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 始まりについては諸説あるが、ルーリスにとって事の起こりは、三ヶ月前のエプラン城の厨房で、だった。


(ん?)


 調理台の横でイモの皮を剥いていたルーリスは、腕をつつかれて手を止めた。

 仕込みが始まったばかりの厨房は、大忙しだ。運び込まれた材料が、調理台の上にも下にも乱雑に置かれている。イモの皮を剥いているルーリスの周りでも、豆や菜っ葉が順番待ちをしているところだ。


(……動いてる?)


 さっきからルーリスの腕をつついているのは、籠に入ったガモという細長い葉野菜だ。よく見ると、籠が微妙に揺れている。風が吹き込む場所でも無いし、ルーリスの他に野菜の下処理をしている人間もいない。


(籠じゃない。床?)


 更に観察を続けると、動いているのは籠ではなく、籠の下の敷石だった。ゴトゴトと、沸騰した鍋の蓋みたいに動いている。


(こんなところにカマド……なんてあるわけないか)


 床下からネズミが出てこようとしているのかもしれない。戦場と化した厨房に、これ以上の災厄は不要だ。ルーリスは籠をどかし、敷石を踏みつけて押さえようとした。

 ごとっ。

 一歩遅かった。ルーリスは籠を抱えて、片足を伸ばした格好のまま、固まった。

 敷石はわずかに持ち上がると、横にずれた。ほぼ真四角の穴が空いて、そこから金髪の頭が生えてきた。


「……」

「……」


 後から考えると、よく叫び出さなかったと思う。

 頭は自然に生えたりしない。人が、床下から出てきたのだ。

 金髪の頭はくるりと振り返ると、ルーリスをじっと見上げた。ルーリスも、見つめ返した。


(美人だわ)


 肩から上だけしか見えないが、誰もが納得する美少女だった。年頃だけなら、来月十六になるルーリスと同じくらいだろうが、それ以外は全く異なる。きちんと結い上げられた金糸のような髪、わずかに上気した頬、染み一つ無い肌、こちらをじっと見つめる瞳は深い青だ。その瞳に己が映っていると考えるだけで、同性のルーリスですら、ときめいてしまいそうだった。こんな美人が同じ人間とは思えない。もしや床下の精霊か何かだろうか。


「手を貸してちょうだい」


 床下の精霊(仮)は、穴の下から手を伸ばすと、ルーリスに向かって差し出した。美しい顔に見合った、細くてたおやかな腕だった。


「あ、はい」


 ルーリスは籠と足を下ろしてしゃがみ込むと、美少女の手を取った。触ったら溶けてしまうんじゃないかと思ったが、暖かくて柔らかい感触があった。これは間違いなく、人の手だ。


「……え? 女の子? え? 本物? 床下の精霊じゃなかったの?」

「誰が床下の精霊ですって?」


 何か気に障ったのか、美少女の眉がつり上がった。そのときだ。


「全員外に出ろ!」


 いきなり恫喝されて、調理場は硬直した。時間が停止したような中、怒鳴り声を上げた兵士を先頭に、三人の兵士が、どかどかと入り込んでくる。目的はつまみ食い、ではないようだ。


「いきなり……なんなんですか、兵隊さん」


 厨房頭のマジェスが及び腰で声をかけてみたが、兵士達は抜き身の剣をちらつかせてどやすばかりだ。


「黙って従え!」

「早くしろ!」

「もたもたするんじゃない! イモの代わりにお前らの腕を切り落としてやってもいいんだぞ!」


 何が何でも厨房から人を追い出したいらしい。ぐずぐずしていると本当に斬りつけられかねない雰囲気だ。


「み、みみみ、みんな、兵隊さんの言うとおりに!」


 鼻先で剣を振り回されて、マジェスの顔色は真っ青になった。自ら先に立って、厨房から出て行く。仕込み途中の材料を放っていくのは心残りだが、腕を落とされては叶わない。一人ずつ出入り口に向かうのを見て、ルーリスは慌てた。


「待ってね、今すぐに」

「今すぐこっちに来なさい!」


 美少女を引っ張り上げるより早く、美少女に穴の中に引きずり込まれた。


「え? わっ!」


 穴は思ったより浅くて、美少女は思ったより力持ちだった。頭から穴に突っ込んだルーリスは、柔らかい胸に受け止められ、直後、地面に放り出された。


「いたっ!」


 ぶつけた腰をさすっている間に、美少女は床の敷石を戻して穴を塞いでしまった。真っ暗闇かと思えば、すぐ横にランプが置いてあった。弱い明かりに照らされた床下は、細い通路になっていて、左右に真っ直ぐに伸びていた。


(なに、ここ……?)


 厨房の下にこんな通路があるなんて知らなかった。どこに続いているのかと、目を凝らしていると柔らかいものが覆い被さってきた。


「静かになさい」


 美少女がルーリスの上に、のしかかっていた。おまけに口まで塞がれてしまったので、言われたとおりに大人しくして耳を澄ましていると、微かに兵士の怒鳴り声が聞こえてくる。最後に点検しているのか、荒い足音が近づいて、それから遠ざかっていった。


「……ふぅ」


 美少女はゆっくりと身を起こして、ランプを手に取った。ルーリスも身を起こす。美少女はランプを掲げて、ルーリスと向き合った。


「それで、お前は誰?」


 同じ質問をルーリスも返したい。美少女の手入れに行き届いた髪を見れば、床下から厨房に出入りするような人間ではないだろうと想像がつく。


「あたしは、ルーリスです。お城の厨房に、三日前から雇ってもらってます。あの、お嬢様は――」

「そう」


 ルーリスの問いかけを遮って、美少女は立ち上がった。飾り気のない簡素なドレスの裾を払う仕草は、とても優雅だった。


「では、ルーリス、これを持って先に立ちなさい」

「はい……?」


 釣られて立ち上がったルーリスの手に、ランプが押しつけられる。


「もう厨房では働けないでしょうから、私が雇ってあげるわ」


 さあ進めとばかりに、美少女。従わずにはいられない口調に、ルーリスは必死に抵抗した。


「待ってください、働けないってどういうことですか」


 ようやく見つけた働き口だった。お城で働けるなんて運がいいわねと母も喜んでくれたのだ。たった三日でクビになるわけにはいかない。


「まだ今日の給金も貰ってないんです!」

「戻ったところで貰えないわ。あの兵士たち、城中の人間を追い出しに掛かっているでしょうから」

「え? お城から、全員?」

「そうよ。あれはベリオル侯爵の私兵よ」

「しへい?」


 ベリオル侯爵の名前くらいは、ルーリスでも知っている。今の王様の弟で、力のある貴族の一人だ。侯爵が城の人間を追い出す理由が分からない。

 美少女は苛立ったように手を振った。


「話は後にしましょう。お前もこんなところに長くいたくないでしょう」

「はあ……」

「どうしても戻りたいというなら勝手にしなさい。ただし、どうなっても知らないわ」


 美少女はすぐ横の壁を刺した。ざらざらした壁から、踏み台のように石が突き出ている。これを辿って上がれば厨房の床を開けられるのだろうが、美少女の言葉が不穏すぎる。


「あの……どう、なるんでしょうか……?」

「無事に城から出られるかどうかは分からないとだけ言っておくわ」

「……」


 ルーリスは天井を見上げた。荒々しい兵士の態度を思い返しても、美少女の言葉の方に心が傾く。頑張って働いた職場に別れを告げるしかないようだ。


「……わかりました。でもあたし、道が分からないんですけど」

「大丈夫よ。私も分からないから」

「少しも大丈夫じゃないですよね!?」

「そんなに複雑な構造ではないもの。同じ道を歩かなければ済むことよ」

「そんな難しいこと……さすが床下の精霊……」


 思わず呟くと、美少女の眉がつり上がる。


「先ほどもそのようなことを言っていたようだけど、なんですの、私に向かって床下の精霊なんて、失礼だわ」

「え。あ、すみません……そのぅ、お嬢様があまりに綺麗で、人だと思えなかったので……」

「だからとしても! 床下はないでしょう!」


 美少女が怒っていたのは『床下』という単語についてのようだ。


「じゃ……地下の精霊とか……」

「却下よ。何かの下だなんて、ありえないわ」

「はい、すみませんでした!」


 相当プライドが高いことだけはよくわかった。ルーリスは謝り倒して、機嫌を取るようにランプを持って先に立った。


(明日からまた仕事探さないとなあ……)


 暗い通路の先は、ルーリスの人生そのもののようだった。狭くて先が見えなくて、どこまでも単調な造りが続いている。曲がり角もさほど多くなく、基本、どこまでも真っ直ぐだ。ランプの光で見える範囲は、常にざらざらした石の壁とデコボコの床だけ。時折、美少女に止まるように言われなければ、ルーリスは暗闇に吸い込まれる感覚に耐えきれずに叫びだしていたかもしれない。


「ここも違うわね」


 美少女は止まる度に、壁や天井を探ってどこに繋がっているのかを確認している。細く空いた隙間から光が漏れるのを見ると駆け寄りたかったが、すぐに暗闇の中に戻る。そしてまた、先に立って通路を照らす。


(道が分からないって言ってたよね……)


 厨房に戻るべきだったのかもしれないと不安に思い始めた頃、美少女が再度停止した。


「ルーリス、手を貸しなさい」

「出口ですか?」

「それを確かめるのよ」


 期待とは違ったが、変化があるのはいいことだ。ルーリスはランプを足下に置いて、一緒に壁を押し始めた。最初は何の手応えもなかったのだが、そのうちに、ずりずりと音がして、少しずつ動き出した。


「眩し――」


 光が隙間から差し込んできた。直視してしまって、目がチカチカする。


「あら……ここ……」


 横から覗いていた美少女が意外そうな声を上げた。また外れかと落胆しかけたルーリスに、もっと壁を押すように指示をする。


「一緒に押してくれないんですか」

「あとは一人で開けられるでしょう」


 手伝ってやったのは自分だとでも言わんばかりだ。ルーリスは言い返す気力も惜しかったので、黙って壁を押し続けた。


「……やっぱり」


 やっと通り抜けられるだけの隙間が空くと、美少女は優雅に通路の外へとくぐり抜けていった。

 何がやっぱりなのか。ルーリスも続いて狭い通路から抜け出る。広い空間がこんなにも心を癒やしてくれるとは思わなかった。空気が美味しい。


(お城の中?)


 広くて、天井の高い、大広間のようにも見える場所だった。壁にはランプとタペストリーが交互に掛けられている。誰もいないのに明かりを付けておくなんて贅沢な空間だ。奥の突き当たりには豪華なステンドグラスが飾られていた。その周囲だけは採光口があるらしく、外の光が柔らかく降り注いでいる。何のモチーフなのかはルーリスには分からないが、とても綺麗だと思った。

 ステンドグラスの手前の床の上には、大きな石の台があった。ルーリスなら余裕で横になれる大きさだが、ベッドにするには堅すぎる。テーブルに使うには低すぎる。


(他には……なんだろ)


 それ以外は思いつかなかったので、台は放置だ。床の上には他には何も無かったので、ルーリスはぐるっと見回した。


「あっちから出られそうですよ」


 ステンドグラスとちょうど反対側に大きな扉が見えた。

 美少女はちらと扉に目を向けただけで、首を横に振った。


「無理よ」

「鍵が掛かってるんですか?」

「違うわ。このまま出て行ったら、私たち、二人ともその場で捕まるわ」

「捕まるって……もしかしてさっきの兵隊さんにですか?」

「ええ。ここは守護精霊の座。おそらく外には、王位継承の承認を受けようとしているベリオル侯爵本人もいるのではないかしら」

7/30 全面的に見直しと修正しました。ストーリーの変更はありません。

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