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春待つ乙女のしあわせな縁切り 〜無能の疫病神と呼ばれた少女は、帝都の縁切り屋とともにその力を開花させる〜  作者: 高里まつり
第2章

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第7話 娘は、朝を迎える。


 チチチと鳥の鳴く声がする。

 桜子がうつらうつらと(まぶた)を持ち上げれば、雪見障子が仄白(ほのじろ)く染まっていた。

 もう朝か。寝返りを打とうとしたところで、ほつれのない滑らかな布団に違和感を覚える。


 そうだ、ここはもう道枝みちえだ邸ではないのだ。桜子は起き上がろうとして寝台(ベッド)から転げ落ちた。


「ふぐっ!」


 乙女にあるまじき声まで喉から飛び出てしまう。痛む頭を抱えて室内を見渡せば、洒落た舶来の家具がこちらを見て笑っているような気がした。畳に慣れた桜子に、洋室とやらは慣れないのだ。


「どうされました!? て、うお!?」


 音を聞きつけたのか、どこからともなく血相を変えた英治えいじが廊下から顔を覗かせた。けれど床に転がる桜子を見るなり、頭を叩かれた亀のように首を引っ込めた。


「さ、騒がしくしてごめんなさい!」

「こっちこそ申し訳ないです! えっと、着替えは棚の中にありますので!」


 英治は上擦った声で扉を閉めると、さっさと行ってしまう。

 一体なんだったのだろう。しばし首を傾けていると、ふと自分の寝着が酷くはだけていることに気づく。


「は、恥ずかしい……!」


 乙女としても人間としても、あるまじき失態だ。もっとしっかりせねば。

 気を取り直して英治に言われた棚を開けると、中には女物の着物がぎっしり詰まっていた。


「わあ、銘仙(めいせん)だ」


 花柄にアールデコ、目にも鮮やかなハイカラな柄が詰まっている。翠がいつも着ていたのを羨ましく見ていた記憶しかない桜子にとって、まるで宝箱のようである。


 一体誰の持ち物なのだろうか。

 着物にはどれも着付けた跡が残っている。まさかここに通っている女性の持ち物――と思いかけ、頭から不埒な考えを押し出した。今の桜子には着るものもろくにないのだから、ここは有り難くお借りするしかない。

 長く迷い、結局一番質素な縞の着物を選んだ。着付け終わる頃に、再び英治が姿を現した。


「身丈があってよかったです」


 英治は桜子を部屋の外へと連れ出す。


「朝食なんですけど、坊っちゃんがまだ寝ておりまして……お一人でとっていただくことになりそうですけど、構いませんかね」


 朝食? 予想外の内容に桜子は顔を上げる。


「わ、私の分の朝ごはんがあるのですか? お気遣いありがとうございます、英治さま」


 いつぶりだろう。きちんと朝に食事をとるのは。桜子が驚いていると、英治が眉を下げた。


「気にするのそこなんですか……それより、私に『さま』を付けるのはよしてください。こちとら天眼と縁もゆかりもないただの使用人ですから。そう(かしこ)まらないでください」


 英治は居心地悪そうにその精悍な首筋を掻いている。


「では……英治さん、これからよろしくお願いします」


 桜子は深々と頭を下げる。 


「腰が低いですねえ。高貴な方がそう簡単に使用人に頭を下げるもんじゃないですよ」


 困惑しきりの英治が桜子に顔を上げるよう促した。


「私は高貴な人間なんかじゃ」

「天眼をお持ちで、一応坊っちゃんの婚約者候補なんでしょう。十分高貴でしょうよ」


 そう、なのだろうか。

 天眼を持っていると言われても未だ実感はない。桜子は曖昧に首を傾けるも、英治が歩き出したので慌てて後をついていく。


 日の当たる明るい廊下が続く。壁には所々、西洋の風景画らしきものが飾ってあった。屋敷内にやたら舶来品が多いのは、やはりたつみの趣味だろうか。


「で、ここが居間です」


 通された部屋は、硝子戸に囲まれた明るい和室だった。い草の緑と香りが瑞々しい。


「朝食は基本一人かと思いますけど、昼や晩は時間が合えば坊っちゃんが一緒に摂ると思います。二階は坊っちゃんの私室や仕事部屋があるので、あんまり勝手に出入りしてると怒られるかもしれません」


 英治が手短に説明してくれるのを、桜子は赤ベコのように頷きながら聞く。

 道枝の屋敷よりは手狭だが、巽が一人で住んでいるとすれば持て余す程に広い。流石二條家のご子息というべきか。

 外を見れば、庭園の白砂が朝靄の中で輝いていた。


「ま、迷子になりそうです」


 桜子が思ったままに呟くと、英治が吹き出した。


「ははっ、なんですかそれ。その時は大声出してください。私か坊っちゃんのどちらかが気づきますから」


 英治が歯を見せて笑ってくれた。初対面ではきつい印象を受けたが、思っていたよりずっと人当たりがいいのかもしれない。


「それじゃ朝食運んでくるんで、座っててください」

「私もお手伝い――」

「いいですからね。私の仕事なんで!」


 有無を言わせず座らされた。巽もそうだが、英治もかなり上背がある。小柄な桜子が会話するとなると、常に上向かなければ顔が見えない。


 渋々席に着くと、入れ替わるようにして巽が姿を現した。寝乱れた着物にあちこち寝癖が付いた頭を見るに、明らか今起きたばかりだ。


「おや坊っちゃん、おはようございます。いつもよりお早いですね」


 すれ違いざまに英治が目を丸くする。


「朝からあんなバタバタ音しとったら目ぇも醒めるわ」


 欠伸ひとつ落とし、巽が桜子の向かいに腰を下ろした。


「おはようございます、二條さま。朝からうるさくしてしまってごめんなさい」

「うん……おはようさん。気にせんとって。君やのうて英治の足音がうるさいねん」


 巽はもうひとつ欠伸をすると、へにゃりと座卓に突っ伏した。目が半分ほどしか開いていない。朝に弱いのだろうか。はだけた胸元が目に入り、桜子は慌てて目をそらす。


「あ、あの……お着物をお借りしています。こんな綺麗なもの、本当にありがとうございます」


 顔をそらした際に自身の縞の着物が目に入り、桜子は話題ついでにと礼を述べる。「あぁ」とかなんとか漏らした巽は僅かに頭をもたげると、ふと表情をほころばせる。


「構へんよ。よう似合てはるね」

「え……」


 流石、女性慣れしている。しかもわざとらしさが全くない。桜子は頬が熱くなるのを感じるが、首を振ってやり過ごした。

 取引のような打算的なことを持ち出してきたのに、今のやり口はずるいような気がした。


「さあさあ、坊っちゃん。しゃんとしてくださいね。今日は午前から依頼が入っているんでしょう」


 英治が朝食を乗せた盆を運んでくると、巽もようやく背筋を伸ばし始める。


「めんどいなぁ……揉めんとええけど」

「ぼやく暇があったらさっさと支度してくださいよ。九時には先方が見えられんでしょう?」


 英治が桜子の前にも盆を置いてくれた。湯気の立つ白米に、豆腐の味噌汁。脂の乗った干物にはご丁寧に大根おろしまで添えられている。

 こんな豪華な朝ごはんは生まれて初めてかもしれない。きゅうと腹が鳴る。なんて美味しそう――ではなくて。

 食べるよりまず聞かねばならないことがある。桜子は姿勢を正す。


「……あの、二條さま」

「んー?」


 巽は茶碗に伸ばしかけていた手を止める。


「私は今日からこのお屋敷で何をすればいいのでしょうか。英治さんのお手伝いをすればいいのでしょうか」


 縁を扱う手ほどきをしてくれるとは聞いているが、彼にも仕事がある。その間、桜子は手持ち無沙汰なのだ。

 勢い込んで畏まる桜子に対し、巽はきょとんとした後、「ああ」と手を打った。


「確かに仕事の話はなんも話してへんかったな。堪忍な」

「仕事?」

「君はな、今日から僕の相談所の手伝いをしてほしいねん」

「相談所……と言いますと」

「縁切り相談所の手伝い」


 巽が箸で居間を指し示した。


「ここ。僕の住処兼、仕事場やねん」 

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