守りたいその思いに手を伸ばし
明るい日の光が差し込む部屋に、金髪の少女と黒髪の青年が二人で向かい合って座っている。
「これは、取引よ」
「あなたに十日の猶予を与える代わりに、私に、その心以外全てをくださると?」
黒い瞳が、王女の碧い瞳を覗きこむ。
「そうよ。政略結婚に心は要らない。それでも私はあなたを必要としている。私は女王になる。だからこそ、あなたと結婚しなければいけないのは事実」
「……だから、最後のわがまま、ですか?」
「ええ。悪いけどね、私の心は渡せない。あなたのも、必要ないわ」
はっきりと言い切った王女に、その婚約者は苦笑して、そして、それでも優しいまなざしを王女に向ける。
「ノアとお呼びください。いつまでも。私も、ミオ様と呼ばせていただきます」
「ミオでもいいわ。非公式ならね」
「……では、ミオ、と」
王女は決めていた。
レンティシアの名は、ただ一人、彼の騎士にだけ、渡そうと。
上ったばかりの朝日がさんさんと降り注ぐ中、長い金髪を結うことなくおろしている少女は、宿の外の庭で、一人で日向ぼっこにいそしんでいた。
夏とはいえ、朝はまだ、それなりに涼しい。
「早いな……相変わらず」
「あら、おはよう。起きたのね」
「騎士より早起きって、ほんと、なんていうか……」
呆れたように言って、それでも、当然のように隣に座る。
一人分、開いた距離。近づくことない距離は、それでも少女に安らぎすら与える。
二人で日向ぼっこを終えたあと、朝食を頂き、服が乾いたとのことだったため、お互いに部屋に戻って服を着替えてきた。
二人は持ってきた荷物をすでに持って、部屋の外に出た。
そして、昨日助けた家族に、話を聞こうと、食堂の一角で、五人で席につく。
「聞きたいこととは?」
「昨日みたいに襲われることって、今までにあったの?」
この十日間は、確かにレンティシアのわがままでもあるが、彼女は王女としての責任をもしっかりと果たす気でいた。
「いいえ。ですが、国王陛下と王妃様が倒れられてから、空位が半年ほど続いているでしょう? だから、その反動なのかもしれない、と思われることは、最近、けっこう起こっているのです」
男性の言葉に、レンティシアはずきりと心が痛む。
両親が亡くなった時、レンティシアは二人の死を嘆くよりも先に、自分が女王になるタイミングを決めた。
シュトレリッツ王家の人間は、十八になるまで、素顔を公には晒さない。
成人となるまでは、それが安全だから、らしい。
父王が、自分が殺されかけた経験を生かしてのことだったらしく、レンティシアの時には、必ずしも、素顔を隠すことに成功しているわけではなかったのだが。
そのことがあったため、成人すると同時に即位式を行おうと、自分で決めたのだ。
今の空位状態は、間違いなくレンティシアに責任がある。
国の状態は、把握しているつもりだった。
それでも、王と言う一番上の存在が、いないという事実が、国を揺るがすことがあるのだと、レンティシアは実感していた。
「でも、新しい女王様は、すごいんでしょう?」
ミーアが無邪気に言った一言に、レンティシアは思わず目を見開いてしまった。
「そうだな。なんでも、文官の試験も、騎士の試験も、両方とも受けて、一位をおとりになったらしい。しかも騎士の試験には、剣術だってあるというのに」
ミーアの父がミーアの言葉にうなずきながらそれを補足する。
それを聞いて、レンティシアはなるほど、と思った。
確かにそれは事実だ。ただし、レンティシアは総合で一位だっただけで、剣術に関しては、自分より上が、一人いた。
「総合は一位ですけれど、剣術は、一位ではなかったですよ」
どうにもギルのプライドに関わったらしい。
無造作な髪と同じく、いつもどこか冷めていると言うのに、こういう時だけはしっかりと反論するのだ。
「そうなんですか?」
「ええ。私が唯一、王女に勝ちましたから」
笑顔でギルがそう言いきれば、家族三人は大いに驚いた後、ギルを称賛した。そして、それでも王女はすごいという結論に、最後には落ち着いた。
「本当にこの国トップの実力をもっていらっしゃるミオ様が、約ひと月後には即位されるんだから、きっとこの国もまた、安定するよ」
「私も、そう、思いますよ」
ミーアの父の言葉をギルが肯定したことに、レンティシアは驚くが、彼はわりと平然とした顔をしていた。
そのあと、二人は身支度を整え、レンティシアは長い金髪を、ふたたび高い位置で結いあげて、そして、宿を後にした。
宿を去る際、フィリエの西町に着いた後、王都に戻る話をしたら、帰りもこの宿に泊まってもらってかまわないと言われて、二人はそれに甘えることにした。
再びここに帰ってくるときは、九日目。つまり、今からちょうど一週間後の予定だ。
二人はもう一度来ることもあり、挨拶もそこそこにして、馬に乗り、フィリエの西町を目指す。
今度は王都からフィリエの東町にいく途中の道と違い、きれいな道が整備されていることもあるのかもしれないが、何事もなくフィリエの西町に着いた。
西町は、東町よりも大きく、どこか活気がある。
すでに日は傾いて、空は茜色に染まっていたが、人々はまだ、外にいて、様々な店が、外にいる客を捕まえていた。
「宿、探すか」
「そうね。ここならたくさんありそうだわ」
町の店が立ち並ぶ通りを歩きながら、二人は会話する。
待ちゆく人が、二人が帯剣しており、一人が騎士の服を着ていることから、少しこちらを興味深げに見ていくが、それでも話しかけてくるような人は、店の人以外にはいなかった。
「お客さん、ちょっと、これなんかどうだい?」
店の店主らしき人が、手招きしてレンティシアとギルを呼び止める。
その店は、腕輪専門店のようだった。
華奢なものから、太い存在感のある腕輪まで、多種多様にそろっている。
レンティシアは、その中でも、銀の鎖でできている華奢なデザインで、ところどころにアクアマリンがちりばめられている腕輪に目を留めた。
そのアクアマリンの輝きが、ギルの瞳の輝きと似ている気がしたからだ。
しかし、彼女はその腕輪を買うことなく、その店を離れた。
ギルが、その様子を、静かに見守っていた。
「あ、あれ、宿じゃない?」
ギルがまだ腕輪から視線を外していないことに気づかずに、レンティシアは、ある方向を指さして、ギルに言う。
「そうかもな。……行くぞ」
そういって、先に店を出ていたレンティシアを先導するように、ギルは前を歩く。
茜色の日差しが、二人の正面から降り注ぎ、ギルの後ろ姿は、影となってレンティシアの瞳に映る。
その後ろ姿が、ずいぶんとたくましくて、レンティシアは驚いた。
それと同時にどこか、自分から遠くなった気がしてしまって、レンティシアはひそかにためいきをつく。
「やっぱり、宿みたいだな」
ギルは迷わずにその宿に入って、部屋が空いているか問う。
その様子をぼんやり見ていたレンティシアは、ギルが困ったような表情をして、後ろを振り返ったのに、少し遅れてから気づいた。
「どうしたの?」
「今日は、部屋が一つしかないらしい。ここ、七泊する予定だろ? 今日だけ一部屋しか空いてなくて、あとの六泊は、二部屋あるらしい」
「お二人はお仕事ですか?」
ギルがレンティシアにした説明を聞いてか、宿屋の女性は、そう尋ねてきた。部屋をわけるという時点で、二人が恋人でないことは悟ったらしい。
「ええ。まあ、仕事ですから。あまり、贅沢は望みません。ベッドはシングルベッドが一つですか?」
「はい。申し訳ないのですが……」
「ソファはありますか? 人が横になれるのは」
「あ、はい。ソファなら、お部屋に置いてあります。おそらく人が横になるぐらいはできると思いますが……」
女性の返答を待ってから、ギルが怪訝そうな顔でこちらを見た。
「あなたがソファね」
「ああ、それはそうだろうな。……ってそうじゃないだろ。お前、俺と同室でいいのかよ?」
ギルの問いに、レンティシアは、小さくため息をついた。
確かに、婚約者もちの王女と、婚約者もちの騎士が、同室で寝るのは、あまり外聞はよろしくない。
それでも、レンティシアはギルを信じているし、報告しなければ、分からないことだ。しかも七泊全部ではなく、たった一夜だけのこと。
「仕事なんだから、別にいいでしょう」
あえてそっけなく、軽い調子で言ってみる。
ギルは大きくため息をついたが、じゃあそれでと言って、宿屋の女性に部屋を頼み、部屋まで案内してもらった。
二人で部屋に入り、そして、その部屋がわりと広い部屋であることに、ほっとする。
しかしながら、扉のしまった部屋は、異常なほど、静かだった。
「ったく……ずいぶんと信頼してくれてることだよ」
「ギルなら大丈夫だと思ってね。私に対して、そんな興味を持ち合わせてないでしょ」
自分の言葉に自分で傷つきながらも、わざと明るくふるまって、そう言い放つ。
「……んなわけねえのに」
小さく、小さくつぶやかれた青年の言葉は、少女には届かない。
そのあと二人は、各々湯あみに行ったり、それぞれが思い思いに過ごして、そして二人とも部屋にまた戻ってきた。
「私はベッドを使うわよ」
「俺がベッド使えるわけねえだろうが。一応お前が王女だからな」
そういってギルはソファへ寝ころび、レンティシアは長い金髪を二つに結ってから、ベッドにもぐりこむ。
明かりを消した部屋は、月明かりだけが、唯一この部屋にある光だった。
「王は、必要なのね」
二人が横になってしばらくしてから、ぽつりと、レンティシアがつぶやく。
「ああ。外の世界は、王がいても、揺れる」
「王がいなければ、尚更?」
「そうだな」
ソファとベッドの距離は、人が一人寝そべれるほどの距離。
それでも夜の闇の中で、会話をすれば、もっと近くにいるような錯覚に陥る。
「私……誰かを殺したことはあっても、誰かを守ったことは、なかったわ」
昨日のできごとを思い返す。
今までは、自分を狙う刺客を返り討ちにするぐらいのものだった。
しかしながら、昨日は、襲われていた一家族のために、剣を振るった。
「その剣で守ったことがなくても、お前は十分、人を守ってたよ」
静寂の中、聞こえてくるギルの声がひどく優しくて、レンティシアは混乱する。
本当だろうか。
本当に、レンティシアは、人を守ることができているのだろうか。
「女王になれ。そして、守れよ。お前が守りたいと思うもの全部。そうすれば、お前の身は俺が守ってやるから」
戸惑いが伝わったのか、レンティシアの背中を押すように、ギルが少しだけ、声の音量を上げて、はっきりと言い放つ。
その真剣な声が、レンティシアの胸を打つ。
「ありがとう。私は、守るわ。だから、ギルは、私を守ってね」
「まあ、ただ守られるような弱いお姫様でもないけどな」
さきほどまでの真剣さを取り払って、軽い調子で、ギルが笑う声がした。
今はまだこれでいい。
レンティシアは、ゆっくりとまぶたを閉じる。
夜は、こうして更けていく。