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「セルマ、ルーリスから手紙だよ」

「手紙?」


 朝食後のお茶を一人楽しんでいたセルマは、カップを取ろうと伸ばした手を、そのままユーダミラウへと伸ばした。ざらついた紙を四つ折りにしただけの、買い物メモのような手紙をセルマはつまみ上げて、しげしげと眺めた。


「……便せんと封筒、封蝋も必要ね」


 文字の練習用にペンとインク、安い紙を大量に持たせてやったのだが、まさか手紙を送ってくるとは思ってもいなかった。手紙を開くと、『セルマ王女殿下へ』と書かれていた。きゅっと、セルマの眉根が寄せられた。


「ユード」

「なにかな」

「ルーリスは字の練習をする時間は取れているのかしら」

「充分とは言いがたいけど、それでもセルマと僕の名前だけは一生懸命練習してたんだし、大目に見てあげたら?」


 紙の上に並ぶ文字は、酷いの一言に尽きる。が、言われてみれば自分の名前とユーダミラウの名前は、ほんの少しだけ綺麗に書かれているように見えた。セルマは自分の名前の部分をなぞって、言った。


「もっと練習するように伝えておいて」

「りょーかい。返事はそれだけ?」

「全部伝言するつもりなの?」

「だってルーリスに分かるように書くのって難しいんじゃないの?」

「……」


 書くべき内容を思い浮かべて、セルマは考え込んだ。ユーダミラウの言うとおり、かなりの難問だ。


「直接話せないというのはやっかいだわ」

「ルーリスもおんなじこと言ってたよ」


 にこにこと、ユーダミラウ。セルマが僅かに目を瞠ると、さらに笑みを広げる。


「でも、直接話しても意味が分からないことがたくさんあるからどっちもどっちかな、とも言ってたけど」


 ルーリスらしいと、セルマは微笑んだ。いちいち言い直して指示を出したことが、遠い思い出のようだ。セルマは立ち上がると、書き物机に向かった。


「返事を書くわ。ルーリスが読めなかったら読んであげてくれる?」


 いつも声が届く距離にいるとは限らない。そんな時のために、備えておくべきだ。ルーリスもそう思ったから、ユーダミラウに伝言を頼まず、手紙を託したのだろう。その向上心は褒めてあげてもいい。同時に手紙を託すときの注意事項も教えておかないといけない。こんな、むき出しの状態で送りつけるなんて、愚かにも程がある。


「りょーかい。ちなみに、もういい考えが浮かんだの?」


 ルーリスの手紙の内容は、相談だった。砦の現状を打開するための解決策を求めている。

 セルマはペンを取り上げて、微笑んだ。


「ええ。元々、気になっていたことだから。多分うまくいくと思うわ」


 セルマの中ではすでに、いくつもの計画が進められていた。


 ***


「気を散らすな!」


 とっさに避けた一撃の後を、ラグデリクの叱責が追いかけてくる。ルーリスは呼吸を整えて構え直した。


「すみません」

「もう一度いくぞ」


 ルーリスは訓練用の剣を握り直した。いつも宝剣があるとは限らないかも、とユーダミラウが脅かすので、他の剣でも練習をすることにした。少し使いづらかったが、重さと長さに気をつければ何とかなりそうだ。これも、加護のおかげだろう。

 ちなみに宝剣でなくても扱えるのかとラグデリクに問われて、思ったままに答えたら、リームが訓練場の隅っこで穴を掘り始めた。不可解な光景だが、ルーリスが気を取られているのは副隊長の奇行ではない。


(返事、まだかな)


 砦の働き手を探すと決めたものの、ルーリスにはまったくいい考えが浮かばなかった。コノリゼ騎士団がつまはじき者の寄せ集めではなく、邪精霊との闘いに備えている精鋭揃いだと訂正できればいいのではと思うのだが、誰にどうやって訴えれば良いのか見当が付かない。まさか全国を回って一人一人に説明して歩くわけにも行かないし、できたところで信じてくれる人は少ないに違いない。


(いくらあたしが精霊騎士でも無理よね……そもそもあたしが精霊騎士っていうのに無理があるし)


 答えの見つからない現状を二日ほど掛けて手紙にしたためて、セルマに届けてくれるようにユーダミラウに頼んだのが今朝のこと。ずっとユーダミラウの厳しい――面倒くさいとも言う――指導付きだったので、寝不足気味である。


「あ」


 視界の隅に、銀色の光が見えた。ラグデリクもそれに気づいて、剣を下ろす。銀色の一人は、瞬き一つの間に青年の姿に変わる。


「やあ、邪魔したかな?」


 悪びれずに、ユーダミラウが訓練場を横切って二人の前に立った。ルーリスは首を横に振りかけて、ラグデリクを見た。この場の責任者に発言権を譲り渡すと、ラグデリクはどこか諦めた様子で首を振った。


「いえ、問題はありませんが……」

「うん?」


 口ごもる隊長に、先を促す。ラグデリクは、周囲で訓練していた他の騎士たちの様子を気にしていた。


「それなりに訓練を受けている者ばかりですが、守護精霊殿を直接目にするのは、少々刺激が大きいので、控えていただけると助かります」


 剣術訓練を行っていたのは、第一部隊の他に第三と第四部隊の騎士たちも合同で参加していた。精霊騎士と再戦の機会を狙っていた騎士たちは、訓練の手を止めただけでなく、直立不動の体制で待機している。中には精霊神殿で祈りを捧げるかのように、跪いて手を額に当てている騎士もいた。こういう姿を見ると、噂はあてにならないなとルーリスは改めて思う。態度が変わらないのはリームだけだ。さすがに穴を掘るのは止めていたが。


「みんな良い子だね。わかった、次から気をつけるよ。みんな訓練を続けて」


 ユーダミラウも気分よく応じてくれたので、ラグデリクはほっと胸を撫で下ろした。守護精霊の気分を害したらどうなるのか、あまり想像したくない。


「ということでルーリス、はい、これ」


 ユーダミラウは手紙をひらひらと振った。ルーリスが送ったものと違い、きちんと封筒に収められている。


「殿下から?」

「そうじゃなきゃ僕が持ってこないよ」

「わかってる。一応訊いただけ」


 少々むくれて言い返すと、ユーダミラウに楽しそうに笑われた。ひったくるようにして手紙を受け取ると、ラグデリクの声が掛かる。


「王女殿下からなのか? 急用ならすぐに行って――っと、そうだな、誰かに馬を出させるか」


 コヌチカ城まで馬ならすぐだが、現在のルーリスの乗馬技術では、ゆっくり歩かせるのが精一杯である。日暮れまでに到着できれば御の字だ。

 リームに声をかけようとするラグデリクを、ルーリスは急いで止めた。


「大丈夫です、隊長。呼び出しではない、はずです」


 念のため、ユーダミラウの方を窺うと、銀色の頭が縦に振られていた。


「あっちで読んできてもいいですか?」

「ああ」


 許可をもらって、ルーリスは訓練場の隅で手紙を開いた。綺麗な飾りのついた紙の上に、優美な文字が並んでいる。微かに好い香りがした。


「読める?」

「ちょっと待って」


 のぞき込んでくるユーダミラウに背中を向けて、ルーリスは手紙を読み始める。字が読めなかったので、手紙を出すのももらうのも、初めてだった。出すときもドキドキだったが、もらうともっとドキドキする。できれば部屋で一人で堪能したいが、仕方ない。

 出だしは『私の精霊騎士、ルーリスへ』。これは読める。続く文章を指でなぞりながら読み進めていくが、速度は遅い。何度も行ったり来たりして、眉間の皺もどんどん深くなる。やっぱり手紙は大変だと再認識した。


「ユード」

「なに?」

「ここ、読んで」

「はいはい」

 気づくとほとんど全部を読み上げてもらってしまった。もっと字を綺麗に書くようにとセルマからの伝言のおまけ付きだった。道のりは険しい。


「ねえ、ユード。殿下は何をするつもりなのかな」


 課題は一時棚上げして、ルーリスはセルマが言わんとしていることに焦点を当てる。セルマからの返事を要約すると、『私に任せなさい』だ。そして、ルーリスへの指示は一つだけで、できるだけ騎士たちからコノリゼ騎士団へ異動した理由を聞き出すこと、だった。


「セルマがすることなんて、決まってるでしょ」

「決まってる? もしかして、なんか悪巧み?」


 酷い答えだが、他に考えられなかったのだ。ユーダミラウはクスクスと笑って言った。


「まあ、大筋はそうかもね。答えは、『ルーリスの頼みを叶えること』だと思うよ」

「……悪巧みで願いを叶えないで欲しいなあ……」


 素直に喜べない。ルーリスはため息を吐いて手紙を畳んだ。


(……そっか、噂と全然違うなら、ここの騎士の人たちってどうして他の騎士団から出てきたんだろ?)


 噂どおりなら、素行が悪くて追い出されたと思うのが当然だろう。しかし噂は真実ではなかった。となると、理由もまた、ルーリスが思っていたものとは全然違うものになる可能性が高い。


「ユード、殿下にわかりましたって伝えてくれる?」

「もちろんだよ」


 それじゃあ頑張ってと、手を振って消えた銀色の守護精霊を見送って、ルーリスは訓練を再開した騎士たちを振り返った。


「最初は、誰にしようかな」


 視線の先には、掘り返した穴を埋めているリームがいた。

お読みくださってありがとうございます。

リームの穴掘りは定例行事です(`・ω・´)

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