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ネイワーズ王国の王位継承者とは、守護精霊の座において王位を継ぐ意志と資格を認められた者を指す。一人とは決められていない。王国の歴史上、複数の王位継承者が存在した時期は何度もあった。
しかし、大祭司長の立ち会い無しで勝手に承認を受けたのも、承認の儀式を後追いで行うのも、セルマが初である。
「――今このときより、セルマ・トビア・コルトモージュ王女殿下を新たな王位継承者として広く宣言する」
精霊と初代王への祈りから始まった長い長い口上の後、大祭司長が署名をした承認書を掲げながら、宰相が声を張り上げた。
セルマは玉座に向かって一礼した。続いて微笑みながら大広間に参集した一同に向かって左腕の腕輪を示して見せる。本来の儀式では、守護精霊が降りて腕輪を与え、それを身につけるところを見せるシーンだ。
(さすが、殿下。完璧)
今日のセルマは腕輪がよく見えるようにとの配慮から、袖の無いドレスを身につけていた。金糸を織り交ぜたドレスは、揺れる度に様々に色に輝いている。「清楚と可憐を王家の歴史と栄華を表現しました」とは、デザイナーの言葉だ。清楚と可憐まではわかる。残りの二つは、どこを見れば良いのだろう。仮縫いの時から見ているのだが未だわからない。わかるのは、何度見てもセルマにとてもよく似合っていると言うことだけだ。
(本番が一番綺麗ってところがスゴい)
あの美しい人を守るのが自分だと思うと誇らしい。ちょっとくらい悪巧みが得意でも些細なことだ。
(……)
些細なことじゃないかもしれないが、今日はおめでたい日なので今は考えないことにする。
「本当にお美しい……」
セルマが微笑みを投げる度に、会場のあちこちからため息が漏れている。出席した諸侯たち、その配偶者たち、護衛の兵士たちは魂を抜かれていた。特別に入室を許可された侍従や侍女たちも、仕事を忘れて呆けている。この後、慌てないか心配だ。
(一番嬉しそうなのは陛下だよね……)
前回の顔合わせ以来、ルーリスの王家に対する垣根は低くなっている。今のルーリスから見る国王は、どこにでもいるただの父親だ。綺麗に着飾った娘を見る目がニヤけている。気づいた王太子につつかれて顔を引き締め直して、体面を取り繕っていた。
「新たな王位継承者を守護する者として、これよりルーリス・マーロウを精霊騎士として広く宣言する」
ぼんやりしているうちに自分の番になった。宰相の声が響くと、静まりかえっていた会場がさざめき出す。
(っ!?)
いきなり息苦しくなった。注目してくる人々の視線が、ルーリスを絡め取っている。一つとして好意的なものは無い。あるのは好奇心と蔑みだけ。
『あの殿下が、どうして、あんな下層の、なんの身分もない、騎士ですらなかった、ただの平民風情を――』
正しく聞こえない単語の端々は、見えない枷となり、刃に変わる。小説の中にも出てこなかったような忌まわしい言葉の数々の大半は、ルーリスには意味がわからなかったが、この場の誰にも歓迎されていないのだと、痛感した。
(い、行かなきゃ……)
しかし足がすくんで動けない。こんな華やかな世界は自分に不似合いだ。前に進んで、王女の隣に立ち並ぶ資格なんて――
『ルーリス』
セルマが振り返った。口元が小さく動く。ざわめく会場の声が一瞬にして聞こえなくなって、己を呼ぶ声が聞こえた。
「――はい!」
資格なんて――ある。守護精霊のユーダミラウが認めてくれた。なによりセルマが隣にきなさいと呼んでくれている。
ルーリスは歩き出した。この場ですべきことは覚えている。練習でも何度もやった。練習につき追ってくれた王女宮侍女劇団(仮)の団長ウィナリアから「初舞台、がんばってください!」と激励もされた。そう、これは舞台だ。精霊騎士の正装という舞台衣装を身につけ、精霊騎士の役を演じるのだ。
(よし、ここで……)
ルーリスはセルマの隣まで歩いてきた。手順通りに剣を抜いて、掲げる。
「おお……」
剣が、輝いた。
直後、ざわめきは止んだ。感動の声が、雨だれのようにぽつりぽつりと静寂の中に落ちていく。雨だれは止めどない流れに変わり、大きな歓声となった。
「……私の精霊騎士だもの、当然よ」
セルマが誇らしげに会場を見回す間、ルーリスは冷静に困っていた。
(……これ、いつ仕舞ったら良いんだっけ)
掲げた剣をおろすタイミングを探していると目の前に新たな銀色の光が舞い降りた。間違えようがない、ユーダミラウだ。
(ユード? ユードの出番ってあったっけ?)
そもそも、しばらく出てこないと本人が宣言していたはずだが。それとも式典は別枠扱いなのか。
横目でセルマを見ると、小さく首を振られた。知らないらしい。放っておけ、とも取れる。
「守護精霊だ……」
「守護精霊様がいらしたわ!」
会場はさらなる興奮に沸き立った。
本来の式典では、守護精霊が現れるのは精霊の座において、だ。その精霊の座に入れるのは王家と限られた重臣だけと定められている。どれほど家の格式が高い貴族でも、守護精霊を直接目にする機会は、平民と同様なのだ。
ユーダミラウはいつもよりも光を増やしてセルマのルーリスの前に立った。光りすぎて表情がよく見えないが、得意げに見える。
「我が愛し子と、我が愛し子が慈しむ者たちに、祝福を」
厳かに響いたのはユーダミラウの声だ。立派すぎて最初はユーダミラウの声だとは思えなかった。
「みて!」
「光が!」
声と同時に、銀色の光が舞い踊った。星が落ちてきたようだと、誰かが言った。小さな光は次々と生まれ、参列者たちの間で軽やかなステップを踏んで消えていく。
ユーダミラウが頷いたように見えた。ルーリスは気づいた。
(今だ!)
人々が光に気を取られている間に、ルーリスは静かに剣を納めた。大広間にいる間は、ゆっくりしすぎと思うくらいの動作で良いと繰り返し注意を受けた。
(……誰も見てないけどね)
ルーリスのぼやきが聞こえたかのように、ユーダミラウは笑い声を残して消えた。付き従うように、光も消えた。
「静粛に!」
宰相が声を張り上げるが、大広間の興奮状態はなかなか収まらなかった。ネイワーズ王国では子供が生まれると精霊の祝福が与えられるが、それすら代理人たる司祭を通してだ。守護精霊から直接祝福されるなんて、もはや奇跡レベルである。いつ死んでも良いと泣き崩れるご婦人まで出る始末だ。騒ぎの収拾がつくまで、ルーリスは辛抱強く待った。剣をいつ仕舞うか悩んでいたあの時間は何だったのだろう。
「皆様――」
徐々に人々が静まり、興奮気味の会話がささやき声程度になったとき、セルマは口を開いた。一人一人の語りかけるかのように、参列者たちを見回す。
「本日ようやく、王位継承者として承認されたことをご報告できて、嬉しく思います」
全員が、一言も聞き漏らすまいと耳を傾けている。セルマは胸に手を当て、しおらしく俯く。
「私は王家の一員として、国王陛下にお仕えし、いつかはネイワーズ王国のために身を捧げるのだと、課せられた重責を誇りに思っておりました。王家に連なる者がすべて同じ思いだと信じて疑いませんでした。ですがあの日――精霊の守護により平和を約束された我が国の、その中枢たる城で、王家に連なる者があのような狼藉を働いたということは、今でも信じられません」
セルマは悲しげに首を振った。ルーリスもセルマに習って俯き、横目でその様子を見ていた。事前にセルマがあの文章を淡々と読み上げる姿を見ていなければ、会場の出席者同様に「お可哀想な殿下」と、目尻を拭う側に立っていたと思う。それくらい、気合いの入った演技、もとい演説だった。
(殿下も一人でこっそり練習してたのかな……)
セルマの演説は、ルーリスのそれと違い、長い。王国での平和の日々に始まり、ベリオル侯爵によって城を追われ、王位を継ぐ者として立ち上がったという内容は、もはや一つの物語である。共に立ち上がった精霊騎士が平民女性のルーリスなのは、残念なところだ。
(子供の頃からそばにいた騎士とかだったら、盛り上がるんだけどなあ)
心密かに思いあう二人が、国難を救うために手を取り合い逃避行の度に出る。これはいい――ルーリスの心が恋愛小説に向かって彷徨っている間に、セルマの演説は佳境に入っていた。
「――そんな私を王位継承者の道へと導いてくれたのが、今ここにいる私の精霊騎士、ルーリスなのです」
「!」
一瞬で、ルーリスは夢想から冷めた。セルマの声よりもその視線が突き刺さったからだ。
ルーリスが厨房で働いていたことは広まっているので、ジュニドによって王女と平民の身分を超えた友情物語がねつ造されている。二人は城の中で、普通の女の子のようにおしゃべりを楽しむ仲だった、という具合だ。侯爵が反乱を起こしたとき、率先して王女を救出したのはルーリスと言うことになっている。大人の都合で、異論は認められなかった。
ルーリスはセルマに向かって跪いた。
「私のような取るに足らない者に、優しいお言葉を書けてくださった王女殿下には、感謝の思いでいっぱいでした。恐ろしい日々が始まったあのときも、王女殿下のために身を捧げたいという気持ちだけでした。精霊騎士と認められた今、生涯、お仕えいたします」
一息に言い切ると、セルマが手を差し出してきた。その手を取って立ち上がれば、ルーリスの出番は終わりだ。所々間違えたような気がするのだが、セルマの様子を見ると、合格点はもらえたようだ。
「ありがとう、ルーリス。あなたがいれば私はどんなことも乗り越えられるわ」
意味深な言葉は、練習の時には無かった。手順が変わったのだろうか。
セルマはルーリスの手を握ったまま、国王に向かって一礼した。ルーリスも慌てて習う。手を握られているので、うまくできなかった。
「国王陛下。私は非常時とはいえ、無断で王位継承者となりました。それなのにその責務を果たすこともできず、陛下にも、王国の民である皆様にも、幾重にもお詫び申し上げなければなりません」
国王は無言で頷き、先を促した。その様子からして、セルマがこの先何を言うのか、承知しているらしい。イヤな予感がする。さっきから握られている手に力が入っているのだ。まるで、逃がさないぞと言わんばかりに。
「私はここに宣言いたします。ネイワーズ王国の王位はグラトー王太子殿下と争うことはいたしません」
「王位継承者から外れると申すか?」
「いいえ」
セルマは首を振った。
「恐れながら、王位継承者として認められた今、私が王国のためにできることは、一つだけです」
「それはなにか」
聞き返す国王の言葉はまるっきりの棒読みだったが、宰相を始めとする出席者たちは全く気づかずに聞き入っている。
「私、セルマ・トビア・コルトモージュはこののち、王位継承者として始祖より託されソネチアの荒れ地へ向かい、かの地を平定することを宣言いたします」
会場は大騒ぎになった。
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