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ハウエンツァの欲しい物?

執筆者:ういいち

 白亜に輝く超大な剣。雄大な蒼穹を縦横無尽に突き進み、棚引く雲海を吹き散らす雄々しきそれは、星辰を切り裂く剛剣である。

 今は遠き3000年の昔、ギリシャ神話と呼ばれた神々の系譜にその名は連なる。絶対的な力と権威を振るう神族の王ゼウスと、法や掟を司る戒律の女神テミスとの間に生まれた娘。秩序、正義、平和の体現であるホーライ三女神の一柱で、正義の神格化ディケー女神と同一視された公正なる見守り手。

 地上を次々と去る神々の中、最後まで世界に留まり人間達に正義を説き続けた唯一の女神。しかし堕落し欲望に染まった人類へ失望し、最後には天へ昇って輝く星になったとされる。それ故に「星乙女アストライア」とも呼ばれる存在。

 輝ける惑星の明光を示す女神の名と、正義の執行者たる剣の姿を有した巨艦。高機動魔導飛翔艦アストライアは今、自由奔放な冒険者達の拠点として新たな時代を駆け抜けている。

 その全運用を統べ、艦内への円滑なエネルギー供給を行う心臓部、機関動力部は艦後方の第二層区に存在した。剣に見立てられるアストライアに於いては握りグリップへ相当する部位に位置付き、居住区の下層へ置かれた研究セクションとは地続きの構造である。

 艦内の全機能を賄う最重要区域である為、入り口は非常に堅牢な扉で閉ざされていた。通路全体を塞ぐ形で設置されている扉は、白を基調としていながら何の意匠もなく、無骨で重々しい。全容に近寄り難い雰囲気があり、見ているだけで圧迫感を覚える。何人の侵入をも拒む断固とした意思と、物言わぬ迫力とが感じられた。

 それを正面に据え、ノイウェルは一人通廊に立つ。巨大な鋼鉄扉を見上げ、一度大きく息を吸った。

「開門」

 毅然とした態度で少年は告げる。放たれた一声は無音の空間へと広がり、静寂の海に吸い込まれていった。

 数秒後、微かな駆動音を放ち、巨大な隔壁が動き始める。分厚い特殊鋼の扉は中程から分離して、上下へと個別に進んだ。けして遅くはなく、寧ろ高速と言える動きで天井と床に素早く収納されていく。隔壁の消失によって道が開けると、数メートル先に新たな扉が確認出来た。然して広くもない通路に立ち塞がり、奥への道を完全に塞いで護る。

 だが機械的な反応音が小さく唸り出すと、鉄壁の護りはいとも容易く開放を迎えた。隙間なく通路を埋めていた白の扉が、規定のコースを淀みなく滑り左右へと進む。乾いた空気を震わせながら、鋼鉄の扉は数える間もなく両壁に飲み込まれた。後には開けた道だけが伸び、障害物の痕跡さえ見られない。

 二つの隔壁が消えた先へ通路は続く。上下四方を無機的な鋼材で固められた物寂しい道だ。同じ作りの空間が延々と続き、変化といえるものは何もない。天井に設けられた埋め込み式の照明が、煌々と照らす世界は白亜。他の場所と違い、この通廊だけは品位や安定した美しさに欠けている。余計な物を排した冷たさと抜き身の機能だけが全てだった。

 ノイウェルはその道を奥へと向かい歩いていく。頭の上には例の如く緑色のプルプルしたモノ、プルルが鎮座する。一人と一匹の行進を妨げる物はない。しかし彩る物とて一つとない。ただ無味で空虚な空間が、深遠への道標であるかの如く続くばかり。

 変化のない世界を進んでいると、時間の感覚が分からなくなるのはままあること。最初のうちは体感時間を正確に認識していても、同じ風景内で同じ動きを繰り返すと流石に判別がつかなくなってくる。数秒か、数分か、数時間か。自分はいったいどれだけの時間を過ごしているのか。頭の中は緩やかに混乱し、理解力が錆付いてしまう。

 こうした現象は少年艦長へも平等に起こっており、自分の踏んだ距離と費やした時間とが、等分に捉えられなくなっていた。あたかも詐欺師に騙された被害者のような気分を味わってしまう。

 そんな言い知れぬ不安感と酩酊感に似た困惑を抱えながら進んでいた折、唐突に世界が開けた。正確には当初から開放空間自体は存在していたのだが、麻痺した感覚と狭窄きょうさくした視野に邪魔され、通路を進む者は認識と理解が出来なくなっていたのである。

 ノイウェルが踏み入った領域は広大。白く染まる堅固な鋼材で作られた壁は左右に遠く、前後に長い。見上げれば天井までの距離も飛び跳ねて届くものではなく、磨かれた床は地平までとはいかなくとも彼方へ伸びる。かなり大規模な空間が確保されているらしく、今まで通ってきた通路との落差に眩暈に似た症状を覚えるほどだ。

 奥行きを持つ世界は、一切が歪み無く完璧な平面で作り上げられていた。それでいて等間隔を空け、何本もの柱が立ち並ぶ。太く巨大な白柱は天蓋へ達するまで突き立ち、整然と領域を埋める。傍近くに立って耳を澄ませば、柱の内部から小さな電子音ないしは機材の稼動音が聞こえただろう。

 空間全体の在り様は、印象として神殿に近い。荘厳な空気と燦然たる風姿は、神聖なる天主の御座に通じるものがあった。とは言っても神秘性や王君の威厳が湛えられるというわけではなく、人智の及ばぬ遠大さこそそれであるが、本質に照らしてみれば理解出来からざる「何だか凄い」という感覚に帰結する。超越的な神々しさを読み取れないのは、やはり人の手によって造られたが故の地遊感に因る。悪い意味ではなく、得体の知れなさが若干量薄いという観点から、親しみは易い。

 かような領域の最深部は、ある一定の区画から、壁や天井を構成している材質が変化する。というか、形状がまったく異なる物に変わってしまう。

 長くのたくった管の群だ。太さの異なる大小無数のパイプやコードが、複雑に入り組んで床を埋め尽くしていた。壁や天井に至るまで配管配線が覆い、安定した平面部など存在しない。足の踏み場すらない密集状態である。しかもそれら無数のパイプ類は、一つの例外もなく全てが動いていた。無機物でありながら肉感的な蠕動を繰り返し、血管のように力強く脈打つ。

 数百或いは数千に及ぶだろう数え切れない程のパイプ、コード、チューブが犇く様は、まるで途方もない数の蚯蚓が群れているか、多種多様な蛇が絡まりざわめいているようだった。それは生々しく重苦しい空気を作り、眩暈と吐き気を催す。心の弱い者が目の当たりにすれば、卒倒してしまうだろう。

 膨大な量のパイプ群が、チューブの束が、コードの集合体が、床から天井から壁面から全体へ覆い被さり、苔か蔓の如く埋め尽くす場所。怪物の体内に迷い込んだなら、このような環境が待ち受けているのかもしれない。おぞましい世界だ。狂的でさえある。魔導艦の中とは思えない。

 そここそが脈打つラインの集約点だった。生物的な管線が全方位から集合し、空間の最深部域が一点で絡まり合っている。しかし存在するのはそれだけでない。蠢くパイプの群に囲まれて屹立する巨大な物体を、ノイウェルは見た。

 濃い紫色の結晶体だ。人の倍は大きく、同様に重量感も溢れている。側面は綺麗に削られ、僅かな取っ掛かりもない完成された平面。全周を見ると六角形であり、頭頂は山形、全体が妖しくも美しい輝きを放つ。

 その巨大な結晶体は無数のパイプやコードに連結され、この空間の王者が如く君臨していた。アストライアの全てを支える魔導機関だ。

 ノイウェルの求める人物は、その正面にに胡坐を掻いて座っている。まとまりなく垂らされた銅線色の髪には油じみた汚艶が光り、よれた白衣の背へと流れていた。髪から突き出た笹穂型の長い耳が彼人の種族的特徴を教える。周囲へ煙草の吸殻が無数に散っていて、場の雰囲気を問答無用で破壊しているのが何とも言えない。

「ハウエンツァよ、此処に居たのか。捜したぞ」

 ノイウェルは白衣の背へと近付きながら声を掛ける。これに対して床へ直座りしていたエルフの研究者は、肩越しに目付きの悪い双眸を突き込んできた。

「あんだぁ? おい、クソガキ。誰の許しを得て此処に入ってきてんだコラ。低脳な凡人が居ていい場所じゃねぇぞ」

 居丈高に暴言を吐きつけて、ハウエンツァはさっさと正面へと向き直る。煙草を口に咥え、口端から紫煙を吹かしながら、視線は眼前へと戻っていった。

 彼は自前のモバイルパソコンを起動させ、座標検出システムによって三次元空間上に立体映像化されたホログラフィックキーボードを操作している。軽快な指捌きでキーを叩き付け、その度に出現しているモニターへ無数の英数字からなるプログラムが書き込まれた。

 しかしてモニターは一つきりでない。実体がない故に時と場所を選ばないホログラムモニターは、七つがハウエンツァを囲む形で空中に浮いている。対して研究者の手元に出力されたキーボードは三つ。ハウエンツァはこれを巧みに使い分け、七つのモニターへ異なる図式やプログラム言語を、ほぼ同時進行で高速入力していた。

 それらは構築された端から、超小型モバイルパソコンから伸びた一本のコードを伝い、直結する結晶体へ流れ込んでいく。

「話したいことがあるのだがな」

「ぷるー」

 汚れっ放しの白衣や、洗っているとは思えない不潔感丸出しの髪を見ながら、ノイウェルは話し続ける。頭上のプルルも意味があるのかないのか、よく分からない鳴き声で空気を震わす。

「俺様は忙しいんだよボケが。テメェと遊んでる暇ァねーんだ。オママゴトがしたけりゃ、お抱えのクソメイドか、そのゼリーダンゴと絡んでろガキ」

 今度はもう振り返らず、エルフ技官は雑言だけで応じた。が、相変わらず口汚く相手を罵りながらも、しっかり応対している部分にまだ余裕が見られる。

 本当に忙しい時は、接近者を一切無視して作業に没入するのがハウエンツァの姿勢だった。それを知っているノイウェルは、構わずに言葉を繋いだ。

「現在、余は仲間達の欲する品を聞いて回っている。そこで、そなたにも一つ聞きたいことがあるのだがな」

「ぷるる」

「だが勘違いされてもらっては困るぞ。余は、そなたの欲しい物を聞きにきたわけではない」

「テメェ、なんだそれはよぉ。俺様だけハブろうってのか、あァ? 随分とよろしいゴキョーイクを受けてるようでぇ~。流石は脳腐れ共の猿山大将サマだなぁ、えぇオイ!」

 ハウエンツァは各種モニターを注視し、十指を凄まじい速度で動かしながら怒声を張る。声の勢いに押されたのか燃焼の進んだ煙草先から、崩れた灰が床へと落ちた。

 けれどノイウェルは動じない。それどころか顔付きを険しくし、白衣の背へ非難の声を浴びせる。

「何を言うか。皆の協力で得た報酬だというのに、勝手に1千万イェンを奪い使ってしまったのはそなたであろう。必要であったとしても、まずは皆に話を通すのが筋ではないか」

「うるせぇ、バカ野郎ッ! 俺様が開発した数々の超発明品がなけりゃ、テメェ等全員魔物のエサになって今頃は消化不良のクソ化で肥溜めに積まれてんだ。頭の足りねぇボンクラ共の塵にも劣る命を救い、金の入手を決定付けた今回最大の功労者は俺様以外にありえねぇだろうが! その俺様が、自身の稼ぎを使って何が悪い。当然の権利だ。テメェ等にこそ、俺様の金を我が物顔で使おうたぁどういう了見なんだ、ゴラァッ!」

「な、なんという自分勝手な……リリナは我侭を言わんが、そなたは我侭しか言わんのか」

「ぷる~」

 豪快に唾を撒き散らすハウエンツァの剣幕より、その身勝手極まりない横暴な理論にノイウェルは肩を竦めた。重たい溜息を吐き、なんとも言えない面持ちで脱力してしまう。少年に合わせてプルルも空気の抜けたような息を吐き、緑の体を所在なく垂れさせる。

 恥じ入るという事を知らない自称天才科学者は、鼻息も荒くキーボードを叩き続けた。視線は依然として周囲のモニターへ固定したままだが、意識の方は何割かをノイウェルへ向けている。作業しながら普段通りの偏屈的過剰自意識を全開にさせる姿は、優美で瀟洒な一般的エルフのイメージとは対照的だ。有体に言えば掛け離れている。特定種に独自の幻想を抱く人々にとって、非常に嘆かわしく信じ難い現実を容赦なく放擲していた。

「そなたに大きく助けられたのも事実だ。しかし、皆の活躍があったことも忘れてはならん。そなたの道具は優秀であるが、その道具とて使う者がいなければ意味を成すまい? 自分一人の戦果だと思うのは勝手に過ぎるというものだ」

 腕を組み、神妙な顔でノイウェルは語る。

 年端もいかない少年に正論で諭されようと、三十代のエルフは意に介していないが。とことん図太い神経の持ち主である。ある意味で、これも才能なのかもしれない。

「既に使ってしまった金銭は仕方ない。今回は余が皆に話をつけよう。但し、以後はこのような無法を慎むがよい。例え余が許しても、皆が等しくそうするとは限らぬのだからな」

「うるせぇクソガキ、何様だテメェはボケ。最初はなからこの艦に乗ってる腐乱脳髄冒険バカの許しなんざ、超天才たる俺様には必要ねぇんだよ。テメェ等アホのドミノ倒し共こそが、這い蹲って俺様を崇め奉り、靴を舐めてでも求めを請うのが道理だろォが!」

 紫煙を吹かしつつの声高な叫びが、アストライア深部の動力区に響き渡った。言い終わるが早いか、ハウエンツァは咥えていた煙草を痰諸共に吐き捨てて、懐から新たな一本を取り出し口の端へ挟み込む。次には「ヒ」の一言で先端に火を灯し、新たな煙を胸いっぱいに吸い込んだ。

「ったく、この艦にゃロクな奴が乗ってねぇ。勘違い野郎のクソガキに、腰巾着のクソメイド。掃除かぶれの男女に、胸糞悪くなる化け物野郎。根暗メスガキもいれば、殺人料理を振舞うアホアマだ。鳥のなりそこないババァと、パツキンぶりっ子ときて、マヌケなM男、とどめが頭の足りねぇメカ女とくる。よくもまぁこんだけ変態共を集めたもんだ。俺様だけが唯一マトモとくりゃ、情けなくて泣けてくらぁな」

 自分を棚に上げまくり、憤然とアストライアメンバーを扱き下ろす。そんなハウエンツァの後姿に怒気さえ越えて呆れの視線を送りながら、ノイウェルは力なく頭を振った。

 最初から分かっていたことではあるが、彼との間でこの手の話は成立しない。価値観というか認識というか、そういった一般的目線が欠落しているハウエンツァを相手取っては、全てが平行線に終始する。どれだけ舌戦を繰り広げても、後には徒労感しか残らない。まともに取り合うだけ無駄だという諦めの境地に至りながら、ノイウェルは早々に意識と話題を変えにいった。学者エルフが誰よりも卓越したその真価を発揮する方面へと。

「今回そなたに会いに来たのは、アストライアのことで聞きたかったからだ。一度、本格的に艦を調べ、幾つか手直しせねばならぬなら実行したいと思うのだが」

「テメェのごときマイクロ脳味噌が考えるようなこたぁなぁ、とっくの昔に俺様が閃いてんだよ。大腸菌程度の価値すらねぇ貴様等ドクズが冒険だなんだと遊び呆けてる間に、俺様は額に汗して働いてんだ腐れチビ」

 絶え間ない罵声を吐き出しがてら、ハウエンツァはキーの一つを叩く。それと同時にノイウェルの面前へホログラムモニターが出現し、幾つもの文字と数字を映し上げる。

「これはなんだ? 外部装甲強化……推進器向上……環境システム改善……艦内セキュリティ見直し……魔導機関調整……武装修復……最終メンテナンス項目……しめて3784600000イェン!?」

 モニター内に示された膨大な金額を見て、ノイウェルは驚きの声を上げた。それがあまりに頓狂で大きかったため、驚いたプルルは弾かれたように飛び上がり床へと落ちてしまう。

「ぷる~」

 目を回している緑ゼリーに気付かないほどの動揺に襲われ、ノイウェルはハウンエンツァを見た。

「なんなのだ、コレは!?」

「テメェの欲しがってた情報だろォが。俺様が必要だと思う箇所を全てピックアップしておいてやった。感謝しろ、そして毎朝俺様への祈りを忘れるな」

「こ、こんなにあちこち不具合があるのか?」

 ハウエンツァの物言いにも反応が出来ないまま、ノイウェルは再度モニターを見遣る。記されている文言は一部を除いて、どれもが艦の運行に関わってくるものだ。これだけの問題点があるまま空を飛び回っていたと思うと、今更ながらにゾッとする。

「はぁ~? なわけねぇーだろぉがボケ。使い物にならねぇのは武装だけだっつぅの。他の部分はヴァージョンアップポイントだ。俺様がより素晴らしいスペシャルな性能に作り変えてやるってんだ! ウヒョーッ、超天才の俺様ウルトラ優っしいぃぃー!」

 両手を上げて奇声を上げる男エルフを呆然と眺めるノイウェルは、暫し思考停止に陥っていた。与えられた情報が何を意味するか改めて考えながら、必死に乱れた精神状態を整えていく。

 その最中でプルルは床を勢い良く跳ね付けて、少年の肩へ乗った。そこからもう一跳びして頭への移動を終える。この頃になって漸くノイウェルはまともな思考回路を復帰させた。

「つまり、武装以外は別段異常はないということか?」

「んな当然のことを、テメェはいちいち説明されねぇと分からねぇのか? まったくこれだから低劣で愚鈍な猿の出来損ないはイヤだってんだよ。ま、それが貴様等凡人がクソたる所以であり、俺様が崇高な超天才という動かし難い事実の証明なんだろうがな」

 口汚い言葉尻に嘲笑を交え、ハウエンツァはキーボード操作に戻る。幾多のキーを次々に打ち据えつつ、まだ言い足りないのか罵詈雑言を垂れ流していた。

 独り言にしては大きすぎるエルフの呟きを聞き流して、ノイウェルはホッと胸を撫で下ろす。先刻、恐怖の伴う絶望感を味わったばかりである。問題らしい問題もないという事実に心から安堵していた。ハウエンツァの提示した紛らわしい情報への怒りさえ、浮かんでこぬほどには喜びを覚える。

「急ぎ直さねばならぬ箇所がないのなら、それでよい。各種の向上計画は、資金面から見ても見送りが妥当だろう」

「バカが! 俺様の華麗なアストライア改造計画の為に、テメェ等ノータリン共が血反吐を吐いて馬車馬の如く働くに決まってんだろうが! これから一月の内に10億は稼いでこい。これが最低ノルマだ、分かってんのか!」

「当分は武装とて必要あるまい。のぉ、プルルよ」

「ぷるー」

 ハウエンツァの妄言を華麗にスルーして、ノイウェルは頭上のプルルへ笑いかける。緑色ゼリー気質の謎生命体は全身を左右へ揺すり、肯定と思われる返声を送ってきた。

 自分の話をこれみよがしに聞き流して話を終了させんとする少年艦長へ、自称天才は盛大な舌打ちを鳴らす。だが次には口角を上弦の形に吊り、大変に人の悪い笑みを浮かべてキーを叩いた。ハウエンツァの操作によって、ノイウェルの眼前に出現しているモニターの映像が切り替わる。

「む、これはなんだ?」

「ぷるー?」

 ノイウェルとプルルが目聡く変化を知り、揃って小首を傾げた。新たに現れたモニター内のそれは、一つの動画である。

 なにか巨大な物体が凄まじい速度で空をはしっていく。全体のシルエットや雰囲気は、魔導艦の類ではない。続いて画面が切り替わり、何処かの都市を高台から撮ったような映像が出た。周囲の明るさから見て、時間帯は真昼頃だろう。豊かそうな街だ。背の高い建築物が立ち並び、最も高い塔の頂上は巨大な時計となっている。現在の建築様式と異なることから、昔の都市映像だと思われた。終末戦争以前のものにしては画像が鮮明なので、もう少し後の時代だろうか。

 それが突然、厚い黒に覆われ視界が沈んだ。何も音は聞こえない。一分に満たない時間が過ぎ、画面は元の明るさを取り戻す。だが、そこに先まで移っていた街はなかった。撮影箇所の位置が変わっている訳ではないらしい。遠くに見える丘陵や、近くの岩場の感じは同じである。それなのに、都市だけが忽然と消えていた。というより、徹底的に破壊されていた。

 街並みの全てが瓦礫と化し、方々から黒煙が上がっている。激しい火の手も其処彼処に見え、長大な建造物はどれ一つとして残っていない。一際目を引いた時計塔も完全に破壊し尽くされ、同じ位置に基底部が辛うじて確認出来る程度だ。後は全てが粉々に粉砕され、原型を留めない凄惨な有様で大地を埋める。

 映像はそこで終わった。

「今のは1500年ぐらい前、西大陸グレゴリウムにあった都市らしい。俺様がシュヴァルトライテ時代に集めた記録映像の一つでな、例のアレを映した貴重なフィルムなんだぜ」

 ニタニタと不気味な笑みを浮かべ、自慢げに語るハウエンツァ。その後ろ姿を、ノイウェルとプルルはモニターから視線を外して眺め見る。

「アレとは、なんなのだ? この街は、どうしてしまったのだ?」

「ぷるる~」

 両者が放つ好奇の視線を背中に感じ、エルフの科学者は舌を舐めずる。そうかと思えば無精髭だらけで頬のこけた、怪しい悪人にしか見えない凶貌を振り向かせた。最初のように肩越しに一人と一匹を睨み据え、陰惨で残忍な笑みを刻む。

「終末戦争が生んだ、最強にして最大、最優にして最悪の兵器だ。僅か7日で世界の半分を焼き尽くしたっつぅ化け物の中の化け物。あらゆる魔物の頂点に君臨する究極の闘神。暗黒魔翼、混沌の導き手、果断なる殺戮皇、運命の破壊者、人類殺し、滅竜帝、幾つもの名前で伝説に謳われる悪夢の具現。それが『古煌龍ティアマット』なのよ」

「これが、古煌龍ティアマット?」

「ぷるるる~」

 ノイウェルはアルハルト皇国に居た頃、広大な世界への冒険を夢見て幾つもの書籍を読み漁っていた。その中、特に大きな戦の模様を描いた作品には必ずといっていいほど、彼の悪名が綴られていた。

 描写こそ様々であったが、一貫して人を遥かに超えて巨大。風よりも速く、火山よりも苛烈。津波以上に容赦なく、地震の如く逃げられない。咆哮は雷鳴の嘶き、吐き出す炎は百億の魔法に勝り、身の硬きこと太古の戦艦とて比肩なし。降臨と共に破壊を招き、全ての命を奪い尽くすこと呼吸するに等しい。世界の全てを敵に回して尚、悠然と勝利を踏み、敗者の証は此の世からの必滅にのみ。

 即ち、人には勝つ術がないというのだ。

 ノイウェルはこれを単なる伝説か、そうでなければ御伽噺の類かと思っていた。しかしハウエンツァの言葉と開示した映像は、その実在を指摘している。大きな衝撃であった。プルルをして、映像のみで激しく身震いさせるほどである。

「都市を一つ丸々包んじまう、これが奴の影だ。どんだけデカイと思う? しかも数十秒でこの規模の街をここまでブッ壊すアホらしい性能だぜ。この化け物は、ここ数百年ばかりまったく噂を聞きゃしねぇがな、今も世界の何処かに居やがるのさ。今は寝てるのかどうか知らねぇが、くたばっちゃいねぇ筈だぜ。誰かがブッ殺しゃ、どうしたって話題になるからな。だから明日にも活動を再開するかもしれねぇ。そうなったら、おいガキ、どうするつもりだ? 尻尾巻いて逃げるのか? それとも根性出して戦うのか?」

「そんなことを、余に聞かれても……」

「仮にこの化け物が暴れだしたとして、まともに戦えるのはアストライアだけだと俺様は思うがな」

 口角を斜めに吊り上げ、ハウエンツァは白衣の肩を上下させる。心底可笑しそうに笑っていた。

「何故だ?」

「考えてもみろよ、この艦は戦争末期に造られて保管されてたんだぜ? その時分に世界を壊しまくってたのは、あのクソドラゴン様だろォが。つまりアストライアは、化け物の王様を仕留める為に造られたと、そう分析した方が自然じゃねぇか」

「……」

 ノイウェルは何も言い返せない。難しい顔をして俯いてしまった。何事か考えているのか。頭上のプルルも心配そうにやや萎んで見える。

 その姿を見ながらハウエンツァはほくそ笑んだ。「ガキは単純でイイ」そう内心で嘲笑い、キーボードを叩き始める。

 実際のところ古煌龍ティアマットとアストライアの関係性など分からない。というか、本当に最強の魔物を倒す目的で白亜の巨艦が造られたのなら、実戦投入されずに保管されていたのはおかしい。そこにどのような事情があったかなど知る術もない今となっては、何とも言えないところではあるが。ただ現状から見て、双方に何がしかの関係があるとは思えないのが事実である。艦内の至る所を調べても、魔物云々という資料やデータはまったく出てこなかったのだし。

 魔物の王にしても、何時動き出すか知れないのは事実だが、これからも動かないことだって充分ある。こちらは不確定要素が大きすぎてどれもが予想の域を出ないが、気にしても仕方ないのでハウエンツァはまったく気にしていない。

 もし動いたとしても、アストライアで戦えるとは思ってなかったりする。何せ彼はアストライアの存在に対し、これほど軍艦らしくない内部構造から見て、空中移動型の退避シェルターではないかと考えている程なのだから。戦闘能力は近付く敵を撃滅し、艦内に収容した避難民を守護する為にあるだけで、積極的に戦う意図で設けられているものではないかもしれない。そう密やかに考察していた。

 ただ性根の捩れたエルフの科学者は、これら自分の考えを口にするつもりは皆無であった。適当な仮説でノイウェルを揺すり、アストライア改造計画へ乗り気にさせる。それが目的なのだ。ノイウェルは子供だが、アストライアメンバーに一定の発言力を持つ。彼が活動の主旨を定めれば、他の者達も大凡従うだろう。そうなれば、思う存分に自分が愉しめる。そういう目算、企みであった。

「クックックック、俺様はどっちでもいいがね。何事も備えあれば嬉しいな、とだけ言っておこう」

「そうであるな。考えておこう」

 ノイウェルは顔を上げて一言残し、ハウエンツァへと背を向けた。そこからは少々足早に離れていく。

 遠退く気配と足音を聞きながら、悪辣なエルフは悪人以外の何者でもない顔で笑っていた。



「ぷるる~」

「ハウエンツァの話と、以前に聞いたマリエ殿の予想とは食い違いが見える。マリエ殿は、この艦は元々戦艦ではないかもしれぬと言っておった。ハウエンツァ程の者が、その考えに至らぬとも思えん。それにあれだけ押してくるのが、ますますもって怪しい。なので改造というのは当分棚上げだな」

「ぷるるー!」

 動力部を去りつつある少年艦長と緑ゼリー型魔力結晶体が、そんな会話をしていたなどハウエンツァには知る由もない。

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