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「精霊騎士ルーリス・マーロウどの、ご到着しました!」
取り次ぎの大きな声に、扉の内側から「入れ」と応えがあった。
(えーと)
開かれる扉を見ながら、ルーリスは挨拶の手順を思い出す。部屋にいるのはルクリオと、おそらくラミドアの重臣たち。ユトーラ公が不在の今、ルクリオが全権を代理していると聞いている。つまり、ユトーラ公に対するのと同様の礼を取る必要がある。
(入ったら最初にルクリオ様にご挨拶して……)
今まではセルマの影でひっそりしていれば良かったのだが、今は一人きりだ。ルクリオ宛ての書状も預かっているので、ルーリスもセルマの代理である。責任だけが重くなっていく。
(……お手紙だけこの人に預けて荒れ地に行っちゃダメかな……ダメだよね……)
自問自答でため息を吐きそうになるのをぐっと堪えて、ルーリスは扉が開かれるのを待った。
「おいおい、どんなに立派になったのかと思えば、全然変わってねえじゃないか」
重苦しい空気に包まれた室内、のはずだったが。
懐かしくも無礼な声の主は、顔を見なくても誰だかわかる。
「……副隊長さんも、全っ然、立派に、お変わりないようで何よりです」
さっきまでの緊張感を返せ――きっと視線を向けた先には、思った通り、にやにや笑っているコノリゼ騎士団第一部隊副隊長リーム・イドックの姿があった。
「おう、こっちは何も変わらねえからな。なあ、ラグ」
「いい加減、場をわきまえろ、リーム!」
お決まりの叱責は、第一部隊隊長ラグデリク・ジェイダからである。これも懐かしいと感じる自分は、少しは成長したのではないだろうか。
「お久しぶりです、隊長。隊長もお変わりないようで良かったです」
ルーリスは素直に再会を喜んだのだが、ラグデリクは苦い顔で小さく舌打ちした。
「あのなあ……お前もいちいち反応するんじゃない! 最初に挨拶するべきは俺たちじゃないだろう!」
「あ――」
慌てて室内を見回すと予想していたような重臣たちの姿は無く、大きな執務机の向こうからルクリオが困ったように微笑んでいるだけだった。今気づいたのだが、ここは謁見用の広間ではなく、ユトーラ公の執務室だった。そういえば取り次ぎがそんなことをいっていたような気がする。無駄に緊張しすぎていたようだ。
「ルクリオ様も、お変わりなく……えーと」
場所は違ってもやることは変わらない。変わらないのだが、リームのせいで挨拶の手順はすっかり抜け落ちていた。できればもう一度入るところからやり直させてくれないだろうか。チラリと振り返ってみると、扉はとっくに閉ざされていた。
「よくきてくれたね。うん、まあ、見ての通り、こちらは相変わらずだよ」
手順を思い出したルーリスが跪こうとすると、そのままで、と止めてきた。
「ここには礼儀を気にする者はいないから、楽にしてくれ」
「はあ……いろいろすみません」
ここにセルマがいなくて本当に良かったと、心の底からほっとした。
「就任式以来だね。あのときは人も多くて、通り一遍の挨拶しかできなかったけれど、改めてお祝いを申し上げるよ」
「えっ、と、はい……じゃなくて、ありがとうございます。えーと……ルクリオ様もおかわりないようで、殿下も喜んでいると思います」
思い出した挨拶文の端々を拾い上げてどうにかまとめてセルマからの書状を渡す。ルクリオはその場で開き、さっと目を通すと脇に置いた。
「セルマ殿下には君が無事に到着したことをすぐに知らせておくよ。まずは座ってくれ。着いたばかりで、ろくに休んでいないだろう」
勧められた椅子に腰掛けている間に、お茶が運ばれてきた。遠慮無く喉を潤しながら、そういえばルクリオはこんな顔だったと、改めてルーリスはセルマの婚約者像を描き直していた。
(そうそう、こんなお顔だったっけ)
こうして見ればルクリオは決して平凡な容姿ではなく、セルマと並んでも見劣りしない好青年だ。それなのに記憶が薄いのは、きっといちいち出てくるリームのせいだということで結論づけておく。
(さっきだって、副隊長が変なこと言わなかったらちゃんと挨拶できたのに!)
立派な精霊騎士を印象づけようとあれこれ考えていたのに、台無しである。できればこのことはセルマに報告しないでほしい。
「あの、ルクリオ様、それで、公爵様の行方は――」
「はっきり言ってしまうと、まだ何もわからないままだ」
ルクリオは深いため息と共に答えた。室内の空気が一気に重くなる。リームもニヤニヤ笑いを引っ込めた。
「あの日、父に何が起こったのかもわからないし、どこに行ったのかもわからない。そうでなくても精霊祭で手が足りないというのにね」
「こちらの精霊祭って、いつまでですか?」
「祭自体は昨日で終わった。が、領内が落ち着くにはもう少し掛かる」
「あ、終わったんですね……」
もしかしたらと一縷の望みを掛けていたのだが、夢と消えた。アスティーベ卿の帰還に合わせて出発したので、王女宮の飾りを選ぶ時間も無かった。もう今年はどこの祭も見られないんだと、ルーリスの心はひっそり荒んでいった。
「なんだお前、公爵様より祭の方が気になるのか?」
ラグデリクが容赦なく図星を突いてくる。が、ここ度認めるわけにはいかない。
「違います、そんなことじゃないです! お祭の前後は邪精霊の眷属が活発に動くって殿下から聞いたから。前後ってことは、お祭の前と後ってことですよね。だから、いつまでなのかなって思ったんです!」
「そのとおりだよ。精霊祭は終わったけれど、まだ数日は気を抜けないんだ」
よく気がついてくれたとでも言うように、ルクリオが微笑む。ルーリスもぎこちなく微笑み返した。今日もうまく切り抜けられたようだ。
「なので本当に申し訳ないんだけど、今、君につけて上げられるのは第一部隊の数人だけなんだ。人選は、ラグに任せるよ」
「ありがとうございます。でも、私のことはお気になさらず、砦の騎士の一人としてお取り扱いください。殿下からも、こちらではルクリオ様の指示に従うようにと命じられていますので」
「重ねて感謝する。セルマ殿下にはこちらの状況などお見通しのようだね」
ルクリオは脇の手紙を見やって、息が抜けたように笑う。一方、ルーリスは真顔で頷いていた。たぶんセルマなら邪精霊の動きも見抜けると思う。とても口には出せないが。
「西の館を用意してある。そちらで休んでくれ」
「はい、ありがとうございます。あの、ルクリオ様、このあと、特にご用事が無いなら、公爵様が最後にいた場所を見に行きたいと思うのですけど」
「構わないが、今からかい? 一休みしてからの方がいいんじゃないか?」
「平気です」
ルクリオはなおも渋っていたが、最後は根負けした。
「本当のところは、精霊騎士の君の目で見てもらいたいとは思っていたんだ。ラグ、リーム、案内を頼むよ」
すぐにラグデリクとリームが立ち上がる。ルーリスは慌てた。
「えっと、公爵様が最後にいたのって、入団試験の場所ですよね? そこだったら案内してもらわなくても大丈夫です。一人で行けます」
なんたって今は馬にも乗れるんですと主張してみるが、ルクリオの意見は変わらなかった。椅子の背後から、ラグデリクに襟首を引っ張られた。
「形式の問題だ。いくぞ」
「はあ、わかりました」
形式にこだわる割には、扱いが見習いの頃と変わらないのはどうしてだろうか。
(砦だとまだ騎士見習いのままになってるとか……?)
聞くに聞けないまま、ラグデリクとリームに連れられて問題の場所に立った。ここは入団試験を受けた思い出の場所でもある。あの頃と違って自分一人で馬に乗っているのが依然と大きく違う点だが、感慨にふけっている場合ではない。
(んー……)
最初に立ったときと変わらない光景が広がっていた。荒れ地との境界――たった一歩先から、生命の存在すら拒む、過酷な土地が始まっている。今日も強い風が吹き荒れて、砂埃が視界を塞いでいる。その隙間からちらちらと揺れる光景に、ルーリスは集中した。
舞い上がる砂埃の向こう側に、緑が見え隠れする。さらに目をこらせば、遠くに建物の影が揺らめいている。以前にも見た光景だ。
(……何も変わらない、か)
ふっ、と息を緩めた瞬間。
『……て……』
風の音に聞こえた。
「どうした?」
ラグデリクは、ルーリスが首を僅かに傾けたのを見とがめた。
「なにか、聞こえませんでしたか?」
言い終える前に、別の声が重なった。
『だ――……たすけて!』
「!」
ルーリスは身体をこわばらせた。風の唸りの合間から、細い悲鳴が聞こえてきた。
『お願い! だれか、このひとを、たすけて!』
全身全霊を掛けた願いの声は、ルーリスを打ちのめすほどの強さを持っていた。
行かなきゃ――ルーリスは馬の腹を蹴った。
「――おい!」
僅かに早く、リームが横から手を伸ばしてルーリスの手綱を引いた。混乱した馬がルーリスを振り落とそうとするが、そこをラグデリクが支えた。
「大丈夫か!?」
「たい、長……」
一瞬、ルーリスは自分がどこで何をしているのか、わからなくなかった。リームが馬を宥めている声をぼんやり聞いて、息を吐いた。思い出した。
「すみませんでした。あの、もう、手を離してもらっても大丈夫です」
ラグデリクは疑うような目をしていたが、ゆっくりと手を離した。
「いきなりどうしたんだ?」
「呼ばれました」
ルーリスは深呼吸して、答えた。もう声は聞こえない。しかし気配は捉えた。強くこちらを睨み付けてくる邪精霊の気配の他にもう一つ、悲痛な願いを抱えた気配を感じる。
「きっと、ユトーラ公も同じ声を聞いたんだと思います」
悲痛な願いの主の気配は、少しだけユトーラ公に似ている気がするとは、いわなかった。
新年明けましておめでとうございます。
お読みいただいてありがとうございます。
かなり間が空いてしまいましたが、ぽつぽつ書いていこうと思います。
(年明けに勢いで書いたのでかなり修正するかもしれません)




