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「ラミドアから、ですか」


 ルクリオの身に何か起きたのだろうか。ケガや病気の類いだろうか。それとも。


(婚約の話を無かったことにして欲しいとか……内緒の恋人がいて二人でいきなり駆け落ちしたとか!)


 むしろそっちであってほしいという果てしない乙女の妄想を、セルマは冷静に断ち切った。


「ユトーラ公が行方不明だそうよ」

「……ユトーラ公が……?」


 一瞬呆けたルーリスだったが、ことの重大さに気づいて身を引き締めた。決してルクリオを軽んじているわけでは、ない。


「何が、起きたのですか」

「何も」

「……」


 意味がわかりません――読み取りやすいルーリスの表情を見て、セルマは小さく息を吐いた。


「本当よ。何が起きたのか、近衛の兵ですら説明不可能だそうよ」


 ユトーラ公失踪の知らせは、まず、王宮に届いた。先触れが到着した翌日に、ユトーラ公の側近であるアスティーベ卿が王宮に参上した。公爵からの書状を国王に直に届けるため、とのことだったが、真の目的はアスティーベ卿の口から語られた。同時に、ルクリオからセルマ宛の手紙が届けられたのである。

 ラミドアでも精霊祭の準備が進んでいた。しかしソネチアの荒れ地が近いこともあり、祭の前後になると邪精霊の眷属が活発に動き出す。だからラミドアでは祭の準備をすると同時に、邪精霊対策も抜かりなく行わなければならない。

 コノリゼ騎士団はこの時期、ラミドアの街に限らず、領内の各所を交代で巡回して警備を強める。年に一度しか働かないと陰口をたたいている者も、この間だけは騎士団の到来を静かに見守るそうだ。


(てことは……あのまま騎士団に残ってたら、おまつりは楽しめなかったんだ……)


 王都に呼ばれたことは、そういう意味では良かったのかもしれない。祭の最中の街に出ることは叶わないまでも、王女宮の飾りを楽しむことはできる。作業部屋に詰まれた飾りを思い出して、ルーリスは緩む顔の肉を押さえ込んだ。今はお祭り気分は脇に置いておかねば。


「最後にユトーラ公は、ご自身でソネチアの荒れ地を確認されるとおっしゃったそうよ」


 騎士たちの配置を済ませたユトーラ公は、数名の護衛と共に出かけた。行き先は、かつてルーリスが入団試験を受けたあの場所だった。

 到着してからユトーラ公はしばらくその場から眺めていたそうだが、いきなり馬を駆ると、単騎で荒れ地に向かって駆けていった。突然のことだったが、護衛たちはすぐさま主を追いかけた。しかし荒れ地に入った途端、暴風雨に阻まれて引き返さざるを得なかった。それからユトーラ公は戻っていない。捜索隊も派遣しているが成果は捗々しくない、ルクリオの手紙にはそうあった。


「え、っと、つまり……ユトーラ公は、自分でソネチアの荒れ地に向かっていって……」

「そのまま行方知れず、よ」

「……」


 ユトーラ公が側にいた者に何も言わずに一人で突進して帰ってこなかった。

 事実だけを並べるとこうなる。誘拐とか襲撃とか、それらしき気配は微塵も感じられない。


「あのぅ……何かに馬が驚いたとか、そういうのでは……」

「そういった話も含めて調査中とのことよ」


 セルマはテーブルの上の手紙を見やった。ルクリオからの手紙がそこにあるらしい。


「ただ一部からは……ユトーラ公は邪精霊に操られ、かの地に引きずられてしまったのでは、という噂も出ているそうよ」

「邪精霊が……引きずり込む?」


 ルーリスはソネチアの荒れ地の邪精霊と入団試験の際に出会った、というか目が合ってしまった。あのとき感じたのは、一方的な敵意だったと、今なら言える。そこから考えると、その噂には違和感しか覚えない。


「殿下……それ、おかしくないですか?」

「どうしてかしら?」

「あの邪精霊に操られたんだったら、走る方向が逆だと思うんです」

「逆?」

「はい。試験の時にあたしが見たアレは、こっち側の人間のことを凄く嫌ってる感じがしたんです。何見てるんだ、こっちにくるな、さっさと引き返せって。昔、裏通りに住んでたおばあさんみたいだなって」


 我ながら良い説明だと思ったのだが、セルマは顔をしかめていた。何を間違えたのだろう。


「強い排除の意思は私も感じたわ。でも、それがどうして『裏通りのおばあさん』になるのかが、わからないわ」

「それじゃあ、大通りにあった生地問屋の大旦那さんでも良いんですけど。あ、でも住まいは、お店から離れたところにあったんです」

「もっとわからなくなったわ」

「え? あれ、お金持ちとか貴族に多いと思ってたんですけど……おかしいな」


 おかしいのはおまえの方だと言わんばかりのセルマの視線に気づいて、ルーリスは慌てて付け加えた。


「ですから、財産を一杯持って年を取った方って、子供とか孫とか親戚とか、周りの人がみんな自分の財産を狙っているって思い込んじゃう人が多いんですって。近所の人がただ挨拶しただけなのに、何しに来たんだ帰れって怒鳴る人とかいるんですよ。殿下はそういう人、見たことないですか?」

「ないわね」

「……そうですか」


 会話は、あっさりと終わってしまった。

 考えてみたら王女宮に籠もって暮らしてるセルマのもとに、そんな偏屈な人間がわざわざ会いに来るはずもない。


(会いに来ておいて帰れとか、ただのおかしい人だもんねえ……)


 高貴な人と同じ目線で話すのは難しい。厨房で働いていたときには盛り上がった話題だったのにな――遠い日々を懐かしむルーリスに、セルマは言った。


「見たことは無いけれど、意味はわかったわ。あなたの言うとおり、あれほどの反発する邪精霊が、ユトーラ公に限らず、人を荒れ地に引き込むとは思えないわね」

「はい、それです、そうなんです!」


 意気込むルーリスを放っておいて、セルマはルクリオからの手紙を手に取った。


「護衛の報告からしても、ユトーラ公は発作的に荒れ地に向かうことを決断したと考えるのが妥当だと……でも、何のために?」


 後半は独り言だったが、ルーリスは気づかず無い頭を捻る。


「何のために……あんな所に行く理由も見当たらないし……あ、殿下より先に邪精霊を鎮めに行った、とか?」

「なんですって?」


 瞬間、セルマの目が本当にギラリと光ったように見えて、ルーリスは血が凍る思いだった。


「いいいいいえっ! なんでもないですっ!」

「……ユトーラ公が……?」


 セルマの視線はすぐにルーリスから外れて、遠くに向けられた。ほっとしたのも束の間、また鋭い視線が戻ってくる。ルーリスは背筋を伸ばした。


「あなたには、ユトーラ公とソネチアの荒れ地の関係の話をしたかしら」

「はあ……えーと、先代? 先々代? 最初にユトーラ公になった方が治めるようになったんですよね」


 セルマは頷いたので、試験は合格のようだ。再びほっとするルーリスを、セルマが怪訝そうに見つめている。


「殿下?」

「……いいえ、なんでもないわ。ユトーラ公が何をお考えになったのか、あなたと話していても意味が無かったわ」

「はい……」


 さりげなくひどいことを言われているが、事実だからしょうがない。話は終わりかと立ち上がり駆けたルーリスを、セルマが引き留めた。


「どこへ行くの。話はこれからよ」


 本題はこれからだったらしい。それなら先にそっちをいってくれれば良いのに、という愚痴をルーリスはちゃんと飲み込んだ。


「ユトーラ公が荒れ地に入ったことは間違いないわ。護衛の方が操られてユトーラ公を害したという可能性も捨てきれないから、そちらも調査中だそうだけど」


 恐ろしいことをセルマはさらっと言う。ルーリスは頷くしかない。


「というか、邪精霊って、人を操れるんですね」

「どうなのかしらね。邪精霊が何をできるのかなんて、誰も知らないんじゃないかしら」


 言って、セルマはちらりと宙を見上げた。


(なるほど)


 知っているとしたらユーダミラウくらいだろうということか。しかしユーダミラウに尋ねたところで、はぐらかされてしまう気がする。肝心なところを種明かししないのは、精霊の悪い癖だと思う。


「どちらにしてもユトーラ公の行方には邪精霊が関わっていることは間違いないという判断から、あなたに協力要請が来てるわ」

「あたしに?」

「ええ。邪精霊に対抗できるのは精霊騎士しかいないわ。今この国にいる精霊騎士は三人。動かすのに適しているのはたった一人」

「えーと、そうすると殿下も一緒にラミドアに行くってことですか?」

「一緒には行けないわ」


 セルマは不満そうに首を横に振った。


「私が動くにはいろいろと面倒なことがついて回るから。でもそれを全て終わらせてからでは間に合わないかもしれないの。あなただけ先に行って、ユトーラ公の捜索に協力してちょうだい」

「わかりました」


 ルーリス頷いた。セルマが王宮にいてくれる方が安心だ。


「殿下がラミドアに行かなくても済むように早く探しますね」

「期待しないでいるわ。細かいことはジュニドに言ってあるから、あとはそっちで聞いてちょうだい」

「はい。それでは失礼します」


 セルマの部屋から出て、ジュニドの元に向かう間に、ルーリスは気づいた。


「……あれ、今年も王都のおまつり、見られないってこと……?」

お読みくださってありがとうございます。

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