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リリナの欲しい物

執筆者:ういいち

 一振りの剣と見える独特な形状を持つ魔導飛翔艦アストライア。それそのものが旧文明の遺産でもある高機動戦艦は、太古に行われた終末戦争の末期、決戦兵器として建造された最新鋭機である。速力や戦闘能力は言うに及ばず、乗組員に対する高度な居住保護・生存機能も特色の一つだ。

 艦内は高級ホテルさながらに格調高く、清廉な構造様式で以って整えられている。白を基調とした内部空間は、機能性と利便性への拘りから最高位の品質が求められ、戦闘艦らしい無骨さは皆無に近い。

長期に渡って乗船する乗組員へ配慮して、閉塞感や圧迫感を極力与えないよう設計されており、通路一つとっても広々としている。艦内に多数作られている個室に至っては、数人が共同で使っても無理なく生活出来るだけのスペースが確保されていた。

 全四層構造からなるアストライアに於いて、居住区は最上部の第一層区に位置する。白く長い廊下に連なる各個室は、個人で使うには些か広すぎる空間ながら、乗組員一人一人に私室として提供される。その中の一室に、艦長付きの護衛兼メイドであるリリナ・レイツェンは居た。

 彼女の部屋は非常に無機的で素っ気ない。壁や床は最初期のままであり、一切手が加えられていなかった。家財道具もテーブルと椅子、クローゼットと姿見、小型冷蔵庫と食器が少々、壁際に据え置かれたベッド、それだけである。華やかさは微塵もなく、年頃の女性の部屋とは思えないほど簡素で侘しい。彼女の淡白な気質が如実に表れている部屋だった。

 殺風景な領域で、リリナは常のメイド服を着たまま椅子に腰掛けている。彼女が向き合う先には、飾り気のないシンプルなテーブルが一つ。その卓上へ置かれるのは、大きさや刃渡りの異なる十数本のナイフ達であった。

 氷の仮面を思わせる無表情で、リリナはこれを黙々と磨いている。ただ刃のみを見詰め、一切顔色も変えず刀身を研ぎ澄ます姿からは、彼女が何を思っているかようとして知れない。

 だが彼女との付き合いが長い者であれば、自前のコレクションにして仕事道具でもある鋭利な刃達を磨き上げることが、元暗殺者である艦長護衛の趣味だと理解できただろう。

 リリナ自身が大きく動かない為に、室内の空気も変動がない。静謐な室内には彼女が手を動かす僅かな音が上がるだけで、無音に極めて近かった。そこへ軽いノックが起こす、硬質な振音が飛び込んでくる。

「リリナ、話がしたいのだがよいか?」

 閉ざされた扉の先から、細く幼いが元気のある声が聞こえた。

 自分の名を呼ぶ主君の言葉に、リリナは手を止めてナイフを机上へ置いて振り返る。

「ノイウェル様、どうぞお入り下さい」

 彼女が了承の意を告げると、白い扉がスライドして一人の少年が現れた。その頭の上には、緑色のプルプルした物体とも生物ともつかないモノが乗っている。

「それでは邪魔をする」

「ぷるー」

 言いながらノイウェルと緑色のプルプルしたモノが室内に踏み入ってきた。彼等が進むと扉は自動的に閉まり、再び内外を完全に隔てる。

「こちらに御掛け下さい。只今、飲み物を御容易致します」

 椅子から立ち上がるとリリナは対面側へ歩き、向かい席を引いてノイウェルに勧めた。少年艦長がゼリーのような得体のしれないプルプルを頭に乗せたまま、其処へ座るのを確認して冷蔵庫へ向かう。

「気遣いは無用だ。今はそなたも休みの時間であろう。別段に余の世話を焼く必要などないぞ」

「私も丁度、喉が渇いていましたので」

「ふむ、そうか。それでは馳走になろう」

「ぷるる~」

 リリナは開けた冷蔵庫の中からノイウェルの為に用意してあるジュースを取り出し、透明なコップ二つへ注いでいく。濃いオレンジ色の液体に満たされたコップを左右の手に持って、メイドは無駄のない動きでテーブルへと戻ってきた。

 ナイフの合間を縫ってノイウェルの前へ一つを置き、先まで自分の座っていた席へ腰掛ける。

 ノイウェルは眼前のコップを手に取り、よく冷えた飲料水を一口含んだ。喉を鳴らしてこれを飲むと、舌全体に広がった甘みが食道を滑り落ちて胃に満ちる。

 好む味わいに少年が顔を綻ばせる最中、頭上の緑はテーブルへと素早く飛び下りていた。艶のある小山状の体を震わせながら、プルルはナイフの合間を楽しげに跳ね回る。

 主君とそのペット(?)の動きを目で追った後、リリナは正面に座すノイウェルへ問いを投げた。

「それで、どのような御用件でしょうか?」

 変化のない無機的な面貌から送られる冷静な声に、少年はコップを置いて一度頷く。

「うむ。先だっての冒険で大きな収入が得られたのは周知の通りだ。これは皆の協力があったからこそ。そこで慰労と感謝の意味を込めて、各自が欲する物を提供しようと思うのだ。俗に言うプレゼントであるな」

「それは良い御考えですね。皆様も喜ばれることでしょう」

「おお、そうか。そうであったなら、余も嬉しいぞ」

「ぷるるー」

 表情こそ揺らがないが、好意的なリリナの肯定にノイウェルは笑みを浮かべる。これへ応じるようにプルルも嬉しそうに飛び跳ねていた。

「では、まず最初にリリナの欲しい物を教えてくれ。予算のことならば気にせずともよいぞ。魔導式原動機オートモービルの10台や20台を買っても釣りがくるほど潤沢であるからな」

「私のことは御気になさらず。ノイウェル様が求められる物を手に入れて下さいませ」

「そうはいかん。リリナにも大変助けられたのだ。働きに報いぬでは余の気が治まらぬ。なにより、リリナはもっと自分のことで我侭を言うべきだぞ」

 申し出の辞退を却下されて、リリナは目を瞬かせた。ノイウェルの言葉は彼女自身が考えてもみなかったことである。少々面食らった。しかしそれも一瞬のこと。冷淡な相貌は変わらない。

 生真面目な顔で見詰めてくるノイウェルを前に、沈思すること数秒。リリナは静かに頷きを返す。

「畏まりました。それでしたら、前の戦いで使えなくなったナイフの代わりを、新規に数本欲しく思います」

「ふむふむ。新しいナイフか」

「ぷる~?」

 ノイウェルは懐から手帳とペンを取り出して、述べられた注文を書き加えていく。その様子をプルルは卓上からつぶらな瞳で見上げている。

「デア・ダシックという職人が手掛けた品を希望します。彼女の鍛造品でデュランダル仕様のH―0型からJ―17型というタイプが求めるところ」

「なるほど。他には何か?」

「そうですね……新しいメイド服を20着ほど頂けないでしょうか。こちらはノイウェル様の見立てにお任せします」

「メイド服か、ふむ。何か特別な装飾や機能は必要か?」

「いいえ。汚れに強く動き易ければ問題ありません。特別に注文をつけるとするならば、ノイウェル様が御傍に置いて満足なされる品を御選び下さい」

「むむ、中々に難しいな。他はどうだ?」

「最後に少々高級なティーセットなど所望させて頂きます。こちらは食堂に据え置き、皆様が味わえるようにしたいと思いますので。私の求める物は以上で御座います」

 与えられた提言を余さず筆記して、ノイウェルは手帳を閉ざした。満足さと嬉しさが混在する笑顔を顔に乗せ、要求表を懐へと手早く収める。

「リリナの願いはしかと聞いた。必ず揃えて見せるぞ、安心してくれ」

「それには及びません。ノイウェル様が御買い物に向かわれる際は、当然私も同行致しますので」

「見損なってもらっては困るな。いい加減、余とて一人で買い物ぐらい出来るぞ。リリナはゆっくり休んでおるといい」

「そうは参りません。何処で何が起こるか分からない世の中で、ノイウェル様を御一人にさせるなどと、到底聞き入れられぬ話です。それに現実問題として、買った品々を運ぶ人手は必要でありましょう」

「む、うむぅ~」

「それだけだけではありません。何処で、何を、どのように買うのか、ノイウェル様御一人の手には余る事が多々かと。とかく私のナイフや、他の方が望まれるだろう消費分の補充弾薬などは、専門の知識を持たぬ者に選び出すのは難しいでしょう」

 難しい顔で思案に入るノイウェルへ、リリナは間髪入れず畳み掛ける。態度こそ慇懃だが、口にする言葉は有無を言わさぬ威圧感が宿っていた。

 現実を叩き付ける強硬な説得力で、主君の気勢を削ぐ心算が窺える。子供相手になんとも大人気ない限りであるが、そこに彼女の譲れない意志が見えるのも事実。どうあっても離れまいという決意の程が容易に知れた。

「なによりもノイウェル様はこのアストライアの艦長であり、皆様の指標であります。それを護り通すのが私の使命にして存在価値なのです。その職務を全うせず、のうのうと自分だけが艦内で休んでいることなど出来ません。そもそもそちらの方が気が休まらない。私に休めと言われるのでしたら、ノイウェル様の御傍に控える事を御許し願います」

「そなたの話は分かった。確かに余の認識が甘かったようだ。一人ではまだまだ出来ぬことが多い」

 己の信念を前面に推し立てて、淡々としながらも熱さを秘める言い分で攻めるリリナ。彼女が傍に立った当時からこれを言い下す術がなく、また決して退かぬ事を知る故に少年は自ら折れ、従者の同道を素直に認めた。

「御理解頂き嬉しく思います」

 これにリリナは恭しく頭を垂れる。

 普段は比較的他者を立て、自らは一歩退いて物事の推移を傍観している彼女であるが、ことノイウェルに関する問題には誰よりも積極的だ。平時とは対照的に極めて強引となり、冷めた表情と畏まった物言いのまま相手を圧倒する。誰が相手であってもだ。

 それだけ主君の存在に重きを置いているのだが、その忠誠ぶりは尋常でない。自らの意義の全てを懸けているというのは、けして物の例えでなく言葉通りの意味である。先の冒険で身を呈してノイウェルを庇ったように、彼が安全に進む為ならば我が身を厭わぬという姿勢が、強い依存或いは執着として皆にも知られていた。

 もしもアストライアメンバーの誰かが、明確な悪意を以ってノイウェルに危害を加えようとするならば、それが何者であれリリナは躊躇せず対象を抹殺するだろう。いかに苦楽を共にした仲間達、困難を越えて絆を深めた同志であろうと、ノイウェルの存在を引き合いに出したなら彼女の天秤は一瞬で主君へと傾ぐ。それがリリナ・レイツェンという存在の芯であるのだから。

「さて、それではそろそろ行こうと思う。他の者達にも話を聞かねばならぬからな」

「ぷるー」

 出されたジュースを飲み干して、ノイウェルは椅子を引いた。

 彼が立ち上がると、プルルも緑色の体を弾ませて飛び上がる。そのまま綺麗な弧を描き、蒼い髪に包まれた頭頂部へと軽やかに着地を決めた。最早ここが定位置であると自負するように、さも当然という顔で陣取っている。

 ノイウェルとしてもすっかり慣れたものだ。半透明のゼリー体は一枚の羽根が如く重さを持たず、それが為にまったく気にならないという事も要因としては大きい。

「では、私も御供致しましょう」

「よいよい。皆に会いに行くだけなのだから、そこまで気を回す必要はなかろう。この艦内は世界の何処より安全なのだ。何も心配する必要はあるまい。こればかりは譲らんぞ?」

 苦労の末に見付け出した自艦である。その性能、保安性に絶対の自信を滲ませて堂々と胸を張り、ノイウェルは誇らしげに口を開く。次いで悪戯っぽい笑みでリリナを見ると、人差し指を立ててメイドの動きを制した。

 その姿に微笑ましいものを見つつ、面上こそ変えないまま今度はリリナが身を引く。優美というにもあまりに色気ない、機能性のみを追求したという無駄のない所作で一礼し、浮かしかけた腰を再度椅子へと沈めた。

「左様で御座いますね。では、御言葉に甘えさせて頂きます」

「うむ。出された飲み物は美味であったぞ。馳走になったな、礼を言う」

「御喜び頂けましたなら幸いです」

 プルルを頭に乗せたままノイウェルはテーブルを迂回する。その姿を見送りながら、リリナの視線も同時に動く。

 程無く白地基調の自動扉に辿り着いた少年は、これの正面に立ってもう一度振り返った。

「そうそう、さっきの話であるがな。余は、どんな衣装を着ていようとも隣に立つのがリリナであるなら委細構わん。そなたが傍に居てくれるだけで、余は充分だぞ。だからどんなメイド服であろうと、あまり拘らぬ」

 それだけ告げると笑顔を残し、ノイウェルは開かれた扉を潜っていった。少年と頭上の緑が外に出るのを待って、機械仕掛けの扉は素早く閉じる。

 この一連の動きを、リリナはじっと見詰めていた。動く扉、去っていくノイウェルの後姿。確かにそれぞれを注視してはいる。しかしその実、彼女の紫瞳は何も映してはいない。視界に入る情報の一切を、脳が正常に理解していないのだ。別のことに処理能力の全てが傾き、しかもそれ自体が上手くいっていない。思考の歯車が雲に取って変わられたように、正常な動作を失っている。

 理由は簡単で、彼女の主たるノイウェルが去り際に残していった言葉が原因であった。

 リリナにとってノイウェルは尊き存在。護るべき主君。自らの支配者。命を懸けるに足る王者。即ち同じ目線になどありえない上位者で、ある種、神にも等しい崇敬の対象である。いかに年下で、長らく傍仕えをしていようとも、弟や我が子のように思うなど皆無であった。ましてや異性として意識したことなど絶無もいいところだ。

 そう、今までは。ノイウェルに仕えること早5年。その間、リリナは年若き主を忠実なる臣下の目線で捉えてきた。それが彼女にとっての常識であり、普通であり、日常であり、真実だった。

 それなのに、である。

 今し方の言葉を聞いた瞬間、鋭利な刃の如き思考回路は突如として桃色の霞が掛かり曇ってしまった。勇猛な意識野は前後不覚に陥り、澄明な認識力が暗転するやら正体を失うやら。今の今まで感じたことのない、奇妙としか言い表せない変容に見舞われてしまう。

 微かな動悸を覚えて、リリナは不意に我へ返った。そこで初めて自分が動揺している事に気付く。そして動揺している自分に思い至って、また動揺する。何が起こったのか、自らの心身がどういう状態に蝕まれているのか、彼女自身には皆目見当がつかない。自分のことが分からないもどかしさに歯噛みしつつも、されど不思議と嫌悪感はない。というか、寧ろなんだか少し気分がいいような。

 高揚感と表現するのが近しいだろうか。胸の奥底が跳ねて躍るような小気味良さは、得体が知れないなりに手放し難い。悪い気はまったくしないのだ。温かいような、優しいような、言語化の難解な状態。

「これはもしかすると、以前にヒカル様から聞いたものなのでしょうか?」

 敬愛して止まないもう一人の主君、ノイウェルの母であるヒカル。彼女にかつて口頭で教えられた感情の一節が、リリナの脳裏へ過ぎる。

 確かあの時に、蒼い髪の美しき主上は『説明するのはとても難しい。実際に体験しなければ分からない』という旨のことを言っていた。ただその時に彼女が述べた言葉と、今の自分に起きている状態は似通っている部分があるような気がするのだ。

 そういった感情の発露の結果として、意識の向かう相手と相互理解の末に肉体関係を結ぶとも聞いた。リリナもかつて北大陸の暗殺組織に属していた頃、相手の不意を突く目的や、情報を引き出す作業として、暗殺業の一環に異性と肌を重ねた経験は何度もある。しかしその時はただの1ミリとて心は動かず、己の何かが一欠けらであろうと微動だにはしなかった。現在ほども人間味を持ち合わせていなかったからかもしれないが、それでなくとも恐らく琴線に触れるものはなかったように思われる。

 だからこそ、ヒカルの言葉を頭から信じる事が出来ず、理解不能なものとして忘却していたのだ。それが今になって思い出された。まだ明確な形も定まらず、到底掴めるものでもない。自分が抱いたのは何の類なのかも判然としない状況である。美麗なる主の教えが、自身の状況に直結するとも分からない。それでも記憶の底から湧き上がった遠い思い出の1コマは、意識のどこかで双方の関連性を嗅ぎ取っているということなのか。

「私は、どうしてしまったのでしょう」

 誰にともなく呟いて、リリナは卓上へと向き直った。

 胸中の躍動感を持て余し、初めての事に多少頭は混乱している。不自然に乱れる心を落ち着かせる目的から、置かれていたナイフを再び手に取った。磨く作業を再開しようと、その刃を覗き込む。

 そこで気付いた。鏡面さながらに世界を映し返す白刃に、自分の顔を見て。その頬は、控えめな朱色に淡く染まっている。

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