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 ネイワーズ王国王城の背後そびえ立つカウリ山は、天然の要害であると同時に、守護精霊を祀る精霊宮殿が置かれている、聖山でもあった。


 カーン、カーン、カーン、ゴーン、ゴーン――


 その鐘の音が鳴り響いたとき、精霊宮殿に勤める祭司ヨージュは、共同執務室の自席で書類の山と戦っているところだった。精霊宮殿の勤める者の身分は見習いか祭司か大祭司長しかいないので、便宜上の役職が存在する。ヨージュの役職は大祭司長補佐役。大祭司長の不在時には代理を務めることもできる重役だ。三十を越えたばかりのヨージュには重すぎるのではと思われがちだが、そんな緊急事態は大祭司長が急死した場合だけである。主な仕事は雑事の窓口役なので、普段のヨージュは先輩からも同輩からも後輩からもこき使われているのが実情だった。


「あれ、もう食事時……のわけないな。なんだ?」


 毎日、一定の間隔で鳴らされる鐘とは、違う音色だった。時鐘であれば、あんな遠くから響いてくるわけがない。

 何の鐘だ?――荘厳な音色が何を知らせるのかを思い出した瞬間、ヨージュは書類を投げ捨てて走り出した。

 宮殿内は駆け足禁止の規則など、今は遵守している場合では無かった。灰緑色の長衣の裾を翻して、ヨージュは走った。何しろ鐘が鳴っているのだ。あの、鐘が!


「誰か、いないか!」


 走りながら怒鳴ると、見習いの少年が数人、併走してきた。緊急時なので廊下を走ることは見逃してやった。各人に一つずつ伝言と指示を与える間もヨージュは走り続けた。

 バタン!

 最後に廊下の先で待ち構えていた大きな扉を体当たり気味で開け放つと、思ったとおりの、あり得ない光景があった。


「お、やっとお出ましか。出迎えにしては、遅いんじゃない?」


 銀色の髪に銀色の眼をした青年が、人なつっこい笑顔でヨージュを咎めた。その両脇には、銀色の腕輪を嵌めた美少女と、宝剣を抱えて呆然としている少女がいる。


「そんな……ばかな……」


 ヨージュは掠れた声を出した。

 何の連絡も無かった。

 あんな重要な儀式が大祭司長の不在時に行われるはずが、ない。

 それなのに、この部屋に人がいる。精霊までいる。


「……王国の守護精霊の名にかけて! 一体、何が起きているんだ!?」


 大祭司長補佐役の本来の役目を果たせる日の到来を、ヨージュは望んでいなかった。こんな事態に直面するなら、雨漏りの苦情の方が何倍もマシだ。

 とっさに口から出た言葉に、銀髪銀眼の精霊が首を傾げる。


「え、新しい王位継承者と精霊騎士が誕生したに決まってるじゃん。わからないなんて、君、本当に祭司?」


 挙げ句の果てに信仰心まで疑われて、ヨージュはしばらく再起不能に陥った。


***


 目が覚めたら全部ただの夢でした。


「……」


 最高に都合の良い展開は、用意されていなかった。

 馴染みの無いベッドで半身を起こしたルーリスの手にあるのは、紛れもなく、あの宝剣だった。


「うわあ!?」


 乙女にあるまじき悲鳴を上げて、ルーリスは剣を放り出した。抱いて寝た覚えは無い。確か、出来るだけ見えないようにとベッドの下に押し込んでおいた。それがいつの間に手の中に収まったのかと考えると、気味が悪い。


「その剣はそういうものだって思っていた方が気が楽だよ?」

「!?」


 いつの間にか現象の、その2が発生していた。ユーダミラウが、部屋の扉に寄りかかって、にこにこしている。無害そうなその笑顔に向けて、ルーリスは宝剣を投げつけた。


「女の子の部屋に無断で入ってくるんじゃないっ!」

「おっと。危ないな、鞘ごととはいえ、剣を投げるなんて」


 危なげなく剣を受け止めて、ユーダミラウは悲しそうな顔になる。


「それに……何度もノックとして呼んだのに返事が無かったから心配してたのに……」

「え……ほんと?」


 だったらごめんなさいと続ける前に、ユーダミラウの顔が目の前にあった。


「ううん、嘘。僕、精霊だから扉とか関係なく通れちゃうんだよね」


 堪忍袋の緒が切れる音というのを、ルーリスは確かに聞いたと思った。


「――二度と許可無く入ってくるなー!!」


 ルーリスは後に知ることになる。その日の彼女の絶叫は、早朝の精霊宮殿の隅々にまで響いたと、記録されていた。


「はいはい、わかりました。もう勝手に入りません。約束します。僕は精霊だから約束は破らないから安心して」

「じゃあなんでまだ部屋にいるの! 早く出て行ってよ!」

「僕がここに入ったのって約束する前だし?」

「……その剣、返して」

「野菜みたいに斬り刻んでやるぜって顔している子に返したくないなあ」


 乾いた笑いを発しながらも、ユーダミラウは剣を返してくれた。半眼で剣を握りしめるルーリスの頭を、ユーダミラウは遠慮無くなで回した。


「それだけ元気なら大丈夫そうだね。セルマが呼んでるから、支度ができたら部屋に行ってあげて」

「王女様が?」


 こんな朝早くから何事だろうか。ユーダミラウは用事を言わないで出て行ってしまったので、セルマに直接尋ねるしかない。ルーリスはもつれた髪をほどきながら、ベッドから降りた。カーテンを開けて朝日を浴びたところで気づいてしまった。


「……大丈夫そうだね、って言ってた……?」


 ノックの話は嘘だとしても、心配したのは本当らしい。ルーリスはカーテンを握りしめて、ベッドに上に転がしている宝剣を振り返る。


「……そんな心配するくらいなら……最初っから、あんなもの寄越さないでくれればいいのに」


 昨日は、怒濤の一日だった。

 お城の厨房から、最後にはこんな所まで連れてこられて。ここが城の裏山のてっぺんにある精霊宮殿だと聞いても、すぐに信じられなかった。セルマに庭に連れ出されて、眼下に見えるあれがエプラン城だと教えてもらっても、まだ信じられなかった。静かに怒りを漂わせたセルマが灰緑色の服を着た祭司を全員並べて、ここは精霊宮殿ですと一人ずつ言わせたので、ルーリスは信じますと宣言した。高貴な人は何をしでかすか分からない。ルーリスがそのことを胸に刻んだ頃には、夕食時となっていた。突然の来客にも関わらず、祭司たちは充分なもてなしをしてくれた。恥ずかしい話だが、こんなにお腹いっぱい食べたのは久しぶりだった。


「ルーリス、話があるの」


 夕食後、セルマに呼ばれた。すぐにでもベッドに潜り込みたい心境だったが、聞かなければ後悔すると脅されたので覚悟を決めて、眠気覚ましのお茶を頼んだ。運ばれたお茶は苦かったが、美味しかった。


「初代ニビオーサ王は、数多くの精霊と契約して国の守護としたわ。そのせいで、王国を次ぐ者は守護精霊の承認を得なきゃいけなくなってしまったのだけど」


 セルマの話はいきなりネイワーズ王国初代王の時代にまで遡ったので、最後までお茶が足りるかどうかが心配だった。


「ニビオーサ王にはカンティウォートという護衛騎士がいたわ。誰よりも王の信頼を受けていて、国の誰よりも強い騎士だったカンティウォートは、ニビオーサ王が邪精霊に囚われた時、精霊の加護を受けて精霊騎士となって王を救い出した。この伝承は、聞いたことがあるかしら?」

「ええ、あります」


 その辺りまでなら、ルーリスも知っている。王国民なら誰でも子供の頃に聞かされる昔話の一つだ。以来、王の側近には必ず精霊騎士がつき、王位継承者と共に精霊騎士に選ばれることが騎士の最たる栄誉である、と続くのである。


「王女様、あたしは、騎士じゃありません」


 ぐるぐると、ここまでずっと振り回されっぱなしだったが、人心地ついたおかげか、あるいは精霊宮殿という特殊な建物の内部にいるせいか、ようやくルーリスも自分が直面しているものを、腹を据えて見つめる気になった。


「王女様が、立派なお世継ぎになれる方だって事は分かります。きっと今まで王女様のそばには素晴らしい騎士様がいたと思います。でもあたしはただの下働きで、こんな立派な剣なんか持てるはずないんです」

「そうね」


 セルマは、あっさりと頷いた。


「護衛は何人もいたわ。その中にはきっとあなたが言うような、『正しい』精霊騎士になれた者もいたのでしょうけど、ベリオル侯爵の私兵がなだれ込んできたとき、私は一人で逃げなくてはならなかった。あなたと厨房で出会ったのは、本当に運のいい偶然だった。私も王位継承者になるつもりなんて、まったく無かったもの」

「王女様……」


 皆を置いて逃げるなんて、さぞ、お辛かったのでしょうと、お芝居でよく使われる一度は使ってみたいセリフ第五位を口にしようとして、ルーリスは気づいてしまった。

 セルマは、一人逃げ延びた自分を責めていなかった。今、王女の口元に浮かんでいるのは、どう見ても悪巧みがうまくいったときの微笑みだ。目が合ってしまったら、何もかもが終わりだと絶望するしかないと思わせる表情だった。


(おんなじ顔を昼間も見たような……)


 確か、ユーダミラウに呼び止められたときだ。諦めなくてもいいのかと、問いかけたときでもある。


(運のいい偶然で……諦めなくていいって喜んで……でも、継承者になるつもりが無かった……?)


 何かが、徹底的に噛み合わない。

 腑に落ちない顔のルーリスに、セルマは優しく言った。


「ルーリス、王族が王位継承者となるには三つの条件があるのよ。一つ目は、始祖、つまり初代ニビオーサ王の血を引いていること。二つ目は守護精霊の承認を得ること。三つ目は、承認の際に精霊騎士となる者を従えていること。初代王の血を引いていなければ、精霊の座に繋がる扉は開かれないし、開いたとしても守護精霊が認めなければ継承者にはなれないわ」


 懇切丁寧な説明だったので、ルーリスも継承の条件についてはよくわかった。それゆえ、当然の疑問が思い浮かんだ。


「あの、王女様……確かあの時あたしたちは、扉から入りませんでしたよね……?」


 隠し通路から壁に穴を開けて入った。どう言い訳しても扉とは言えないと思う。それは重大な違反なのではないだろうか。


「ええ、そうね。だから、私も訊きたかったの」

「ん? なに? 僕?」


 それまで退屈極まりないとばかりに足を投げ出して椅子にもたれかかっていたユーダミラウは、セルマの視線を受けて座り直した。


「僕に答えられることなら何でもどうぞ、王女殿下」

「ではお尋ねしますわ。王位継承の、正しい条件とは何かしら?」

「何言ってるの。それは今、セルマが自分で言ったじゃないか」


 忘れたのかと呆れられて、セルマの顔にわずかに影が落ちた。


(あ、今、むかっとした)


 セルマの美貌に隠れた僅かな表情の変化が読めるようになったルーリスだった。


「訊き直しますわ。当初に決められた条件で、伝えられていない部分は何かしら」

「そんなの無いよ。ただ、昔より堅苦しくなっているのは確かだね。君は扉からではなく、隠し通路から騎士でも何でもないルーリスと一緒に入った。でも僕は君を承認した。それで分からないかな?」


 最後に何故か片目をつむってみせるユーダミラウに、セルマはほうっと息を吐いた。


「それが正解なら、やっぱり私の考えた通りだったのね」

「というと?」

「王位継承の条件は、初代王の血を引いた者が、精霊の座の前に立って、精霊騎士の候補者と共に承認を受けること、ではないかしら」

「うんうん。その通りなんだけど、ルーリスが困っているから、もう少し具体的に言ってみようかー」

「……」


 わざわざ引き合いに出さないでもいいのに。いじけるルーリスと対照的に、セルマは上機嫌だった。


「初代王の子孫でさえあれば、大仰な儀式と共に扉を開ける必要は無い。私のように、ものの弾みで入り込んでしまう者もいるのでしょう。でも、守護精霊は入ってきた全員に問いかけるのでしょうね。初代王の志を継ぐ意思はあるのかって。本人にそのつもりがあっても無くても、誓ってしまえば継承者になれるのではなくて? 王になれるかどうかは別の話だから。同じように、精霊騎士となる者は――必ずしも騎士の訓練を受けている必要は、ないんだわ」

「え?」


 ちょっと待ってどういうこと!?――聞き返す間もなく、拍手が響き渡る。ユーダミラウが、大絶賛の拍手を贈っていた。


「大正解だよ! すごいね! 他の精霊を押しのけてでも君の前に現れた甲斐があったってものだよ! 個人的にはセルマにはこのまま王位を継いでもらいたいなあ」

「残念ですけど、お兄様と争う気はありませんの」

「君のお兄さん? そういえばとっくに王位継承者になってたんだっけ。じゃあ、君は何で継承者になったの?」

「城から脱出のするのに使えそうだったから、ですわ」


 ユーダミラウが絶句したのは、このときが最初で、最後だったとルーリスは記憶している。ルーリス自身は、絶句しすぎてこのまま言葉を失いそうである。


「……脱出……?」

「ええ。あの時は本当にぎりぎりで、生きた心地がしませんでしたわ。お父様もお兄様も不在でしたし、侍女たちが時間を稼いでくれたので何とか隠し通路まで逃げこめましたけど、あのまま大人しく王女宮に残っていたら、どうなっていたか」

「そ、う……」


 ぎこちなく頷いていたユーダミラウだったが、やがてくすくすと笑い出した。


「そ、っか……僕、脱出手段に旨く使われちゃったのか。いやあ、そこまで見抜けなかったなよ!」


 残念だなあと言いながら大笑いするユーダミラウの姿は、かなり異様だった。そんなにセルマに一杯食わされたことが愉快なのだろうか。変わった趣味である。


「ルーリスも聞いた? 僕ら、旨くセルマに使われちゃったよ! おどろいたね!」

「はい、聞きました! しっかり、この耳で! それで、そうすると……そうするとですよ?」


 ユーダミラウの嗜好がどうであれ、これはチャンスだと思った。今にも跳んでいきそうな魂をしっかり引き留めて、ルーリスは微かに見えた希望の光に向かって突進する。


「王女様がただお城から出たいだけだったなら、本当に王位継承者にならなくてもいいんですよね? だったら、あたしが精霊騎士っていうのも、取り消しになりませんか!?」

「ならないよ」

「なりませんわ」


 現実は無情だった。


「ど……どうしてですかーーー!? だってそんなのって、よくないですよね! インチキじゃないですか!」


 往生際悪く叫んでみても、セルマとユーダミラウの答えは変わらなかった。


「インチキとか、古い言葉知ってるねえ。誰に習ったの。ああ、うん、誰でもいいんだけど。とにかく、君、あの場で誓ったよね? 精霊騎士になって、セルマと一緒に頑張りますって剣も受け取ったよね? 僕も一応守護精霊なんだよ。その僕に誓ったんだから、取り消しなんてムリだよ? それとも誓いを破る? 呪うよ?」

「だって、それは……王女様が……」

「あら、私は別にお兄様の身に何かあれば、正統な継承者として初代王の志を継ぐつもりではあるわよ?」


 セルマが正論で裏切ってくる。ルーリスは完全に孤立した。


「そんな……だってあたし……剣なんて……」


 泣きながら逃げ出せば、間に合ったのかもしれない。人生の分岐点を、ルーリスは見抜けなかった。


「そうね、今までの暮らしぶりからして、剣以外のことも身についていないでしょうけど、これから身につければ済むことよ」


 まだ間に合うというセルマの言葉に、ルーリスは踏みとどまってしまった。絡め取られた、と言ってもいいかもしれない。


「……え?」


 セルマは極上の笑顔を浮かべていた。一番信頼してはいけない表情だと、ルーリスが後々まで、記憶に焼き付けることになる表情だった。


「私が雇ってあげると言ったの、忘れてしまったの? 私は約束はきちんと守るわよ。一国の王女に雇われるための基礎を教え込むのも私の雇い主としての役目だから、安心して任せなさい」


 この日、ルーリスの運命は大きく変わることが決定した。

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