13
悪い夢のようだった。
丘向こうに潜んでいた敵は、予想以上に多かった。
王女を乗せていた馬車は瞬く間に火に包まれ、侍女共々、追い詰められている。リームが応戦に回ったが、彼だけでは足りない。
「……ちっ!」
目の前の敵を無理矢理押し返して、ラグデリクは手綱を引いた。が、すぐに別の敵が進路を阻む。
「どけ!」
切り結んだ敵の向こうで、別の手勢が王女に向かっていくのが見える。人数は三人程か。馬には乗っていないが、例え逃げても女の足ではすぐに追いつかれてしまうだろう。それが分かっているのか、けなげにも、侍女が王女の前に立って庇おうとしている。武器も持っていないのに、無駄な抵抗にも程がある。
「どけと言っている!」
二人目も斬り払って、ラグデリクは王女の元に向かって走る。しかし距離がありすぎる。多分、侍女は、助けられないかもしれない。せめて王女だけはと、半分以上は諦めていたというのに。
「……なに?」
微かに、侍女の手元で何かが光った。侍女がこちらを見たような気がした。大丈夫だと言うかのように、微笑んだようにさえ見えた。
敵が武器を振り上げて侍女に迫った。もう、間に合わない。恐らく声すら上げられずに、絶命するだろう。
ガツン――!
鈍い音がした。何の音かと訝しんでいる間に、襲った方が尻餅をついている。
時が止まったかのような一瞬の後、残りの二人が同時に襲いかかる。一人は侍女に。もう一人は、王女に。
今度こそ間に合わないと思ったのに、またしても倒れていたのは敵の方だった。侍女も王女も、変わらずその場に立っていた。
変わらず、というのは少し違う。
素手だったはずの侍女は、今は手に、銀色に輝く剣を持っている。
「なんだ……あれは……」
確かめに行く時間は無かった。すぐに別の敵が迫ってくる。今度はラグデリクにもだ。
動揺を押し殺して、ラグデリクは目前の敵を倒すことに集中した。敵はまだいる。急いで片付けて、王女を救出しなくては――手出しは無用のような気がしてならないが。
「こっち、くんなっ!」
下町言葉丸出して侍女が剣を振るう。その一撃で、敵の剣も、戦意も真っ二つになっていることに、ラグデリクは戦慄した。
「なんなんだ、あれは!」
***
「……終わった、みたいですね」
襲ってくる敵がいなくなったので、ルーリスは剣を下ろした。途端に、体中が悲鳴を上げる。腕がだるい。息が苦しい。なんだかあちこちが痛い。
「殿下、怪我とか、ありませんか?」
「馬車から飛び足りたときに少し足を捻ったくらいよ」
「すみません……」
自分が怪我を負わせてしまったらしいので、謝っておく。
(馬車は燃えちゃったし、馬に乗せてもらうしかないかなあ……)
乗せてもらうとしたら誰の馬だろうと、ルーリスは見回した。
戦闘を終えた騎士達が、一人ずつ戻ってくる。が、一定以上近寄ってこない。遠巻きにされている。なんだろうか、これは。
(どうしたんだろ……まさか今度はこの人達が襲ってくるとか!?)
あり得ないとは思うが、現に誰も王女に手を差しだそうとしてこない。ルーリスは下ろした剣を構え直した。途端に身体の痛みは消えたが、相手が騎士ともなればルーリスの手に余る。今度こそ、絶体絶命かもしれない。
(えーとえーと、そうだ! 逃げ道! 逃げ道探さないと! って、こんな時もユードいないし!)
「ユード――」
「ルーリス、落ち着きなさい」
「そうそう、落ち着いて」
セルマに肩を叩かれた。ついでにユーダミラウまで現れて、剣を握るルーリスの手を押さえてきた。
「あれはね、君が一撃で武器ごと敵を倒しちゃったから、みんな驚いてるんだよ」
「え」
「そういうことよ。今この場で一番の脅威はあなたなのよ、ルーリス」
「え……あたし?」
改めて居並ぶ騎士達を一人一人見つめてみれば、誰にも敵意は見えない。顔に浮かんでいるのは困惑と驚愕ばかりだ。
「あ――」
ルーリスは急いで剣を収めた。他の荷物は馬車もろとも燃えてしまったので、しまい込むことはできない。もっとも、今更隠してもどうしようもない。この場の全員が、ルーリスが剣を振るって敵を倒すところを見てしまっているのだから、知らん振りはできないのだ。
「殿下、どうしましょう」
「……あなた、何も考えていなかったのね……」
「すみません……」
「……いいわ。あなたはあなたの役目を果たしてくれたのだから」
セルマは小さくため息を吐いてから、己の役目を果たしに前に出る。
「騎士団の皆さん、無事ですか? 私のせいで怪我をされた人は? まさか、命を落とした人は――!」
セルマは、今にも泣き出しそうな顔で騎士団の面々を見回した。セルマ主演の舞台の始まりである。共演者はコノリゼ騎士団のみなさんだ。
「点呼を取れ! 被害の状況を確認して報告しろ! リーム!」
はっとしたように、ラグデリクが叫んだ。呪縛が途切れたかのように騎士団員達も動き出す。
「はいよ。任された」
「任されない。俺と一緒に来い。確認はワティマー、お前がやれ」
「は?」
「了解」
部下を見送って、ラグデリクはリームを引きずってセルマの前に進み出た。膝をついて礼を取れば、リームもそれに従う。
「殿下、まずはこのような事態に御身を晒したこと、幾重にもお詫び申し上げます。お怪我はございませんでしょうか」
「私は無事です。皆さんのおかげですわ」
(あれ、足を捻ったじゃ……)
ルーリスの疑問は、口から出る前にセルマの視線で封殺された。『この場で一番の脅威』の呼称はセルマにこそふさわしいと思う。
「ありがたきお言葉。その上部下の身を案じてくださったお心遣いにも感謝を申し上げます。しかし我々は騎士です。殿下をお守りすることは勤めであり、そのために怪我を負うことは名誉ですので、どうかお気になさらないでください」
それよりも、とラグデリクはルーリスと、ユーダミラウを順番に見た。
ユーダミラウはにっこり笑って返し、セルマのセリフに突っ込みをいれるのに忙しかったルーリスは、真面目な顔を作って一礼した。
「ジェイダ隊長。こうなってしまったらきちんと紹介しますわ。こちらが私の守護精霊と、精霊騎士です」
「な……!?」
「守護精霊に……精霊騎士!?」
ラグデリクとリームが眼を瞠ったまま硬直する。
「うん、僕がセルマとルーリスの守護精霊なんだ。よろしくね」
ユーダミラウが挨拶したので、ルーリスもそれに倣う。
「えーと……いちおう、精霊騎士です……すみません」
「侍女さんが……精霊騎士!? マジか!? 何であんたなんかが精霊騎士になれたんだ!?」
ぱくぱくと、陸揚げされた魚のようになっていたリームが、堪えきれないように叫ぶ。
「リーム! 口を慎め!」
「だってよ、ラグ、女の精霊騎士なんて――ぐぁっ!」
のけぞって驚く副官を、ラグデリクは文字通り拳で黙らせた。そのまま頭を押さえつけて、ラグデリクは部下の非礼を詫びた。
「部下が失礼なことを申しました」
「あの……あたしが精霊騎士に見えないのは当然なんで、副隊長さんをそろそろ許してあげてください」
リームの顔面は、そのまま放っておけば地面にめり込みそうなくらい、押しつけられていた。一言言っただけでその仕打ちはあんまりだ。
セルマにも同様に促されて、ラグデリクはしぶしぶとリームを放した。
「ありがてえ……死ぬかと思ったぜ……」
解放されたリームはぶつぶつ言いながら、顔を擦っていた。ルーリスと目が合うと、困ったように目を逸らして、謝った。
「すんませんでした」
「いえ……」
口に出さないだけで、ラグデリクも、他の騎士もみんな同じことを思っているのだろうから、ルーリスは何も言えなかった。騎士の最高峰たる精霊騎士に、たまたま居合わせたから選ばれましたなんて、とてもじゃないが言えない。
居心地の悪い沈黙を打ち破ってくれたのは、セルマだった。
「ジェイダ隊長。私はルーリスだけを頼りに城から逃げてきました。陛下も王太子殿下も不在の中で、早急に敵と味方を見分けなくてはなりませんでしたの。そのために私が一人きりである状況を作り上げる必要があったのです。結果として、あなた方を騙して、このような争いに巻き込んでしまったことは本当に心が痛むことではありますけれど、これも王国のためと許してくださることを望みます」
王女の真摯な語りに、ラグデリクは険しい顔でリームを見やる。
「リーム、アーセージ伯から預かった三人を確認しろ」
「承知」
リームはすぐさま立ち上がって一礼し、飛び出した。副官を見送って、ラグデリクは険しい顔のままセルマに言う。
「殿下、ご事情はお察ししますが、どうか御身を囮にするような真似はおやめください。陛下と王太子殿下が不在であるなら、なおさらです」
「仕方ありません。今の私は、私自身の他になにも持っていませんから」
「えー、僕とルーリスがいるじゃない。ま、僕やルーリスじゃ、旨く敵を釣れないけどね。隊長さんだってそう思うでしょ?」
「それは、そうでしょうが……」
「隊長さんも隊長さんの責任があるしね。ともかくここから早く出発しようよ。話もお説教も、ラミドアに着いてからゆっくりすればいいじゃない」
「私からもお願いしますわ。ユトーラ公の元まで間もなくとはいえ、気は抜けません」
「畏まりました。隊をまとめ直すまで、今しばらくお待ちださい。護衛もすぐに寄越しますので」
ラグデリクはそう言って立ち去った。すぐに騎士が寄ってきて報告を開始する。その様子はとても頼もしくあり、はみ出し者の寄せ集めの一団には見えなかった。
「殿下」
「なにかしら」
「襲ってきた人たちって、アーセージ伯爵の命令で?」
戦闘が終わってから、あの三人の姿が見えないことにルーリスも気づいていた。イヤな奴だとは思っていたけど、裏切られたとは思いたくなかった。
「命じたのは違うかもしれないわ。伯爵はただ、情報を流しただけかもしれないもの」
「いろいろ、よくしてくれたのに、どうして……」
「私に与するより、ベリオル侯爵に恩を売った方が利があったのでしょう」
「……」
あっさりと言い切るセルマが、なんだかとても切なくて、ルーリスは剣を握りしめることしかできなかった。
「そんな顔しなくていいわ。私にはまだ、あなたとユードしかいないけど、いずれは」
「いずれは?」
「私を売ったことを後悔させてあげるわ」
「……」
セルマに同情するのは止めよう。
何度目か分からない決意を、ルーリスは今日も胸に刻んだ。
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