25
邪精霊とは、創世の神より託された世界の理を捨てた存在である。あまたの命を慈しみ、育むための力は、あらゆる精霊を消滅させるために振るわれる。
そんな恐ろしい邪精霊の眷属との対決は、実にあっけなく終わった。
「人じゃなくて、畑を荒らしてるってあたりで気づくべきだったかもな」
夜明けの雲に向かって、リームは盛大なあくびをした。彼の背後ではいくつもたき火が燃えている。薪代わりに燃やされているのは、畑荒らしの犯人こと邪精霊の眷属だ。
「何にですか?」
たき火と薪の間をちょこまかと往復していたルーリスは、副隊長の呟きに足を止めた。
「敵の正体が、しょーもないやつだってことにだよ」
「しょーもない……そう、ですね……」
積み上げられている薪を見て、ルーリスは昨晩の出来事を思い返す。
深夜、誰より早く畑荒らしの元に駆けつけたルーリスが見たのは、酷く痩せた子どものような輪郭の影だった。雲が月明かりを隠してしまっていたが、ルーリスの目にはしっかりと見えた。畑の中で円を描いて踊っているかのように、ひょこひょこと動いていた影は、じっとしていれば枯れかけた低木にしか見えないはずだ。動かないはずの木が、勝手に他人の畑の中に入り込んで作物を掘り起こしているという光景に、ルーリスはしばらく声が出なかった――あまりにも、予想からかけ離れすぎていたので。
「荒れ地で見たような手強そうなのがいるのかと思っていました」
緊張感を根こそぎさらわれたのはユーダミラウも同じだったらしい。「こういうのもありなんだね……」と、隣でしみじみと呟いていた。
「だろ? 時季はずれの到来となりゃ、手強いのがいると思ったんだがな」
「そうは言っても、放っといたら人を襲ったかもしれないぞ」
「ああいうのは森の中で勝手に増えてたりするしなあ。森を枯らしたら次は獣ってのが定石だろ。ほら、サボってないでお前も働け」
同じ隊のアンドンとザナガンに言われて、ルーリスも薪を運ぶ作業に戻る。この薪は、昨晩まで動き回っていたのだと思うと、不思議な気分だ。
(森であんなのが出てきたらイヤだなあ……)
畑を荒らしていた邪精霊の眷属は、簡単に言うと動き回る木、邪木の一種だった。邪木というのは、瘴気を吸い込んだ枯れ木が意思を持って動き回り、豊かな土壌から精気を吸収して土地を枯らしていくという厄介ものである。巨木にならなければ大した脅威ではない。
今回、エシケー村を荒らしていたのは生まれたてと言ってもいいほどの低木だったので、正体が判明すると騎士たちの間にほっとした空気が流れた。とはいえ、なめてかかれば怪我をする。第一部隊の騎士たちは数人ずつで邪木を取り囲み、枝と根を切り落としてからとどめを刺す着実な方法を取った。
(大きいのもいるって言ってたけど、そう言うのだと剣で切れないよね?)
ルーリスは一人で邪木を、文字通り切り倒していった。元が枯れ木と言うだけあってよく切れると思っていたが、他の騎士たちが苦労していたところを見ると、単に剣の違いだったらしい。
(こういう剣、みんなにもあげれば良いのに)
ひそかにケチだと思われていたユーダミラウは、昨晩は大活躍だった。隠れてしまった月の代わりに光球を作り出して、邪木たちを照らし続けていた。おかげで騎士たちは不意を突かれることも、同士討ちをすることもなく邪木を掃討できたのだ。騎士たちからの株を大幅に上げたユーダミラウは、今、ここにいない。セルマに呼ばれて城に戻っている。ルーリスとしてはその方が安心だ。
「おい、残りは村の方で引き受けてくれるそうだ。朝食の準備に入れ」
ラグデリクが声をかけてきた。隊長の後ろからは、おっかなびっくりで薪の山を眺める村人たちの姿がある。脅威は去ったが元は邪精霊の眷属だったものなので、普段の生活には使わないようにラグデリクは半分脅すように忠告していた。
(迫力あるなあ……あの人、泣きそうだよ)
可哀想だが、今のルーリスは単なる見習いだ。隊長に逆らって村人を庇うことはできない。ので、去り際に以前セルマに言われたことを実行した。
「……お前、何をしたんだ?」
村人たちに背を向けて三歩離れた途端、背後で歓声が沸き上がった。驚いた仲間たちと隊長の視線の中心で、ルーリスは必死に言い訳をした。
「あのっ、前に、殿下にですね、こういうときは『皆さんに守護精霊からの祝福がありますように』って言いなさいって言われて、それで!」
他人の理想を演じるのも必要だと、セルマは言っていた。そうやって悪巧みを隠していたんですねと、口に出す直前で言葉を飲み込んだ。実に危ない瞬間だったと、今思い返しても冷や汗が出る。しかし今は、別の理由で冷や汗が止まらない。背後の歓声の中に不穏な声が混ざっている。精霊騎士の祝福、まではいい。『可憐な』とか『花のような微笑みで』などと無駄に詩的な表現を使うのはやめて欲しい。
「……行くぞ」
ラグデリクは眉間に皺を寄せたまま、歩き出した。急ぎ足でリームが追いかけて、何事か囁いているのが心臓に悪い。
(言った後はどうすれば良いのかまで聞いておくんだった……)
盛り上がる背後とは対照的に、ルーリスはどんよりと沈んでいた。
「なんでしょげてるんだ? もう一回くらい手でも振ってやればどうだ?」
「物語でしか聞いたことがないような精霊騎士様に声をかけられたなんて、俺だったら孫の代まで自慢するな」
「勘弁してくださいって!」
一緒にたき火番をしていたアンドンとザナガンに両脇からからかわれて、ルーリスは赤くなったり青くなってりしていた。
「ルーリス様!」
集合場所の近くまで来ると、救いの天使が舞い降りた。ロビナが駆け寄ってきたのだ。先ほどの詩的な表現は、ロビナにこそ使われるべきだと思う。
「ルーリス様、ありがとうございました! あちらにささやかですが朝食をご用意しましたから是非召し上がってくださいませ。あ、皆様もお疲れ様でした」
言いながら、ロビナはルーリスの手を取って歩き出した。アンドンとザナガンにも声をかけてはいるが、おざなりだ。
「ロビナ、あの、朝ご飯って、みんなに?」
「ええ。ルーリス様は我が家にもう一度ご招待したかったのですけど、隊長様から止められてしまいましたので」
残念そうに、ロビナは唇を噛む。ルーリスはそっと後ろを振り返った。アンドンとザナガンは、揃って肩をすくめて笑ってくれた。
「だよな、精霊騎士様の独り占めはよくねえよな」
「なんなら俺たちを招待してくれてもいいぜ?」
「申し訳ありませんけど、我が家はあばら屋で立派な騎士様をお二人もお迎えできるほどの広さがございませんの。いずれ家を建て直しましたら改めてご招待いたしますわ」
「そりゃ残念だ」
「楽しみに待ってるよ」
ロビナと騎士たちのやりとりに、ルーリスは胸を撫で下ろした。ロビナがコノリゼ騎士団のことをどう思っているのか聞いたことは無かったが、この様子なら大丈夫のようだ。
「さあ、こちらです!」
村の女たちが用意してくれた朝食は、質素だが心が込められていた。野菜の切り方も味の付け方も、一手間余分に掛かっていることがよくわかる。
「……うまいな」
つい、口から出てしまったらしい。隣を見ると、慌てたように目を逸らすラグデリクがいた。ルーリスはロビナから受け取った煮物を手に、突進した。
「当たり前ですよ、隊長、ほら、野菜は同じ形に切ってあるし、あとですね、これ、茹でる前に下味がつけてあるんですよ! あたしの予想だと、きっとツブバですね!」
「ルーリス様、当たりですわ! さすがです!」
反対側からロビナが大袈裟に褒めそやす。ラグデリクはやや引き気味に頷いた。
「そ、そうか。よくわからないが、大変な料理なんだな。おい、こんなにうまい物は滅多に食えないから、みんな味わって食え」
「そんなに大変な料理ではございませんけど……お口に合うようでしたらご用意した甲斐がありましたわ」
一転して、しとやかな侍女に戻ったロビナが一礼すると、ラグデリクも隊長としての威厳を取り戻して頷く。
「いや、本当にうまいと思っている。ウチの砦では、当たり前の調理を知らない奴ばっかりなのでな」
「まあ、料理人の風上にも置けませんわね」
「料理人ならそうだろうが、剣を振り回しているような奴らが野菜を切っているんだ」
「あら……みなさまが料理されるのですか。それは……大変ですのね」
(……どっかで見たことあるような……あ、あれに似てる!)
ラグデリクとロビナの会話は、昔見たお芝居の一幕に酷似していた。確かあれは、盗賊に襲われていた小さな村に、騎士団が助けに来る話だった。何も無い村での精一杯のもてなしに団長が感謝を述べる場面だった。
(団長も、よく見たらカッコイイし、ロビナも美人さんだし、いいなあ……この二人でお芝居してくれないかな。そうすると、今回の話の続きで、ロビナが隊長にご飯を作りに来て……隊長さんの所に遊びに来たルクリオ様に一目惚れってのも捨てがたい……!)
「――おい」
「ルーリス様?」
「立ったまま寝てるのか?」
最後にリームに小突かれて、ルーリスは我に返った。ラグデリクとロビナが、怪訝そうな顔をしている。
「え、あれ、どうしました?」
「どうしました、じゃない。何をぼんやりしているんだ」
ルーリスが脳内で恋愛物語を創作している間に、ラグデリクとロビナの会話は進み、騎士団の食事が当番制になっていることを知ると、そこにルーリスも参加しているのかとロビナが問いかけていたのだが、問いかけらたルーリスは煮物を口に運びながらぼんやりしていたらしい。
「あ、すみません、ちょっと考え事していて。えと、食事当番でしたっけ。当番制ですからあたしも参加します。でも、こんなに美味しくは作れないですけど」
「ルーリス様のお気に召したのなら、光栄ですわ」
そう答えたロビナの視線が一瞬さまよった。ルーリスが首を傾げている間に、ラグデリクは話を打ち切った。
「食事を終えた者から支度をしろ。ああ、そうだ、村長、先ほどの続きだが――」
「おい、早く食っちまえよ」
リームに再度小突かれて、ルーリスも残りの煮物を胃に収める。帰り支度と言っても、預けっぱなしだった馬に手荷物を乗せればおしまいだ。最後の仕上げを忘れるなというアンドンとザナガンに根負けして、去り際には笑顔で村人たちに手を振った。途端に、歓声が上がる。到着時と違って、村人全員、子どもまでもが見送りに出てきていた。
「よ、かっこいいぜ、精霊騎士殿!」
「いいねえ、俺もあんな声で叫ばれたい」
「……いつでも替わりますよ……」
その代わり、セルマ王女も漏れなく付いてきますと付け加えると、二人とも揃って首を横に振った。
「美人過ぎるのは無理だ」
「ていうか、あの方は一筋縄じゃ行かねえしな」
数度の視察で、セルマの本質を見抜いているようだ。さすがは、邪精霊を看破する目を持つ騎士団の一員と褒めるべきだろうか。
(……あれ、そうすると殿下が邪精霊みたいになっちゃう……)
「――ルーリス。殿下が呼んでるよ?」
「ぅあわあ!?」
狙っていたかのように、ユーダミラウの声がした。
「聞いてた? いまの聞いてたの?」
「ルーリスの悲鳴しか聞こえなかったけど、何か言ってたの?」
「ぜんぜん、何も、まったく言ってない!」
鼻息荒く否定すると、ユーダミラウは疑わしそうな顔をする。
「守護精霊に嘘を付くなんて、呪われても文句は言えないよ?」
「前から思ってたけど、守護精霊が呪うっておかしいと思うの!」
「……守護精霊に向かって意見する奴の方が俺にはおかしく見えるんたけけどな……」
「俺も……」
周囲からぼそぼそと聞こえる声を無視して、ルーリスは先頭で馬を止めて待っているラグデリクに馬を寄せた。
「隊長、殿下がお呼びだそうですので、ここで失礼いたします」
「わかった」
ラグデリクは頷いた。ルーリスは馬の腹を蹴る寸前に、思いとどまった。
「あの、隊長。フィーオのことなんですけど」
「村長とは話をつけてある。戻ってきたら教えてやるから早く行け」
「ありがとうございます! では行って参ります!」
ルーリスは敬礼をしながら馬を走らせた。危うくて手綱を放しそうになったところは、見送っていた騎士全員が見ていた。
お読みくださってありがとうございます。
ユードが月の代わりに、のくだりで、某美少女戦士を思い出してしまっておかしな方向に走りそうでした。




