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「ユトーラ公が迎えを出してくれたそうよ」


 夕食後、セルマは伯爵に呼ばれて遅くまで話し込んでいた。半分寝ぼけながら待っていたルーリスは、部屋の扉が開く音で目を覚ました。


「おかえりなさいませ。ユトーラ公、からのお迎え、ですか」


 ユトーラ公って誰だっけ――夜着の用意をしながら、ルーリスは記憶をひっくり返した。聞き覚えがあるのだが思い出せない。迎えを寄越すくらいだから、多分ラミドアに関係ある人だろうということで納得した。


「今日、使者が到着したそうなの。明日、本隊が到着するから、出発するのは明後日ね」

「わかりました」


 辻馬車のように簡単に行ったり来たりできないことは、ルーリスにも何となく分かる。荷物もまとめなければならないので、ルーリスとしても時間がもらえるのはありがたい。毎日のように伯爵家から献上された品物が増えるので、どこまで持っていって良いのか相談するところから始めなければ。


「それと、ユトーラ公は西のラミドアの領主よ」

「……わかりました」


 心の内を見透かされていても、驚かなくなったルーリスだった。先に言ってくれたらいいのになんて、思っても言えない。


(うん、そう、ラミドアの領主様で、元々は王家と繋がりがあった方だったっけ)


 ユトーラ公爵は先々代の国王の血縁者だが、代替わりと同時に国政の中心から距離を置いているとセルマは言っていた。ベリオル侯爵の反乱以前から、中立の立場を守っているので、城が占拠された後も、国王派と侯爵派のどちらの呼びかけにも応じる様子はなかったというのが、アーセージ伯爵からの最新情報だった。


「迎えまで出していただけたのなら、殿下に味方してくれる気になったんですね」


 どちらにも与しないのであれば、セルマが助けを求めても無視されるのではと不安に思っていたが、これで一安心だ。


「そうね。味方、とは言い切れないかもしれないけれど」

「言い切れないんですか!?」


 安心は、一瞬で消え去った。


「ユトーラ公は中立だと言ったでしょう。例えば陛下が城に戻られて、ベリオル侯爵がユトーラ公に助けを求めても、あの方は同じように迎えるわよ」

「ええぇ……中立って、どっちつかずってことかと思ったんですけど、どっちにでもつくってことでもあったんですね……」


 ユトーラ公に対する印象がだいぶ変わってしまった。それが駆け引きというものだと、セルマは余裕の微笑みを浮かべていたが、ルーリスがその高みに達するまでの道のりは長そうだ。


「ああ、そうだわ、ルーリス、コノリゼ騎士団について耳にしたことはあって?」

「特に聞いたことは無いと思いますが……」


 そんな騎士団があったことすら初耳だ。


「では、デュドライア砦については?」

「でゅ……? 無いと思いますが……」

「そう。それならいいわ」


 気にしないでいいと言われると、余計に気になる。特に相手がセルマなので、絶対何かあるとしか思えない。


「あの……殿下、いま言ってた騎士団と砦って、有名なんでしょうか。あたし、あんまりそういうの

知らないので……」

「知らないならそれでいいのよ。余計な先入観は不要だから」

「はあ……せんにゅう、かん、ですか」

「例えば……精霊騎士は優れた立派な騎士がなるものである、なんていうのが良い例かしら?」

「よっくわかりました……!」


 確かに不要だ。そんな思い込みがあるから、ルーリスは苦労しているのだ。


(ってことは、騎士団と砦の、よくない話なのかな……)


 とりあえず、寝る前にデュドライア砦が王国最西端にある砦であること、コノリゼ騎士団が常駐していること、騎士団の一部がユトーラ公爵家の近衛も担当していることは、教えてもらえた。


(ユトーラ公の迎えって、その騎士団の人が来るのかな……すごい有名な騎士とかいるのかしら……でも実はそんなにすごくないとか? それでも本物のに騎士だし……あたしなんかが精霊騎士だってバレたら……騎士の名誉を汚されたとか言われたらどうしよう)


 今のところ、辞めることができないので、ルーリスが取れる最善策は精霊騎士だとバレないようにするの一点のみだ。アーセージ伯爵家では現在まで誰にも怪しまれていないので、このまま王女の側付きを演じていれば大丈夫だろう。


(いっそこのまま側付きで……殿下が城に帰ったら、また厨房に戻してもらっても……って、ダメだこれじゃ)


 セルマがベッドに入るのを確認してから、ルーリスも続き部屋に戻った。一人になるといつも同じことを繰り返し考えている。少し前までは、眠れなくなってユーダミラウ相手に愚痴っていたのだが、最近は少しだけ違うことができるようになった。

 ルーリスはベッドの上に腰を下ろすと、そっと願った。


(ここに)


 開いて膝の上に置いた両手の上に、宝剣が現れた。本当に便利な剣だ。そのままでも暖かくて気持ちが良いが、ルーリスはあえて鞘から抜き放つ。剣から放たれる銀色の暖かな光を目にすると、心が落ち着くのだ。


(剣を眺めてほっとするなんて、ちょっとあぶない人みたいだけど……)


 誰も見ていないところだから大丈夫と自分に言い聞かせる。問題は、癒やしのひとときをもらった後だ。まだ身につけて歩くわけにはいかないので、再び荷物として詰め直さなければならないのが面倒だ。


(思ったら勝手に荷物の中に戻ってくれたりしないかなあ……ユードに頼んでみようかな)


 宝剣を何だと思ってるの、なんて怒られそうだ。そんな場面を思い浮かべたら、笑ってしまった。なんて言い返そうか、それだけ考えて眠れそうだった。


(……ん?)


 剣を鞘に戻す前、微かな物音がした。何の音かよく分からないが、音源は隣の、セルマの部屋からだ。ベッドに入る前でよかった。姿が見えない場所にいるときは、呼ばれる前に声をかけなさいと毎回怒られているので、名誉挽回のチャンスだ。


「殿下? 何か御用事ですか?」


 ルーリスが扉を開けたとき、おかしな光景が見えた。廊下に続く扉が、細く開いていたのだ。

 こっそり出て行った?――ベッドを確認するか、扉を確認するか、迷っているとセルマの声がした。


「……ルーリス?」

「はい、何でしょう、殿下」


 声はベッドからだった。近寄ると、セルマが起き上がるところだった。


「明かりをつけて」

「かしこりました」


 明かりに照らされたセルマの顔は、いつもと少し違って見えた。


「……扉を開けたのは、あなたではないのね」


 セルマの視線は、開けっ放しの扉に向けられていた。


「はい、何か音が聞こえたので、何か御用事かな、って……えーと……ちょっと失礼します!」


 細く開いた廊下への扉の意味に気づいて、ルーリスは扉に向かった。続き部屋に置いてきた剣を呼ぶことも忘れない。剣を握りしめて外を確認すれば、暗い廊下が延びているだけで、人の気配は無い。掛けたはずの鍵が開いていることに、震えが走った。


「殿下、無事ですかっ!」

「そういうことは先に訊くものよ」


 鍵を掛けてベッド脇に戻ると、呆れたように言われた。


「申し訳ありません……」

「でも、私が言う前に何が起きたのか気づいてくれたのね。安心したわ。考え事をしていたせいか、あなたに声をかけられるまで全く気づかなかったの」


 声が、僅かに震えている。セルマの顔色が悪いように見えたのは、気のせいではなかったようだ。


「あの、殿下、あたしこの部屋で寝ても良いですか?」

「今からベッドを運んでくるの?」

「椅子でも床でも大丈夫です。どこでも寝られますから」


 何者かが、セルマの部屋に侵入しようとした。何をするつもりだったのかは分からないが、よからぬ事だったのは間違いない。このまま一人にはしておけないと意気込むルーリスを見て、セルマは驚いたように言った。


「まあ、まるで護衛騎士みたいなこというのね」

「……いちおう、精霊騎士、ですから……それにお給金もらうまでは何かあっても困りますし!」


 今後の人生が掛かっているのだと強調すれば、セルマは納得したように頷いた。


「そうね、まだあなたに何も払っていないものね。でも、今夜はもう大丈夫よ。部屋に戻りなさい」

「でも……」

「何かあれば、ユードがあなたをたたき起こすと思うわ」

「そういうことだから、ルーリスはベッドに戻って良いよー」


 ユーダミラウの声だけが響いた。すっかり忘れていたが、セルマにはもう一つ、有能な見張りが付いていたのだ。


「ま、今はルーリスに先を越されちゃったけどね。あれで気づくなんて、さすが僕が剣を授けた精霊騎士だね」

「はあ……どうも」


 褒められているようでもあるが、ルーリスを褒めている振りで自分を褒めている気がしないでもない。


「侵入者はどうしました、ユード」

「とっとと逃げていったよ。あっという間に外に出ていったから、追いかけなかったけど。ここの警備、甘いねー」

「後ほど伯爵には進言いたしますわ。ありがとう、ユード」

「どういたしまして。僕はちゃんと見てるから、ルーリスも安心してベッドで寝ていいよ」

「じゃあ、お願いします」

「はいはい、二人ともおやすみー」


 明かりを消してルーリスは部屋に戻った。結局、一睡もできなかったけれども。

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