アウロの欲しい物……
作者:Mr.あいう
全長100メートルをゆうに越え、階層も全てで4層。並みのホテルに勝るとも劣らない居住施設が内蔵され、乗員も百人単位を前提に作られている高機動魔導飛翔艦アストライア。
当然厨房もそれだけの乗組員の居る前提で設計されているため、小規模な宴会場のような広さの厨房には仕切りを取っ払ってしまえば象一頭が入りそうな巨大な冷蔵庫、通常の風呂桶5個分もの生簀(現在は水は入ってない)や、横になった人をこんがり焼くのに何の支障もないようなかまどが三つなど、正にここで作れない料理は無いと言っても過言ではないような品揃えである。
そんなだだっ広い厨房一杯に甘辛い香りを漂わせながらフライパンを揺らして難しい顔をしているアウロ。
横に置いてあった菜箸で器用にそれをつまんで口に入れると、ひどく深刻そうな顔で呟いた。
「…………ふぅ、む。ちょっと風味が足りないかねぇ」
そこには幾多の困難な注文を乗り越えた歴戦の料理人の姿があった。
「おお、ここに居たのかアウロ」
そんな甘辛い香りを目印にノイウェルがやってきた。
幼い艦長の登場に、少々驚きながらもアウロは厨房に幾つもある椅子の一つを手に持った菜箸で指す。
「おや、艦長さん。よく来たねぇ。ちょっと待っておくれ。もう少しでこれを火から下ろせるから」
「分かった。…………アウロ。これは?」
香りにつられてフライパンを覗き込んだノイウェルだったが、そのフライパンで炒められているどう見ても何かの眼球にしか見えないそれを目にしてしばし絶句した。
「ああ、これかい? 晩酌のお供にちょっとね……よし、出来た」
湯気を立てるそれを密封の出来るプラスチック製の容器にしまい、ご満悦そうな顔をするアウロ。
半透明の器から覗くそのギョロリとした何かは器に詰められることにより更に迫力を増した。
無意識に一歩距離を置きながら、恐る恐るといった様子で再び尋ねるノイウェル。
「あの、アウロ。それは…………一体誰から取ってきたのだ?」
きょとん、と。
完全に機能停止するアウロ。
腰が引けているノイウェルとの間に質量を持った沈黙がのしかかる。
その沈黙を破って、
「クホホホホホホ、ホーッホフフフ…………」
アウロが高らかに笑い出した。
「あ~、あ~そうか。確かにそう見えなくもないさね。しかし、誰から……ホホホ」
なおも笑い続けるアウロ。そのテンションついていけないノイウェルはもう一度良くそれを見て見ると。
「これは……キノコか?」
「そうさ。それはヒトノメヌメリタケっていってね。市場で安かったから自分用に買ってきたのさ。これは生えてるときはてっぺんに丸い黒ぽっちが付いてる白いキノコってだけでなんでもないんだが、熱を加えるとかさの部分が内側に丸まって丸くなる性質があるのさ。そうなるとその黒ぽっちの大きさがちょうど……」
「人の黒目のようになる、ということか……うむ、まだまだ余も未熟だ。この世界にこのような不思議なキノコがあったとは驚いた。それにしてもこの質感といい、滑りといい、名は体を現すといったところか」
そういってしげしげと容器の中のキノコを眺めるノイウェル。
目が合う(気がする)たびに顔をしかめているノイウェルに、ニヤニヤとアウロが尋ねる。
「食べてみるかい?」
「いいのか!? いただこう!」
目を輝かせて即答だった。
かなり乗り気なノイウェルにアウロは少々あてが外れたように苦笑いする。
(そういえばこの船長さんの好奇心は青天井だったねぇ……)
小皿にヒトノメヌメリダケをよそいながら、そんな事を思うアウロだった。
「なんと! このプリプリとした歯ごたえに噛む度ににじみ出る山菜の旨み、甘辛い味付けの中にもキチンとこのキノコ本来の風味が残っておる。相変わらずアウロの料理は美味しいな」
満面の笑みで眼球(にしか見えないキノコ)をフォークで突き刺し口に運ぶ美少年を、微笑ましく見つめている老女。第三者がやって来てこの光景を目にしたら卒倒しかねない絵である。
「ありがとね艦長さん。ところで、私を探していたようだけど、何か用事でもあったのかい?」
「ああ、そうだった。すっかり忘れておった。実はな、先刻の遺跡調査では皆ずいぶんと活躍してくれた。そのおかげで潤沢に資金が得られて、少々自由に使えるのだ。そこで、皆の労をねぎらうと言う意味でも皆に欲しい物を聞いて回っているのだ。まあ、いわばプレゼントだ。アウロ、何か欲しいものはあるか」
「そう、ねぇ。ちょっと待って」
そう言って、何やら食材の入った棚をごそごそとやっているアウロ。
「? 一体何をやっているのだ」
「いや、なにか足りなくなっている調味料は無いかと思ってね」
そんな答えに、幼い艦長はかぶりを振った。
「いや、そんな些細なものではなく、アウロが純粋に欲しい物を言ってくれて構わないのだぞ? むしろ言ってくれねば余が困る。仲間の望みを最大限叶えるのが艦長としての余の勤めだからな」
「……そうねえ、この歳になってからはすっかり欲が無くなってしまったからねぇ。ここに居りゃあ衣食住は足りてるし、今更貯蓄しても使う前にお迎えがきちゃあ世話が無い…………そうだ。一つだけ欲しい物があったさね」
「そうか、して、欲しい物と言うのは?」
なにやら黒い笑顔を浮かべているアウロ。
「酒さ、食材に関してはリリナさんは私に一任してくれるんだが、生憎酒に関しては恨みでもあるかのように財布の紐が硬くてね。私も料理酒って名目で会計監査をくぐり抜けちゃあいるんだがね。そうすると今度はあんまり高価な銘柄は買えないんで困ってたのさ。でも、艦長さんからのプレゼントって形なら、あのメイドさんも何も言えないでしょう。ホホホ……」
含み笑いをしているアウロに、なにやら難しそうな表情を浮かべて首を傾げるノイウェル。
「ふぅむ、酒か。リリナは良く『あんなものは飲み物ではありません。毒です。即効性の毒です。この私がノイウェル様より先に寝入ってしまうとは……』と申しておったが、しかしレリオやスキンクは好んで飲んでおる。ああも極端に意見が分かれるその『酒』なる飲み物は一体どのようなものなのだ?」
純粋な疑問の表情を浮かべるノイウェル。
アウロの表情が徐々に悪巧みを愉しむそれへと変わっていく。
「ホホ、艦長さん。お酒に興味があるのかい? 実体験を伴わずに善悪を断ずるなんて無理な話さね。……おや、ちょうどこんな所に私が隠してる名酒『風雷坊』が。どうだい、一杯。悪を飲み下してからでないと真に正義を理解する事は出来ない。これ、アウロ婆さんの知恵袋さ」
そういってまた何処から取り出したかグラスに並々と酒を注ぐアウロ。
元が好奇心で一杯なノイウェルがそう言われて引き下がるはずも無く。
「確かにアウロの言う事にも一理ある。そうだな、一度口にして見れば、リリナが正しいのか、それとも他の乗組員が正しいのかはっきりする。何事も経験だ」
そう言って、その端正な唇にグラスを近づけていくノイウェル。
その様子を眺めるアウロは、さながらイブに知恵の実を食べるようそそのかした蛇の如く。
が、そのグラスが触れるか触れないかの瀬戸際。突如扉の向こうから地鳴りが響いたかと思うと、扉が蹴破られた。と、同時に二本のナイフが閃く。
鋭利な刃は一つは持っているノイウェルを傷つけることなくグラスを両断。もう一つは正確にアウロの首筋を狙っていた。
隠す気も無い尋常ではない殺気に気づいたアウロが避けなければ間違いなく必殺の一撃となっていたであろう攻撃。
扉の残骸に立つはメイド服を見に纏う修羅。立ち上る殺気もそのままに焦点の合わない目を血走らせたリリナが叫ぶ。
「貴様とは何時か敵対すると思っていたが、アウロ。よもや純真なノイウェル様を誑かし、あまつさえ毒を盛ろうとは! わが主を汚そうとした狼藉、その血を持って贖え!」
もはやキャラなど様々なものが崩壊したリリナが今までない迫力を持ってしてアウロに襲い掛かる。
「ち、違うぞリリナ。これは余が望んでやったことでだな……」
オーバーヒートしたリリナにはノイウェルの声さえ届かず、これが後にアストライア内で『第一次メイド料理長戦争』と呼ばれる事となるのは、また別の話。