第一章①
「……何かが違う」
目覚めた私は直感的にそう感じて言葉を発した。何かが違う。違和感があって、私はそれを声に出していた。私の声で、しかし、この声は本当に私の声なのだろうか?
ジリリリッ。
目覚まし時計が鳴り出した。私は反射的に枕元に手を伸ばして、それを乱暴に叩いて止める。かすかな余韻を残して鳴り止んだ。私はそちらに目をやる。左右に銀色の巨大なベルを拵えた武骨な目覚まし時計がカーテンの隙間から差し込む太陽の光を反射して鈍く光っていた。その目覚まし時計はライデンというかっちょいい名前で、確かに私が高校の入学祝に父親にプレゼントされたものだった。以前の私は朝が物凄く弱くてフラフラで寝坊することが多かったんだけれど、この目覚まし時計のおかげでそういうことはなくなった。今ではむしろ設定した時刻よりも数分早く目を覚ましてしまうくらいだ。なぜなら、雷が何度も落ちて機械が爆発するみたいに酷くうるさくて、布団をぎゅっとかぶって眠り続けることなんて不可能だから。
そんなことよりとにかく、今日も私はライデンより少し早く目を覚まし、遅れて鳴ったライデンを叩き止めた。これはいつも通りだ。いつも通りの、平日の朝。ベッドから起き上がってクリームソーダ色のカーテンを開ければ、見事な快晴。これはいつも異常の素敵な朝。寒くもないし、暑くもないし、湿気てもない、カラッとしている。
五月。
私の部屋のベランダに住み着いている黒い野良猫は、室外機の上で丸くなってじっとこちらを見ている。見つめあって同じタイミングで目を逸らすのは、いつものことだ。黒い野良猫には私の付けた名前がある。
ピカソ。
「……でも、何かが違う、」私は再び呟いてみた。「……な、わけないか」
私は漠然とした、あるいは漫然とした違和感に真剣に向き合うのを止めた。私は支度をしなくちゃならない。トイレに行き、洗面台で顔を洗い、歯を磨き、髪に櫛を入れる。階段を降りて、一階の台所に行き、冷蔵庫を開けて牛乳を取り出し、小皿に注ぐ。「飯は?」リビングの方から父親が力のない声で聞く。「いらない」私は答えて牛乳を注いだ小皿を両手で掬い上げるように持って自室に戻る。ベランダに出て、それを室外機の上で丸くなっている黒猫のピカソの前に置く。ピカソは二秒、私のことを見つめてから牛乳を舌で舐め始める。私はピカソの痩せた背中をそっと撫で、ベッドの下にストックしている猫缶を開けてそれもピカソの前に置いてやる。ピカソが室外機の上で食事をしている間に、私はパジャマ代わりに着ている父の匂いの染み込んだ臭いトレーナーを脱ぎ、何の変哲もないセーラー服に着替える。そして鏡の前で髪に櫛を入れる。
「いってきます」
私はカリマのリュックサックを背負い家を出る。