29
母と弟と一緒に過ごせたのは一晩だけだった。翌朝、慌ただしく戻ったルーリスにセルマは優雅に、しかし無情に告げた。
「昼食後に、陛下とお兄様とお話しする時間をいただけることになったの。あなたも同席してちょうだい」
「はい――って、えっ? あたしも?」
言ってしまってから、慌てて口を手で押さえる。今はセルマの朝食の時間で、給仕をする侍女たちが数人同席している。彼女たちは全員、セルマの信奉者である。許可も無く自分の意見を口にするような真似はしない――代わりに、視線で物を言う。
(怖い、怖いよこの人たち!)
今、ルーリスに刺さってきた視線は『王女殿下になんて口の利き方をするのか!』というお叱りの視線だ。視線の意味がわかる時点でルーリスも王宮勤めの才能があると思うんだけど、と後にユーダミラウに言われて悩むことになるのは、また別の話である。
「査問会のことだから、あなたも一緒の方が良いのよ」
「わかりました」
これ以上、うかつな発言をしないよう、ルーリスは簡略に答えた。セルマは他にも何か言いたそうだった。たぶん、何がわかったの、とでも言いたいのだろう。が、次に口を開いたときには別の質問が来た。
「ルーリス、朝食は?」
「この後で食べ、じゃなくて、いただきます」
視線が刺さってくる。言い間違いくらい見逃して欲しい。
「終わったら時間まで休んでいて良いわ」
「承知しました」
一緒に食べろと言われたらどうしようと思っていたので、ルーリスはほっとして自室に下がった。部屋の隅に小さな荷物が積みっぱなしになっている。城に着いてから荷物を解く暇も無かったから、丁度良かった。これで片付けられる。上着を脱いだところで、ふと気づいた。
「……ご飯ってどこで食べるんだろう」
部屋の案内は受けたが、ここでどう生活するのかについては説明を受けていない。セルマもここで一緒に過ごすと言ってくれたのだから、ご飯がないと言うことはあり得ないだろう。
(食堂とか、厨房は絶対あるよね)
適当に歩けば着くだろう。王女の精霊騎士なら、王女宮内をふらふら歩いていたって咎められない、と思う。
「そのうち確認しないといけないことだし」
万が一に備えて城内の各所を把握しておくことは必要だ。護衛の心得が身についてきたじゃないかと自分を褒める。決して、お城の中を探検したいなんて下世話なことは考えていない。これはあくまでも精霊騎士としての務めなのだ。そうと決まれば、早速出発だ。
――コンコン。
「はい!?」
ドアに手をかけたのと、ノックの音が同時だった。扉を開けると、名前も知らない侍女が一人立っていた。
「朝食のご案内をするようにと、殿下から申し使って参りました」
「……よろしくお願いします」
やっぱりセルマは何から何までお見通しのようだった。
無事に朝食にありついて部屋に戻ると、またすぐに扉が叩かれた。
「ルーリスー、入ってもいいー?」
ユーダミラウだった。どうぞと言い終える前に入ってきて、勝手に椅子に座ってくつろぎ始めた。
「用はなに? あたしこれから荷物の整理するんだけど」
「やりながらでいいよ。ルーリスにも話しておこうと思って。僕、しばらくの間は出てこないつもりだから」
「出てこない? どうして? あ、実家に帰るとか?」
「ルーリスと一緒にしないでくれる?」
呆れたように言われて、ルーリスは反省した。母と弟と会えたことが尾を引いているらしい。
「こうやって出てこないだけで、いなくなるわけじゃないから。ここってお城でしょ。だからあんまり姿を現さない方が良いんじゃないかなって。セルマに言ったらそうして欲しいって言うから」
「殿下が?」
ということは、ルースリの知らないお城の決まり事でもあるのだろうか。
「……そういえば前に、守護精霊は普通、人前に出てこないみたないことを聞いたかも」
精霊神殿からラミドアへの逃避行中のどこかで聞いた。守護精霊は王位継承者の承認が済めば、王国の守護の役目に戻り、緊急事態にのみ現れることになっていると。セルマも兄の守護精霊を見たのは儀式の時だけで、その後は一度も見ていないと言っていた。
「知ってたんだ。それなら良かった。じゃあそういうことで――」
「ねえ、ユード。ユードが決まりを破ってあたしたちの所に出てきてくれるのって……その、あたしが……騎士じゃなかったから……?」
ついでに、いらないことまで思い出した。『精霊の加護』のおかげで、剣を持ったことのない自分が騎士と同等以上に剣を扱える。その効力は、きっと他の精霊騎士には不要の力だ。騎士にふさわしくない自分が精霊騎士になったために、ユーダミラウは通常と違う苦労を背負っているのではないか――そんな風に考え始めて眠れなくなった夜が幾晩もあった。
多分、訊いたところでユーダミラウの答えは決まっている。そんなわけないよと、笑うだけだ。僕が好きで出てきてるだけなんだよ、と。
「あれ、自覚はあったんだ?」
予想外の答えだった。目を丸くして、ルーリスは首振り人形のように首を縦に振るしかできない。
「僕もさー、ルーリスみたいな子を精霊騎士にするのは初めてだったし、どうなるのか興味があったんだよね」
「興味……」
「今まで僕たちが精霊騎士に授ける加護って、基本的に持ってる力を強化するだけだったんだよね。でもルーリスの場合いろいろ条件が違うじゃない? おかげで加護の力がなにかって、最近ちょっとずつわかってきたよ」
「はあ……」
「自分で言うのもあれだけど、僕ってやっぱりすごいんだよね。あ、もちろんセルマとルーリスもすごいよ。僕に選ばれたんだからね」
「えーと……」
「まあでも、これっていわゆる秘密だから、誰にも言わないこと。あ、セルマならいいけどね。それじゃ、片付け頑張ってね」
ルーリスが言葉を探している間に、ユーダミラウはさっぱりした顔で消えていった。
「……とりあえず片付けよう」
ベッドの横に置きっぱなしだった荷物を引き寄せて、ルーリスは中身を取りだした。身の回りの品を一つずつ取りだしているうちに、少しずつユーダミラウの言葉が染みこんできた。予想していた慰めの言葉じゃなかったことはショックでもあり、同時にルーリスの心に小さな火をつけた。
「……悩むだけ無駄だった?」
セルマのような高貴の人の考えも理解できないが、人ではない守護精霊の考えも理解できない。理解できないことを延々と悩んでいるのは無駄であると、その日、ルーリスは深く悟ってしまった。
「――ルーリス様。そろそろお支度をお願いします」
荷物を片付け、ついでに掃除まで終えたとき、再び名前も知らない侍女が現れた。朝食の案内をしてくれた人とは別である。ここには何人の侍女がいるのだろうか。
「あ、はい。支度ですね、支度……」
国王と王太子と同席するのだ。話すのは主にセルマだとしても、それなりの身支度は必要だ。そこまではわかる。その先がさっぱりだ。
「……特別に身につけなきゃいけないものとかあるんでしょうか……」
恐る恐る訊いてみると、特にありませんと返された。考えてみれば、タンスの中に揃っているのはセルマが用意させた服だけだ。侍女仕事用の服の他に、精霊騎士として着るべき服が並んでいる。どれを選んでも問題は無いだろう。
(着替えて殿下の感想を聞けばいいや)
セルマは一目で善し悪しを見抜いてくれるからと、安心してルーリスは服を手にした。
「殿下、ルーリスです」
「入って」
着替えを済ませてセルマの前に立つと、思った通りチェックが入った。服の着付けと、髪を直すようにとそばにいた侍女に指示が飛ぶ。
「それでいいわ。じゃあ行きましょう」
王女宮内では、先導したのは侍女の一人だった。やっぱり名前を知らない。いずれ自分がこの役目をしなくてはいけないので、部屋から入り口までの道のりを必死に覚えた。
王女宮を出て、中庭を回り、王城に入ると今度は案内が騎士と侍従に変わった。それも四人も来た。城の中はそんなに危険なのだろうか。ぞろぞろと連れだって、長い廊下をどこまでも進んでようやく一つの扉の前で止まったとき、ルーリスはお城って広いんだと、今更な感想をこぼしていた。
「セルマ王女殿下がお見えでございます」
侍従がノックをすると、入るようにと答えがあった。扉が開き、セルマが前に出て一礼する。ルーリスも慌てて一礼した。
「セルマ! ちゃんと顔を見せてくれ」
扉が閉まると、正面のソファに腰掛けていた初老の男性が声を上げた。
(この人が国王陛下……殿下のお父さん、かー)
顔立ちは似ていないなと思った。市井でも王女殿下の美しさは王妃殿下譲りと言われていた。ただし王妃の髪は茶色だったので、豊かな金の髪は国王譲りなのだろう。マベルギア王の髪はとっくに半分以上が白くなっていてセルマのように輝いていてはいなかったが。日頃の重責を象徴するかのような額の深い皺の数々は、愛娘に会えた慶びで少しだけ薄くなっている。王様といえば、杖を持って王冠を被っているという典型的な姿を想像していたルーリスは、王様も普通の人なんだと認識を改めた。そこにいるのはどう見ても、身なりの良い貴族のおじさんである。
王の言葉に、セルマの顔がほころぶ。悪巧みしていない顔だ。
「お父様、お兄様、またお会いできて良かった!」
「それはこちらのセリフだよ」
隣のソファから立ち上がった青年が、立ち上がってセルマの手を取る。セルマとよく似た金髪に青い目をしている彼は、言うまでもなく、王太子のグラトー王子だ。現王家唯一の男児で、誰よりも大事に育てられてきたとセルマは言っていた。
「あんなことになるなんて、私の計算不足だった。本当に済まない」
眉尻を下げて妹に謝罪する様子を観察しながら、やっぱり王族もただの人と言う認識を強くするルーリスだった。
「いいえ。お兄様の助言があったからこそ、こうして無事でいられましたわ」
「いや、おまえが王位継承者になることまでは計算外だったよ」
一触即発とも聞こえる王太子のセリフには、少しも悪意が込められていない。あるのは、好奇心だ。
「そちらがおまえの精霊騎士かい?」
好奇心たっぷりの視線を向けられて、ルーリスはとっさに俯いた。どこからか敵が攻めてきて今すぐここから駆け出せないだろうか。
「ええ、私の精霊騎士のルーリスよ。ルーリス、こちらにきて、ご挨拶を」
「は、はい」
敵は来なかった。戸口脇に棒立ちしていたルーリスは、覚悟を決めて歩き出す。その様子がおかしかったのか、グラトーが肩を振るわせながら言った。
「そんなに堅くならなくても良い。ここには家族しかいないから」
(家族……?)
室内にいるのは全部で六人。国王と、王太子と、セルマとルーリスと、ソファの横に立っている二人の男性だ。この二人も王族なのかと考えて、気づいた。
(本物の精霊騎士だ!)
王太子の精霊騎士は元側近での護衛騎士だったダピスと国王の精霊騎士も同じく元護衛騎士のサリフモンだ。平服姿で何気なく立っているだけなのに、王族とは違った存在感がある。鍛えぬかれた心身を持つ者だけが放つ気配の強さに、鍛え足りないルーリスは潰れそうである。
(もう帰っても良いですか……)
泣きそうになったルーリスの心を知ってか知らずか――知っている方に給金の半分をかけてもいい――セルマはルーリスの手を引いた。
「ルーリス、こちらが国王陛下よ」
もはや逃げ出すわけにも行かず、ルーリスは国王の足下に跪いた。隊長から騎士の作法を習っておいて良かったと思う。
「お、お初にお目にかかります。国王陛下にはご機嫌麗しく――」
「うむ、麗しいぞ。そんな挨拶より、そなたのことを教えてくれ。厨房で芋の皮を剥いていたそなたが、どうやって我が娘の精霊騎士となり得たのか、ここにいる皆が訊きたがっておる」
「……」
どうしてそれを知っているんだろう。国王の前に跪いたまま、ルーリスは固まった。そうっと視線だけでセルマを見上げると、満面の笑みを見つけてしまった。楽しそうである。つまり、ルーリスには楽しくないことがこれから起こるというわけだ。
「大丈夫よ。お父様とお兄様には本当のことを伝えてあるから。あとはルーリスの話をしてちょうだい」
「はあ……」
王女殿下の悪巧みに乗せられましたと、はっきり言えたらどんなに楽だろうか。失礼を承知で、そのまま視線を国王に向ける。楽しげに笑っている国王の目が、こちらを射貫くほどに鋭い。
(……まさかあたしが殿下をそそのかしたとか、思ってないよね……?)
その考えを振り払えなかったルーリスは、自己防衛の意味も込めて正直に全部話した。途中、セルマが「そう、そんなこと考えていたのね」と呟く度に背筋が凍ったが、ここで話を変えてはいけないと己を鼓舞した。私は巻き込まれただけなんですと、全編を通して主張した。
「……苦労をかけたな……」
ルーリスが話し終えると、国王が遠い目をして呟いた。
「おまえが精霊騎士になったのは、まさに守護精霊の導きだったかもしれないな」
グラトー王子は眉間をもみほぐしながら言った。
(あれ……?)
王家の人々の反応は、少しだけ、予想と違った。ざっくり言うなら、諦観、だろうか。ちょっと違うかもしれない。最近小説で覚えた単語なので使ってみたかった。
セルマを見ると、麗しの王女殿下は澄ましてお茶を飲んでいた。父と兄の反応は予測済みだと顔に書いてある。
「まあ……なんだ」
気づくと左右にダピスとサリフモンが立っていて、肩を叩かれた。
「がんばれよ」
「……ありがとうございます」
何はともあれ、こうしてルーリスはめでたく王家の人々に受け入れられた。
新年おめでとうございます。
気づくと1年ほったらかしていました……。
今年はもっと書きます。
といいつつ、いきなり他のネタを思いついて書き出したら止まるかもしれませんが……(と予防線を張ってみる)




