれ学校に入学すればわかるから……。うん……」
「余計不安になるんですけど」
「いろんな意味で予想外、とだけ言っておくよ」
「母様なにしたの……?」
何度聞いてもプルートは教えてくれなかった。ノヴァや祖父母に聞いても、そんなこともあったなと笑うだけでやはり口を割らない。どうやらプルートも事前知識なしで入学したらしく、ドッキリさせたいようだ。
「翡翠はお母さんからなにか聞いてないの?」
「特には……。リリャナと一緒に楽しかったわ、若いって良いわね、くらいしか聞いてないな」
いつかあなたにも行かせてあげたい。黒曜宮から広がる空を見上げて、母は懐かしそうに言っていた。ラグニルドの魔法学校に入学するのは母の夢でもあったのだ。東覇国の皇子では叶わぬ夢だった。
「私、お母さんのことあんまり覚えてないんだ」
「リンダ……」
「気がついたらメイが、あっ、メイってジークズルにいた頃の子守りね、メイがいてくれた。お母さんはいつも忙しくて、そのうち病気になっちゃった。たまーに本を読んでくれたり、お茶会したけど」
それが特別な思い出になるくらい一緒にいた時間は短かったのだ。
両親が生きていて離れても守ってくれている翡翠はまだ恵まれている。友達だってリンダがいた。リンダと一緒に貴族のお茶会に参加したことがあるが、血の繋がった母が死に、父に疎まれ売られた子供だと同情されていて楽しくなかった。リンダもどう接していいかわからないようだった。
ハーツビート家の使用人に慕われ毎日元気に遊んでいるように見えて、リンダは人見知りが激しいのだ。翡翠の側から離れようとしない彼女にかすかな優越感が湧くのは、健全な青少年として致し方ないことだろう。
「もっと話をしておけば良かったな」
人の不幸を比べることはできない。リンダは自分が不幸であるなど思っていないし、可哀想なんて言ったら怒るだろう。それでも翡翠の胸は痛んだ。学校で強くなって、リンダを守ろうと決める。
暗くなりそうな翡翠にリンダが大きく笑った。
「だからすっげー楽しみ! 翡翠のお母さんとどんなことしてたんだろうね?」
「そうだな。俺様とリンダの母上だ。伝説にでもなっているかもしれんな!」
それが冗談にならないなんて、誰が想像しただろう。