第21話 娘は、縁を結ぶ。
桜子は伊里と英治を伴い、巽とともに居間へ戻ってきた。食卓には伊里と桜子の飲みかけの湯呑みが置かれたままになっている。
「練習台は英治でええやろ。これから僕がいらん縁を切るから、桜子さんがそれを結ぶ。失敗してもええから、桜子さんができる思うやり方でやって」
卓の隣、畳に正座する英治を前に巽が太刀を構えた。
「ちょっと待ってください坊っちゃん! よくないです! いらない縁って、私の何の縁を切るつもりなんですか!?」
英治が困惑しきりに巽を見上げている。
「なんでもええやろ。どうせ切ってもすぐ結ぶんやし。見てみぃ、どれもぼやーっとした感じの縁や」
「見ろって言われても、私には何も見えないんですが!?」
巽の横から伊里が顔を出す。
「おにいさま、これなんてどうですか? ワンちゃんとの縁みたいですけれど」
「犬ぅ? ええやん」
「あっ、小牧屋の看板犬との繋がりを切るのは止めてください! 私の日常の数少ない癒しなんですよ!」
三人はしばらく賑やかに額を突き合わせていたが、うまく決めきれず見かねた伊里が挙手をする。
「もし切れそうなものがないのであれば、わたしの縁の中から適当に選んで切ってもらっても構いませんよ。すぐに桜子さんが治してくださいますもん。ねっ?」
話を振られた桜子は、緊張気味に「頑張ります」と頷く。伊里のあっけらかんとした様子を見た英治が、ぐっと奥歯を噛む。
「いえ、伊里さんに、その役割をさせるのは申し訳ないです。私が、やりますから」
「男前やなぁ英治。伊里にはさせられんわなあ」
「……おにいさま、なんだか意地の悪い言い方です」
伊里が頬を染めてむくれれば、巽が鼻で笑う。
「あれこれ覗き見して騒いどった奴がよう言うわ」
巽はあらためて太刀を構え直すと、桜子を振り返る。
「僕は結びの補助はできひん。無理や思たらすぐに止めてええから」
「ちょっと、不安です。まだ掴みかけで、これといったものが分からないままなのですが……」
「そんなもんやろ。息するんと同じや。さっきできた時の自分の感覚を信じて」
自分を信じる――桜子は手をきつく握り合わせる。
大丈夫、ここには巽がいる。伊里も、自身の糸を任せてくれた英治も。桜子を信じ、そばにいてくれる人たちがいる。桜子は深呼吸をすると、巽に向かって頷く。
それを合図に、巽が太刀を振り抜いた。手前にあった英治の糸のひとつがプツンと断ち切れる。桜子は切れ端に手を伸ばすと、そっと引き寄せた。両端を掌で包み、宗介の時にしたように念を込める。
どうか繋がって。
ぎゅっと握り込み、再び手を離す。けれど、糸は切れたまま繋がる様子はない。
「なんで……」
宗介の時はどうしたのだったか。桜子は再び糸を掴む。あの時は、ただ二人の仲が戻りますようにと願っていた気がする。幸せになりますようにと。
掌からあたたかな感情が流れ込んでくる。英治と――この人は誰だろう。白髪交じりの小柄な女性が、英治に似た少年の頭を撫でている。手を繋いで『おばあちゃん』、と。線香の香り、おぶられた背中から伝わる温もり。涙が出そうなほど温かい家族の記憶が、桜子の心に流れ込んでくる。
これは切れていい縁ではない。繋ぎ直さなければ。
桜子は意識を集中させる。夢中で英治と女性の感情に手を伸ばす。すると掌の中の温度がぐんと上がった。お願い、この人たちが末永く幸せに笑い合えますように。
「――桜子さん」
背中に手が添えられる。桜子はふっと我に返り、掌を開く。
すると、空中に浮かび上がった糸は元のように繋ぎ合わされていた。
「できました! 私、結べました!」
達成感から声が上擦る。
桜子は顔を輝かせて振り返る。巽は思ったよりも近くにいた。桜子の背中に手を添えていたのは巽だったらしい。彼は喜ぶでもなく、なぜだかホッとしたような顔をしていた。
「せやな。できたみたいやけど」
どうしてか巽の歯切れが悪い。遠くで見守っていた伊里も心配そうに寄ってくる。
「桜子さん、大丈夫ですか。涙が……」
「え?」
ぱっと頬を触ると、確かに一筋の涙の跡があった。いつの間に泣いていたのだろう。巽の親指がそっと桜子の眦を拭う。
「結ぶ時、何を考えとったん」
「この糸の持ち主の……年配の女性と英治さんのことを。なんだか懐かしい記憶をたくさん見たような気がして」
「記憶? 僕は見たことないけど」
巽が自身の顎をさする。
「糸に入り込みすぎるんかな。これまで無意識に縁結んどったんも、ただ単に力が制御できへんかっただけやなく、糸への感応性が高かったんが原因かもしれん」
感応性と言われても、桜子にはピンとこない。
「それは、いいことなのでしょうか?」
「持ってる力が大きいってことなんやとは思う。良し悪しで言うたら、ええことなんやけど……桜子さんの負担になるんやったら、話は変わってくる」
巽の気遣わしげな視線に、桜子は目許の涙を着物で拭う。
「大丈夫です。苦しいとか悲しいとか、嫌な気分になった訳ではありませんから」
桜子は畳に座ったままの英治に向き直る。
「おばあさまとの縁はちゃんと結び直せました。わざわざ練習に付き合ってくださって、ありがとうございます」
「いえ。私はなんにも視えませんので、何が起こっていたのかさっぱりですから。でも、うまくいってよかったですね」
「はい!」
少しずつだが成長できている。桜子は掴んだ手応えに、胸が弾むのを感じた。できることが増えれば、巽の役に立つことも増える。頑張るほどに、この人に見合うだけの自分になれるのだ――桜子は前向きな気持ちでいっぱいだった。
だから気づけなかった。背後で複雑そうな表情を浮かべている巽がいたことに。




