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春待つ乙女のしあわせな縁切り 〜無能の疫病神と呼ばれた少女は、帝都の縁切り屋とともにその力を開花させる〜  作者: 高里まつり
第2章

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第14話 疫病神は戸惑い、青年は興味を持つ。


 パーラーで頼んだケエキは美味しかった。桜子はクリームの甘さを思い出す。美味しかったけれど、直前までの会話が気になりすぎてあまり味わうことができなかったのが残念だった。

 たつみの運転で邸へ戻ってくると、玄関口から英治えいじの話し声がしていた。よく見れば、門の脇には見慣れぬ赤い自転車が一台停められている。


「来客、でしょうか」


 桜子が問えば、巽は万事心得た様子で頬を掻いている。


「せやな。客というより――」


 玄関の格子戸に手を伸ばした巽より早く、中から戸が引き開けられた。英治が何事か言っている声を背に小柄な少女が姿を現す。


「お久しぶりですっ、巽おにいさま!」


 艶のある黒髪をきちんと結い上げた少女が、巽の前に転がり出てくる。


「おお、伊里(いり)。秋に会うた時よりまた背ぇ伸びたんやないか」

「はい! もう立派な淑女です!」


 伊里と呼ばれた少女はふんすと胸を張っている。歳は桜子より下か。良家の女学生らしく、海老茶色の袴に西洋柄の洒落た小袖を合わせていた。

 伊里の後ろから、困り果てた顔の英治が顔を出す。


「何が淑女なんですか……聞いてくださいよ坊っちゃん。私が迎えに行くってお伝えしていましたのに、伊里さんたら駒込の学校から自転車()いで来たんですって」


 英治の泣きの訴えに、巽が額を押さえる。


「末恐ろしいやっちゃな。叔父さんが聞いたら倒れるんと違うか」

「別にいいじゃないですか。早く来たかったんですもん。あ、父様には黙っててくださいね!」


 三人の会話についていけない桜子は、巽の後ろでポカンと立ち尽くしてしまう。ご家族の方、だろうか。

 ふと、顔をこちらに向けた伊里と目が合う。


「……もしかして、この方が例の?」


 例のって、なんだろう。

 桜子はおずおずと頭を下げる。巽が横にずれて伊里と対面する形になった。


「桜子さん、この子は僕の従妹(いとこ)な」

「はじめまして、志塚(しづか)伊里と申します」


 ぴしっと礼をする伊里につられ、桜子も「道枝みちえだ桜子と申します」と畏まって挨拶をする。伊里は少し黙ると、探るような目でこちらを眺めている。


「おにいさま、わたしが教えられることってほとんどないと思うのだけど」

「無理に教えんでもええから。話し相手になったって」


 教える、話し相手? 桜子が首を傾げていると、巽が伊里の背中をポンと叩いた。


「桜子さんの家庭教師。兼、オトモダチ」

「お、おともだち」


 桜子がびっくりして繰り返すと、伊里が緊張した面持ちでぺこりと頭を下げたのだった。


 ✣✣✣


 ――結局、伝えられへんままで終わってしもたな。

 巽は、伊里の後ろをついていく桜子の後ろ姿を目で追う。百貨店を出て彼女と日本橋を歩いていた時、雑踏の中で見つけてしまったのだ。


 こちらをじっと見つめる、桜子の妹の姿を。


 たまたますれ違っただけであったが、妹の仄暗い目が人混みからこちらを射抜いていて。桜子と今顔を合わすべきではない。そう判断した巽は、ぼんやりとしていた桜子に声を掛け、咄嗟に近場のパーラーへと誘ったのだった。


 ――まあ、言わへんかったんは正解か。

 桜子は数える程度しか外出したことがないと言っていた。今でこそ多少肉付きがよくなってきた彼女だが、出会った頃は悲惨な有様であった。

 身丈の合っていない着物に、痩せた手足。お世辞にも良家の娘とは呼び難い姿をしていた。あれで両親も婚礼に向かわせるというのだから、笑ってしまうというもの。


 今日とて、街中のあらゆるものに目を輝かせていた彼女は、年齢の割に酷く幼く見えた。なのに、パーラーでは息をするように人の顔色を観察し、自分のかつての環境を受け入れている素振りさえみせる。

 愛を知らずに育った娘。

 純粋さと、歳にそぐわぬ諦観、相手の出方を窺う目。環境によってつくられたその(いびつ)さが哀れで――けれど、巽には痛いほどに理解できてしまう。家族など所詮、血の繋がりがあるだけの他人でしかないのだと、身をもって知っているから。


 巽はため息を落とす。

 道枝へは、既に一報は入れている。桜子の身は安全に保護していること、不要な心配は要らないこと。

 嫁入り前の娘を家から無理に連れ出しているのだから、先方が桜子に対してどのような感情を抱いていようと筋は通さねばならない。けれど流石に恋人役として扱っていることは伏せた。今言えば先方がどう動くのか――容易に想像がつく。


 今日妹に見られたことは誤算であった。しかし、それ以上に桜子が楽しそうにしていたことは見ていて純粋に面白かった。

 自分の役に立つだろうと出会いに任せて手を差し伸べたが、天家の思想に染まっていない彼女は、良い意味で巽の期待を次々と裏切っていく。権力や欲に乏しく、ひたすらに真っ直ぐで。


「本物の、原石を掘り出してもうたんかもな」


 彼女がこれからどんな形でこちらの期待を裏切っていくのか。手の中で輝きを増していく彼女が、自分だけではたどり着けない世界を見せてくれるような気がして――巽は自然と笑みが零れていた。

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