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春待つ乙女のしあわせな縁切り  作者: 高里まつり
第3章

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第22話 それぞれの暗雲


 ✣✣✣


「もっと褒めたったらよかったんやろか」


 たつみは自室に戻るとそのまま、服の皺も気にせず寝台に寝転がった。


『できました! 私、結べました!』


 喜色満面にこちらを見上げる桜子の姿を思い出す。疫病神呼ばわりされていた娘が、たった数ヶ月でここまで成長した。横で見守ってきた身としては喜ばしいことこの上ないはず、なのだが。巽の脳裏にはずっと彼女の涙が焼きついていた。


 桜子の感情が、他人の糸に引きずられてしまう。その事実が、巽の胸に言いようのない不安感を抱かせた。


「なんだかなあ……」

 

 往々にして、巽を含む天眼を持つ者たちは、幼少より『自分は特別』『他人を助けてやれる立場にある』と教え込まれて育つ。そんな自分たちとは違い、桜子は天眼持ちとしての矜持や自負をろくに持ち合わせていない。

 良い意味でも悪い意味でも、純粋そのものなのだ。


 視てやるといった上からの目線ではなく、もっと真摯な気持ちで糸に向き合っている。そのせいで、他人の糸に引きずられてしまうのだと巽は考えていた。


 宗介のこともそうだ。

 彼女は見た目や立場で判断することなく、彼を助けていて。巽の懸念や常識に囚われないところが彼女の良さだと思う反面、そのあやうさが怖くもある。

 いいや、怖いというよりも――巽はため息を押し殺して枕に顔を突っ伏した。


 彼に対して、珍しくムキになった自覚はある。思い返すだけで、腹の底にどろりとしたものが溜まる。

 宗介が桜子に声をかけ続けるのを見て、なんとなく不快だったのだ。桜子の肩を引き寄せて、あの男から遠ざけたかった。こちらが庇護すべき桜子が、知らない男と親しげにしているのが、気に入らなくて――。


 いや、待て。

 巽は身体を起こし、自分の思考に歯止めをかける。


「気に入らんて、なんや」


 口に出してから、自分の言葉の意味を考える。

 桜子と縁側で見上げた夜空を思い出す。気持ちで恋すると口にした彼女のことを。

 巽は苦く笑う。


「……いやいや、まさか、な」


 自分がそんな感情を抱くはずがない。桜子は婚約者として利用価値のある神眼を持つ女性。それ以上でもそれ以下でもないはず。だからこそ離れていかないよう、大事にせねばならないのだと自分に言い聞かせる。


 人の価値は能力で決まる。結びの力を得つつある彼女は、巽にとって既に得難い存在だ。


 私的な感情には蓋をして、巽は寝台から起き上がる。

 そろそろ本家へ報告もせねばならない。婚約者を担ぎ上げたと知れば、当主はどんな顔をするだろうか。波乱を予感して、巽は今度こそため息をつく。


「……泣く姿は、あんま見たないんやけどな」


 渦巻く思考に埋もれつつも、巽の頭の片隅には桜子の笑顔がちらついていた。

 


 ◇

 


 日も落ちた道枝みちえだ邸の居間に、苛立った父の声が響く。

 

二條にじょうのご当主さまに直接話をつけるだなんて……お前、そんな無礼なことをして許されるとでも思っているのか!?」

「それしかないではないですか! あの子を取り戻すには、あの方に話をつけてもらうのが一番でしょう!」


 強気な母が乱暴な手つきでテーブルを叩く。ここ最近父とみどりが外から戻ってくると、毎晩のように両親はこうして揉めている。

 結びの力を持つ桜子に利用価値があるやもしれないと知って、焦っているのだ。


 ――なんて馬鹿らしいの。


 翠は、彼らの様子を白白とした目で眺めていた。

 姉に縁を結ぶ力がある――そんなこと、あり得ようもないのに。翠が物心ついてからの十数年間、姉はずっと役立たずだった。悪縁を引き寄せる疫病神体質で、家の食い扶持を減らすだけだったのに。


 巽に連れ去られたあの日、父母は揃って、この目で確かに桜子が糸を結ぶ片鱗を見たのだと言った。けれど、遠巻きにしか見ていない翠にとって、彼らの話は到底信じられるものではなかった。


 ガシャンと大きな音を立てて、母が払い落とした湯呑みが床に落ちた。翠は苛苛と顔を上げる。

 父との会話に埒が明かないと踏んだのか、母が翠の方へと歩み寄ってくる。 


「翠。この間、二條さまと桜子が日本橋にいたのを見たのでしょう? どんな様子だったの?」


 またその話か、とうんざりする。

 

「別に、二人で歩いていたところを見ただけです」

「仲が良かったとか、悪かったとか。何かあるでしょう?」

「……知りませんわ。遠かったので、よく見えませんでしたもの」


 本当は姉が楽しそうに笑っていて、その様子を巽が穏やかに見つめていたのだが――翠は奥歯を噛み締める。


 ――まるで落窪物語ではないか。

 年嵩の男との結婚を拒みきれない娘が、右近の少将ならぬ二條巽を頼って外へ連れ出してもらうなど。


 では、姉はこれから今をときめく姫になるとでもいうのか?

 翠は舌打ちを堪え、口を開く。


「ねえお父さま、二條のご本家へ連絡することはわたくしも賛成ですわ」

「翠、お前まで」

「だって、道枝にはお姉さまが必要なのでしょう? 連れ戻していただくには、上からの圧力が一番ですもの」


 幼い頃より家のためにと尽くしてきた翠ではなく、桜子が幸せになるなど許せるものか。姉も家のために苦しめばいい。

 翠は心の中で桜子の笑顔に刃を突き立てた。

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