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「お迎えが遅くなりまして、申し訳ありません」


 アーセージ伯爵家から迎えがやってきたのは、二日後だった。街の外にある伯爵家の城まで手紙を届ける時間を考えれば、充分早い方だろう。


「いいえ、よく来てくれました。それもエノーテ様がいらしてくださるなんて、心強いですわ」


 数人の騎士を率いてやってきたのは、伯爵家の二人の息子のうち、弟のエノーテだった。おそらく、本物の王女かどうか、顔を知っている誰かが来るだろうと踏んでいたセルマは、余裕の笑みで手を差し出した。


「殿下のお迎えを人に任せるわけにはいきませんから。では、どうぞこちらに」


 エノーテはセルマの手を取って、馬車へと誘った。目立ちたくないというセルマの希望通り、お忍び用の地味な馬車だった。


「侍女殿もどうぞ」

「ありがとうございます」


 セルマよりは格段落ちる扱いで、ルーリスも馬車に乗り込んだ。今、ルーリスは単なるセルマの世話係に徹している。剣は、かき集めた布で覆い尽くして、元の形が分からないようにした。あとは王女殿下のお荷物ですと澄まして捧げ持っていれば、誰にも疑われなかった。

 持ちましょうと手を伸ばしてくれた騎士には、身につける物なのでと断った。若い騎士は真っ赤になって下がっていった。何を想像したのか、問い詰めてみたくもある。


「殿下、その、精霊騎士殿はどちらに……?」


 それらしい姿が見えず、エノーテは戸惑っていた。しおらしく馬車に乗っている町娘が当の本人だとは思いも寄らないので、当然の反応だ。


「ラミドアに先触れを頼みました。伯爵家の迎えなら安心して任せられると」


 昨晩決めたとおりに、セルマは言葉少なく答えた。

 セルマの考えで、『精霊騎士』は当面、正体不明で通すことになっている。ルーリスとしてもその方が気が楽だ。今だって、数人の騎士に囲まれただけで身がすくむ思いだった。


「さようでしたか。ええ、我らにお任せください。まずは我が父の城へお招きする栄誉を賜りたいと思いますが」


 エノーテはそれ以上追求してこなかった。精霊騎士に会えなかったのは残念だが、その本人から王女の身を任されたと知って、別の喜びに打ち震えている。


「私でよければ、ぜひ参りますわ」

「では、しばしご辛抱ください。できるだけ静かに参りますので」


 エノーテは一礼して、馬車の扉を閉めた。鋭い掛け声の後、馬車はゆっくりと動き出す。速度が一定になる頃、セルマは真顔のまま呟いた。


「実に扱いやすいわ」

「……夕べのお話どおりでしたね……」


 昨晩のうちに、セルマは伯爵家からの迎えが到着してからの流れを、ルーリスに聞かせていた。精霊騎士は正体不明という設定の説明から始まり、当日ルーリスが取るべき態度まで事細かく指示を出し、実際に取り交わされる会話予想まで含めて、練習させた。予想は見事にはまり、ルーリスは声も無く驚いていたというわけだ。


「夕べも話した通り、アーセージ伯爵家は当主も含めてわかりやすい方々ばかりだから、この後も練習通りにね」

「わかりました」


 よけいなおしゃべりをしない限り、ルーリスが間違えることはない。受け答えは最小限で、セルマにぴったりくっついていること。この程度なら、ルーリスだって覚えていられる。


「それと、万が一、伯爵から私から離れるように言ってきたときには、ユードに連絡することも忘れないように」


 伯爵がよけいな気を回して、新しい侍女とルーリスを入れ替えることも考えられる。力ずくで追い出すようなことはないだろうが、念のためだ。


「わかっています。……ユード、いるよね?」


 ユーダミラウは昨晩から姿を消している。ラミドアにつくまでは隠れていて欲しいと、セルマが頼んだからだ。剣の心得も無い庶民が精霊騎士になっているという異例だけでなく、守護精霊までついてまわっているという異常事態までついてきては、王家に忠誠を誓っているアーセージ伯爵でも、疑念を持つに違いない。何かの弾みでベリオル侯爵に理があると判断されては困るのだ。


「いるよー」


 声だけが、馬車の中に小さく響いた。セルマも、安心したようだ。


「それと、ルーリス、これから私が言うことをよく覚えておいて」

「なんでしょうか」

「念のために、アーセージ伯爵について簡単に話しておくわ」

「はあ……」


 イヤな予感は的中した。セルマはアーセージ伯爵について語りだした。名前はもちろんのこと、容姿から性格、人となり、現在の家族構成、まではなんとか覚えた。その後に続く、伯爵家の歴史、領地の様子、現王家への貢献度等々は、ルーリスには理解できない専門用語が多く含まれているため、早々に白旗を揚げた。馬車が到着して話が打ち切られることを祈ったが、守護精霊は聞き届けてくれなかった。


「王女様、無理です! そんなにいっぺんに覚えられません!」


 気持ちよく語っていたセルマだったが、ルーリスの途方に暮れた顔を見て、一旦、口を閉じた。


「そうね……いきなりは無理だったかしらね。少しずつで良いから覚えなさい。後で覚えていたことを書いて見せて」


 セルマの妥協は、ルーリスに追い打ちを掛けただけだった。


「王女様……あたしは、その、読み書きは、自分の名前くらいしか……」


 自分の名前が書けて、店の商品札が読めて、計算も多少はできれば、日常生活には充分だった。そんなルーリスには、伯爵の名前を書くことすら危うい。

 セルマは一点を見つめたまま動かなくなった。


「……口頭試問に変更するわ」

「わかりました」


 口頭試問が何か、とは訊けなかったルーリスだった。

 その後は特に会話もなく、馬車は無事にアーセージ伯爵の城に到着した。


「王女殿下、よくぞご無事で。私めを頼ってくださったことは、アーセージ家にとって何よりの喜びです」


 馬車を降りると、アーセージ伯爵自らが玄関前で待ち構えていた。伯爵のセリフから並んだ使用人の人数まで、セルマの予想通りだったことにルーリスは、もう驚かなかった。

 伯爵の計らいによってセルマは最高級のもてなしを受け、ルーリスは王女を助けてここまで来た功績を労われた。


「して、殿下の精霊騎士にはどなたが?」

「王太子殿下は、側近のダピス殿が精霊騎士となられましたから、王女殿下は近衛のどなたかでしょうか?」

「いずれ、時が来たらお知らせいたしますわ。今はまだ、不安定なときですから……」


 精霊騎士の正体について、セルマは優雅に交わし続けた。一つ質問を交わす度に噂に尾ひれが付いていくのを、ルーリスはハラハラしながら見守った。このままでは、初代精霊騎士を越える立派な騎士が登場したと言われかねない。


「いっそ、正体不明にしておくのがいいかなって思うんだけど……」


 この後はラミドアで同じことを繰り返すのだと思うと、胃の痛い毎日を送れそうだ。

 伯爵家に世話になって三日目の夜、ルーリスは愚痴をこぼしていた。愚痴る相手はユーダミラウである。


「そんなのいつまでも続くわけないじゃん」


 ルーリスの儚い希望を、守護精霊は遠慮無く蹴散らした。


「だいたいそんなの僕が認めないから」

「でも……あたしユードに魔法掛けてもらわないと何もできないし」

「魔法? 僕がルーリスに? 何もしてないけど?」

「かけたでしょ。ほら、マベーニの一座に小鬼が群がってて」

「うん、あの時はルーリス大活躍だったよね。僕が認めただけのことはあるよ」

「だからその大活躍が、ユードの魔法のおかげなんだけど」

「だから僕、何もしてないって」

「そんなわけないでしょ」

「そんなわけあるって」

「だってあたし、剣なんて使ったことないんだから、急に使えるようになるわけないじゃない」

「なるよ。だってルーリスは精霊騎士で、僕が剣を授けたんだから」

「……え?」

「剣を習ったことがないから、普段は使えないだろうね。でもあの時、ルーリスはそのことを考えなかったでしょ?」

「……」


 部屋の片隅にある物入れを、ルーリスは見やった。その奥に、布に包んだまま剣は収めてある。


(あの時は……)


 何を思っただろう。悲鳴が聞こえて、ただ走った記憶しか無い。


(……小鬼がいて……子供が……)


 ルーリスは二の腕をさすった。少しだけ思い出して、寒気がした。


「助けようと思ったんでしょ?」

「……うん」


 子供が泣いていた。助けなければと思った。小鬼は臆病だから、剣を持っていることを見せたら逃げていくと思った。ユーダミラウの言う通り、剣が使えないなんて、考えもしなかった。


「ほらね? こそこそ隠れる必要は無いんだ。ルーリスは立派な精霊騎士だよ」


 ユーダミラウがお休みを告げて去った後、ルーリスは物入れから剣を取りだした。鞘から抜き放てば、剣は銀色に輝いて、とても暖かかった。


(あたしが……?)


 夜更け過ぎまで剣を眺めていたルーリスは、翌日、寝坊した。

まだまだルーリスは雑用係です。

お読みくださってありがとうございました。

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