第13話 疫病神は、内面を垣間見る。
「二條さま、ですよね。お久しぶりでございます」
テーブルに若い女性が近づいてきた。仕立てのいい紺色のワンピースが歩く度に揺れ、ブルトン帽から揺れる断髪が彼女の小顔を引き立てている。
桜子は女性をまじまじと見つめる。最先端の服に身を包んだ、とても可愛らしい人だなと思った。巽も女性を見るなり、「やあ、どうもです」と破顔する。
――あれ?
桜子はわずかな引っかかりを覚え、じっと巽の様子をうかがう。女性はテーブルの手前まで来ると、顔をほころばせた。
「西の訛りが聞こえてきたので、もしかしたらと思ったらやっぱり! その節はお世話になりました」
「ハハ、別にええですよ。その後、お変わりはないですか」
「ええ、お陰様で。母もとても元気ですわ」
会話しながら、女性が何度か気にしたように髪の毛を撫でつけていた。そのいじらしい様子に、桜子は「そういうことか」と目をそらす。
こちらには分からない会話をふたりでしばし続けた後、女性がおずおずと切り出した。
「それで……そちらの女性は、どなたですか?」
桜子は肩が跳ねそうになるのを堪える。ちらりと巽を見れば、「恋人です」と彼女に向かって平然と紹介するではないか。
「あ、ああ……そうなのですね。ごめんなさい、お邪魔してしまったかしら」
女性の髪を撫でつける手が止まり、ゆっくりと下へ降りていく。桜子は居た堪れなくなって膝の上の手を握り合わせた。
気まずい。
けれど巽の足を引っ張るような真似はもうしたくない、とは思うのだ。彼がその役割を自分に求めるなら、応えねばと思う。
桜子は自分を叱咤すると、すっと背筋を伸ばす。顔を上げ、華やかなパーラーに負けないようにと、おっとり微笑んでみせる。
「構いませんわ。どうぞ、お気になさらないでください」
「……ありがとうございます」
女性は桜子を見つめると、ふいと悔しげに顔をそらした。
「では、二條さま。わたくしはこれで」
「ええ。お母様によろしゅうお伝えください」
女性の踵の高い靴が靴音を立てて早足で離れていく。桜子はその後ろ姿が扉の外へ消えると、肩から力を抜いた。
「……桜子さんて、そういう顔もできるんやな」
疲れた桜子が目線だけ上げると、巽がきょとんとこちらを見ていた。普段あまり見たことがない表情だ。
「ちゃんとしないと巽さんにご迷惑がかかるなと思いまして。外でも『虫除け役』が必要とは思わなかったので、驚きはしました」
正直に伝えてみれば、彼は意外そうにする。
「まあ男女が一緒におるわけやから、恋人にするんが一番手っ取り早い理由やなと思っただけやけど……というか、さっきそんなこと考えとったん? 無理せんでもええのに」
「でも、こっちの方がそれらしいじゃないですか」
巽は「えぇ」と笑う。
「素直なんが桜子さんのええとこなんやから。僕は素の方が好きやで」
爆弾を投げつけてきた。桜子はふうと細く息を吐きだすと、じっとりと巽を見やる。いちいち振り回されていたら、多分自分はこの人と一生まともに話せない。
「か、からかわないでください」
「嘘やないよ。あの子はただの依頼人やし」
「……ただの依頼人、ですか」
その言い方には若干のからかいが混じっている。こちらが余裕を持てば、巽の軽口にも気づけるものらしい。恋人役にまででっち上げて、こちらの反応を見て面白がっているのだろう。
頬は赤くなっているだろうが、桜子は精一杯口を尖らせ、意趣返しのつもりで口を開いた。
「でも巽さん。さっきの女性のお名前、覚えていらっしゃらなかったでしょう。依頼人でしたのにお忘れのままお話するのは、ちょっと酷いと思います」
すると、これまで泰然としていた巽の態度が崩れた。
「……は。なんで、分かったん」
頬杖をついたまま動きを止め、心底驚いた顔をする。
「なんや横で聞いとって、話の繋がりでもおかしかった? 結構合わせとったつもりなんやけど」
桜子は否と首を振る。
「巽さんは、話し始めにお相手の名前を呼ぶ癖があると思うんです。英治、桜子、みたいに。なのに今日はお名前を呼ばれなかったから、変だなと思って。話し始めもちょっと早かったし、えっと、目線も少し揺れて、いたの、で……」
だんだんと尻すぼみになっていく。
我ながら、とても気持ちの悪い事を話しているような気がする。これではずっと巽を観察していたみたいではないか。
「ええと、その」
言い訳しようと桜子が言葉を重ねかけるも、巽の声に遮られた。
「よう見てはるなあ。人間観察とか趣味なん?」
厭う訳でも、軽蔑する訳でもなく。巽は単純に興味本位で聞いているようであった。その姿に少し安堵して、桜子の口はいつもより滑ってしまう。
「趣味、ではないですね。できるだけ人に嫌われないようにするために、気づいたら顔色を読むのが得意になってしまって」
こんなもの、ただの悪癖だ。へらりと桜子が笑ってみせると、巽が僅かに眉を寄せた。
「息苦しいやろ、そういう生き方」
「そう、ですね」
指摘されるまでもなく、当たり前に苦しい。桜子は視線をテーブルに落とす。
「でも、苦しくても……そうしないと、ただでさえ嫌われているのに、居場所がどこにもなくなってしまうような気がして、怖くて」
桜子の脳裏には、今もなお畏怖や軽蔑に満ちた眼差しが張り付いていた。人に好かれる資格がないのであれば、せめて嫌われない努力をしなければいけないのだ。半ば強迫観念じみていると、内心自嘲する。
俯く桜子に、巽の静かな声が刺さる。
「それは誰に?」
「え……」
顔を上げると、笑顔を引っ込めた巽の瞳が真っ直ぐにこちらを見ていた。
「誰に嫌われるんが嫌なん。誰が桜子さんのこと嫌うてるん」
巽の声の調子が低くなる。
「そ、れは」
家族が相手だなんて、言えなかった。じくじくと胸が痛む。巽も気づいているだろうに、どうして傷を抉るような言い方をするのだろう。
口に出せば、惨めになるだけだ。血縁にすら自分の境遇を受け入れてもらえなかったなんて、なんと滑稽で哀れな女なのだろう。
桜子が言葉に詰まっていると、巽が気まずそうに頭を掻いた。
「……悪い。今のは意地悪い聞き方したな」
「いえ……」
しばし沈黙が落ちる。巽は頬杖を外し、背凭れに身体を預けた。テーブルの淵を指でなぞりながら、考え込んでいる。
「桜子さんて、実の母親は芸妓さんやったんやっけ。桜子さん産んですぐに亡くなりはったとか」
たっぷり秒針が二周はしただろうか。巽がぽつりと切り出してきた。桜子は戸惑いながらも頷く。
「どこで、お聞きになったんですか」
「僕が調べた」
端的に告げられる。桜子を保護する時点で彼なりに情報を集めていたのか。
「生みの親がおらんで、育ての親がアレやったら……そりゃ今みたいな考えになるわな」
では、自分の生い立ちは筒抜けだったのか――到底他人に話せるような人生ではなく、巽のような立派な人間に知られたことが、とても恥ずかしい。桜子は羞恥から言葉を失った。
「私、は」
「理不尽やなぁ、人は生まれを選べへんから。桜子さんも、僕も」
雑踏にかき消されそうな声で呟かれたそれは、安い慰めでも同情でもなく。
華々しい家門に生まれ、いつも大勢の依頼人に囲まれている彼からは程遠い発言に、桜子はいじけた自分の気持ちより、目の前の彼の方が気になってしまった。
彼の表情にどことなく影が落ちている。笑顔じゃない今の方が自然に見えるのが、とても不思議だった。
「それは……巽さんの本音ですか? それとも私を慰めようとしてくださっているだけでしょうか」
気づけば、疑問が口をついていた。巽は虚を突かれたようにしばらく黙っていたが、徐々に口角をゆるめていく。
「どっちや思う?」
あ、戻ったなと思った。
桜子はため息を落とし「私には分かりません」とだけ答える。
貴方のことが分からない。けれど、これから知れる機会があるのであれば、心の中を覗いてみたいとも思う自分がいた。




