20.幻想を捨てられない子供の言葉
「響助さんはヒーローだった。誰でも助けて、皆を救ってくれた。私のことも……」
カエデの瞳からは涙が流れた。溜まっていた水がついに流れてしまった。
「でも私を助けたせいで、響助さんは死んでしまったの……」
三年前、川で溺れていた少女を救って死んでしまったヒーローの姿を、俺は思い浮かべた。そして、その少女がカエデだったことに驚いた。
「私があの人を殺してしまった。ずっとそんな罪悪感と一緒に生きてきた。なのにあの子は、響助さんを馬鹿にした。『人助けなんて馬鹿なことしているから死んだ』と言った」
カエデは下唇を噛みしめている。悔しさを精一杯押し殺そうとしている顔をしている。
「私はそれが、許せなかった。だから、だから――」
響助は皆から好かれていた。だからこそ、いなくなったことで皆の心を傷つけてしまった。
その不和が、今回の件を生んだ。
カエデが叫びながら、言葉を探して苦しんでいるのを見て、俺は無力感を覚えた。
「もういい。大丈夫だ。分かったから」
泣きじゃくるカエデに肩を貸した。自分の目の前で泣いている女の子を前に、俺は動けなくなった。
でも、それじゃダメなんだよな。女の子が泣いて、同情して、悲しかったね――じゃあダメなんだ。どんなに時間がかかってもいいからハッピーエンドで終わらなくちゃ、意味がない。
だって俺たちは生きている。あの日生きるって決めた。生きる以上はいつか笑って、幸せにならないといけない。
「だけどあんなことは二度とするな。誰かを傷つけたって意味がないんだ。痛くても苦しくても辛くても、一生それを抱えるとしても、幸せにくらいなれるんだよ」
昔、立派にならなくていいと言ってくれた人がいた。その人は何かを成し遂げなくたって構わないとも言った。それでも幸せになって――と、願ってくれた人がいた。
だから俺は、なにがあったって、なにもできなくたって幸せになれる。
そんな魔法をかけてくれた人は、死んでしまったけれど、その言葉の力はいつまでだって残るんだ。
だからこうして、俺は胸を張ってカエデに言うことができた。
「ほんとは、あそこまでするつもりはなかったの……。でも、どんどん皆エスカレートしていって……ごめんなさい、ごめんなさい」
カエデは何かに怯えるように言った。
「まるで、みんな誰かに操られているみたいだった」
集団心理というものだろうか。ほかの皆がやっていることには、罪悪感を覚えづらくなって、行為がエスカレートした。赤信号皆で渡れば怖くない、みたいな。
きっかけはカエデだったのかもしれない。けれどそのあとは、一人でに進行していってしまったのだろう。
「謝罪はちゃんと、瑠梨子に言ってやれ。俺に言ったってどうにもならん」
俺には梨花みたいに人の本質を見る力はないから、確かなことは言えないけれど、カエデはきっと優しいやつなんだ。響助の死という罪悪感がカエデを歪めてしまっただけで、そんなに悪い奴じゃないと思えた。だから、この謝罪の言葉が嘘じゃないって思った。
そして同時に、カエデなら何度だって立ち上がれると思った。立ち上がって、あの日俺に声をかけてくれた優しい人間にいつだって戻れると感じた。
ただの少年が、一人の少女の言葉でヒーローになれることだってある。だから、リセットはできないけれど、今――たった今からそうなろうとするくらいはできるはずだ。
「あとお前とは、友達でいたい。こんなことのあとで言うことじゃないけどよ。俺はお前に感謝してるんだ。お前が声をかけてくれた時、嬉しかったから」
「そんなの、クラスの中心人物じゃないと上手くいじめの空気を作れなかったから仕方なくよ」
「分かってる。でも、それが俺の本心だから」
喧嘩した後にはいつだって仲直りがついてくる。そんな幻想を捨てられない俺がいた。
「今度からは、困ったことがあったら言ってくれ、俺が何度だって助けてやる」
それを言う資格がなくたって、俺は言うんだ。そういう人間だから仕方ない。そんな嬉しい嘆きを覚えた。
「どうして、私なんかにそう言ってくれるの?」
少し涙ぐんで言うカエデは、幼いころの梨花を思い出させた。
「俺には難しいことは分かんねえ。正しいことが何なのか、間違っているってどういうことなのか、それを教えてくれる都合のいい奴はいないから」
育ててくれた両親も、大事なことを教えてくれた友達もいなくなってしまった。
「でも、それが俺だから」
そういう風に作られているだなんて、馬鹿な台詞を言ってくれる友達がいるから。俺は再び手を伸ばす。たとえ届かなくたって知るものか。
なりたいものに、なってやるさ。弱気なんて、不安なんて、吹き飛ばして――進み続けてやる。
いつかそんな幻想が死んでしまって、また魔法が解けたとしても、生きている限り俺はきっと手を差し伸べたいと思うはずだ。
そういう風に生んでくれた人がいるから、俺はそれを信じられる。
「じゃあ、また明日な。本はちゃんと、読んでから返すよ」