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春待つ乙女のしあわせな縁切り 〜無能の疫病神と呼ばれた少女は、帝都の縁切り屋とともにその力を開花させる〜  作者: 高里まつり
はじまり

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1/10

春雷


 このまま雪に解けて消えてしまいたい。

 何度も雪に足を取られながら、桜子(さくらこ)朝靄(あさもや)に煙る白銀の庭を駆ける。


「お願い誰か……っ」


 逃げなければ。誰にも見つからないところへ。捕まる前に。

 耳の奥にまだ異母妹の嘲笑がこびりついていた。足袋(たび)に雪水が染み込んで、あっという間に足先の感覚がなくなっていく。

 門まであと少し――桜子が切れる息を吐き出した、その時。


「なあ、お嬢さん。その結婚、止めとった方がええよ」


 やおら掛けられた声に桜子はびくりと肩を震わせる。

 見れば目の前、雪で濡れる棟門の陰に見知らぬ男が立っていた。

 歳は二十代中ごろか。すらりとした痩身に洋装がよく映える、目を()く美丈夫だった。気怠(けだる)げな目許(めもと)に掛かる、癖のある前髪が妙に(なま)めかしい。


「ど、どなたですか」


 男の羅紗(らしゃ)の外套が寒風に揺れる。桜子が怖じて後退れば、婚姻のためにと着込んだ色打掛が扇のように雪の上へ広がった。


「まともな人間やったら、そないな縁談、普通受けへんよ」


 西の言葉――ゆったりとした耳馴染みのいい声が鼓膜を揺らす。男の色素の薄い茶がかった瞳が、驚愕に見開かれる桜子の目を無感情に射抜いていて。


「どうして、それを」


 桜子(さくらこ)なんて春めいた名前を嘲笑(あざわら)うかのように、自分の人生はいつも冬の中にあった。

 いつも(ひと)り、居場所なんてどこにもなくて。

 だから今回の結婚で、ようやく人生に春光が差すのだと思っていた。こんな自分でも少しは幸せになれるのだと信じたかったのに。

 桜子は震える喉を引きつらせる。


「無理なのです。知っていたとしても、私ではもうどうにもならないんです。だから……っ」 

「ああ成る程、気付いてはったんや。どないしたん。婚前逃亡でもしはったん?」


 男はおかしそうに肩を揺らした。


「助けてほしいんやったら、その()()()、僕が全部切ったろか?」


 外套に隠れて気づかなかったが、よく見ると男は腰に太刀を()いていた。

 この文明開化のご時世に刀を持てる人間がいるとすれば、それは――。


 気づけば男が目の前に迫っていた。口を開くいとまも与えられず、鞘から引き抜かれた白刃がすらりと桜子の眼前で(きら)めいた。

 桜子は太刀を振り上げる男の姿を、ただ呆然と見上げることしかできない。


 これが全ての終わりであり、全てのはじまりだなんて――この時の桜子は知る由もなかった。



新作になります。

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