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「コノリゼ騎士団第一部隊長ラグデリク・ジェイダと申します。ユトーラ公より直々の拝命を受け、王女殿下をお迎えにあがりました」
翌日の昼過ぎ、ユトーラ公からの迎えの一団が到着した。総勢二十人の部隊なので、城の中に入って挨拶したのは部隊長であるラグデリクと、副官のリーム・イドックだけだった。他は場外で待機である。
(あれが隊長さんかー。ちょっと若すぎる気もするけど。まあまあかな)
本物の騎士というものを間近で見たことの無かったルーリスは、広間の隅でこっそりと観察していた。黒髪緑眼の隊長は、騎士という無骨なイメージからはかけ離れた、なかなかの好青年だった。セルマとならんでも見劣りしないので、どこぞの貴族のお坊ちゃまでも通用するかもしれない。頼もしいわと微笑みかけるセルマの美貌に一瞬たじろいだが、何事もなかったように平然と礼を返した。鋼の精神の持ち主のようだ。
(で、あっちが副隊長さんだっけ。こっちも若いなー)
ラグデリクとは対照的に、リームの方はセルマの美貌と地位に完全に飲まれていた。真っ赤になって、名乗るだけでも三回は言い間違えている。猫っ毛の茶髪の先まで赤く染まっていそうだ。
(やっばり男の人は美人に弱いねー……それにしても眠い)
ルーリスは俯いてあくびをかみ殺した。気を抜くと、眠ってしまいそうだった。
昨晩は侵入者の一件は、セルマから伯爵に進言された。結果、朝からピリピリした緊張感が漂っている。そのせいか、朝食があまり美味しくなかった。セルマは逆に食が進んでいたようだった。高貴な人の身体のつくりはよく分からない。
さらに伯爵は、ユトーラ公からの迎えがニセモノだったなんてことのないようにと、使者から再度確認を取り直した。おかげで、迎えの一行がセルマと対面できるまでにかなりの時間が掛かってしまった。セルマは部屋でゆっくりしていただけだが、じっと待たされていた騎士団の面々は大変だったことだろう。
「では、予定通り明朝に出立いたしますので、ご準備を整えてください」
最後にそう締めくくって、ラグデリクはリームと共に退席した。城に全員入れないので、迎えの部隊は街の宿を貸し切ってそちらで宿泊予定だそうだ。
(きっと堅苦しいのはイヤだったんだろうなあ……っと、これで終わりなら、また荷造りしないと!)
荷造りにもいちいち怪しい物が無いかどうかの確認が入るので、朝からやっても少しも進まない。伯爵からの献上品の他に、国王派の貴族からも贈り物が届いているので、そのより分けも面倒だ。字の練習になるからと、贈り物の一覧の書き取りもしなければならないので、ますます荷造りが捗らない。手伝いに来てくれた伯爵家の侍女のみなさんが、気の毒そうな顔をしているので話を振ってみると、なんでもそういった仕事は本来、侍従や、王族なら文官が受け持つそうだ。
(そうだよね……伯爵のお城だって厨房の人が身の回りの世話をしたりしてないよね!)
圧倒的な人手不足である。考えてみたら、自分は確か精霊騎士であって侍女ですらないはずだ。
(……ユトーラ公のお城に行ったら誰か雇うのかな……)
ルーリス感じている以上に、セルマだって不便だろう。しかし有能な侍従と侍女が現れると、ルーリスは本来の役目に戻らなくてはならず、それはそれで難儀なことだった。
「それでは殿下、お休みなさいませ」
翌日は馬車での移動なので、夕食後は早々にベッドに入った。ユーダミラウが今晩も見張っててくれるというので、ルーリスも自分のベッドに横になる。
(いくらなんでも、毎晩は来ないよね……?)
最初こそ気を張っていたが、睡眠不足もあって、あっという間に眠りに落ちた。よく眠れすぎて、ユーダミラウにたたき起こされなければ寝過ごすところだった。
「おはようございます、王女殿下」
朝食を済ませて玄関ホールに向かうと、すでにラグデリクとリームが待機していた。
「おはようございます、騎士団の皆様。今日からよろしくお願いしますわね」
玄関から前庭に出れば、護衛の騎士が整列して、王女殿下が馬車に乗り込むのをじっと待っている。初めて見る光景に、ルーリスは立ち止まってしまった。
(殿下には……こういうのが、あたりまえだったんだ……)
住む世界の違いを、改めて思い知った。
「アーセージ伯、世話になりました。陛下と王太子殿下のことも、引き続きお願いいたしますわ」
「お任せください。王女殿下がユトーラ公の元に着く頃には、陛下も王太子殿下も戻られているでしょう。もしかしたら城からの迎えが既にお待ちしているかもしれませんな」
(それならここで待ってればいいんじゃないのかなあ……)
「伯爵のお力ならそれも可能だと思いますわ。エノーテ様も、どうかお力をお貸しくださいね」
「我が力は、すでに殿下のものです。叛逆の徒を一掃する様を殿下にお見せできないのが残念です」
(はんぎゃくのと、って、侯爵のことかな……)
「ポリア様、大切な本をお貸しくださってありがとうございます。いずれ改めてお礼をいたしますわ」
「あのような古い本ばかり、お恥ずかしいことですわ。次は城内でお会いできるのを楽しみにしております」
(ポリア様ごめんなさい、その本、返すのは遅くなりそうです……)
伯爵一家との別れを済ませて、セルマとルーリスは馬車に乗り込んだ。荷物は先に積み込まれている。ラグデリクが号令を掛けると、馬車は動き出した。ラミドアまで、約三日の旅の始まりだ。
「ユード、外の様子はどうですか?」
馬車は城を出ると、ハイモニの街を迂回して街道に出た。ラグデリクを先頭に、数名の騎馬が続き、馬車を間に挟んで後詰めの騎馬という、ごく一般的な隊列を組んでいる。王女を無事に送り届けたかどうか、見届け役の伯爵家付きの騎士も付いているので、当然ながら復路の方が隊は大きくなっている。
「んー、今のところ異常なし?」
声だけが返ってきた。こういう時、いつもユーダミラウはどこにいるのだろうとルーリスは悩む。
「まあ、まだ伯爵領だしね。しばらくはゆっくりしてても大丈夫じゃないかな」
「そうですわね。騎士たちの様子はどうですか?」
「んー……」
ユーダミラウの返事が遅れたのは、笑いをかみ殺していたから、だった。
「これも縄張り争いっていうの? 後ろの方で最初っから揉めてるんだけど」
「え、ケンカしてるの?」
「ルーリス、声が大きいわ」
セルマに咎められて、ルーリスは慌てて口を閉じた。併走していた騎士が気づいて、窓越しにのぞき込んでくる。セルマが首を振ると、すぐに離れていった。
「ルーリスの声はよく響くからねえ、気をつけて」
そういうユーダミラウの声は自分より大きいのに、とルーリスはちょっぴりいじける。きっと、声が外に聞こえない魔法を使っているに違いない。
「揉めていると言いましたね。具体的な理由は何ですか?」
「それは馬車を降りてからのお楽しみって事で」
(ちっとも楽しくないんだけど……)
漠然とした不安を置き土産にして、ユーダミラウの気配は消えた。
「殿下、ユードの話ですけど……」
「大丈夫よ。おおよその理由は付いているわ。要するに、迎えに来たのがコノリゼ騎士団だったと言うことでしょう」
「全然分かりませんが……」
「馬車から降りればすぐに分かるわ。もっとも、私の前では澄ました顔をしているでしょうけど」
「はあ……」
ユーダミラウと同じことをセルマも言った。完全に取り残されたルーリスだったが、長くは拗ねなくて済んだ。休憩のために馬車が止まったとき、いきなり判明したからだ。
「落ちこぼれでも、馬に乗るくらいのことはできるんだな」
「途中で落ちるんじゃないかって、ヒヤヒヤしてたぞ」
「ま、落ちても俺たちが後ろにいるからちゃんと拾ってやるさ。ちゃんと縄も用意してあるからな」
「ま、全員引きずっていくのは大変だから、ちゃんと乗っててくれよな」
わざとらしいまでに響く笑い声の主は、伯爵家からの見届け役である三人の騎士だった。伯爵の前では実直そうに見えたのに、今の彼らは、あからさまに見下した態度で、一番若い団員に向かってからかいの言葉を投げつけている。
(えー、何これ)
こういうのは普通、見えないところでやるものではとルーリスは思うのだが、彼らは、周囲の騎士が移動させようとするのを振り払って続けている。
(殿下に見せつけようとしてる……?)
セルマの様子を窺えば、したり顔で頷かれた。やはり、そういうことのようだ。
「御前、失礼いたします。リーム、後を頼む」
控えていたラグデリクが眉間に皺を寄せて、セルマの前から諍いの場へと向かう。
「え、俺?」
お前が行けと言われると思っていた副隊長のリームは情けない声を上げる。困ったような顔を向けられて、ルーリスも困った。
「えーと、何か問題でも?」
思わず訊いてしまうと、リームはますます困り顔になった。
「いや、問題と言うほどでも」
その間も、見届け役の声はどんどん大きくなる。
「なんだ、相手になるって言うのか」
「いくら剣の腕が一流でも、騎士として落ちこぼれてはゴロツキとかわらないな!」
「王女殿下の送り迎えなど、お前らに務まると思っているのか。我々がいるからこそ、つつがなく進むと思えよ」
ラグデリクがそれらに対して何を言ったのかは聞こえなかったが、見届け役の三人は口々に捨て台詞を吐いた後、何を思ったのかセルマの前に進み出てきた。全員、ラグデリクと同じ年頃の騎士だった。一斉に膝をついて、礼を取る。
「王女殿下においてはご機嫌麗しく」
声をかけてきたのは、真ん中の騎士だった。唇の厚い彼が、リーダー格らしい。
「ええ、でも少し騒がしいようでしたね」
セルマがにっこりと微笑むと、気をよくしたのか、リーダー格は調子よく続ける。
「これはお耳汚しを。我々はただ、王宮には届かない騎士団の実情というものをお聞かせしようとしただけなのです」
ち、と小さく舌打ちが聞こえる。リームが砂を噛んだような顔をしていた。隣からラグデリクがリームの脇腹を小突いている。
「まあ、そうでしたの。私、陛下から常々、我が国の騎士団には非の打ち所が無いと聞いておりましたの」
「ええ、そうでしょうとも。しかし実情はこのような――」
「まあ、まさか陛下の言葉が間違っていたという事なのかしら?」
「……」
満開の笑顔に、リーダー格は押し黙った。沈黙が、じわじわと圧力に変わっていく様子が目に見えるようだった。
(はい、負け)
ルーリスが判定を下すと同時に、見届け役の三人は口の中でいとまを告げて立ち去っていった。
ひゅうと、口笛が聞こえた。見ればまたリームだった。
「よせ、殿下の御前だ」
ラグデリクに窘められて、リームは真顔で謝罪を述べたが、その間ずっとにやついていたのをルーリスは見逃さなかった。リームだけではない、セルマの周囲に立っていた騎士、全員だ。ラグデリクが全員を睨み付けるが、誰もこたえた様子が無い。
「殿下、よろしければそろそろ出立いたしますが」
「わかりました」
セルマは何事も無かったように馬車に乗り込み、ルーリスも続いた。気のせいか、乗り込むときに手を貸してくれたリームの態度が最初よりも丁寧になったようだ。
扉が閉まって動き出したのを確認してから、ルーリスは盛大なため息を吐いた。
「コノリゼ騎士団の噂って、こういうことだったんですね」
「どういうことかしら」
「とぼけないでください。詳しいことは分かりませんけど、コノリゼ騎士団は伯爵家の下っ端にも馬鹿にされるような落ちこぼれ集団なんですね?」
「あら、そうなのね」
「だからとぼけないでくださいって。でもそれで納得しました」
「何を?」
改めて聞かれると答えづらい。ルーリスは考えながら、なんとか言葉をひねり出した。
「最初に見たとき、何かおかしいなって思ったんです。隊長さんと副隊長さんが来たときです。伯爵家のご子息さまが、なんというか、こう、さっきの人たちみたいな顔をしていたような気がしてたんです。それから、出発するときも、伯爵様がびみょーな顔していたし、見送りの騎士の人たちには睨んでる人もいたし」
「本当に、よく見ているのね」
セルマは感心したように言ったが、少し違う。
ルーリスは『見て気づいた』のではなく、『気づいてから見た』のだ。些細な感覚のズレは、ルーリス本人にもまだ納得できていないので結論は先送りとした。
「でも、それってただの噂なんですよね?」
「コノリゼ騎士団が落ちこぼれ集団と言うことが? どうしてそう思ったの?」
「だってどう見ても、伯爵家のあの人たちより、隊長さんの方が、えーと、騎士っぽいというか、大人の態度というか」
騎士として、格の違いを感じたと、ルーリスにもう少し学があったならそう言えたのだが、今のルーリスではあやふやな感覚を伝えるのが精一杯だ。
「あなたがそう感じたのなら、それで正解よ」
「え? いえ、そこはちゃんとほんとのことを教えてください、殿下!」
「あなたが感じたことも真実だし、伯爵家の方々が信じていることも真実よ」
「えー、そんなのズルいです!」
「ズルくないわ。正しいことなんて、いくつもあるのよ」
「殿下が言うと全部悪いことに聞こえます……」
ルーリスはため息を吐いた。何を言っても、セルマには叶わないのだ。
(それより、味方でケンカしてるっていうのは、困ったなあ)
無事にラミドアまでたどり着けますようにと、ルーリスは祈った。王国を守る、ユーダミラウ以外の、守護精霊たちに。
やっとプロローグのあの人達を出せました……よかった。
今回もお読みくださってありがとうございました。




