閑話 たった一人の人間
「へへへ……。良い女が、居るじゃねえか」
「何じゃ?お主等は……?」
ここは、黄泉の国……。
現世と変わらず、善人も居れば、悪人も居る。
死人の住まう世界故に、死への恐怖も無い。
故に、悪人は、無道を働き、混沌としている。
そして、愚かにも、この、黄泉の国の女王、イザナミノミコトに、狼藉を働こうとする者達が……!
斬!!
「イザナミ!大丈夫でしたか?」
転がる、死人の骸……。
黒髪の青年は、イザナミノミコトの、安否を気遣う。
青年が、自分の為に、余りに、慌てふためくものだから、イザナミノミコトは、口を隠して、可笑しそうに笑う。
青年は、笑う、イザナミノミコトに、頬を膨らませ、
「私は、イザナミの事を、案じているのですよ?何故、笑うのですか?」
「くくく……。済まぬ、済まぬ。死の女王である私を、案ずる者など、お主位のモノじゃ。わらわが、この様な、下賤の者に、どうこうされる訳も有るまい」
「それでも、心配です!」
「分かった、分かった。そう、怒るでない。時に、今日は、幾つの魂を、喰ろうて来たのじゃ?」
「はい!悪人を、九十七名ほど!」
「そうか、そうか!九十七名か……。そこに転がっている、悪人共を喰らえば、百名となるな。喰ろうてしまえ!名無しよ」
「畏まりました!」
名無しと呼ばれる青年は、転がる死人の骸を、ぞんざいに、拾い上げる。
そして、大きく、深呼吸するが如く、死人の魂を、体内へと、吸収した。
死人の一人が、目を覚まし、
「ひ、ひぃ!?ば、化け物!?」
仲間が、喰われる様を見て、這う様に、逃げようとする。
が……!
「逃げられませんよ?」
名無しは、無邪気に笑い、その男も、喰ろうてしまう。
異様な光景……。
死により、死から解放された者の死。
名無しは、お腹をさすり、
「力が、沸き上がって来ます!」
「そうじゃろう、そうじゃろう♪魂の、欠落した、お主だから出来る、荒業じゃ。しかし、名無しよ。お主は、要領が悪いのう。片っ端から、喰ろうてしまえば、良いじゃろうに」
「駄目です!私は、悪人しか、食べません!それより!私の魂は、まだ、欠落したままなのですか?さっき、暴れる、八岐大蛇も倒し、喰らってやったのですが……。それでもまだ、私は、不完全なままなのですか?」
「名無しよ……。そう、悲観する必要は無い!お主の魂は、確かに、欠落しておるが、無限の可能性を持っておる。八十万の魂を喰らおうと、その魂は強靭で、決して、壊れる事は無い!誠、異形な、魂よのう」
そう言いながら、イザナミノミコトは、名無しの頬を、愛おしそうに撫でる。
そして、その体を、名無しに預け、
「そのままで良いのじゃ……。お前は、わらわの横で、輝き続けていれば良い……。これで良いのじゃ……」
八十万の神を産んだ女神は、たった一人の人間に、その心を、奪われる事と成った。
ただ一人の人間……。
名無しさえ、横に居てくれれば……!
イザナミノミコトは、名無しの腕の中、静かに、その目を閉じ、甘い吐息を吐いた……。




