遊んで
第3話です!
いよいよデート当日、叶笑の緊張っぷりと言ったらもう。尊い尊いって夏葉が言ってます。
そして当日、4月15日の日曜日。
生真面目な叶笑は、約束の時間の30分前に到着する電車に乗り、高鳴った胸を両手で抑えながら湯浜に向かっていた。
緊張で気分が悪い。朝ごはんも上手く喉を通らなかった。心做しか窓に写る顔色が悪い気がする。
自信が無いのはいつもの事である。しかし今日は事情が違った。
服装は、夏葉にも頼りながら土曜一日悩んで決めた。襟元に小さなリボンが付いた淡い水色のブラウスを、スキニーのジーンズに前面だけインする着こなしだ。ついでに夏葉にもらった柑橘の香水をしている。普段慣れないオシャレも緊張を後押ししている。
メガネはかけたままである。時間的にも金銭的にも、コンタクトは買えなかった。
「変じゃないかな……」
頭の中は不安でいっぱいだった。なにせ今から憧れの先輩とデートだ。
「なんであれ、男女が二人で約束して出かけてたらそれはもうデートよ」
昨日、電話中に夏葉が言っていた言葉だ。悔しいが真に受けてしまい、こうして叶笑はド緊張の最中にいる。
電車は叶笑の家の最寄り駅である東樫浜駅を出、10分足らずで3つ目の駅、約束の湯浜駅に到着した。
不安がっててもしょうがない、ここまで来たら当たってみるしかない!
ドアが開くなり心の中でそう奮い立たせ、叶笑は勇んでホームに降りた。砕ける、という言葉を避けたのは無意識だった。
希薄な人混みの流れに乗って階段を上がり、改札に向かう。ICで改札を通過した時、ふと気配に気がついた。目をやると、券売機の横でキョロキョロしている陽斗がいる。
え、時間間違えた!?
腕時計を確認するが、確かにまだ10時半。一応と確認した駅の時計も同時刻だ。LINEを開いて約束の時間を確認したが間違ってはいない。
来るの早くない!?
そう言う叶笑も大概である。
向こうはまだ気がついていないようなので、一度足を止め深い呼吸を置き、意を決して駆け寄った。
「笹内先輩!」
呼びかけで叶笑に気がついた陽斗は、刹那驚いた顔をして、すぐ笑みを浮かべた。
「おはよう」
「おはようございます、お待たせしました!」
陽斗の傍まで来た叶笑は、自然に会話していたことに気づき緊張をぶり返す。隠そうとして俯くが、陽斗は見抜いていた。
「緊張してる?」
「う……、はい、してます……」
俯いていた叶笑には、赤面した陽斗の顔は見えていなかった。
「俺も、ちょっと緊張してる。まぁ、しょうがないよ」
ぎこちない会話の二人を、夏葉が見ていたらうずくまって悶絶しそうな空気が包んでいた。
「じゃ行こうか」
「はい」
歩き出した陽斗について叶笑も歩く。二人は駅の西口に向かった。
合流したはいいものの、叶笑は恥ずかしくて目を合わせるどころか、俯いていても陽斗に焦点を合わせられない。
何喋ればいいんだろー……。
夏葉に聞いておけばよかったなと思考を巡らす叶笑に、陽斗から呆気なく話題が振られた。
「えっと、三橋さんはいつ頃からアクア好きになったの?」
「え!? あ、えと、小さい頃から水族館好きで、だからお魚とかは昔から好きでした」
「お魚専門だって言ってたっけ」
「一応水草も分かります、少しなら」
「いいなぁ、俺も詳しくなってみたいわ」
二人は話しながら駅を出、栄えた街に入る。小春日和で日差しが気持ちいい。
「先輩は……環境でしたっけ?」
「まぁ、そうだね、生態系」
「生態系って言うと……」
何か話題に出来ることは……と考えていると、陽斗が話し始める。
「魚の排泄物をエビとか微生物が分解して、植物の栄養になるって言うサイクルが好きなんだ。ちゃんと組み立てれば水足すだけで綺麗な水景を維持出来るようになったり、でもそれが本来の自然の形で」
だんだんと熱を持つ陽斗の言葉に、思わず叶笑は顔を上げた。見ると陽斗の目が輝いている。
「水槽内の水流も考えてレイアウトしたり、やり始めたらキリないくらいに環境って深くてね」
不意に陽斗目線を叶笑に向けた。バッチリと目が合う。
陽斗の赤面の一部始終を、今度は見ることが出来た。
わ、やば……。
直ぐにお互い目を離したが、二人はとても長い時間見つめあってるように感じていた。
「語りすぎだね……ははは」
照れ隠しをする陽斗。叶笑はなぜか嬉しくなって微笑んだ。
「そんなことないですよ、好きなものに一途って、なんか……カッコイイです」
赤い頬を隠すように、叶笑はそっぽを向く。少しして陽斗が笑いながら呟いた。
「ただのオタクだよ」
「ふふ」
叶笑に笑みが溢れた。つられて陽斗も笑みを浮かべる。
「カフェって水槽いっぱいあるんでしたっけ?」
「うん、そうだよ」
「じゃあ教えてください。水槽の環境の魅力」
それを聞いて陽斗が大きく笑った。
「いいよ、三橋さんもお魚の魅力の解説お願いね」
「望むところです!」
また目が合ったが、ぎこちなさはもう残っていない。二人の足取りは自然と軽くなっていた。
「今頃どうしてるかなー叶笑」
思っている事がつい口に出た。夏葉はトレイに並んだケーキをショーケースに入れていた。バイト中である。
「誰です?」
「んーあぁ、幼馴染」
後輩のバイトの女の子に尋ねられ、夏葉は答える。
「今日憧れてた先輩と初デートでさぁ」
「えー! そうなんすか!? いいなぁ」
「あっちゃんはそういうの憧れる?」
「そりゃもちろんっす!」
ふーんと興味のなさそうな返事をする夏葉。手はしっかり仕事をしている。
「夏先輩は憧れません?」
あっちゃんと呼ばれた後輩は、トレイとトングを持ったまま壁にもたれた。
「んーあたしは……そうでもない。憧れてる人もいないし結構遊んでて楽しいし」
これは夏葉の本心だった。アツアツの恋愛に憧れたこともない。ただ今が楽しくなるように生きてきた。
「そーなんすか」
どうでも良さそうな返事が帰ってきた。後輩はトングをカチカチ鳴らしながらぼーっとし始める。
「手、止まってる」
「あ、はーい」
夏葉の注意を受け、後輩が重そうに立ち直すが、夏葉の動きを見ているだけで結局動かない。仕事が出来ないタイプの子だ。
「その人どこに行ってるんすか?」
「湯浜だよ」
「ここじゃないすか! 見に行きましょうよ!」
ワクワクとはしゃいでいる後輩に、夏葉はニコッと笑いかける。
「仕事中だよ?」
「えー」
「えーじゃないの」
後輩は渋々だが了承したように、担当でもないキッチンに入って行った。夏葉から逃げたのだ。
「……ったく……」
この後輩ちゃんは、夏葉の悩みの種だった。
簡単な魚の紹介と、自宅のメダカの話をしていると、陽斗が不意に足を止めた。
え、なんかまずいこと言ったかな。と叶笑は不安になるが、振り返って陽斗を見ると笑顔で隣のビルを指さしていた。
「目的に到着しました。これでルートガイドを終了します」
嬉しそうにふざける陽斗。叶笑はクスッと笑う。
「そろそろ到着ですって、ガイドさんは教えてくれないんですか?」
悪戯に微笑みながら叶笑は陽斗に近寄る。だが途中で顔が赤くなり勢いが消えた。
ダメだ直視できない……!
叶笑が照れたとさすがに悟り、陽斗も頬を染める。
「ほら入ろ」
ビルの階段に進む陽斗を追って、叶笑も2階に上がる。廊下を曲がるとすぐにたくさんの水槽が視界に入ってきた。
「わ……」
急に現れた水景に呆気に取られたが、次第に目が輝き始める。そんな叶笑を横目に見て、陽斗は満足そうに口角を上げた。
手動のドアを開け中に入ると、この手の店はまず会計をする。入場料の中にワンドリンクが含まれており、カウンターで注文を済ませてから2時間は、飲み物片手に中を自由に見て回れる、というシステムだ。
そんなことはつゆ知らず、叶笑は入るや否や見に行ってもいいですか? と陽斗に目で乞う。陽斗が快く頷いたので、叶笑は一目散に近くの水槽に張り付いた。
「わぁ……!」
カフェの中にはざっと20前後の水槽が設置されており、叶笑が飛びついたこの水槽は、熱帯の川のようなレイアウトだった。流木と石を囲むように、鬱蒼と綺麗に生えた水草たち。川底を模した茶色いソイルが敷かれ、所々に枯葉が沈んでいる。そんな水景の中に、熱帯魚やエビ、ナマズの仲間などが美しく溶け込んでいた。流木についた苔を食べているスジエビや、枯葉の下で休んでいるプレコ。水中を群れて泳ぐネオンテトラが、証明を反射してキラキラと輝いていた。
「綺麗……!すごい……!」
大はしゃぎしている叶笑を暖かい目で眺める陽斗は思う。連れてきて正解だった。
二人分の会計を済ませ、ドリンクを二つ選ぶ。しばし待ってから、注文したコカコーラとメロンソーダを両手に持って、未だはしゃいでいる叶笑に歩み寄った。
「どう?」
「わ!?」
完全に自分の世界に浸っていた叶笑は、驚いて変な声を出してしまった。
「あ、すみません、のめり込んでました」
「楽しそうで良かった」
笑いながら陽斗はそう言い、持っているメロンソーダを叶笑に差し出した。
「はい、三橋さんの分」
「あ、ありがとうございます……」
何か違和感を感じながらドリンクを受け取る。ストローを咥えて一口飲んでみた。メロンソーダだ。美味しい。
私メロンソーダが一番好きだって言ったっけな……。
否、知っているはずがない。たまたま選んでくれたのだろうか。選んでくれた ……。
「え!?」
突然の声に、水槽を覗き込んでいた陽斗が肩を震わせ驚く。
「ビックリした」
「いつの間に注文を!?」
違和感の正体は、お会計済ませてしまったのではないかという疑問だった。それは的中し、陽斗は「ああ」と納得したように笑う。
「今日は出すよ」
「いやでも……」
潔く奢られるべきなのだろうか。でも奢ってもらうのが普通だと思ってる系女子だとかは思われたくない。
「じゃあ、あとで俺の分のパン買って?」
うっ。と叶笑は心の中で唸った。上手く丸め込まれた感じが否めなくて悔しい。
「……分かりました、でもパン沢山買いますよ!」
はははと豪快に陽斗が笑う。見る度に思うが、気持ちのいい笑い方だ。見習いたいと叶笑は思う。
「俺かなり大食感だからな? 覚悟しとけ」
「お、望むところです!」
「じゃ交渉成立ね。まずはここを楽しも」
笑いながら言う陽斗が眩しかった。
「いただきます」
「もう飲んでたけどね」
「……!」
悪戯に陽斗が笑う。
「いただいてまーす」
わざとらしく叶笑が言い、陽斗が笑った。
なんか心地いいな。こういうの。
また一口メロンソーダを飲んだ。美味しい。叶笑にも笑みが浮かぶ。
「この魚なんてやつだっけ?」
陽斗が水中を優雅に泳いでいる、赤と青に輝く魚を指して訪ねた。
「ネオンテトラです。アマゾンに生息してて、日本でもかなりメジャーな熱帯魚ですね」
「あーそうなんだ、この子好きだなぁ」
「綺麗ですよね、私も好きです。飼育も簡単で、他の子と喧嘩もしないし人工飼料も食べるのでオススメです」
スラスラと流れ出る情報に、陽斗が思わず叶笑に目をやった。叶笑はそれに気づかず水槽を眺めている。
ネオンテトラの反射のせいか、陽斗には叶笑の目が色とりどりに光っているように見えた。
「ショップ店員ばりに知ってるな」
陽斗は褒めたつもりだったのだが、叶笑は少し憂鬱気に笑う。
「友達とかにこうやって話すと引かれるんですよね」
陽斗は叶笑の目の奥の淀みを見留め、何かあったんだなとなんとなく悟った。
「人を選ぶよなぁ、こういうマニアックな話題って」
「そうなんですよね。私友達少なくて、話せる人いなくて」
笑って見せた叶笑だが、その奥の寂しさが隠せていなかった。隠せてないなと自覚もしている。
「ならもっと話そう」
陽斗が言った。
あ、そっか、笹内先輩となら話せるんだ。
叶笑は嬉しくなって、何を話そうかと記憶の引き出しを開け始めた。表情が明るくなったのを見て、陽斗も安心したように水槽に目を戻す。
「あ、じゃあこのお魚は知ってます? 枯葉の下にいる子」
プレコを指さして叶笑が言う。陽斗はそれを直ぐに見つけて「名前くらいは」と答えた。
それから二人は退室までの二時間、めいっぱいにアクアカフェを楽しむことになる。
誰もが経験するように、楽しいと時計は早く進み、あっという間に昼の1時に差し掛かった。叶笑と陽斗は途切れることなく語り合い、陽斗のLINEのホーム画面になっている水槽も見つけ、合計3240円を二人でしっかり堪能し、今カフェを出たところだ。
叶笑が金額を知らないのは言うまでもない。
「はぁぁ、楽しかったです!」
「よかった。誘って正解だったね」
「はい! ありがとうございます!」
キラキラした笑顔の叶笑を見て、陽斗も満足げに笑った。
「あと、二人で来て正解でした」
ふと叶笑は呟く。自分でも驚くほど素直に言葉が出た。陽斗の反応も気になったが、赤面していて間違っても顔を見ることなどできない。スタスタと陽斗の前を歩いて階段を降りるが、悪い気はしなかった。
陽斗の腹の虫が鳴いたこともあり、二人は駅の方角に戻り、商店街の外れのパン屋に向かい、そこでお昼にすることにした。叶笑はたくさん買うぞーと張り切る。
「遠慮せずに好きなだけ取ってくださいね」
「わかったよ」
とか言いながら来た道を戻り、制限時間のために中断していた話題が再来した。
「さっきの話ですけど、水流の計算ってどうやるんですか?」
陽斗が話していたレイアウトの話だ。濾過のためにポンプを仕込むことも多いアクアリウムだが、濾過水の流入向きやレイアウトで水流を計算し綺麗に作ると、コケやカビが生えにくい、と陽斗は嬉しそうに語っていた。
「あぁ、ひたすら観察かなぁ」
「なんか目安があったりって訳では?」
「いやもう本当に観察と経験。流体力学とか訳わかんないものを学べば計算できると思うんだけどね」
「流体力学…」
流れる空気や液体がどのように動くかを研究した学問だ。プロペラが付くものや建物の構造などに役立っているらしい。確かに学べば出来そうである。叶笑の頭にコンピューターシュミレーションで流れが可視化されたイメージが湧いた。
少し顔が青ざめる。
「まぁこういう所はこう動く、みたいに知っとくと分かりやすいかな。泥とか少し入れれば水流も見えるし」
「あぁなるほど」
環境をしっかり作ることでメンテナンスが楽になるのはありがたいことだ。叶笑は自宅のメダカ水槽を思い出し、ちゃんと作ってあげてもいいかな、と思い始めた。
「結局自然って、なるようになるものなんだよ。その土地の条件に適応した種が増える。合わない種は減る」
陽斗が真面目な口調で語り始めたので、叶笑は陽斗の顔を見やった。どこか神妙な顔をしている。
「水槽の中を飼ってる種に合わせた環境に作るのがアクアリウムだけど、自然界では逆だからね、平等なんてない。死ですら平等じゃない」
死という言葉が出てきて、叶笑は驚いた。
そんなことも考えるんだ……。過去に何かあったのだろうか。
他にはどんなことを考えるんだろう。
「まぁ要するに、環境をちゃんと作れば人の手なんかいらないくらい安定するんだ。そのくらい大事な要素ってこと」
ふっとまた表情が明るくなり、陽斗は言葉をまとめた。叶笑は「なるほどです」と相槌をうち、なんとなく空に目線を移す。何も無い澄んだ青空に、うっすらと白く細い新月が弧を描いていた。
なんだろう、すごく惹き付けられた気がする。
「笹内先輩って明るいイメージだったんで、今のはなんか新鮮でした」
空を眺めたまま叶笑は言った。少しして陽斗が応える。
「俺もびっくりした」
え? と叶笑は陽斗を見た。続ける陽斗はさっきの叶笑と同じように空を見ていた。
「すごい闇なこと言ったなぁ俺。って、驚いた。なんでだろ」
私に聞かれても知るはずないです。と心の中で呟く叶笑。普段言わないことを言ったと言いたいなら、あざとすぎる。
「行こうって言ってたパン屋ってどこだっけ?」
陽斗が無理やり話題を変えた。
行こうと言っていたパン屋にたどりついた二人は、店内をトレイとトングを持って歩いていた。もちろん二人分で一つのトレイを叶笑が持っている。
「食べたいパン教えてくださいね、遠慮なく」
「じゃあ、せっかくだし一通り全部頂こっかなぁ」
驚いて陽斗を見やる。もちろん言葉を本気にした訳ではなく、そのセリフの元ネタを叶笑も知っていたからだ。
「知ってるんですか? ハイバンド」
「まぁ一応」
ハイバンドとは、高校の軽音楽部を舞台にした日常アニメである。その主人公が友人にケーキを奢られるシーンで吐いたセリフなのだ。
叶笑は嬉しくなってニンマリと笑い、友人キャラのセリフをなぞる。
「よぉし言ったなぁしっかり平らげろよぉ?」
これの影響でドラムを始めたのは誰にも言えない叶笑の秘密である。
「ごめんなさい冗談です」
陽斗も応戦し、「三橋さんはどれにするの?」と尋ねた。
「私は……」
硬いパン硬いパン……。と探していると、陽斗が先に見つけたらしい。
「これとか硬そうだよ」
「あ、いいですねそれにします」
見るからに硬そうだ。陽斗が見つけたミルクフランスをトングで取る。
ん? なんだろこの違和感。
叶笑はふと感じた違和感に首を捻るが、陽斗に呼ばれたため振り返った。
「俺これ食べたいです」
「はい、あ、ベーコンエピ!」
これまた硬いパンだ。明らかに食べたいという意思を声に乗せてしまう。
うわ私図々しい……。
「じゃ半分ずつで」
「すみません……」
申し訳なさそうに呟くと、陽斗が頭をワシャワシャと撫でてきた。
「気にしたら負け」
突然のことに叶笑は思いっきり顔を真っ赤にする。
頭……頭撫でられた……!?
幸い陽斗は他の棚にパンを選びに行ったので、超赤面状態は見られずに済んだ。
結局購入したパンは五つ。ミルクフランスとベーコンエピの他に、アップルパイとガーリックバタートースト、塩あんパンのラインナップだ。そこにプラスで飲み物、ブラックコーヒーとメロンソーダを付け、会計を叶笑が済ませ、店内のイートインに二人は座った。
「じゃあ、いただきます」
「いただきます」
お行儀よく手を合わせ、それぞれが選んだパンを手に取る。
叶笑は早速ミルクフランスにかぶりついた。噛みに噛んで味わい尽くしてから飲み込むのが叶笑のスタイルで、よって食べるスピードが遅い。
またしても、ふと叶笑は違和感を感じた。さっきミルクフランスをトングで掴んだ時と同じ感覚。
「あ」
実態を掴んで陽斗に問う。
「先輩、私硬いパンが好きって先輩に言いましたっけ……?」
「ん?」
と陽斗は一瞬拍子の抜けた顔で叶笑を見た。
「いやぁ、なんとなくかな」
「なんとなく……あ、そう言えばメロンソーダもそうです。私が選びそうなものを先に先輩が選んでくれてて……」
あの時の違和感もそうだ。お金を払ってもらっていた事に気づけたのも正解だが、それだけではない気がどこかでしていた。
「そうだっけ?」
「はい、確か」
叶笑はそう言いミルクフランスを咥え、グイッと引きちぎって噛み始めた。陽斗はおもむろにコーヒーを飲み、口を開く。
「そんな気がしたんだよ、三橋さんメロンソーダ好きそうだなって」
「んー……」
もぐもぐしながら叶笑は唸る。
たまたま、か……。
「当たってたならよかったよ」
陽斗の微笑み混じりのセリフに、これ以上踏み込む思考力を奪われた叶笑であった。
それから二人は他愛ない話ーーお互いの部活のことなどを話しながら時間を過ごし、陽斗の意向で本屋に行って雑誌を適当に眺めてから帰路に着いた。叶笑にとっての収穫は多大なもので、憧れの先輩のあれやこれやを知ることが出来た。同じ委員会での少なくとも1年間の付き合いのスタートは良好。と叶笑も思っていたが、いきなり大イベントが待ち受けていることなど二人は知る由もなく。
4月16日、昼休み。
「ーーっていう感じでした」
叶笑は昨日のデートを夏葉に報告していた。
色々相談にも乗ってもらったしな……。と若干渋々ではあったが義理である。
「おめでとうございました」
「……え何が」
「随分楽しかったみたいじゃん? よかったよ、あんなに不安がってたから」
と夏葉は笑いながら言う。叶笑はムッと内心唸った。確かに喉元過ぎればなんとやら、今となっては楽しかった。むしろどこか喪失感も感じている。
「まぁ、お陰様で」
「次のデートはいつなの?」
「んな予定ないよ!」
赤らむ頬と期待を隠しきれない瞳の叶笑に、夏葉は悦ぶのだった。
その頃とある暗い部屋で、各長を集めた会議が行われていた。
「では今年も変わりなく、去年と同じシステムでいいですね。会長」
「ん、いいでしょ」
「では承認を得られたところで」
会長と呼ばれた、革製の椅子にふんぞり返った女の一声で、その斜め後方に立っていた男がそう言い指をパチンと鳴らした。その音を合図にどこからともなく現れた男が、怪しい黒い箱を会長に差し出す。
「……引く順番はジャンケンでいい?」
机を囲んだ他の12人の男女は、一斉に冷や汗をかきながら固唾を飲んだ。