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春待つ乙女のしあわせな縁切り  作者: 高里まつり
第3章

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第19話 娘は、新たな男と出会う。


「私、ちょっとお茶っ葉の替えを取ってきます」


 桜子は伊里いりを居間に残し、茶缶片手にひとり厨に向かっていた。ついついおしゃべりに花を咲かせすぎてしまった。甘いチョコレートで、口の中の水分はもうカラカラだ。


「うう、今日はやけに寒い日だわ」


 雪こそ降らないが、今日はまた一段と冷えが足先からのぼってくる。桜子は身震いし、半纏(はんてん)の前を合わせた。

 耳を澄ませば、応接間からはまだ人の声がしていた。依頼人が来てからもう二時間近くは経っているが、まだ終わらないのだろうか。桜子が不安に思っていると、庭先に見知らぬ若い男性が立っているのが目に入った。


 上着も着ていないではないか。桜子は目を剥く。お端折(はしょ)りした縞の着物から覗く黒の股引(ももひき)がなんとも寒々しい。彼の無骨な角刈り頭と相まって、否が応でも目に引いた。

 しばし迷い、結局硝子ガラス戸を僅かに開けて顔を出した。


「そこの方、何か御用でしょうか」


 桜子が控えめに声を掛けると、男は飛び上がってこちらを向く。


「あいや、すんません。俺は叔父……いや、中の人間を待ってまして」

「ああ、ご依頼人の方の付き添いでしょうか」

「そんな感じっす。お邪魔はしませんので」


 男はやけにかしこまった様子で頭を下げると、また待ちの姿勢に戻ろうとする。桜子は茶缶を下に置くと、戸を大きく引き開ける。


「でしたら、中で待たれませんか? そんなところにいては風邪を引いてしまいます」

「いえお構いなく……っしゅ」


 と、言いながら男は大きくクシャミをした。見れば鼻先から指先まで冷えで真っ赤だ。

 桜子が横にずれて中へ上がれるようにすると、男は申し訳なさそうに頭を掻いた。


「すんません。じゃあお言葉に甘えさせていただいて。けど軒下をお借りする程度で構わねぇんで」


 男は雪駄(せった)を鳴らしながらやって来ると、縁側に腰を下ろした。が、やはり寒そうである。

 何か温かいものでも出した方がいいかもしれない。桜子は急ぎ足でその場を後にし、厨に向かう。とりあえず茶があればいいだろうと、茶盆に湯飲みだけを乗せて男に差し出した。


「これ、もしよろしければ」


 男は目を丸くし、湯気の立つ湯飲みと桜子を交互に見ている。


「え、いいんすか。助かります」


 男はいそいそと湯飲みに口をつける。桜子はその横顔を観察する。歳は桜子とさほど変わらなさそうだ。それにしても随分と体格がいい。ささくれの多い手はゴツゴツとしており、武道でもしていそうだなと思った。


「それでは、私はこれで」


 桜子が立ち去りかけたところで、男がしきりに手首をさすっていることに気づく。ちらりと手首を見れば、袖口にうっすらと赤色が滲んでいた。


「……お怪我をなさってるんじゃ」

「え? ああ、こんなもんかすり傷なんで」

「でも血が。よかったらこれを使ってください」


 桜子が懐から手拭いを差し出すも、男は遠慮するように腕を引く。すると弾みでするりと袖口が肘まで落ち、腕に咲いた鮮やかな花が現れた。一拍遅れて、それが刺青(いれずみ)なのだと気づき、桜子は固まった。


 怪我、刺青、体格のいい身体――無頼漢(ならずもの)、という言葉が頭によぎる。そんな桜子を見てか、男は気まずそうに袖を下ろしていた。


「墨なんて、見慣れねぇでしょう。気持ちだけで十分っすよ」

「い、いえ。大丈夫です。どうぞ腕を出してください」


 一瞬、怖いと思ってしまったが、男に害意がないことは分かっている。依頼人の付添であるならば、なおさら放っておくこともできない。

 腕を取って手拭いを巻いていると、手元ではなくじっと顔を見つめられる。少し、気まずい。


「……どうかされましたか?」

「アンタ、名前なんて言うんすか」


 おずおずと名乗れば、男は興味深そうに口許を緩める。


「桜子さん、ね。ここの女中さんっすか」


 女中、ではないのだが。けれどこの場でわざわざ嘘をつく必要もないだろう。


「ええと、こちらのお屋敷でお世話になっている者、です」


 とりあえず、ふんわりとぼかして伝えてみる。男は「ふうん」と呟くと、自らは宗介(そうすけ)と名乗った。


「ここに来る直前、喧嘩しちまって。手当てする間もなく外に出ちまったから助かりました」

「い、痛かったのではないですか? なんだか傷口がスッパリと切れていて……」

「刃物でいかれちまったからなあ。痛ぇのなんのって」

「ええぇ、そんなあっさりと!」


 桜子が口を覆って悲鳴を上げると、宗介が声を上げて笑った。笑うと無愛想そうな雰囲気が和らぎ、あどけない印象を受けた。

 だが、彼はすぐに笑みを収めると湯飲みを見下ろしてぼそりと呟いた。


「……まあ、相手が悪かったんすよね。アニキとやり合っちまって」

「お、お兄さまと?」

「お兄さまってまたまたお上品な……多分桜子さんが想像してる兄とは、ちっと違うと思うんすけど。血は繋がっちゃいねぇけど、昔から面倒見てもらってて」


 宗介は苦笑して、巻かれた手拭いの端を指先でつまむ。


「喧嘩なんざ初めてじゃねぇし、殴り合ったところで縁が切れるわけでもねぇ、はずなんすけど」


 そこで少し言葉を切り、照れたように頭を掻いた。


「ほんとはすぐにでも謝りてぇんすよ。アニキにゃ、借りてるもんばっかだしな」


 桜子はふと自身の家族を思い出す。血の繋がりはあったのに、心を通わすことができなかった人たちを。


「……血の繋がりだけが、全てじゃないですもの。宗介さんにとって、その方はとてもいいお兄さまなのですね」


 桜子は彼の周囲に目を凝らす。瞬きひとつすると、ふわりと彼の周りに縁の糸が現れた。視ることはもうすっかり慣れてしまった。桜子が糸を目でたぐっていくと、傷口あたりに一本の糸が巻きついているのに気がついた。

 少しほつれてはいるが、あたたかい光を帯びている。手を伸ばし、糸に触れてみる。


「……桜子さん? 何をしてるんすか」


 宗介が(いぶか)しそうに眉を寄せている。はたから見れば、桜子は空中で手を動かす|おかしな人物だろう。

 桜子は気にせず掌にくっと力を込める。


 この人たちが仲直りできますように。仲の良い兄弟に戻れますように。


 願いと、自分では叶えられなかった家族への想いを込める。そっと掌を開いてみると、わずかにだが糸のほつれがなくなっていた。

 うまく、いったような気がする。桜子はホッと肩の力を抜く。


「これは、その、おまじないみたいなものです。お兄さまと仲直りできますようにと、願っておきました」


 そう言えば宗介は目を瞬かせ、ハハと破顔した。


「どうもっす。帰ったら、アニキと話してみます」

「はい!」


 誰かをちょっとでも笑顔にできた。桜子にはそのことがとても嬉しくて、宗介につられて口角が緩む。すると、宗介が口許くちもとを手で覆った。


「……桜子さんて変わった人っすね」

「そ、そうですよね。ごめんなさい、突然変なことをして」


 宗介は気に留めた様子もなく、ちらりとこちらを見やる。


「でも、笑うとすげぇ可愛いと思います」

「……へ」

「大概の人間は掘りもん見て逃げちまうんすけど、桜子さんは違ったから。なんか嬉しかったっす」

「ありがとう、ございます……?」


 どう返せばいいか分からずに首を傾げると、宗介がじれったそうに首を掻いた。


「あー……俺も慣れてねぇから……」

「あの?」


 何か困らせるようなことをしてしまったかと桜子が口ごもっていると、廊下の向こうから足音が近づいてきた。


「おふたりさん、こんなとこで何してはるん」


 耳馴染みのいい(なま)りに、桜子はパッと振り返る。

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