第3話 疫病神は、助けを求める。
父の白髪交じりの短髪から覗く首筋は、びっしょりと汗をかいていた。対する男は納刀し、手持ち無沙汰に太刀の柄頭を弄んでいる。
「なにて……お嬢さんの縁がえらい絡まってはるから、切ったろうかなと」
同意を求めるように男が――巽がこちらを見るも、桜子はゆるゆると首を横に振る。
「わ、私は天眼を持っていないので皆様のように縁の糸は視えないのです。自分の縁がどうなっているかなんて、私には……」
「は? 持っとらんて、嘘やろ」
巽が眉をひそめる。
「いいえ。誓って嘘では」
桜子が父へ目をやると、彼も険しい表情のまま頷く。
「これは生まれつき力を持たない出来損ないでして。天眼どころか、悪縁ばかり引き寄せる厄介者です」
他人に己の不出来を晒される。これほど惨めなことがあるだろうか。
桜子は雪原に座り込んだまま、冷えきった自身の目許を触る。
この目は、彼らが見ている糸なぞ映してくれない。
万物に宿る縁の糸を視て吉凶を判じる――この国には、古来よりそのような眼を持つ者たちがいる。
輝く良き糸を良縁、濁った悪しき糸を悪縁とし、全ての禍福はこの縁の糸が招くものとはされていた。帝ですら一目置くその力を、人々は畏れをもって天眼と呼ぶ。
「へえ、そりゃおもろいな」
巽が口端を持ち上げた。
「せやからこのお嬢さんは、疫病神て言うたんか。自分の周りでばっか悪いことが起こるから?」
何が面白いものか。
桜子は彼の言い様にほんの僅かな苛立ちを感じた。彼のような全てを持つ立場の人間には、きっと分からないだ。生まれてこの方、ずっと蔑まされ疎んじられてきた桜子の気持ちなど。
『東は結びの一葉、西は切りの二條』。
天眼の家系ならば幼い頃より幾度となく耳にしてきた言葉だ。この二つの家は天眼のはじまりにして頂点。帝都の名家と名高い道枝家ですら、一葉の分家に過ぎないのだ。
父がへりくだった態度で腰を折る。
「二條巽様。わざわざご挨拶のために来てくださったにも関わらず、面倒をおかけしてしまい申し訳ございませんでした。桜子、お前も謝りなさい」
頭を抑えられ、額を雪に擦りつけられる。結い上げていた髪が崩れて肩口に流れ落ちる。
「やめたって。この子にはなんの非もないんやから。今日のことも、これまでのことも」
乾いた音ともに父の手の圧がなくなる。顔を上げると、困惑した表情の父が手を押さえていた。
「可哀想になぁ、こないに悪縁ばっか絡まってもうて。ろくに対処もせんで屋敷の奥に押し込めとったんやろ」
膝が濡れることも厭わず、巽が桜子の前に膝をつく。
「わ、我々とて何も手を打たなかった訳では……」
「まあ縁の糸ごと切れるんは、うちぐらいやから。普通のやり方やと無理やろな」
巽が腰の太刀を撫でる。
『切り』の名の通り、かの家は縁の糸に干渉――即ち、糸を絶ち切るという絶技を持つ。
「そうでしょう? 我々も悪縁を解こうと苦心しましたが、桜子は何をしても厄ばかり持ち込んで、ほとほと困って……」
父の訴えを遮るように、巽が鯉口を切った。
「持ち込んどるんやない。結んどるんやろな」
「結ぶ?」
「道枝のご当主なら、この意味、分かりますやろ」
巽が再び抜刀し、空を切る。父と継母の視線が虚空へと向く。けれど、桜子には当然何も見えない。
父の顔色がさあと変わった。
「そんな、これは……嘘だ。あり得ない」
父は何故だか畏れを滲ませた顔で桜子を一瞥し、ゆるゆると首を振る。
「桜子の生母は芸妓で、ろくな生まれじゃあ」
「大事なんは育ちとちゃう。この子ん中に、道枝さんの……天眼の血が入っとるかどうか。今実際その目で見ましたやろ」
「そんな」
「皮肉な話やな。体裁やなんや気にせんと、早いこと一葉かうちに見せとったら、その子も疫病神にならずに済んだんかもしれん。まあ、今更ですけど」
何を話しているのだろう。桜子には一向にふたりの会話の内容が理解できない。
桜子が言葉を発せずにいると、愕然とした面持ちで継母が桜子を凝視していることに気づく。
巽はそんな二人の様子に目もくれず、やれやれと肩をすくめている。
「そもそも、道枝さんの言うそのろくな生まれやない女との間に、子をこさえたんは誰なんって話でしょ。自分と違いますの」
「それは……!」
「サクラコさん、やったっけ」
狼狽える父を気にも留めず、巽が桜子の肩に触れてきた。
「さっき、結婚はイヤや言うとったな。僕が助けたろか?」
「……え……?」
今、なんと言った。
「僕がこの屋敷から出したる。一緒に来るか?」
その言葉に父に代わり、継母が前へ出てきた。
「お待ちください! いくらなんでも度が過ぎるのではないですか!? 巽の御子息とはいえ他家の内情に口を挟むなど!」
けれど巽が怯む様子はなく。
「おーおー、威勢がええですね。けど、おたくらの中でこの子はいらん子やったんと違います?」
「……なんですって」
「どう見てもそうですやん。もうひとりの娘さんと全然ちゃいますもん」
巽が玄関口に立ち尽くす翠へと視線を向ける。つられて桜子も見やれば、彼女の白雪のごとき肌が寒さで上気していた。
彼が何が違うと言いたいのか理解してしまい、頬が赤らむのを感じた。桜子は乾燥でざらついた自身の手を袖口に隠す。
「サクラコさん、もっぺん聞くで。僕と来るか?」
巽の表情は真剣そのものであった。冗談やその場しのぎで言っているのではないと思った。
「自分で選び。このまま嫁ぐか、僕についてくるか」
見上げれば、父が顔色悪くこちらを見ていた。その奥で、継母が複雑な顔をして歯噛みしていて。
笑ってしまいそうだった。
誰一人として桜子自身の身を案じてなどいないではないか。父も継母も、体裁や巽との家格の差、伊藤との折り合い。そういったどうでもいいことを考えている。
桜子は毅然と顔を上げる。
「助けてください」
迷う訳がない。桜子に向けて手を伸ばしてくれているのは、今この瞬間、目の前の男しかいないのだから。
「桜子、お前……っ、伊藤殿にどう説明するつもりだ!」
気色ばむ父を視界の端に追いやり、桜子は巽の手に掴まり立ち上がる。水を吸って重くなった打掛によろけると、迷いなく肩を支えてくれた。
「伊藤さんとやらには、僕から断りの連絡入れときましょか?」
「そ、そういう問題ではないでしょう! 嫁入り前の娘を連れて行くなど!」
「違いますやろか? どっかやるて意味では同じですやん」
巽が理解できないという様子で眉を寄せている。細かいことを気にしない人なのかもしれない。男の柔らかな上着が桜子の鼻先をくすぐる。お日様とい草の香りが混じった、不思議な香りがした。
「この子、化けるで。春を、楽しみにしといてください。そんときに後悔しても、もう遅いですけど」
言葉を失う両親の肩越しにまんじりともせずこちらを見つめる翠がいた。




