王女は一人の少女として立ち
馬二頭が、さっそうと森の中を駆け抜ける。
長い金髪を高い位置で結った少女は、細身の剣を腰に下げており、騎士の青年の方は、剣を二本、腰から下げていた。
青年の馬が少女の乗る馬の後に続くような形で、斜めに並んで二騎は走っていた。
走っているうちに、二人は、森の中でも少し開けた、泉にまでたどり着いた。
「一回、休憩」
少女がそういって、馬を止める。
青年はそれに合わせて、馬を止め、すばやく降りる。
「手伝いましょうか?」
青年が少女に駆け寄るが、少女は首を振って、軽やかな身のこなしで馬から降りた。
そして、なぜかおこったような表情で青年を見る。
「ミオ・シュトレリッツとして、命令。敬語はなし!」
「……ガキかよ」
あきれたようにいう青年に、少女は怒るでもなくにっこりと笑って見せた。
「あと、レンティシアって呼んで」
「お前なんかお前で十分だ」
「ギルのばか。呼んでくれたっていいのに」
むっとしたように頬を含ませる仕草は、あと一か月後に十八になる少女とは思えないような、幼いものだった。
「気が向けば、な」
レンティシアの様子に、ふっと笑ってから、ギルは馬を木につなぐ。
レンティシアもそれにならって、器用にやってのけた。
ギルは、その様子をみて、ため息をついてから、泉のほうへと足を運ぶ。
持っていた水筒代わりの皮袋を手に取り、それで泉から水をすくった。そして、ずいとレンティシアに向かって突き出した。
「飲め。のど、かわいてるだろ?」
突き出された皮袋を、受け取って、それに口をつける。
ギルの表情が、とてもやさしいもので、レンティシアは、自分の心臓が高鳴っているのを感じる。
---幸せ、だわ。
シュトレリッツ王国の第一王女として、この恋は絶対に実らないと承知している。
一か月後の十八の誕生日は、そのまま即位式が行われる。
一人娘のレンティシアを残して、両親ともに亡くなってしまったからだ。流行病に、負けたのだ。レンティシアは、若干十八にして、女王という座を手にすることになった。
「はい。あげるわ」
自分が飲み終わってから、その皮袋に水を入れて、今度はギルに渡す。
「ありがと。時期女王様に水をもらえるなんて、光栄だな」
冗談めかして、ギルがいう。
レンティシアはそれに合わせていたずらっぽく笑う。
「それにしても……よく、許可が下りたな?」
水に口をつけながら、ぽつりとギルはつぶやいた。
その碧い瞳がこちらを見つめてきて、レンティシアはそれに見惚れてしまう。
「ノアと契約したの。それに、ギルが婚約者がいるってのも、ポイントだったんじゃない?」
「へえ……。そんなに俺と旅したかったのか?」
どこか試すように、それでていて、どこか怖がるように、ギルは問いかける。
「国を見たかったのよ。女王になる前に、自分自身の目で。あなただったら、幼馴染で、気安いし。あなただったら、私を無駄に甘やかさないでしょう?」
苦しい。
そのセリフが建前なのだと、誰よりも自分で理解しているから。
本当は、この幼馴染と、ただ、旅に出たかった。
女王になってしまう前に、一人の少女としての夢を、かなえたかったのだ。
「……それもそうだな。お前の婚約者は、ずいぶんとお前を大切にしてるからな」
その言葉に、どこか、切なさの色を感じるのは、レンティシアの気持ちが成す、幻想だろうか。
「ええ。申し訳ないくらい」
ぽつりとつぶやいた。
きっと聞こえているだろうに、ギルは返事をしなかった。
「ギルフォード・ストケシアに、もう一つ命ずる。ノアの話はなし、よ」
「罪悪感で心が痛むってか?」
軽い調子で言われたその言葉に、はっとして顔をあげる。
彼はどういう意味でいっているのだろうか。
「お前のお転婆に付き合わされてるんだからな」
その意味を考える前に、ギルがそっぽを向いて、言葉を付け足した。
レンティシアは大きくため息をついて、泉のほとりにすわりこんだ。
「……本当は、俺が、罪悪感を感じてるんだけどな」
少しギルから離れたレンティシアに、その言葉は届かない。
一人でつぶやき、風にその言葉が消えてから、青年は、そっと、少女の隣に腰を下ろす。
となりにギルが座った気配を感じて、レンティシアは、心が安らぐのを感じた。
「子爵家の爵位は、あなたが継ぐのよね?」
「ああ。長男だからな」
「騎士は、続けるの?」
何気なく、聞いてみる。
それでも、その答えを聞くのが怖い。叶うことはなくても、届くことはなくても、レンティシアは、ギルのそばにいたいと、彼にそばにいてほしいと思ってしまっている。
「続けるさ」
少し間をおいて返ってきたその言葉に、レンティシアは思わず喜びを隠せず、笑顔でギルのほうを見る。
ギルのその碧い瞳が、レンティシアの碧い瞳をとらえた。
吸い込まれそうな瞳。
その色は、シュトレリッツ王国では標準色であるというのに。
彼の瞳だけは、違う、気がした。
「お前の面倒、みてやんないとだからな」
「頼りにしてるわよ」
そういって、視線をそらす。
子爵家のギルは、時期女王になる、レンティシアの婚約者にはなりえなかった。
だからこそ、ノア・ヴェントスという、侯爵家長男が、レンティシアの夫になることになったのだ。
そしてヴェントス家自体は、次男が後を継ぐらしい。
「ん? 声が……!」
穏やかな時間を壊す、高い悲鳴。
レンティシアとギルは二人で目を合わせ、そうして、勢いよく立ち上がる。
馬にすばやく飛びのって、声の下方向へと馬を走らせた。
森がいくら静かとはいえど、声が届く距離であるから、馬では一瞬でついた。
馬車が賊に襲われている。
御者はすでに深手を負っている。
「おい、待て」
ギルの声を無視して、レンティシアはそのまま馬で突っ込み、騎乗から、一人を切り倒す。
少女の存在に気付いた賊が、二方向から彼女に斧をふりあげる。
その一つは少女の剣が、もう一つは、青年の剣が受け止め、そうして一瞬にしてはじかれて、あっけなく賊は二人の剣の前に倒れた。
賊が三人とも死んだのを確認してから、少女は馬を下りた。
「大丈夫?」
血を浴びたことも気にせずに、少女は馬車の中を覗き込み、微笑む。
馬車の中で震えていたのは、夫婦と、その両親だった。
馬車を覗き込んだのが、少女だと見て取って、そして、その服に返り血を浴びているのを見て、なんとか状況を飲み込んだらしい、男性が、口を開いた。
「助けてくださったんですか?」
「ええ。一応。この国を守るものとしては、ね」
ぎりぎり嘘にはならない言い方をすれば、勝手に騎士だと思ってくれたようだ。
シュトレリッツ王国で、女性騎士は珍しくない。
納得して、少し落ち着いた女性のほうが、問いかけてくる。
「おひとりで?」
「いいえ。もう一人、騎士がいるわ。今、御者さんを介護してる」
「あ、私も手伝います!」
男性がそういって、馬車から降りてくる。
男性を連れて、ギルのほうへ寄っていき、御者の様子を見る。
「大丈夫そう?」
「けっこう傷が深いから、次の町まで体力が保って、医者に診てもらえるかどうかが勝負だな」
そういいながらも、ギルは手慣れた様子で御者の手当てをしていく。
「何か手伝えることは?」
「彼を馬車に乗せても構いませんか?」
「もちろんです。私でも、馬車は操れますから」
「では、運ぶのを手伝ってもらえますか?」
ギルはてきぱきと指示を出して、男性を馬車の中に運びこんだ。
血まみれの御者を、女性は少し驚いた様子で見たが、それでも何も言わなかった。
「あの、お礼をさせていただきたいんですけれど、お二人はどちらに?」
御者を馬車の片側の座席に寝かせてから、男性が問う。
ギルとレンティシアは顔を見合わせた。
ギルはおそらくレンティシアの好きにさせてくれるだろう。
「私たちはフィリエ領の西町へ行く予定よ」
「ああ! それなら調度よかった! 私たちはフィリエ領の東町へ行くんです」
「途中まで同じね」
フィリエ領の東町は馬であと1時間、馬車であと2時間弱、東にいったところにある。
「では、我々が護衛いたしますので、向こうで宿を紹介してくれませんか?」
レンティシアがどうしようか考えていると、ギルが先に提案した。
「それなら、宿代を私たちが持ちますよ。実は私たちは、私の兄の経営する宿に行く所だったのです」
先ほどまで黙っていた女性の方がにこやかに言う。
レンティシアがそれを断りかけて、ギルに制されて黙る。
「ではそういうことで。お願いします」
「いえいえ。助けていただいたのはこちらですから」
「じゃあ彼の容態のこともあるので、急ぎましょう」
テキパキとギルがしきり、ギルとレンティシアが馬に、男性は馬車を操るためそちらに乗り、二騎と一台は走り出した。