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わたしと家族と(下)




 彼に連れられて入ったレストランは、中々に豪華な作りをした洋風のお店だった。ドレスやスーツを着込んだ老若男女のお客が各々に食事と会話を楽しんでいる。

 白いボタンで止めてある紺のワンピースに白いフリルのミニスカートという自慢の服装ではあったが、この場ではとても浮いているに違いない。わたしは羞恥心を隠そうと俯いてから、今日の彼の服装もわたしとそう変わらない今時の若者ファッションだという事を思い出して小さく吐息を落とした。


 丸いテーブルに丸い椅子が二脚。わたしと彼は、窓際の席へと案内された。街の光が夏の夜を照らしている。とても綺麗だと思う。

 ウェイトレスさんに渡されたレシピには、覚えのない英語の固有名詞が多く載っていた。そのせいか彼は「えぇと、何を注文しようか」としばらく悩んでいた。


「前に来たときはなにを注文したんですか……? わたしもそれにしようかな」


「んー、たしかこのロートロさるてぃルティッかって……やつ?」


 言えていない。最後まで彼は言えていない。だけど、わたしも自分の英語力にあまり自身がないので「それにします」とだけ言っておいた。

 彼は一人小さくロートロのサルティンボッカ風を呪文のように繰り返すと、呼び鈴を押した。わたしはてっきり彼もロートロのサルティンボッカ風を頼むのかと思っていたのだけど、彼は普通にミートスパゲッティを所望していた。わたしは、ロートロを指さして、季節のサラダも追加で注文した。


 注文した食事を待っている間の彼との会話は嫌いじゃなかった。彼が一生懸命に語る姿は見ていてどこか微笑ましい。彼はあまり聞き上手ではなかったけど、話上手ではあった。

 一個人が作る話というものは結局その人の一歩的な解釈で染められた都合の良いお話でしかない。でも、彼の話にはそういった個人の毒味が感じられなかった。彼は見たもの感じたものをありのままに話しているのかもしれない。

 彼が水の入ったグラスに手を伸ばしていると、横合いから先程と同じウェイトレスさんが銀のトレイを抱えて無駄のない綺麗な会釈をくれた。わたしがテーブルからそっと身を引くと、例のロートロから順々に食器を並べてくれる。わたしも座りながらに会釈を返すと、ウェイトレスさんは静かにその場を後にした。


「本当、美味しそうですね」

 わたしがそういうと、彼は静かに笑って見せる。


「そう、実はさ。恥ずかしい話なんだけど、テーブルマナーとか今一分からないんだよね。前に来た時はナイフの使い方が分からなくてさ、ロートレはシューマイに似て小さいし、フォークで刺して一口。そしたらおばさんにすげぇ注意されたの」

 「あの時は落ち着いて食べられなかったなぁ」彼は苦笑いを浮かべつつ、お皿に盛られたスパゲティをフォークに絡めた。


(あの、ロートロですよ?)とは口にしなかった。


「その時はご家族の方といらっしゃったんですね。でも、たしかにロートロの形はシュウマイに似ています。こんなこと言っちゃったら作った人に怒られちゃうかもだけど」


 わたしはお皿の横に添えられたナイフとフォークをそれぞれ右手と左手に持つと、慣れない手つきでロートロを四つに切り分けてから一つ口に運んだ。

 テーブルマナーというものはドラマやバラエティ、小説の中で得た知識しか持っていなかった。過去に教えてもらえる機会もなかった。彼は知らない事を恥ずかしいと言っていたけれど、そもそもテーブルマナーの心得を持っている学生が今どれだけいるのだろうか。

 わたしは、彼のその心がけを立派なものだと思う。


 正しいのかも分からない見様見真似みようみまねの心得を持って口に運んだロートロはとても美味しかった。生ハムの塩気と肉の旨味が口の中で溶けていく。わたしは初めて「頬が落ちる」という言葉の真意を理解した。


「でも、こんな高そうなところ。本当に良かったのでしょうか? わたし、こんなに良いところだなんて思ってなくて……その」


「あぁ、大丈夫。気にしないで。誘ったのは俺だしね――うん。ずっと、話したかったことがあるんだ。もう……覚えてないだろうけど。俺はさ、君に――」

 彼は一度何かに頷くと、持っていたフォークをお皿の横に置く。わたしは、その時マナーモードにしていた携帯が鞄の奥底で小刻みに震えている事に気づいた。メールの着信は十秒で切れる設定にしている。電話だった。

 だけど、彼の意志を持った声がわたしの視線をその瞳から離させない。そして彼は言う。

「――君にお礼がしたいんだ」


「……お礼?」

 「お礼――なんのでしょう?」わたしが口を開くと、彼がそれを遮った。


「――あっ、たぶん携帯なってない? まってるから気にしないで」


「いえ……すみません、少し失礼しますね」


 無視しようかとも考えたけど、彼がよしとするなら別に構わないだろう。わたしは彼に軽く会釈をして、携帯の通話に出た。内蔵スピーカーから聞こえる声に手の平を被せて、ひとまず女性用トイレに駆け込んだ。


「もしもし」

「――あっ、やっと繋がった。ねぇ、あんた今どこでなにをしてるのさ! あんたのお母さんが今大変なんだ。さっさと戻ってきなさいな!」


 声を荒げているのは父の祖母だった。


「あ、あの? 母がどうかされたんですか?」


「どうかじゃないよ! なにいってんだい。あんたのお母さんね、今病院でたくさんのお医者様方に見てもらっているんだよ。家で倒れたのさ!」

 「――わたし達の、前でね」祖母の焦りが電話越しにわたしの体を震わせていた。体に、力が入らない。喉が乾いて痛かった。


 ――どうしよう。わたしはこうなる事を知っていた。何度も想像した事がある。母がいつかストレスに押しつぶされてしまうのではないか。わたしは、こうなる事を予想していた。


「ねぇ――ちょっと聞いてるの!?」

 祖母の声が電波となって携帯を通し音声に変わってわたしの鼓膜を叩いている。祖母の苛立った声がこんな状況にありながらわたしの怒りを掻き立てた。

 母が倒れたのはきっとストレスが原因だ。だったらその現況はあなた達じゃないのか! 喉元まで迫ってきたそれをわたしは両手で塞いだ。


「とにかく今どこほっつき歩いてるかしらないけどね。わたし達はD病院にいるからね! いいかい? あんたが支えてやらないで、どこの誰があの母親の支えになってくれるっていうんだい!」


 そうして一方的に切られた通話は、わたしの心に深い孤独を感じさせた。折りたたんだ携帯電話を鞄にしまうと、わたしは女性用トイレを出て彼の入る席を目指した。彼にはどう説明しようか。そういえば、まだロートロが残っている。勿体無いけど、とても口に物を入れる気分ではなかった。


「失礼しました」


「俺は大丈夫だけど……あの、大丈夫? とても顔色が悪いよ」


 彼が鋭いのか、それともわたしが表情に出やすいタイプなのか。どちらにしても体調の不調を隠すつもりはなかった。


「えぇ……家から電話があったんです。その、――ごめんなさい」


「いや、分かった。じゃ家まで送るよ」


「それは、……大丈夫です。一人で帰れます。今日は台風も来ていませんし」


 これ以上、彼に迷惑はかけたくなかった。このレストランの埋め合わせも考えなくてはいけない。でもとりあえず、今は一刻も早く病院へ向かいたかった。心の焦りが言葉となって口から溢れてきそうだ。


「うん……分かった。何か、あったみたいだね。会計は俺がしておくから」


「すみません、本当ありがとうございます。この埋め合わせはまた今度……、大丈夫ですか?」


「いつでも」


「すみません」


 わたしは席を立つと、彼に会釈をしてお店を出た。八時十七分。夜の闇もだいぶ濃くなってきている。次の次に来る電車なら、ここから走れば間に合いそうだった。わたしは、三年ぶりに全力疾走というものをした。


下でございます。ちょっと重たい話です。二話目にして純愛() 

たぶん四話完結になりそうなので、もう話は中盤です。

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