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春待つ乙女のしあわせな縁切り 〜無能の疫病神と呼ばれた少女は、帝都の縁切り屋とともにその力を開花させる〜  作者: 高里まつり
第1章

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第6話 疫病神は、取引をする。


 婚約者、つまり将来を約束する仲。

 熟れた林檎もかくやとばかりに桜子の頬が紅潮する。


「な、ななな何を仰ってるんですか!?」


 桜子は本能的に逃げようと後ろへ下がりかけ、ソファに足を取られた。重心を崩し尻から着座し、結果的にたつみの真ん前に座り込む羽目になった。


「ちょっと坊っちゃん。流石に冗談が過ぎますって」


 見かねた英治えいじが顔をしかめて間に入ってくれる。


「男所帯に女性をひとり置くだけでもまずいってのに、勝手に婚約なんて言い出したら……流石に大奥様かは大目玉くらいますよ!」

「別に平気やろ。僕に構うほど、あん人も暇ちゃうし」

「また子どもみたいな言い訳を――」

「僕が箔付けるんにはこれが一番手っ取り早い。お前かて分かっとるやろ」


 巽が低く吐き捨てると、英治が黙った。桜子は蚊帳の外である。箔とはなんのことかと思うも、聞ける雰囲気ではない。

 巽がゆったりと桜子の方へ顔を向ける。

 

「僕はな、二條にじょう家の次男やねん。可能な限り力のある嫁が欲しい。君は力を制御できれば救われる。方向性も利害も一致しとると思わへん?」


 この目の前の男性と自分が、結婚。

 どう考えてもあらゆる面で不釣り合いだ。桜子は返答に困り果てて顔を覆う。

 巽は湯飲みを手に取り一気に飲み干すと、カンと高い音を立てテーブルに戻す。


「春先に、一葉ひとつばの茶会がある。表向きはただの宴やけど、裏では養子候補が目利きされる場と言われとる」

「養子……まっ、まさか」


 桜子は今度は顔から血の気が引くのを感じた。指の隙間から巽の顔色を窺う。


「そのまさかや」


 彼が不敵に口角を持ち上げる。


「そこで一葉の当主の目ぇに留まれば、君は正式に一葉本家へ養子……つまり一葉の本家の娘になれる」

「いや、いやいやいやそんな無理です私には」

「今の一葉は神眼持ちが不足しとる。君のこと、喉から手ぇ出るほど欲しがるやろなぁ。()に一葉の養子に入って僕の正式な婚約者になる。それが今回の取引の条件や」


 春――道枝みちえだ邸で両親に伝えていたのはこのことだったのかと、ようやく合点がいった。

 困惑しきりの桜子に巽が先手を打ってくる。


「先に釘刺しとくけど、君に選択肢なんかあらへん。無理なんやったら今回の話は全部白紙。明日にでも道枝の屋敷にお帰りいただこか」


 無情にも言い切る巽に、桜子は「そんな」と声を漏らすしかない。


「ちょっといくらなんでもそれは」


 (なだ)めすかそうと英治が前へ出てきたが、巽の態度は変わらない。


「自分勝手すぎるて? 結構結構。これを善意ととるか、悪意ととるか。それは英治やなく、お嬢さんが決めることや」


 英治と巽が返答を求める視線を寄越してくる。

 このまま道枝に戻ったとて、伊藤のもとへ追いやられるだけ。どんな扱いを受けるかも分からず、今まで以上の苦痛に満ちた生活が待っているかもしれない。

 桜子は息を吐き出すと腹を括る。


「ひとつ、お願いがあります」

「聞こか」

「私は疫病神という自分を変えたいのです。そのためにはどんなに大変なことでも頑張ります。なので……せめてお約束の間だけでも、私を外に放り出すようなことはしないと約束してください」


 やっと差した光明。これは桜子に与えられた『良縁』なのだ。絶対に手放したくない。婚約者うんぬんは、恩義ある巽への恩返しだと思えばいい。


「そのやる気は買ったる。絶対に悪いようにはせぇへんから」


 巽が手を差し出してくる。すらりと長い彼の手指は真っ白で傷のひとつもない。桜子の手とは雲泥の差である。


 この人と自分は、全くの住む世界が違う人。


 それでも――と桜子は目を伏せる。今の自分が変われる可能性があるのなら、この手を取らない理由はきっとない。

 信じる怖さより、今はこの手に未来を賭ける勇気を持ちたい。


「よ、よろしくお願いします」


 そっと手を伸ばしてみれば、巽の手が桜子の手を取った。


「契約成立やな」


 円満契約とでも言いたげな彼の雰囲気に、桜子は気圧されるばかり。

 浪漫(ロマン)の欠片もないままに、桜子は二條巽という男の婚約者(予定)となってしまったのだった。


 ✣✣✣


 桜子を客間に送った後、英治は応接間に未だ居座る主人に軽蔑の眼差しを送る。


「坊っちゃん、本気ですか」

「何が」

「あの道枝桜子という女性を一葉に入れて婚約者にするって話ですよ。この流れでそれ以外にあります!?」


 英治は先程まであの少女が座っていたソファへ視線を落とす。冷え切った湯飲みは一口も口をつけられていない。可哀想に、飲む余裕すらなかったのだろう。


「あんな若い娘さんを酷く追い込むような真似をして。げっそりしていましたよ」

「僕ばっかが悪いみたいに言われるんは心外なんやけど」

「どう見ても坊っちゃんが悪いでしょうよ。よくあんな破落戸(ゴロツキ)みたいなやり方を思いつきますね」

「褒め言葉として受け取っとこか」


 巽は悪びれた様子もない。代わりに先程まで終始張り付けていた笑みは削げ落ちている。


「事務所構えたついでの挨拶回りでめんどいなと思っとったとこに、この掘り出しモンや。こりゃ徳川埋蔵金に匹敵すんで」

「はあ……」


 英治は眉間を揉む。頭が痛い。心理的にも、物理的にもだ。

 巽が道枝の屋敷での顛末を話し出す。内容から察するに、この性根の悪い主人は不遇を強いられていた桜子を英雄面して連れ去ってきたのだろう。救いの蜘蛛の糸の先にいたのがこんな男だっただなんて、なんと憐れな。


 英治の冷ややかな眼差しに、流石の巽も弁解する気が起きたらしい。余裕そうに組んでいた脚を解き姿勢を正している。


「いや偶然にしては出来すぎてるて僕は思うねん」


 声の調子が真剣味を帯びる。

 

「今日は帝都で未曾有の大雪。本来は電鉄使うていくところが、終日運休。僕は自動車で行く羽目になって予定より早う着いてもうた。だからあん時、逃げ出したあの子に会えた」

「坊っちゃんにとってはこれが『良縁』でも、あのお嬢さんにとってはどうでしょうね」

「ハハ、手厳しいなぁ」


 この主人がどこか歪んでいるのは元来そういう性格というのもあるが――根本に生育環境が起因していることも理解しているので、英治としても強くは言えない。


「せやけど、あの子にとっても悪い取引やないやん。あの糞みたいな屋敷を出る口実になるし、疫病神から卒業できるし。その上、二條の男を捕まえられる、と」


 巽がその長い指をひとつひとつと折っていく。英治はその澄ましきった横顔にため息をつく。


「絶対後悔しますよ」

「心配せぇへんでも大丈夫やって」

「私が心配してるのはお嬢さんの方ですってば」


 冷めた湯飲みを回収しながら、英治は客間でぐったりしているであろう娘を哀れに思う。


「あー、あと英治。あの子のこと、分かる範囲でええから調べて」

「と、言いますと」

「生まれやら生い立ちやら。できる限りでええから」


 巽は淡々と髪先を摘んで弄んでいる。


「どんな子かは多少知る必要あるやろ。訳アリなんは確かなんやから」


 よかった。掘り出し物に多少の興味はあるようだ。英治は「かしこまりました」とだけ言い、頭を下げたのだった。

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