7
「どうぞ、お元気で」
「あなたもね、マベーニ」
「ありがとうございます。いつか、殿下の物語をお聞かせくださいませ」
「ええ。そのときがきたら、真っ先に使いを出すわ」
「お待ちしております」
マベーニの一座と別れたのは、王都から西へ五日ほど行った先の、ハイモニの街だった。一座はこの街にしばらく逗留して興行を張るそうだが、ルーリスたちはここからさらに移動を続ける予定だった。
ハイモニの街はアーセージ伯爵領にある。アーセージ伯爵は現王派なので、セルマは街の片隅に宿を取ると、すぐに伯爵宛てに手紙を出した。現王派の伯爵が王都に残っているとは思えないので、手紙が届けばすぐにでも迎えが来るだろうというのがセルマの予測だった。
「じゃあ、伯爵様にお願いして、ラミドアまで送ってもらうんですね」
「ええ。それまでに、少し情報を集めておきたいわね」
言いながら、セルマはユーダミラウにちらっと視線を投げる。
「はいはい、行ってきますよ」
ユーダミラウは肩をすくめると、窓から出ていった。きっと戻ってくるときも、窓から入ってくるだろう。なにしろ宿は、二人で一部屋しか取っていない。寝るときにはまた出て行ってもらおうと考えている。
(あれ、そういえばここって二階じゃないっけ……外にいる人を脅かしたりしてないといいんだけど……)
通りで騒ぎになっていないかどうか、ルーリスは心配になって窓から覗いてみた。
「なにかあったの?」
机に向かって、別の書き物をしていたセルマが顔を上げた。一座と一緒に移動している間に服を変えてもらったので、今はルーリスと変わらない町娘の姿だ。元のドレスは、一座の衣装として末永く活躍するだろう。
「あ、いえ、急にユーダミラウが出て行ったから、外でびっくりしてる人がいないかなって思いまして」
「そんなに驚くことかしら?」
「驚くと思いますけど……」
不思議そうなセルマの顔を見て、ルーリスは納得した。
「あ、そういえば、王太子様にも守護精霊がいるんでしたよね」
目下行方不明中のグラトー王太子の守護精霊も、城の中で好き勝手なところから出入りしていたのだろう。セルマはそれに慣れてしまっているに違いない。
ルーリスのそんな予測は、見事に外れた。
「ええ、もちろんお兄様にも守護精霊はついているけど、お目にかかったのは王位継承式の時だけよ」
以来、人前に現れたことはないと、セルマは言う。
「え? だってユードは……」
王位継承の承認依頼、ずっと現れっぱなしである。出て行けと言われない限り、すぐ側にいる。まがりなりにも年頃の乙女であるルーリスにしてみると、少々うざったい。
「そこは私も気になっていたところよ。お父様の時にも、こんな風に守護精霊がつきまとっていたと言うことも聞いたことはないし……王位継承者が二人現れたせいなのかしらね」
本来なら、王位継承者の承認が済めば、精霊はまた元の世界で王国の守護の役目に戻り、緊急事態にのみ現れることになっているそうだ。
(そっか、本当なら、王女様と二人きりだったわけか……普通はいなくて……守護精霊が来るのは緊急事態だけ……ってことは、今頃王太子様のところにもいるのかな、守護精霊が)
ルーリスは窓を閉めた。布に包んだまま、ベッドの上に放り出してある剣を見て、ちくりと胸が痛んだ。
(……ユードがずっといるのって……あたしが剣を使えなかった、から?)
痛みが増えると同時に、ルーリスは納得した。
おかしいとは思っていた。剣を習ったことが無いのに、賞賛されるような手並みで小鬼を退治できたなんて、あり得ない。剣を抜いたときから記憶が飛んでいたことからしても、ユーダミラウが、なにがしかの魔法をルーリスに掛けたとしか考えられない。
(ってことは……あたしが剣を覚えない限り、ずっと緊急事態、かな……?)
痛みが更に増えて、息が詰まりそうだった。
「ルーリス、ぼんやりしているヒマがあったらあなたも情報を集めてきてちょうだい」
「あ、はい、外は別に騒ぎになっていませんでした!」
ルーリスは大きく息を吸った。痛みは、どこかに吹き飛んでいた。
セルマの細い眉が僅かに寄せられた。
「ユードのことはどうでもいいわ。王都の様子や侯爵の動きがなにか掴めないか、探ってきなさいと言っているの」
「あ、はいっ、わかりました」
「待ちなさい。あなたのことだから『どうやって探ればいいですか』と訊くでしょうから先に教えてあげるわ」
「……ありがとうございます」
分かっているなら毎回最初からこうやって教えてくれればいいのに、なんて思っても顔に出さないようにするのが最近うまくなったと思う。セルマの教えに神妙に頷いて、ルーリスは諜報活動を開始した。
(ユードはどうやってるんだろ)
セルマの教え通り、宿の主人に近くで買い物をする場所を尋ねつつ、世間話を振ってみたが、反応はイマイチだった。続いて教わった商店をいくつか巡ってみたが、同じような反応だった。全員の話をまとめても、「最近ずっと不景気だねえ」に始まって、「王都で何が起きているのか詳しく知っているのは領主様くらいだ」で終わる、実の無い話ばかりだった。
「逆に、街の外から来たあたし達の方が何か知ってるんじゃないかって聞かれることもあったくらい、街の人はあんまり知らないみたいでした」
宿に戻ると、ユーダミラウはまだ戻っていなかった。成果らしい成果も上げられず、ルーリスは賄賂のつもりで買い求めた焼き菓子をそっと差し出す。代金は、ドレスとの交換では割が合わないからと、マベーニが無理矢理押しつけてきた小銭の一部で払った。おかげで宿にも泊まれたので、受け取っておいて本当に良かった。
セルマは焼き菓子を一つ口にして、その後は続けざまに食べた。気に入ってくれたようだ。やはり賄賂は甘い物に限る。
「民心に刺激を与えないように、念入りに情報を制限しているのでしょうね。それならまだ、望みはあるわ」
「望み……王女様がお城に戻れる望みですか?」
「それもあるけど、その前にお父様とお兄様が戻られる望みよ」
何をどう考えたらそう繋がるのかルーリスには全く分からなかったが、セルマの機嫌が良いのなら問題ない。当面のルーリスの望みと言えば、早く給金が欲しい、である。
(お祭りの時にはお土産持って帰るって言っちゃったしなあ……)
祭の時は、よそに働きに出ている弟も戻ってくるはずだった。束の間の家族の再会が果たせる日は来るのだろうか。
「ただいまー」
コツンと一回だけ窓が叩かれて、ユーダミラウが戻ってきた。一応ノックをしたので、ルーリスは黙って迎えた。
「どうでした?」
「これといった話は誰もしてなかったねえ。酒場も覗いてきたけど、酔っ払った騎士もいないし、ここは良い街だねえ」
「そう。やはりアーセージ伯爵に直接うかがうしかないようね。ありがとう、ユード」
「どういたしまして。ところで改めて聞くけど、僕のベッドは無いよね?」
「ありませんわ」
「無いです」
「うん、ちょっと聞いてみたかっただけだから」
なんでもないんだよと言うユーダミラウの姿はルーリスの心をぐらつかせたが、ここで折れたらセルマとベッドを分け合うか、最悪、ルーリスの寝床が床の上に変わる。今は耐えるときだ。
それじゃ、とどこかに去ろうとするユーダミラウを、ルーリスは間一髪で止めた。
「待った!」
「ん? まだ何か用?」
「あたしも聞きたいことがあるの。あのね、ユードって、王太子様の守護精霊と連絡が取れたりしない?」
どちらも元は初代王が契約した精霊だ。魔法も使えるのだし、王太子の消息が分かれば、セルマも西の果てまで行かなくて済むかもしれない。当然セルマの精霊騎士たるの自分も、この辺りで王都に引き返すことができる。
「あー、それは」
「ルーリス、それは無理よ」
ユーダミラウより早く答えたのはセルマだった。
「王位継承者が二人いると言うことは、王座を競い合うという事よ。一時的とはいえ、敵同士となっているのに連絡なんて取れるはずがないわ」
「……そう、ですか」
名案だと思ったのに――ルーリスは肩を落とした。考えてみたら自分に思いつくようなことを、セルマが気づかないわけがない。物知らずを披露しただけに終わってしまった。
「セルマの言う通りなんだよねー。だから僕に教えてあげられるのは、もう一人の王位継承者はまだ生きてるって事だけかなー」
「それだけで充分ですわ。二人とも、ありがとう」
そう言ったセルマの顔には、他意が見えなかった。本気でお礼を言われたと知って、ルーリスは慌てた。
「いえっ、そんな、お礼を言われるようなことなんてなにも」
「私が言いたいのだから、あなたはただ聞いていればいいのよ」
「はあ……」
「とりあえずもう質問はいいかな? じゃあまた明日ね」
どこに行くつもりなのか、ユーダミラウは再び窓から夜の街へと消えていった。
「ルーリス、そろそろ私は眠るわ」
「あ、はい。えーと……ベッドの支度はできています」
「見れば分かるわ。私が眠ったら明かりを消して」
「はい……あの、王女様」
「なあに」
「王太子様は生きておられるそうですけど……まだラミドアに行くおつもりですか」
「……行くわ」
セルマはそう言って、ベッドに入り込んだ。
「このまま王位を狙ってみるのもいいかもしれないから」
「え? いまなんて?」
「お休みなさいと言ったのよ」
「はあ、お休みなさいませ」
セルマが寝入ったのを確かめてから、ルーリスは明かりを消してベッドに潜り込んだ。
今回は短めとなりました。
お読みくださってありがとうございました。