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「陛下から城へ帰還命令が出たわ」


 だからあなたも支度をしなさいと、挨拶も終わらないうちにセルマは言った。


「あの、殿下」


 ちょっとだけ待ってくださいと、ルーリスは久しぶりにセルマの言葉を止めた。荷造りの開始を待って欲しいのではなく、セルマの言った意味が飲み込めなかったのだ。


「王都のお城に帰るって事ですよね? ということは、ベリオル侯爵からお城を取り戻せたんですよね?」

「ええ。詳しいことはあなたに話してもわからないでしょうから省くけど」

「わかりやすく話してくださる気はないんですね……」

「今のところあなたが理解する必要がないからよ」


 そう言いながらもセルマは、国王が王太子の助けを得て無事に城に帰還したこと、城を占拠していたベリオル侯爵の一派は王太子率いる国王派によって一掃されたこと、ベリオル侯爵は王城にある塔に拘束されたことを聞かせてくれた。


「侯爵とお城のことは何となくわかりました。でも、どうして『命令』なんです?」


 エプラン城は、セルマにしてみたら生まれ育った実家だ。家に帰るだけなのに、『命令』される理由がよくわからない。

 セルマは微笑んだ。


「気になるのはそこなのね」

「はあ。お城のしきたりとか、そういうのはよくわからないので、今までのあたしの生活からしたら不思議だなと。あたしが実家で一人で留守番してるとこに、親戚のおじさんがやってきて、今日からここは俺の家にするからお前らは出て行けって刃物振り回されたら、一目散に逃げますよ、絶対。家の外まで追いかけてきたら遠くまで逃げて隠れます。その後で、おじさんは追い払ったから帰っておいでって言ってくれるとは思いますけど、帰ってこいと頭ごなしには言われないと思うんです」

「その考えは間違っていないと思うわ」

「じゃあどうして『命令』なんですか? まるで殿下が悪いことして逃げ出したみたいじゃないですか」

「ええ、そうよ」

「そうよって……え?」


 絶句するルーリスの前で、セルマは己の左腕で輝く腕輪を撫でる。


「私は何の手順も踏まずに王位継承者になったわ」

「あー……こっそり隠し扉から入りましたね……」


 誰にも見とがめられずに精霊の座に入り込んでしまったあの日が、遠い記憶の彼方だった。あの時引き返せば、とルーリスは未だに思わずにはいられない。


「それでいて、何の責任も果たさずに逃げてきたわ」


 セルマの表情は変わらなかったが、ほんの少し、自責の響きが含まれていた。


「非常時だったから仕方ないですよね? それをいうなら精霊騎士になったあたしだって」

「ええ、そうよ。あなたにも帰還命令が出ているのわ、ルーリス」

「……あたしも非常事態だったというか騙されたというか……」


 不幸な事故を主張してみたのだが、効果は無かった。考えてみれば、ルーリスに起きた不幸な事故の原因は目の前にいるセルマであるのだから当然だ。


「些末事についてはお兄様にもお姉様にも弁明済みよ」

「はあ、さまつ、ですか……」


 あの日からルーリスの人生が変わったことに、セルマは気づいていないのだろうか。


「私の事情がどうあれ、結果として私は陛下の留守の間に許可無く王位継承者になったわ。そしてこれはベリオル侯爵がなそうとして、なし得なかったことでもあるのよ。この事実だけを並べてみたとき、私はどう見えるのかしら?」

「それは……だから非常時で……」


 事象だけ取り上げれば、侯爵とセルマがどさくさに紛れて王位を狙おうとしたように見える。とらえ方によってはそうとしか見えないという人も出てくるだろう。


「……非常時でも、やってはいけなかったってことですか?」


 昏い声で尋ねれば、セルマは首を横に振った。


「道を外れたことをしたとは思っていないわ。タイミングが悪かった、とは少し反省しているけど」


 無関係な自分を巻き込んだ点を真っ先に反省して欲しいのだが。ついでに、やり方がだいたい合ってるからと大雑把な承認をしたユーダミラウにも大いに反省して欲しい。


「私たちに非は無いけれど、そう見えてしまう。それが帰還命令の理由その1よ」

「その2もあるんですか?」

「この意見に便乗したベリオル侯爵が、真の首謀者が私だとほのめかしているそうよ」


 もっとひどい理由が返ってきた。


「……抜け目ないですね……」


 二つの理由の相乗効果で、国王はセルマへの帰還命令を出さざる得なかったというわけだった。


「叔父様がそう言い出すことは予想済みだったから、安心なさい。とっくにお兄様から陛下に事情は説明済み。私が叔父を唆すようなことはしないと陛下も信じてくださっているそうよ。ただ、国内の貴族たちへの示しとして、公の場に出る必要があるけれど、それも心配する必要はないわ。疑いはすぐに晴らせるし、あとは、お披露目のやり直しをするくらいのことよ」


 いつまでもユトーラ公のお客様でいるわけにもいかない。セルマの言うとおり、王位継承者としての責任を果たす必要がある。それはセルマ精霊騎士であるルーリスにも言えることだ。


「あの……あたしの身代わりを立てる計画とかは……」


 最後の悪あがきは、セルマの満面の笑みを持って却下された。


「何をバカなことを言っているの。私の精霊騎士はあなただけよ、ルーリス。替わりなんて、いるわけがないわ」


 言葉だけなら、そしてルーリスが由緒正しい騎士だったら、感激のあまり忠誠を新たに誓い直す勢いが生まれそうだが、見習い騎士のルーリスには、不安のあまりセルマに思いとどまって欲しいと揺さぶりたい衝動しか生まれない。


「はあ……でも、あたし、お城の作法なんてよくわからないので、何か間違えてからじゃ遅いと思いますし……それでなくても、この先ずっと、殿下の精霊騎士は騎士でも何でも無いただの平民だったと言われてしまうわけだから……」

「そもそも騎士なんて、平民上がりがほとんどよ。それに、あなたも騎士団に入団したのだから、ただの平民ではなくて、平民上がりの騎士よ」

「騎士見習いです」

「見習いのままにさせておくつもりはないわ」

「……」


 セルマがそう言うのなら、きっとそうなるのだろう。そのときには多分、コノリゼ騎士団からは離れているのだろうなと漠然と思った。

 それでルーリスは思い出した。


「あの、殿下。それが終わったあとは?」


 セルマは、どういう意味かわからないとでも言うように小首を傾げる。傍目には可愛らしい動作だが、その先を言ってみろと促されているだけだ。


「ですから、ええと……帰還命令なんでよすね。一度お城に帰ったら、簡単に出てこられないんじゃないかと思いまして。そうすると、ソネチアの荒れ地のことは諦めるんですか?」


 入団試験の日のことだ。試験を終えて砦に戻ると、セルマはあの荒れ地が、自分が王となる土地だと打ち明けてきた。邪精霊もいるあんな酷い土地の王様になりたがる理由がわからなかったが、セルマが望むならルーリスはその言葉に従うだけだ。正しい土地にする方法はあるとセルマは言っていたが、セルマならあの酷い土地のままでも君臨できるかも、なんて思ったことは一生の秘密である。


「諦めないわ。むしろそのために一度戻る必要があるのよ」


 きっぱりと、セルマは言った。


「ソネチアの荒野は国王の直轄地と言われているけれど、守護精霊との契約ができていない以上、正しい王国の国土ではないの。誰も治めていない、ただの土地なのよ。私が初めて契約を交わせば、その地とは初代王から受け継いだ国土ではなく、新しい国になるのよ」

「そういうものなんですか?」

「そういうものよ。もう少し王国史を学んでおきなさい。ただ、この話は正史として語られているけど、正しく理解している人間は少ないわ。だから私はます、正しい王位継承者として宣言して、初代王の遺志を継ぐ者であることを示すわ。その上で、初代王ですら契約のできなかった地で、精霊と契約を結び、正史に則って新しい国の王を宣言するの。そうすれば、王国の一領土としてではなく、国として認めさせることができるわ」

「はあ……」


 王国史、のあたりでルーリスの理解は止まっていた。王国史について書いてある恋愛小説があれば、少しは読む気が起きるのだが。


「じゃあ、宣言をしたらまたここに戻ってくるんですね」

「ええ。でも、しばらくは王都ですごすことになるわね」

「そうですよね、しばらくぶりに家族に会うんだから積もる話もあるでしょうし、ゆっくりした方がいいですね」


 ルーリスが頷くと、セルマは意外そうな顔をした。


「そうね、あなたの感覚ならそういうものかもしれないわね。でも、私がよくても、陛下もお兄様も忙しい方々だから、顔を合わせてのんびりおしゃべりするような時間は無いわ」

「……」


 家族って何だろうと、人生の深い問題を見つけてしまったルーリスだった。


「それに、私ものんびりするつもりはないわ。何もかもうまくいって新しい国を興したとしても、そこにはあなたとユーダミラウしかいないわ。残念だけど、それだけでは政策も教育も経済も国土の整備も、やりきれないわ」

「それはそうでしょうね」


 特にユーダミラウは守護精霊だ。新しい国の守護をしてはくれても、人間の仕事なんて、絶対に手を出さない。ルーリス一人ができることも限られている。どう考えても、他に人が必要だ。


「だから力を貸してくれる人を探さなくてはならないわ。王国内に限らず広く集めるつもりだけど、最初は王都で声をかけてみようと思っているの」


 既にセルマの中では目星は付いているのだろう。そしてうまく取りこむ算段も付いているはずだ。


「じゃあ、その人たちを集められたら、戻ってくるっていうことですか」

「ええ。それと同時に一番大事なこともしなくてはならないわ」

「一番大事なこと?」


 これ以上まだ大事なことがあるのかと、ルーリスは身構えた。


「私に仕えてくれる騎士はあなたしかいないわ。私を守るには充分すぎる力だけど、邪精霊を荒れ地から追い払うには足りない。だから、コノリゼ騎士団を貸していただく許可を得なければならないわ」

「殿下、それって先にやってしまった方が良くないですか……?」

「順番が大事なのよ。正しく王位継承者であると認められてからでなくては、荒れ地に踏み込む意味がない。騎士団も、大義名分が無いところには動かせないわ。だから陛下の許可が必要なの。でも、ユトーラ公は国王の命だとしても騎士団を貸してくれないかもしれないわ」

「どうしてですか」

「ユトーラ公は何よりラミドアが荒れることを嫌っているから、かしらね……」


 そう言ったセルマ自身も、まだ不確かであるらしい。語尾は宙に消えたまま、次の言葉が続くことはなかった。

お読みくださってありがとうございます。

あらすじに追いつこうと必死だなんて、そんなことは無いんですよ、ほんとに!

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