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春待つ乙女のしあわせな縁切り 〜無能の疫病神と呼ばれた少女は、帝都の縁切り屋とともにその力を開花させる〜  作者: 高里まつり
第2章

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第8話 娘は、世間を知る。


 朝食を終えた桜子は仕事着へと着替えたたつみに連れられて、昨日と同じ応接間へとやってきた。


「ええとつまり、縁切り相談所とは」

「文字通り、縁を切りたい相手との糸を切る相談所やな」


 巽は道枝みちえだで見た時のような三つ揃えの洋装をまとっている。今日は全身黒ではなく、千鳥柄の濃茶。堅苦しいと言って、背広はソファに引っ掛けられたままではあるが。


「僕の仕事現場にくっついて見とってもらうんが、一番縁の糸と関われるし手っ取り早いと思うんよな」


 言いながら、巽は朝にも関わらず室内のカーテンを閉めていく。聞かれたくない話をするための依頼人への配慮らしい。


「僕としても君がいい虫除けになってくれて有り難いし」

「虫除け……どういう意味ですか?」


 桜子も手伝おうと隣でカーテンを引いていると、巽が乾いた笑いを漏らす。


「まあ見てもろたら一番早いんやけど……一応先に伝えとくわ」


 どういうことだろう。いまいち理解できず、桜子は首を傾ける。


「まずな、道枝の娘さんなら知っとるやろうけど、縁を視るやら縁に纏わる依頼っちゅーもんは、依頼料がバカ高い。庶民にはまず手ぇ出せん」

「はい、それは知っています」


 桜子は深く頷く。一度の依頼で友禅が軽く飛ぶ額と聞いた時は腰を抜かしたものだ。

 御一新(ごいっしん)以前の天家は、帝にのみその力を貸していた。今日(こんにち)になって市井にも門戸が開かれるようになっただけで、神にも等しい力でもって人の吉凶を視るわけなのだから、依頼料が法外に高いのは道理なのである。

 巽は指を一本ずつ立てていく。


「てことは、ここへ来る人間はみんな金持ちや。その上、縁切り依頼は男女のもつれ関係がめっちゃ多い。特に来るんは女性が多い。金持ちの女性、色恋関係、虫除け。この三つ並べて、何が起こるか分かるか?」


 巽は意味ありげに桜子を見下ろしてくる。


「え、と? お金持ちの女の方がここへ来て、色恋の縁切り依頼をして二條さまが対応されて……私がいい虫除け……まさか」


 下世話な想像をしてしまい思わず口を覆うも、外れてはいないと見た。巽がげんなりとため息を落とす。


「依頼人いわく、縁切るて決めたら、なんや新しい恋をしたなるらしいわ」


 若く見目のいい男が親身になって相談に乗ってくれ、その上要らない男との縁を切ってくれたら、心がときめくことがあるのかも――いやそんなことあるのだろうか。桜子には全くもって理解できない。けれど、昨今は自由恋愛の時代とも聞くし、そういう出会いを良しとするのかもしれない。


 と、そこまで考えて桜子は愕然と自身の姿を見下ろした。


「私だと、どう考えても力不足ではありませんか? こんなちんちくりん、お役に立てる気がしません」


 年齢の割に凹凸の少ない身体に、ろくに手入れのされていない見目。巽の横に立つには申し訳なさすぎる出来栄えだ。


「んなことないて。それらしい顔して隣におってくれたら、なーんも違和感もないわ」

「うう……取引した手前いまさらなのですれけど、二條さまはこう、もっと大人っぽい女性の方がしっくりくる気がします」


 胸元あたりでこんもりと手を動かせば、巽が呆れたような顔をする。


「君、僕をどないな目で見てんねん」


 浮名を流していそうな雰囲気の彼であるが、誰でもいいというわけではないらしい。不安しかないが、彼のそばで縁切りという技を見られることは願ったりである。受け入れる他ない。


「……二條さまがいいとおっしゃるのであれば」

 桜子が恐る恐る了承すると、巽が「それ」と声を上げられた。今度はなんだろう。

「ど、どれですか?」

「呼び方。二條さまはどう聞いてもよそよそしいやろ。下の名前に……というか、まず僕の名前は知ってるん?」

「二條巽さまですよね。え、ええ、た、巽さん、と呼べばいいのですか?」


 呼べば、満足げな笑顔を返された。

 二條家の次男を親しげに呼ばうなど、他家の人間に見られたらタコ殴りにされそうだ。とても慣れそうにない。


 桜子がまごついていると、玄関口から英治の声がした。


「ご依頼人の方が見えられましたよ。お通ししてもいいですかね」


 カーテンの隙間から外を覗けば、一際大きな自動車から女性がひとり降りてくるのが見えた。


「ええよー」


 巽が放っていた背広を嫌々着込んでいるのを横で眺めていると、外から「ごめんくださいまし」となよやかな声が聞こえてくる。


「ま、今日は初日やしな。とりあえず僕の後ろで見とって」


 巽の手がポンと肩に乗る。桜子はその重みから、じわじわと緊張が広がっていくのを感じた。




「今日はよろしくお願いします」


 依頼人は安原礼子と名乗った。夫が大手の貿易会社の社長だという彼女は、御所車があしらわれた羽二重に、ハリのある帯を締めていた。育ちの良さそうな口許に引かれた薄紅が上品で、いかにも若奥様といった風情である。


「礼子さん、昨日はえらい大雪でしたね。今日はおひとりでこちらに?」


 巽が朗らかに話し始めると、英治が昨日のように茶と茶菓子を運んでくる。部屋を退出する直前、ソファの後ろに控える桜子を見つけるときゅっと拳を握って見せられた。

 頑張れという桜子への英治の気遣いを感じて、僅かに緊張が解れる。


「今日は使用人に送らせました。夫は仕事でして」


 礼子がおっとりと微笑む。その左手薬指には銀製の指輪が光っていた。


「さよですか。安原さんとこは……確か生糸でしたっけ。昨今は米国がよう港に出張ってきはりますし、旦那さんお忙しいんとちゃいますか」

「ええ。去年の暮れから慌ただしいみたいで、ほとんど家でも顔を合わせませんの」

「綿業は今が踏ん張りどころや聞きますし。横濱(よこはま)もえらい賑わっとるそうで、商いも伸び時ですなぁ」

「まあ、二條さまはこちらの方面もお詳しいのですね」


 桜子は、礼子との会話に花を咲かせる巽の後頭部をまじまじと凝視する。少し前まで座卓に潰れていた人とは思えない。まるで発条(ゼンマイ)を巻きたての人形のように溌剌としているではないか。


 彼の横には、相棒ともいえる太刀がソファに立て掛けられている。柄頭には二條の家紋である揚羽蝶(あげはちょう)が彫り込まれ、黒漆塗りの太刀拵(たちこしらえ)は室内で異様な存在感を放っている。


「――で、前もって話は聞いてますけど縁を切りたい相手というんは」


 本題を切り出した巽に、礼子は桜子へと視線を向けてくる。


「その前に、そちらのお嬢さんは? あまり人に聞かせる話でもありませんので……」


 礼子は暗に退出させろと言っているのだ。桜子が巽に助けを求めると、彼は「ああ」と言いながら身体をひねりソファの背から腕を伸ばしてきた。


「桜子さんは僕のいい人でして、仕事も手伝てもろてるんです。まだ見習いやけど彼女も天眼を持つ身ですんで、同席を許してもらえませんやろか」


 前へ出るよう、巽に背を押される。


「よよ、よろしくお願いします」


 何度か噛みながら、桜子は雰囲気に合わせて礼子に頭を下げる。背中からじんわりと伝わってくる体温に顔から火が出そうだった。


「……あらあら。素敵ですわねえ、好いた方と一緒に仕事ができるだなんて」


 呟く礼子の顔はどこか陰を帯びているように思えた。

 その理由は、依頼内容を聞いてすぐに理解することとなる。

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