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(よくがんばるなー)
休憩のたびにセルマの元に「ご機嫌伺い」にくる三人の騎士に、ちょっぴり感心している今日この頃のルーリスである。セルマにあれほど手ひどくやり込められたにもかかわらず、まだ取り入る隙があると思える根性は、素晴らしいの一言に尽きる。
(それとも本気で王女様が箱入りだと思ってるのかなあ……)
彼らはきっと、セルマが俗世にまみれないように大切に育てられた王女であるという幻想を捨てられないのだろう。
「殿下、もしや陛下は殿下のお優しい心を痛めないように、真実を隠されていたのではないでしょうか」
唇の厚いリーダー格の男はセボルヤという名前だと言うことが判明した。残り二人は、ひょろっとした方がヒベアス、生え際の後退が目立っているのがメボージャッド。三人ともそこそこの家の出身らしいが、ルーリスにはよく分からない。
「そういうこともあるかもしれませんね」
セルマが同意するように相づちを打つ。それが罠の発動合図だと知らずに、セボルヤが身を乗り出す。
「そうに決まっております! しかしながら殿下、王位継承者とおなりになられた御身には、正しき王国の姿を報告すべきであると、それが、殿下のお優しい心を痛めることになろうとも、我々、真なる王国の騎士の勤めであると、覚悟を決めて参りました」
「まあ、とても恐ろしいお話のようですね」
セルマが顔を伏せる。セボルヤが何かを堪えるように俯く。どちらも三文芝居なのだが、役者としてはやはりセルマの方が上手だ。
「もしあなたたちの話が真実であるなら」
「真実に決まっております!」
「何故アーセージ伯爵は私に『真実』を話してくれなかったのかしら……」
「それは……その……」
「ああ、そうね、伯爵は騎士ではありませんでしたわね」
「そ、そうです! ですので――」
「でも、ご子息のエノーテ様は騎士団の所属されていたはずでしたわね」
「……さようでございます……」
こんな茶番劇が、セルマが馬車を降りる度に繰り返されている。あまりにセルマに都合よく進むので、ルーリスは最近、会話劇の台本の存在を信じかけている。どこか、隊の後ろからこっそり芝居作家がついてきていないだろうか。
(それで、新作を毎晩王女様に渡してるとか――)
「毎日あいつらも懲りねえよな……」
副隊長のリームが隣でぼやいていた。台本取引現場の妄想を追い払って、ルーリスは礼を言う。リームは、セルマのお茶用の湯を沸かして持ってきてくれたのである。
「副隊長さん、ありがとうございます」
湯を沸かすくらい、ルーリスでもできるのだが、王女付きの侍女に下働きのようなことはさせられないと、妙な騎士道精神を発揮して毎回お湯係を買って出てくれている。そういうのは遠慮無く使いなさいとセルマの許可も出ているので、ルーリスは一生懸命笑顔を振りまいている。
「おう、こぼさないように気をつけてな。なあ、あんたも横で聞いててバカバカしいだろ?」
「あたしにはよく分からないお話しなので」
意見を求められたらそう答えるようにと、セルマから言われている。王女付きであるルーリスは、コノリゼ騎士団にもアーセージ伯爵にも賛同するような素振りを見せてはいけないそうだ。人によっては侍女の意見が王女の意見だと勘違いする人もいるから、と。
(言ってないことを言ったように言われちゃうんじゃ、王女様も大変だよねえ)
そう考えると、あの三人の意見はアーセージ伯爵の意見であると受け取っても良いのだろうか。これまでの話からすると、彼らの主張は、『コノリゼ騎士団は各地の騎士団からのはみ出し物の寄せ集め』であり、『デュドライア砦は敵のいない方を向いている無用の長物』であるので、総じてラミドアという地は王女が出向くような場所とは言えないそうである。
「――ということだと思うのですけど」
「追加するなら、デュドライア砦の通称は『黄昏砦』。誰も攻めてこない土地でどこにも戻れない我が身を嘆く騎士達が黄昏れている場所だからだそうよ」
「聞けば聞くほど不安になる話ばかりですね!」
休憩を終えて馬車に戻ると、仕入れた情報の答え合わせをするのが日課になってしまった。
ラミドアという新しい土地や騎士団について、一気に全部教えて欲しいのだが、どうせ覚えきれないでしょうと言われれば、まったくもってその通りなので仕方ない。自分で考えた方が覚えるというのが今回のセルマの方針になったようで、ルーリスは毎回、無い頭を捻るばかりだ。
厳しい教育係とも言えるが、退屈な移動時間の暇つぶしができたと喜んでいる可能性高いと思うのは勘ぐりすぎだろうか。
「でも、誰も攻めてこない砦って、今はどこの国とも戦をしていないし、他の砦も同じじゃないんですか?」
砦の多くは国境付近にあるが、国内の要所にもいくつか設置されている。戦が無ければ毎日ヒマだろうという単純な考えは、一部はセルマに認められた。
「確かに今はそうでしょね。デュドライア砦の場合は、戦う予定の無い砦、と言えば分かるかしら」
「予定が、ない?」
「ええ、そう。私も最初は驚いたけど……王国の地図は覚えていて?」
「そういうものはあんまり見たことが無くて……」
控えめに言ってはみたが、生まれてこの方、目にしたのは数えられるほどである。
もっとも、この件についてはセルマも納得してくれた。地図は軍事機密であることも多いので、広く配布していないのである。
「ラミドアに付いたらユトーラ公に頼んでおくわ」
「……」
見れば分かると言うことだろうか。またしても課題が増えてしまった。確か地図には文字も書かれていたはずだから、読み書きできるようにしておかないと本当に見るだけで終わってしまう。
(あ……地図にある文字が載ってる本から先に読めばいいかもしれない。ユードに先に読んでもらって……また余計な説明が付いてくるかなあ……やめようかな)
「はーい、ふたりともー、ここからユトーラ公の領地だよー」
「わあっ!?」
「ルーリス、静かに」
いきなりユーダミラウの声が響いた。ルーリスは慌てて口を手で覆って、背中を丸める。幸いにも、今回は外まで響かなかったようだ。
「ユード! ノックしてっていったでしょ!」
セルマに叱られた分も籠めて、ルーリスは虚空を睨み付ける。これで本人が違う場所から現れたら滑稽の一言で終わるが、ユーダミラウは声だけのままだった。
「いきなりノックの音がしてもびっくりするくせに」
他事に気を取られていたことなどお見通しのようだ。
「それはともかく! ラミドアに入ったんでしょ。何か景色が変わったとかは……」
無理矢理話を変えようと、窓の外を見やったルーリスは、直後、何とも言えない感覚に、硬直した。
「ルーリス? どうかして?」
「いえ、なんか、馬車に酔った、みたいで……?」
「明らかに違うと思う答えよ、それは」
「でも……なんかそんな感じなんです。なんか急に背中の辺りがぞわって……」
「なるほど。セルマは良い精霊騎士を選んだねー」
「ユード? どういう――」
セルマが片眉を上げた瞬間、馬車が急に揺れた。快適さ優先で進んでいた馬車が、速度優先へと切り替わる。
「しばしご辛抱を!」
ラグデリクの怒鳴り声が聞こえる。何があったのか問いたくても振動が酷くて、うっかり口を開けられない。
(なにか……来てる!)
とっさにルーリスはセルマを抱きかかえて支えた。途切れ途切れに聞こえる怒声からも、何者かが追ってきているのがわかる。
(後ろだけじゃない……!)
馬車が右に大きく揺れた。落とした速度を取り戻す前に、馬がいなないた。がくんとつんのめるように揺れて、馬車は停止した。
わあっと、鬨の声が上がった。早く馬車を出せと、焦った声も聞こえる。
追いつかれたんだ――逃げるのか留まるのか、その前に確認すべきはセルマの身だ。
「殿下……おけがはありませんか」
「少しくらくらするけど、怪我はしていないようよ」
セルマの無事を確かめてから、ルーリスは外に眼を向ける。剣戟の音がすぐ側で響いている。コノリゼ騎士団の騎士と、見知らぬ身なりの一団が、戦っている。ぱっと見ただけでも、敵の方が数が多い。少なくとも、倍はいる。
(……狙いは、王女様)
御者席は既に空っぽだった。手綱を握っていたのも騎士だったから、応戦に出たのだろうか。
(……この人たちなら、勝てる。でも)
敵の数が上回っていても、迎え撃つ騎士団の方が勝つ。窓から覗いただけなのに、漠然とだが流れが読める。このままなら、馬車の中で待っていればいい。
(ダメだ)
次の危機が迫っていた。
「殿下、降ります!」
ルーリスは馬車の扉を開けた。ありとあらゆる音が、圧力となって押し戻そうとしてくる。体当たりで押し返して、ルーリスはセルマの手を取って馬車から飛び降りた。
「おい、なにしてる! 中に戻れ!」
気づいたリームが駆け寄ってくる。ルーリスは振り返らずにセルマを連れて馬車から離れた。
直後、馬車に向かって何本もの火矢が飛んできた。馬車は、瞬く間に燃え上がる。リームは慌てて射手を討てと指示を飛ばした。
「くそ、油を掛けられてたのか! よく気づいたな、あんた」
「い、いえ……」
よく分からないけど飛び出しましたとは、今更言えない状況だった。
(燃えてる、燃えてるよ、危なかったよ、あたし! ていうか、ユードはなんで全部報告しないかな!)
目の前にリームがいるので、心の中で悪態をつく。ノック以前の問題だ。
「王女殿下、と、そっちの侍女さん。ぎりぎりまでお下がりいただけますかね」
道の片側は切り立った斜面で、反対側は低木の茂みが点在するだけの丘だ。隠れるような場所は無く、ルーリスはリームに言われたとおりに、斜面の方にセルマを押しやった。
リームが剣を払って、二人の前に立ちはだかった。
「大丈夫……こんなの、すぐに終わりますから」
「え、増えた!?」
いつの間にか、敵の増援が到着していた。形勢はいきなり逆転した。あちこちで、騎士達が苦戦している。
リームが腹に据えかねた様子で振り返った。
「おまえな! 少し静かにするとか考えないのかよ! 響くんだよ、女の声は!」
「そういう副隊長さんの声も大きいから!」
「俺はいいんだよ! ほら見ろ、気づかれただろ!」
「副隊長さんが怒鳴ったからでしょ!」
「どっちも同罪よ」
一番よく通るセルマの一声で、ルーリスとリームは不毛な争いを無かったことにした。
「とにかく! すぐに終わらせますんで、じっとしててくださいよ!」
言ってリームは馬を走らせた。すぐに二人の敵と切り結んで、小戦場と化した光景の一部になった。
「……ユード」
「なにかなー」
「馬を、助けてあげられない?」
燃えている馬車に繋がれたままの馬が可哀想だった。
「はいはい、優しいね、ルーリスは」
見えない手が装具を外すと、馬たちは駆け去って行った。これで、一安心だ。
ルーリスは両手を持ち上げた。
「……ここに」
淡い光と共に、宝剣が現れる。鞘から抜き放てば、すっと心が鎮まっていく。殺されるかも知れない恐怖と、人を殺すかも知れない恐怖を、ルーリスは凪いだ心で見つめていた。
「ルーリス、無理はしなくて良いわ」
「はい、無理なんかしません」
小戦場の一部が抜け出して、こちらに向かってくる。ラグデリクが気づいたが、別の敵に阻まれている。
今すぐここを逃げようと、まだ間に合うからと、引き留めてくる二種類の恐怖に、ルーリスは謝った――言うことを聞いてあげられなくて、ごめん、と。
(今、王女様を守れるのはあたしだけだから)
セルマの言うとおり、無理に戦場の一部に溶け込む気は無い。この場で、こぼれてくる悪意を振り払えばいい。それは、今のルーリスにはとても簡単なことに思えた。
「……あたし、たぶん、あの人たちより強い気がするんです」
精霊騎士となる者に与えられる『精霊の加護』を、初めて意識して使った日だった。
お読みくださいましてありがとうございました!




