6時24分のアラーム
身に覚えのない「6:24」のアラーム
どうして、6:24にアラームが設定されたのか。
その答えは、絶対に見つけることができない。
それはどうしてなのか…。
あなたにだけ、その答えを教えます。
闇の中にスポットライトが当たったように浮かぶギター。
よくある明るい塗装のギターではなく、「焦げ茶色」というのがふさわしいボディに、
黒々とした木目が入っている。
堅い音が出そうなギターだ。
ボディは厚く、ヘッドが大きい…。
渡されたギターを手に取り、ネックを握って弦を弾いてみる。
とっさに出した音は「Eaug」のコード。
「あれ、このコードじゃない…。」
さっきまで、弾こうとした曲のイントロではない。
そう、さっきまで一緒にいた女の子と話をしていた曲とは違っている…。
「…。」
でも、思い出せない。
「何の曲を弾こうと思っていたんだっけ…。」
左手でコードの形をつくりたいけど…。
本当にさっきまで話をしていた曲なのに…。
「ねぇ、なんの曲だっけ?」
視線をギターから移してみたけど、目標となるはずのあの女の子はいない。
誰もいない…。
その時、部屋でアラームが鳴った。
「え?」
今まで抱いていたギターは消え、座っていたはずなのに布団の中で寝ている…。
いつもの時間、5時45分だ。
真っ暗な部屋の中で流れている曲。 〜 wacciの「キラメキ」 〜
隣で寝ている妻が布団の中で寝返りをうっている。
「早く止めないと…。」
暗闇の中に手をはわせ、最初に触れたイヤホンでスマホをたぐりよせる。
画面の光で目がつぶれそうになりながら、アラームの「停止」の文字を押した。
再び訪れる沈黙…。
「夢か…。」
ゆっくり思い出してみる。
起きた瞬間に思い出さないと、夢は水たまりに落ちた雨粒がつくった泡のように消えてしまう…。
断片的に覚えている内容をつなぎ合わせてみる。
部屋は実家の自分の部屋だった…。
実家を出てから20年以上は経っていた。
でも、あれはまさしく自分の部屋だった。たまに帰省した時に入ってみる2階の東側にある部屋。かつては、いや年老いた母親にとっては、今でも息子である自分の部屋だ。
本棚などはあの頃と一緒。あの頃使っていた机や椅子だけはもう無くなっているが、
見間違うはずはない。あれは自分の部屋だった。
時間帯は夜遅い時間だった。
布団は敷いてあったし、隣の部屋からは当時同居していた妹の部屋から音楽が聞こえていた。
妹は夜遅くまで音楽やラジオを聞くのが習慣だった。
その布団の上であぐらをかいていた。立っていた女の子からギターを渡された。
その前には何か会話をしていた。
遅くなったから帰るとか、家は神奈川だとか話していた気がする。
髪型は思い出せる。さらに、顔の輪郭まではなんとか思い出せるが、その内側に見えていた表情となると、全く思い出せない。
そうだ、廊下を挟んだ部屋には妹がいるから、自分の部屋に女の子がいることを
気にしながら話していた。できるだけ小さな声で、
爪弾いたギターのコードもほんのちょっとだけ音が出るように加減していた。
その感触さえ、今も右手に残っている気がした。
「神奈川から来た。」 「遅くなったから帰る。」 …。
思い出せない。誰だ?
知っているはずだった。あんなに親しげに話をしていたし、見たことがある顔だった…。
と言っても、今ではのっぺらぼうの顔…。
そして、弾きたかったけど、弾けなかった曲…。
分からない。思い出せない…。
その時、またアラームが鳴った。今度は6時ちょうどになるアラームだった。
持ったままだった左手のスマホがまたまぶしく光を放ち、大音量で曲が流れている。
〜 「rain」 秦基博 〜
さっきより目が慣れてきたのか、少し見やすくなった「停止」を押した。
あと1回。6時15分に鳴るチャイムは妻のために消しておこう…。
今日は火曜日。妻は休日だった。もう少し寝かせてあげたい。
時計のアプリでアラームの設定を解除しようとした時、指が止まった。
見慣れた、「5:45、6:00、6:15」の設定の後に、「6:24」の表示を見つけたからである。
「…6時24分のアラーム。こんなの設定してない…。」
緑色の表示が点灯しているということは、これから鳴る設定になっている。でも、こんな中途半端な時間にセットなんかしない。スマホは指認証にしてあるので、妻や息子がいじったりすることはできないはず。
少し気味が悪い。いや、少しどころではない。日々決められた時間で生活している、どこかパターン人間的な自分にとって、このイレギュラーは不気味でしかない。
時刻を見ると、6時12分になっていた。
「6:24」まではあと12分…。
10分…。
5分…。
近づいてくる。
「どうしよう…。」
アラームを削除しようとも考えた。でも、何故だか分からないが、どうしても鳴らさなければいけないと感じ始めていた。
その理由は分からない。しかし、どうしてもアラームを鳴らさないと…。
そんな奇妙な義務感を感じながら、時が経つのを布団の中でジッと待っていた。
あと1分。秒針の表示がないスマホ。60秒の長さがとても長い…。
そして、その瞬間が訪れた。 チャイムが鳴った。
枕元にある目覚まし時計から、けたたましいベルの音がなり、
乱暴に睡眠を遮断された。
「はい、はい。今、止めますよ。」
目覚まし時計の上にあるスイッチを押した。早く止めないと、隣の部屋で寝ている妹から文句を言われる。自分よりも出かける時間が遅い妹は、いつも6:45に目覚まし時計をかけていた。
「6:24」
いつもの時間。一つ大きなあくびをして、布団に別れを告げようとしたが、不思議な感覚に囚われた…。
「夢か…。」
今日もAM7:32発の電車に乗って大学に行くために自転車で家を出た。
家からは駅まで自転車で15分かかる。だから、毎朝、7時10分には家を出ていた。
駐輪場が駅の改札口から結構遠く、自転車を置いてから駅までは歩いて5分かかった。
南口改札口はエスカレーターがなく、長い階段を上ったところにあった。
改札口にいるJRの職員に定期券を見せ、上り方面のホームに降りた。
そして、いつもの乗り口へ。前から3両目の一番後ろのドアから乗る場所。
毎朝、決まって同じ場所に乗ってしまうのは、その他の乗客もみな同じである。
みんな無言で、いつもの場所で思い思いに電車を待っている。
新聞を縦長に折って読んでいる中年のおじさん。いつも器用に新聞を折りたたんでいる。
何度か真似しようとして、網棚に捨ててあった新聞紙を拾って試してみた。
でも、あんなふうに折り曲げていても、すべての紙面を読むことはできなかった。
ラッシュアワーの電車の中でも、ほんの小さな隙間さえあれば、新聞を読んでしまう空間を作ってしまう。それだけで、尊敬の念が浮かんでくるほどである。
そして、あそこはいつもの若いサラリーマン。KIOSKで買った漫画本は、月曜日のジャンプから始まり、毎日のように、日替わりで漫画雑誌を買っているようだ。月の漫画の購入費はどれくらいなのだろう…。
自分は新聞や漫画を買って電車に乗ることは殆どなかった。
人間ウオッチイングをしていると、アナウンスが鳴り、北の方角から近郊列車が入線してきた。
自分が乗る位置くらいだと、列車も十分減速しているので恐怖を感じないが、駅後方の乗り場で立っていると、列車の速度に恐怖を感じる。だから、自分はいつも前の方で乗ることにしていた。
ただ、一番前まで行ってしまうと、降車時に乗り換えするのに時間がかかってしまう。
ドアが開いた。一つ前の駅が始発なこともあり、自分はだいたい座ることができた。
ボックス席は降りるのが大変なので避け、ドアに近い二人がけに座ることが日課だった。
それも、進行方向左側は東なので朝日がまぶしいから避け、自分はいつも西側に座っている。
腰を下ろすと、程なく電車はドアを閉め、田舎から都会へ移動を開始した。
「変な夢だったな…。」
ふと、今日見た夢を思い出していた。
(つづく)