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(お城で働くなんて、決めなきゃ良かった……)


 城の厨房で働く前、ルーリスにはもう一つの選択肢があった。日用品を扱う小さな商店の従業員だった。たとえ下働きでも、お城で働けるという憧れには勝てなかった。母も喜んでくれたし、本当に良かったと思っていたのに。


(そうだ……母さんになんて言おう……)

 故郷の村にいる母に、どう報告したらいいのかを悩んでいる横で、セルマがため息を吐いた。


「……もっとも、先にここから無事に出る方法を考えるのが先だから、あなたの教育はもう少し先になるわね」

「え?」


 母への報告は、しばらく棚上げになった。というか、今後の人生が棚上げになったような気がする。

 セルマは残っていたお茶を飲み干すと、呆然としていたルーリスにおかわりを要求した。半ば条件反射でルーリスはお茶を注いだ。


「あの、王女様、なんでまたここから出て行くんですか? 王女様は、お城から脱出したかったから王位継承者になったんですよね? それって、どうやったのかよく分からないけど、お城からここまで一瞬で移動できるからだったんですよね? 精霊宮殿なら安全だから、来たかったんじゃなかったんですか?」


 一息に疑問を吐き出すと、セルマは何かを思い出したようだった。


「そういえば、その話も止めたままだったわね。ルーリス、ベリオル侯爵の私兵が城を占拠したのはどうしてだと思う?」

「どうしてって…………もしかして、王様になりたいから、ですか?」

「最終的な目的はそうでしょうけど、侯爵の主張は『現王の守護精霊は、邪精霊に他ならない。各地で多発している災害がその証。正しき守護精霊を持つ者を速やかに王座に就かせよ』、なのよ」


 隣国サスカビオ王国の建国祭の招待を受けた現国王は、五日前から不在だ。常日頃から現王の政策に異を唱えていたベリオル侯爵が、この機会に事を起こすだろうとは、容易に予想できた。セルマの兄、グラトー王太子はあらゆる方法で国王の身の安全を確保し、同時に自らも警戒を怠らなかったが、婚約者の父であるソビナ公爵までが、侯爵に与しているとは思いも寄らなかった。グラトーは公爵から晩餐の招待を受けて出かけたまま消息不明になり、セルマがその連絡を受けたときには、ベリオル侯爵は王都を封鎖し、城の制圧に取りかかっているところだった。

 万が一の時にはすぐに城から出るように――兄の言いつけに、セルマは素直に従った。しかしあまりにも時間がなさ過ぎた。セルマの脱出計画では、たった一人で城の隠し通路をうろつく予定ではなかった。


「あとはあなたも知っての通りよ。精霊の座にあなたと一緒に入れた時には、これしかないと思ったわ」


 あの時ルーリスは、引き返すしかないと思った。実行しなかったことが本当に悔やまれる。


「そんな状況でとっさに精霊の道のことを思いつくなんて、やっぱりセルマが王位に就くべきだと思うなあ」

「お兄様が継げなかったら考えるわ」


 セルマの決心は揺るがないようだ。ユーダミラウは、お菓子をもらえなかった子供みたいに拗ねた。


「あの、王女様、精霊の道ってなんですか?」

「あなたがさっき言ってた、『どうやったのかよくわからないけどお城から精霊宮殿に一瞬で移動できる』方法よ」


 それはつまり、セルマにもよく分かっていないと言うことだろうか。


「新しい王位継承者と精霊騎士は、精霊の座で承認を受けたら、守護精霊の案内で精霊の道を通って、精霊宮殿で大祭司長の前で改めて誓約を交わすんだよ」


 拗ねてそっぽを向いていたユーダミラウが得意げに説明してくれたが、早口言葉にしか聞こえない。


「え、待って待って、精霊の座で、改めて道案内して誓約って……?」

「全然違うから。僕らはお城の精霊の座で王位継承者と精霊騎士を承認したら、精霊宮殿に一瞬で跳んでいける魔法を使うことになってるんだよ、って言ったら分かるかな?」

「なんとか……」


 あの浮遊感は、魔法だったのだと思うと、ろくに覚えていないのが少し悔しい。おとぎ話でよく出てくる魔法使いや魔法に、ルーリスも密かに憧れていたのだ。


「それが精霊の道。んで、セルマはとっさにそれを思い出して、僕を利用してあっという間に城から出てきたってわけ」

「……」


 ここまできてようやくルーリスにも、厨房から精霊宮殿まで流れてきた理由が見えてきた。


「…………あの」

「うん? どうしたの、ルーリス、そんな怖い顔して」

「もしかしなくても、あたしも王女様の脱出に旨く使われただけ、ですよね……?」


 きっとここで、セルマが言い訳を始めたら、ルーリスは何が何でも抵抗しただろう。

 セルマは、極上の笑みを浮かべて手を差し出してきた。


「ええ、そうよ。だからあなたも、私のことを利用する権利があるわ。宝石でもドレスでも、爵位でも領地でも、私を好きなだけ利用して手に入れるといいわ」


 ルーリスは無言でセルマの手を、がしっと握った。怒りの頂点を越えてしまうと、あとは開き直りの境地だけが広がっていた。厨房の下働きに未練は、多少、いや、かなりあるが、今はこの世界一の悪党にしか見えない王女様に仕えるしかない。


「……いずれそうさせてもらいますっ!」


 他人を利用する方法なんてルーリスは知らなかったけれど、セルマに仕えていればイヤでも学べるだろう。そうしたら、望み通り利用させてもらおう。欲しい物は何でも手に入れて、明日の生活に困らない、安楽な人生を送るのだ――いつになるのか分からないけれど。


「うんうん、友情だねー」

 パチパチと、ユーダミラウが拍手しながら感涙にむせんでいる、振りをしていた。


「ま、この先も続くかどうかは、ここから出られるかどうかに掛かってるけどね」

「ええ、そのとおりね」


 ルーリスが三回謝ってから、セルマは手を放した。ルーリスは赤くなった手に息を吹きかけながら、当初の疑問に戻った。


「あの、ここに隠れてるつもりじゃなかったんですか?」

「そうしても良かったのだけど、鐘のことを忘れていたのよ」

「鐘……?」

「お兄様の時、聞かなかった? 王位継承者と精霊騎士の誕生を知らせる精霊宮殿の鐘よ」

「あ! それなら聞きました!」


 新しい王位継承者が誕生すると、精霊宮殿の鐘が鳴って王国中に知らせる。何年前だったかは忘れたが、ルーリスも鐘の音を聞いて、近所の人たちと祝いあった。


「あの鐘が、鳴ったんですか?」

「そりゃ、お祝いの鐘だからね、全力で鳴ってたよ」

「現時点で、王位継承者になれるのは私と侯爵と侯爵の息子たちだけよ。鐘を鳴らしたのが自分でも自分の息子でもないと分かれば、誰が継承者になったのか、その人物はどこに行ったのか、自然と分かるでしょ」


 祝いの鐘だとユーダミラウは言ったが、セルマにしてみれば、お目当ての人物はここに隠れていますよと叫ぶ裏切りの鐘だ。祭司しかいない精霊宮殿に、武器を持った兵士が押し寄せたらどうなるかは、わざわざ考えなくても分かるだろう。


(そうなったら……)


 ルーリスは宝剣を見やった。兵士相手に颯爽と剣を振るう自分の姿は、どうやっても思い浮かばなかった。


「ルーリスー、そんな顔しないー」


 ぱん、と目の前で手を打たれた。顔を上げると、ユーダミラウの手がそのままルーリスのほっぺたを掴んだ。


「少なくとも今晩くらいは安心して眠っても大丈夫。その後は、一緒に考えよう。王国一に策士がついてるだから大丈夫だよー」

「褒め言葉として受け取っておくけど、本当に一緒に考えるつもりがあるのかしら」

「僕は嘘はつかないよ。ルーリスは信じてくれるよね?」

「……ふぁい」


 ほっぺたを掴んだままのユーダミラウの手は、首を横に振ることを許してくれなかった。


「ルーリスはいい子だね-。じゃ、今日はもう寝ようね」


 もう一度首を縦に振らされて、ルーリスの頬は解放された。

 お茶の飲み過ぎで眠れなくなることを心配していたが、剣をベッドの下に押し込んで、枕に頭を付けた直後には寝入っていたらしい。頭の中はまだぐちゃぐちゃだったが、身体の方はすっきりしていた。目覚めは良かったのに、ユーダミラウのせいで台無しの朝だった。


「――ルーリス? また寝ちゃったー? セルマが待ってるんだけど」


 ノックと、ユーダミラウの声で、ルーリスは我に返った。ノックしたけど返事が無かったとまた入り込まれる前に、ルーリスは急いで答えた。


「起きてます。すぐに行きますから」


 ここでぐだぐだ思い返していてもしょうがない。ルーリスはカーテンに別れを告げ、水差しに汲み置いてあった水で顔を洗う。

 ルーリスにあてがわれた部屋は、客間の続き部屋だ。貴人の従者用だと聞いていたが、ベッドの他に、衣装棚、テーブルセットに鏡台まで備え付けられている。ルーリスが王都で借りている部屋より広くて豪華だ。


(そう、こういう部屋だって住み放題になるんだから! たぶん!)


 鏡台に置いてあったブラシを拝借して髪を梳かし、一つに結び直してからベッドを振り返る。転がしたままの宝剣をしばし眺めて、ため息を吐いた。


「いいわよ、持っていけばいいんでしょ」


 知らないうちに握らされているよりは、自覚して持っている方がいい。


(手で持っているのも面倒だし、紐で結んでおこうかしら)


 本物の騎士はどうやって剣を腰に下げてるんだっけ――邪魔にならない方法を模索しながら、ルーリスはセルマの部屋をノックした。


「おはようございます。王女様、お呼びですか?」


 隣の部屋へ直接繋がる扉をノックすると、「入りなさい」と返事があった。扉を開けると、セルマは既に支度を済ませて、お茶まで飲んでいた。横で給仕をしていたのは、見知らぬ若い女性だった。


「おはようございます、精霊騎士様。祭司のノーマと申します」


 黒髪をまとめ上げたノーマは、祭司と言うよりは裕福な商人の若女将のようだった。人なつっこい笑顔で、ルーリスにもお茶を勧めてくる。


「うなされていたとお聞きしましたので、心の安まるものをご用意しました」

「うなされて……?」

「すごい声だったよねー、セルマもびっくりしてたよ。悪い夢でも見てたんでしょ?」


 ノーマに見えないように舌を出しながら、ユーダミラウ。ルーリスは宝剣を握りしめた。


「ええ……ちょっとタチの悪い邪精霊の夢を……」

「やはりこちらをお飲みになって落ち着かれた方が」

「いえ、もう大丈夫です! 王女様に呼ばれているので」

「あら、ご用がおありでしたの? 王女殿下、では朝食は後にいたしましょうか?」

「用意してくれる間に済むから大丈夫よ。お願いするわ」

「さようですか? では、用意をして参ります」


 ノーマは一礼して出て行った。

 ぱたん、と扉が閉じられると、セルマは立ち尽くしたままのルーリスを見上げて、一言言った。


「遅いわ」

「え?」

「私が呼んだらすぐに来なさい」

「あ……す、すみません」


 言い訳無用とセルマの顔に書いてあったので、ルーリスは平謝りした。セルマはまだ何か言いかけたが、ノックの音に遮られた。このときばかりはノーマが祭司ではなく、守護精霊そのものに見えた。


「失礼いたします」


 ノーマの他に数人の女性祭司が盆を持って入ってきた。テーブルの上にクロスを広げ直して、てきぱきと準備をしていく。湯気を立てるスープの匂いにお腹が騒ぎ出して、ルーリスは慌てて背を向けた。


「精霊騎士様も、どうぞこちらに」


 呼びかけられて振り返ると、二人分の朝食がテーブルに並んでいる。ノーマが椅子を引いて笑顔で待っている。それだけなら飛びつきたいところだが、向かいの席には、セルマが背筋を伸ばして座っている。昨夜の夕食の席で、優雅に食事を進める姿に敗北しているので、同席は辞退申し上げたい。


「あの、あたし、まだお腹空いてないから後で――」


 ぐー。

 ルーリスの腹は正直だった。顔が熱い。


「う……いえこれはっ、ちょっとは空いてるんですけど、でもほら、あたしが王女様と一緒に朝ご飯なんて、いろいろムリです!」

「そんな……ルーリス、私が頼んだのよ?」


 セルマだった。さっきまで悠然と座っていた王女は、今では見る影も無いほどに萎れている。


「あなたの分の朝食も用意するように言ったのは私よ。常日頃から、よく仕えてくれるあなたのことだからそう言うだろうと思ったけど、でも、今、私の側にはあなたしかいないのよ。そんな風に、使用人の格好までして私を無事にここまで導いてくれたことに、感謝していることも伝えたかったの……」

「つ、常日頃……!?」


 セルマと知り合ったのは昨日が初めてだ。隠し通路でランプを持って歩いたことが導いたというなら、街の街灯にも感謝を捧げた方がいい。


「殿下……なんてお優しい」


 ノーマ以下、女性祭司の面々がそっと目頭を押さえていた。誤解ですよと告げる前に、ノーマが涙を拭きながら言った。


「王女殿下、私たちも微力ながらお力になります。侯爵様が何をされようとも、お二人は守護精霊のお認めになった方々なのですから、お気を強く持って、守護精霊のお導きを祈りましょう」

「ありがとう、ノーマ。私も、まだ叔父様があのようなことをなさるなんて、悪夢を見ているようだわ。でも、ルーリスにもきちんと現実を見なさいって、叱られてしまったの」


 気丈にも笑顔を浮かべるか弱い王女を、セルマは見事に演じきっていた。ついさっきセルマに叱られていたルーリスの方が、悪夢を見ているようだった。


(っていうか、知らないうちにいろいろとねつ造されてない!?)


 誰が吹き込んだのかは想像がつくが、こんな誤解は今すぐ解かなければ。


「あの……あたしは」

「ルーリス、お願い。あなたの姿が見えなくなったら私、心細くてとても食事なんて出来ないわ」


 わざわざ立ち上がって、必要以上に力を込めて手を握ってくる怪力王女の神経が、そんなに細いとは思えない。


「精霊騎士様、王女殿下もお願いされているのですから、どうかお席についてください」


 ノーマ以下、女性祭司たちの善意に、ルーリスは押し切られた。


「……イタダキマス」


 こんな状況でも食事は美味しかったのが、唯一の救いだった。

本当に不定期更新です。そして前にもまして進行が遅いです(;´ρ`)

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