ユグドラシル
俺は、ふらつく足取りで立ち上がり、辺りを見回す。
太陽は、西に沈み始め、真っ赤な夕焼けが、辺りを包み込む。
『ここら辺、夜行性の獣居るの?』
俺は、歩き出しながらナビ子に質問する。
歩き始めたが、行く当てなどない。
取り合えず、夕日に向かって歩いている。
薄暗かった森は、木々の間を夕日が差し込み、真っ赤に染まる。
『う~ん……。ビックボアとか、獣系モンスターは、夜行性よね』
『ビックボア?』
『大きな猪ね。あれだったら、お肉も美味しいし、毛皮も売れるわ』
弾むような声で語るナビ子に、苦笑する。
毛皮って……。簡単に言うが、肉から剥がすのにも苦労するし。毛皮の内側につく、脂肪をしっかり取って、防腐処理をしないと、すぐに腐ってしまうんだが……。
簡単に言うが、道具もないし、素人にはハードルが高い。
だがしかし、俺は今、自由なのだと実感し、気分が高揚する。
今ならナビ子と、世界の果てまで旅する事が出来る。食料と、金があればだが……。
『今日は、何処か木の上で眠るか』
俺は、緩む口元を引き締め、姿のないナビ子を見つめる様に、柔和な瞳で、夕日を見つめる。
『うん。手ごろな洞窟もないし、一人旅だしね。魔物や獣から、身を守るなら、木の上の方が良いかもね?』
『ナビ子と、二人旅だろ?』
俺は、すかさず、ナビ子に言う。
不意に、頬を染める少女の顔が浮かぶ。
『うん♪』
少し照れたような声で、ナビ子が答える。
俺は笑い、遥か先に見える、巨木を目指す事にする。
今日の寝床は、あそこにしよう。
途中、思いもかけず、獣道の脇に自生していた木の実にありつけ、ほくほく気分で、摘み取っていく。
さらに注意し、索敵の範囲を広げる。
勿論、今晩の夕食の為であるが、索敵と、鑑定のレベルを上げる為でもある。
塵も積もれば、山となる。道端に転がる、なんか奇麗な石や、カッコイイ形の石まで、鑑定してみる。
予想通り、書かれた文は、固くて食べられないと言うものだった。
うん……。知ってた。
『ジャショウちゃん。あんまり、寄り道してると、日が暮れちゃうよ?』
拾った小石を投げ捨てて、小走りで歩き出す。
気が付けば、木の実と薬草で、懐が膨れ上がっていた。
最初は、どうなる事かと思っていたが、何とかなるものだ。
思いがけない収穫に懐は膨れ、歩くたびに揺れて、歩きづらい。
『大量だね♪』
懐から、ユサの実とは別の木の実を取り出す。
拳大ある木の実は、赤く熟れ、甘い匂いを醸し出していた。
『その実、アヤの実と言って、とてもさっぱりしていて美味しいんだよ♪けど、そんなに大きくならないはずなんだけど……』
ナビ子の、解説を聞きながら一口かじると、シャリシャリと良い音がし、味は、枇杷の様な風味がした。
『うん。これはこれで』
『ジャショウちゃん。それは、沢山食べても平気だよ♪』
『やっぱ、鑑定じゃなくて、ナビ子が解説すれ良いんじゃない?』
口いっぱいに、アヤの実をほおばり、念話でナビ子に語る。
『それじゃあ、冒険にならないでしょ!』
『む~』
俺は、少し納得できず、アヤの実を頬張り、膨れた口で、唸って見せた。
そうこうしている内に、夕日が沈みがかり、気づけば、巨木の前までたどり着いていた。
巨木の幹は、50mに達し、高さは、100mを優に超えている。その姿は圧巻で、枝に生えた葉は、黄金色に輝いている。
『これって……』
ナビ子は声を潜め呟くと、すぐに押し黙った。
ナビ子の、思わせぶりの態度って、気になるんだよね。
俺の事も、何だか曖昧な説明で、片づけられたし……。
『何か知っているの?』
『うん……。この子、ユグドラシルの子よ……』
ユグドラシル……。別名・世界樹。大地を支える神々の木の事だ。
異世界転生のススメにも、書いてある。
ここに来て、初めて異世界転生のススメが役に立った。
『どおりでこの森、植物も動物も、妙に発育が良いわけね……』
一人納得したふうに、ナビ子は頷く。
『ユグドラシルって、世界樹の事だよね?』
『ええ、そうよ。神々の地にそびえる、大樹のことよ』
目を瞑り、世界樹の幹に触れる。
世界樹の内側には、強大な金色の光のうねりを、感じる事が出来る。
魔力のうねりは幹を伝い、根から大地に流れ出ている……。
『凄い魔力だ……』
『ええ、でもこの子は、まだ子供ね。樹齢は、2000歳と言ったところかな……』
世界樹を見上げる。
これでまだ子供だと聞き、深く感嘆した。
『世界樹は、1万年の時を経て、成樹へと育ち、神々の国へと、転生するの。その最後の時に、世界に胞子を飛ばし、新たな命を育むのよ』
『じゃあ、前の世界樹は、2000年前に、転生したの?』
『うん。今天界で、木の実をたわわに実らしているよ』
世界樹の実……。食べてみたい。
千里眼を使い、気の隅々までを、見渡す。
『下界では、1万年に一度しか、つけないよ』
『え!?心を読んだ?』
『いや、ジャショウちゃんの考える事なんてねぇ……』
なおも、諦め切れず、枝枝を見て回る。
ふと、木の中央から生える、枝の一つに、生き物の影が、ちらついた様に思えた。
『何かいる……』
俺は、千里眼を解き、世界樹の枝に飛び乗った。
『何が居たの?』
『解らない……。ただ、木の先になる、ひと際強く輝く葉のそばに、影が走っているのを見た気がしたんだ……』
そう言うと、枝から枝へと、飛び移りながら、中段を目指す。
中段に近づくにつれて、葉の輝きに映し出され、小さな生き物の影が見え隠れする。
『なんだ?あれは……。食べ物か?』
『ジャショウちゃん……』
ナビ子の、心底呆れたような声が、脳内に木霊する。
俺は気にも留めず、気配を消して、その影に近づく。
影のいる枝に着くと、その生き物の輪郭が、浮かび上がってきた。
ゆっくり近づき観察してみると、それは、体長20㎝ほどの、黒と茶色の斑模様の、子ザルの様だ。
よく見ると、その子ザルは、体中至るところに傷があり、弱弱しい仕草で、必死にひと際強く輝く葉を取ろうと、手を伸ばしている。
何だかいたたまれなくなり、後ろから、子ザルをそっと、抱き上げる。
子ザルは驚き、必死に手から逃れようと、鳴き声を上げながら、暴れだす。
「大丈夫……」
俺はそう言うと、子ザルの体に、ゆっくりと、自分の錬気を流してやった……。




