反忠臣蔵(刃引き版)
12月14日は忠臣蔵の日。
しかし、赤穂事件は義挙にあらず。正義は吉良にあり!
序章
「喰らえっ!」
上段からの斬り下ろしがきた。
それを左に払って、ガラ空きになった首筋へ小太刀を一閃させる。
ビシッ! いい音がして敵が倒れた。
「貴様!」
間を置かず、二人目の敵が斬りかかってくる。
右からの薙ぎを小太刀で受け止め、ほぼ同時に、左背足で敵の股間を蹴り上げる。
「がぁっ!」
怯んだ敵に、左拳を顔面へ叩き込む。鼻血が出た。
止めに、首筋を小太刀でバシッ! この敵もバタリと倒れた。
「おのれ!」
三人目が、袈裟がけに斬りつけてくる。
それを受け流して、右首筋をビッ! と薙ぐ。この敵はドドオッと派手に倒れた。
「まったく。赤穂の田舎侍ども、なに考えてんだ」
戦闘終了。オレは愛刀を鞘に納める。
――オレの名は、山吉新一郎。三十石五人扶持。吉良家近習。
当然、赤穂の浪人とは仲が悪い。というより、犬猿の仲だ。
というのも、播磨国赤穂藩の三代目藩主・浅野内匠頭が乱心して殿中で高家筆頭・吉良上野介様に斬りかかり、赤穂藩がお家断絶となったためだ。
そういうのを、逆ギレという。吉良家としては、迷惑千万である。
今回の斬り合いも、オレが吉良家の家人というだけで、いきなり元赤穂藩士という三人組から斬りつけられたのだ。
まったく。食い詰め浪人というのは質が悪い。
ただ、三人を殺しはしなかった。
オレの愛刀は刃引きした小太刀であり、人を斬ることはできない。
首筋を強く打ったが、気絶しただけで命に別状はあるまい。
オレは強いが、無益な殺生は好まない。だからいつも刃引きした小太刀を帯刀している。
そもそも、今の太平の世で人を斬った経験を持つ者は武士でも少ない。
だから、高田馬場の決闘で勇名をはせた堀部安兵衛が有名人になっていたりする。
今が戦国の世であれば、三人斬ったくらいで有名人にはなっていないだろう。
辺りが暗くなり始めている。どこからか烏の鳴き声が聞こえた。
「やれやれ。熱い茶でも飲みたいな」
オレはため息をつきながら、本所両国橋近くにある吉良邸に向かってとぼとぼと歩き出した。
清水一学
生類憐れみの令。
五代目将軍の徳川綱吉が定めた天下の悪法で、それがために、今の江戸では野良犬に噛み殺される人間が多い。
それでも、江戸の住人は犬と関わり合いになりたくないので、噛み殺されても病死として届けを出していた。世も末とは、このことだ。
赤穂の浪人たちも、どうせ噛みつくなら吉良家ではなく、お家断絶という裁きを下した幕府に噛みつけばいいのに。
結局、噛みつき易いほうが噛みつかれる、ということか。
「って、おい。聞いてんのかよ一学」
元禄十四年(一七〇一年)九月の夜、本所両国橋近くにある吉良家の旗本屋敷。
オレは邸内の一室であぐらをかいて冷酒を飲みつつ、同僚の清水一学と話をしていた。
――清水一学。上野介様の近習。二刀流の使い手で、江戸でも屈指の強者。
吉良家の中でオレとまともに斬り合えるとしたら、この一学くらいのものだろう。
長身でちょい美形なモテる男で、同僚の多くからは妬まれているようだが。
「だいたい、なに考えてんだ内匠頭は。殿中差しで殺るなら、突くだろ普通。それを斬りつけるとか」
殿中差しは小さ刀とも呼ばれ、上級武士が登城の際に用いる儀式的な意味合いの強い短刀だ。装飾刀なのだから当然切れ味は悪く、人を斬り殺せるような代物ではない。
その程度のことも分かっていないなんて、武士としてどうなんだ。
グイ、とオレは冷酒をあおる。
「それに。赤穂藩が断絶した時、百姓は重税から開放されて餅ついて祝ったそうじゃないか」
「そうらしいな」
一学もちびりと、冷酒をあおった。
「それを考えれば、上野介様は感謝されてもいいくらいだろ。それなのに、呉服橋から郊外の本所へ屋敷替えなんて。怪我までさせられてるのに」
内匠頭に背後からいきなり斬りつけられ、背中と額に刀傷が一つずつ。
加えて。呉服橋の屋敷はまだ、新築三年だったのに。
「お前の憤りは分かるが、まあ落ち着け」
一学も不満は感じているだろうに。冷静な男である。
そんなところがまた、オレを苛つかせる。深いため息がもれた。
「そんなにため息ばかりついてると、運が落ちるぞ」
「余計なお世話だ」
オレは再び冷酒をあおる。不味い! 憂さ晴らしにもならない。
「そもそも、殿中で刀抜くとかありえないだろ。そんな真似したら、切腹とお家断絶が確実なのに」
それがために、赤穂藩士は路頭に迷うハメに陥ったのだ。
「内匠頭の親戚も刃傷沙汰をやらかして、お家断絶になってるらしいな」
「ああ、内藤家ね。まったく、迷惑な血筋だよ。短気ってのは伝染るのか」
――内匠頭の叔父である内藤和泉守は精神疾患を患っていたらしく癇癪持ちで、増上寺刃傷事件を起こして切腹の上、改易処分にされている。
内匠頭もまた精神疾患を患っていたらしく癇癪持ちで、痞という持病があったとも。
「だいたい、内匠頭といえば短気とケチと女狂いで有名だっただろ。そんな暗君の仇討ちやろうって連中の気が知れんよ」
「まあ。食い詰め浪人ってのは、えてしてヤケクソになり易いものだからな」
今の世で、武士が浪人に成り果てるのは単なる失業とは違う。
なぜなら、浪人は肉体労働に従事してはならない。バレたら罪人となって牢屋行き。
つまり、浪人になるのは極貧生活確定と同義なのだ。
馬鹿な上司を持って、悲惨な境遇に陥っているという一点においては、赤穂浪人に同情しなくもないが……。
「けど。ヤケクソになるのは勝手だが、巻き込まれるこっちは堪ったもんじゃないだろ。逆恨みで仇討ちとか言ってないで、真面目に就活とかするべきだろ」
冷酒が切れた。オレは襖を開け、下男に追加を命じる。
「就活か。それなら赤穂の連中は浄瑠璃坂の仇討ちのように、遠島後に赦免、再仕官と考えているのかもしれないな」
一学の言う浄瑠璃坂の仇討ちとは、今から三十年近く前に行われた有名な仇討ち事件だ。
「そんなふうになって堪るか。全然事情が違う。上野介様は応戦していない」
――喧嘩両成敗について、戦国時代分国法の「今川仮名目録」には次のように規定されている。
「喧嘩におよぶ輩は理非を論ぜず双方とも死罪に処すべきである。はたまた、相手から喧嘩を仕掛けられても堪忍してこらえ、その結果疵を受けるにおよんだ場合、喧嘩の原因を作ったことは非難すべきであるが、とりあえず穏便に振る舞ったことは道理にしたがった幸運として罪を免ぜられるべきである」
戦国時代から名誉、怨みは個人のものではなく、所属する組織に対するものとの考え方が強かった。
「その通りだな。しかし、世の中には物分かりの悪い人間もいる」
「他人ごとみたいに言うな。吉良家家臣のオレたちは当事者だろ」
冷酒はまだか。イライラする。
「特に、堀部安兵衛だよ。高田馬場の有名人なんだから、仕官先なんてよりどりみどりだろ。たとえば、溝口家とか」
――堀部安兵衛。馬庭念流と直心影流堀内派の免許皆伝で、元赤穂藩士の中で最強の剣士。そして今は、江戸急進派の首魁。
溝口家は安兵衛の父が仕えていたところである。
「確かにな。高田郡兵衛とかは、脱盟したらしいし」
――高田郡兵衛。宝蔵院流高田派の槍の名手で、『槍の郡兵衛』と言われた元赤穂藩士きっての武闘派。
その郡兵衛は、堀部安兵衛らと同じく仇討ち主張の急先鋒の一人だったが、伯父から説得されてやむなく他家に仕官すると聞いた。
「それがまともな思考だよ。バカ殿の仇討ちやろうってほうが異常だ。他の連中も、槍の郡兵衛を見倣ったほうがいい」
「まあ、そうだな」
一学は頷き、それからオレの腰に視線を落とした。
「それより新一郎。お前、小太刀代えたら? それは無銘で、しかも刃引きしてあるだろ?」
「いいんだよ。オレはコレ、気に入ってんだから。刃こぼれしないし」
オレは左手で腰の小太刀を軽く叩く。
「お前の刀は、相州広正だったか? けど、銘が入ってればいいってもんでもないだろ。それよりも問題なのは、手に馴染むかどうかだよ」
「まあ、『鉄壁』と呼ばれるお前の腕前はオレも認めてるけどさ」
――鉄壁。小太刀は普通の刀よりも、刀身が短い。そのために軽量で小回りが利き、盾として使える刀とも呼ばれる。その小太刀を自在に使いこなすことからついたオレのあだ名が、鉄壁だ。
ただ、オレの剣はある意味邪道だ。道場剣法とは違い、殴るし蹴るし、頭突きもかます。
最初の構えこそ基本通り、小太刀を右手に半身に構えるが、後はまあノリで戦う。
一応、富田流の目録免許をもらい神陰流をかじってもいるが、型破りも甚だしい。
型など無視して、勝つためなら何でもやる。それがオレの戦い方だ。
師匠からはよく型と違うと叱られたが、オレは邪道も極めれば正道になると思っている。
実際、オレは道場破りを何度もしているが、ただの一度も敗れたことはない。
邪道というなら、一学の剣もある意味では邪道だ。二刀流なのだから。だが強い。
そんな邪道同士だからか、オレと一学は妙に馬が合った。
それとも、正邪は関係なく強者同士の共感ゆえか。
「とにかく。禄もくれない死んだバカ殿のために、仇討ちもなにもないだろって話だ。だいたい、連中の活動資金はどっから出てんだよ?」
下男が入ってきた。冷酒を受け取り、手酌であおる。
「腹黒の大石内蔵助が、筆頭家老だった時に裏金でも作ってたんじゃないのか」
「それはあり得るな」
一学は頷き、冷酒を一口飲んだ。
「だろ? だいたい、田舎侍どもはやることがイチイチ汚いんだよ」
一学の同意に気をよくして、オレはさらに冷酒をあおる。
「飲み過ぎだ、もう止めとけ。今夜に襲撃があったらどうする気だ。ここの屋敷は呉服橋の屋敷より、守り難いんだぞ」
確かにそうだ。人気のない郊外にある今の屋敷。
加えて邸内には、オレと一学しか手練がいない。
吉良家は高家。その格式高い家柄が邪魔をして、家臣に剣客は少数だ。
「襲撃がいつあるか分からん、あまりカリカリするな。そうだ、加代に会って気を鎮めたらどうだ?」
加代はオレが親しくしている女だ。
「まあ、気が向いたらな」
「もしお前が死んだら、あの娘泣くぞ?」
「かもな」
肩を竦める。
心優しい女だから、きっと泣くだろう。
「分かった。時間があるときに、顔を見に行くとするわ」
冷酒を飲み干して立ち上がる。
「もう寝る。お先に」
オレは背を向けてヒラヒラと手を振りつつ、襖を開けて部屋を出た。
堀部安兵衛
元禄十五年(一七〇二年)十二月十四日、深夜。
「さすが!」
オレは堀部安兵衛と斬り合いながら、その強さに痺れていた。
今どきこれほどの獲物には、滅多にお目にかかれない。
「ただ、あんたの悲劇は主君に恵まれなかったことだな!」
二ノ太刀、三ノ太刀。鋭い!
オレは退がりつつ、堀部の剣戟をかろうじて弾く。
やはり強い。小太刀を持ったオレの鉄壁の防御を、ここまで撃ち崩してくるとは。
「亡き殿を悪く言うなッ!」
怒声がきて、堀部の剣速が増した。
「暗君だっただろ、内匠頭は」
会話も武器になる。もっと挑発して、冷静さを失わせてやる。
「殿の愚弄は許さん!!」
問答無用とばかりに、堀部は刀を振り回してくる。
それでいて、動作に無駄がない。正確に急所を狙ってくる。
「あんたらは仇討ちを建前に、刀を振り回したいだけだろが」
オレは大きく後ろへ退がって、距離を取る。
「違う! 大義のためだ!!」
堀部は容赦なく、距離を詰めてきた。
クソ! 追い足も速い。
「卑怯な闇討ちのどこに、大義があるってんだ! 寝言は寝てから言え!」
雪の積もった寒い日に、夜襲を仕掛けてきた。
しかも火消し装束に身を包んだ上に、「火事だ!」と叫んで完全武装で殴り込んできたのだ。
卑劣な真似を。
「亡き主君の仇を討って、何が悪い!」
「逆恨みだろうが! だいたい、仇討ちってのは親族がやるもんだろ。元家来が勝手にやるな!」
オレは堀部の太刀を捌いて、反撃に転じる。
ようやく、太刀筋が読めるようになってきた。
基本に忠実すぎるのも考えものだ。おかげで太刀筋が読み易い。
しかも、頭に血が昇っているためか、堀部の攻めは徐々に単調になってきている。
さすが内匠頭の信者、短気で浅慮だ。
「内匠頭が死んだのは自業自得だ! 責任転嫁するな!」
上段からの斬り下ろしを弾き、左の貫き手で目を狙う。
「そういうのを逆ギレと言うんだ!」
「悪いのは上野介だッ!」
貫き手が屈んでかわされた。そのまま踏み込んで、胴を薙いでくる。
「主君が狂人なら、家臣も狂人ってか!」
ガッ! 体重の乗った重い一撃を、小太刀で必死に受け止める。
一進一退の攻防。ここまで勝負は、まったくの互角。
やはり話すだけ無駄か。だったら後はもう、どちらが強いかのみ。
勝てば官軍負ければ賊軍、というわけだ。
「隠居した老人を闇討ちすることに、どんな正義がある!」
距離を詰めて薙ぐ。退がってかわされた。
「あんたらは、かっこいい死に場所を求めてるだけだろうが!」
反撃がきた。袈裟斬り。横に跳んでかわし、喉を狙って突く。
「それの何が悪い!」
刀で弾かれた。首を狙って薙いでくる。
「やっぱりそれが本音か!」
跳び退ってかわす。
ヤバイ!
こんな時に不謹慎かもしれないが、この紙一重の斬り合いが楽しくて仕方がない。
「だったら大義だの何だの、ゴチャゴチャ言うな! 興醒めなんだよ!」
戦いたいから戦う、それでいいじゃないか。それ以外のものはすべて、不純物だ。
再度、堀部が詰めてきた。
よし! ここで仕掛ける!
オレは素速く懐に左手を入れると、苦無をつかんで投げた。
「なに!?」
堀部は横っ跳びにかわしたが、大きく体勢を崩した。よほど意表をつかれたらしい。
もらった! 踏み込む。
首筋を狙って薙ぐ。刀で防がれた。だが詰んだ!
左手で懐から秘かに抜いていた合口で、右肘を突き刺す。
基本にはないオレの奥の手だ。
「グッ!」
堀部が苦痛に表情を歪ませる。
右肘を壊したから、もう刀は振れまい。
ダメ押しで、首筋に一撃入れて気絶させねば。
ズガッ! そのとき後ろから、何者かに背中を棒かなにかで殴られた。
乱戦の中、一対一の勝負に気を取られ過ぎていた。
ガッ! 間髪入れず、今度は顔に一撃もらった。
しまった! 加代、すまん。
一瞬走馬灯が見えたのち、意識が飛んだ。
高田郡兵衛
吉良邸が赤穂浪人の襲撃を受けてから数日後、夕刻の高田馬場。
少し前から小雨が降っていたが、そろそろ止みそうである。
番傘をさして待つこと四半刻(約三十分)。ようやく待ち人がやって来た。
身長は並だが鍛え抜かれているのは佇まいで分かる。オレと同類だ。呼び出した高田郡兵衛で間違いないだろう。
「どうやら、手紙は読んでもらえたようだな」
「山吉新一郎か。吉良家の家臣が、いったいオレになんの用だ?」
やや喧嘩腰だ。無理もないが。
「そんなに警戒しなくても」
軽く手のひらを広げて制止する。
「赤穂浪人が上野介様の首を獲った今、我々がいがみ合う理由もないだろう?」
「それは……。いや、そう簡単に割り切れるものじゃない」
「そうかい。まあ、そういったしがらみはいったん横に置いておくとして」
オレは単刀直入に本題を切り出す。
「オレと立ち合え」
少し、間があった。
「それこそ、理由は?」
「あんた、討たれた上野介様は影武者だったんじゃないかと、あちこち嗅ぎ回ってるだろ? そんな事実はないが、目障りなんでな」
「それは影武者説に、信ぴょう性が増す話だな」
「いや、今のはただの建前だ」
首を振って見せる。
「赤穂浪人にやられて、ムシャクシャしててね。その憂さ晴らしが本音さ」
数日前に赤穂浪人にやられた怪我はまだ完治していないが、もう体は充分に動く。
それに、手負いの獣ほど怖いものはない。
「憂さ晴らし? それこそ建前じゃないのか?」
「さあね」
肩を竦めて見せる。
「で、やるのかやらないのかどっちだ?」
「やる」
高田の眼が妖しく光った。
「あんたは強そうだ。相手にとって不足はない」
空気が変わった。二人の間に鋭い緊張が走る。
「好戦的だな。さすが元浅野家家臣、槍の郡兵衛」
オレは唇の端を歪めて笑う。
「あんたも殴り込みに参加できなくて、ムシャクシャしてたんだろ?」
――高田郡兵衛は槍の達人であり、堀部安兵衛の親友でもある。槍を持たせれば、堀部より強いとも聞く。
現在。討ち入りに参加しなかった赤穂浪人への世間の風当たりは、相当に厳しいらしい。
「不忠者」だとか「臆病者」などと、罵声を浴びせられているとか。
外野が随分と勝手な言い草だが、後ろ指をさされて気分のいい人間はいまい。
特に高田は武勇で知られた男、風当たりは人一倍強いはず。
高田が泉岳寺に祝い酒を持っていったら、罵声を受けて追い返されたとまで聞く。
他家への仕官話も流れただろう。悲惨な話だ。
やはり高田もまた、生まれてくる時代を間違えた人間なのだろう。
「面白い。オレに死に場所を用意してくれるってか?」
「どうかな」
オレは肩を竦めて大きく息を吐く。
「ただ、追い腹切るぐらいなら斬り死にしたほうがマシだろ? 刀槍に生きる人間としては」
強者に、世間の悪評に耐えかねての自害なんて似合わない。
斬り死にこそが相応しい。
「意外だな。吉良の家来に、あんたみたいな漢がいたなんて」
高田の眼光がさらに増した。興奮気味だ。
血の滾りを抑えきれないように見える。
まあ、それはオレも同じだが。
「本当はもう一人、いたんだけどな。襲撃があった夜に斬り死にしちまった」
――清水一学。オレの親友だった男だ。
だが、今は感傷に浸る時ではない。
「じゃあ、そろそろ」
オレは番傘を捨てて小太刀に手をかけ、
「ああ、やろうぜ」
高田も着けていた蓑を捨て、手槍(短い槍)の鞘に手をかけた。
同時に獲物を抜き、構えを取る。
「――その構え。あんたが強いのは分かるけど、小太刀じゃ槍に勝てないぜ」
高田は手槍を右前半身に構え、オレも小太刀を右手に半身に構えている。
「それはやってみなけりゃ分からんだろ?」
「そうだなっ!」
高田が先制の突きを入れてきた。オレは小太刀で捌く。
――いいね! オレはこういう単純で愚直な男が嫌いではない。
数回の牽制の突きの後、高田は本気の突きを入れてきた。
その連続突きの速さが、徐々に増してくる。
マズイ。このままでは捌ききれなくなる。
さすが槍。兵器の王の名は伊達ではない。
ましてやその使い手が、槍の郡兵衛といわれた男なのだからなおさら手に負えない。
分かっていたことだが、獲物の長さが違いすぎる。
懐に入らなければオレに勝ち目はない。
顔、喉、脇腹。穂先が的確に急所を狙ってくる。
しかも速い! 鋭い!
ピッ! 鉄壁の防御の間隙をついて、穂先が頬を掠めた。出血。
ヤバイ! 動きが読めない。癖が分からない。防戦で手一杯だ。
ここは一旦、距離を取っ――ズルッ!
「しまった!」
退がろうとしたら、ぬかるみに足を取られた。
「もらった!!」
高田が全力で喉に突きを入れてくる。
――かかった!
わざと隙を見せたら、やはり全力で急所を突いてきた。
この必殺の一撃を待っていた。
ガッ! 全力。小太刀で手槍の軌道を逸らす。
高田の顔に困惑の色が浮かんだ。
今ので確実に殺ったと、確信していたのだろう。
ここだ!
オレは素速く懐に左手を入れると、苦無を掴んで投げた。
「な!?」
高田は咄嗟に屈んでかわしたが、大きく体勢を崩した。完全に想定外だったようだ。
同時に。ピタリと手槍の柄に小太刀をつけた。
そのまま小太刀を滑らせ、一気に間合いを詰める。
この時にはすでに、オレは左手で懐から合口を抜いていた。
「ちぃっ!」
高田は迷わず手槍を手放し、腰の刀に手をかけた。
いい判断だ。が、オレのほうがわずかに速い!
「がぁっ!」
合口が高田の右肩を貫いた。
勝負ありだ。
高田はドスンと尻餅をついた。
どこか満足気な表情に見える。
「オレの負けだ。殺せ」
潔いことだ。
武士道とは死ぬことと見つけたりか? だが、
「断る」
オレは即答し、小太刀と合口を鞘に納めた。
それから、懐から一通の書状を取り出す。
「代わりに、これを受け取ってくれ。憂さ晴らしさせてくれた礼だ」
「礼? なんだよこれ?」
怪訝そうな表情で、高田は受け取った。
「米沢藩上杉家への推薦状だ。気が向いたら仕官するといい」
「な!? それはいったい、どういうつもりだ?」
声に怒気が混じっている。怒らせたらしい。
まあ、気持ちは分からなくもないが。
「情けをかける気か!?」
「いいや、違う」
首を横に振る。
「だから、礼だよ礼。完全燃焼させてくれた礼だ。あんたならこの感覚、分かるだろ?」
刀槍に生きる者のみが持つその感覚が。血の滾りが。
「それに、オレは強者が好きでね」
一応。オレも上杉家では、赤穂浪人相手に勇戦した強者ということで通っている。だから顔がきく。
しかも、上杉家は外様ながら謙信公を祖とする、全国でも屈指の武闘派大名。高田とは相性がいいだろう。
「そもそも。乱心した主君のために殉死とか、下らないだろ」
殉死を望む堀部たちには悪いが。
正直、理解に苦しむ。
オレは肩を竦めて苦笑して見せた。
「その腕ではもう、満足に槍を振るえないだろ。今日、槍の郡兵衛は死んだんだ。今後は山吉弥次郎兵衛と名乗って、別人として生きていくといい」
オレの遠縁ということにしておいたほうが、上杉家では都合がいいだろう。
推薦状にも、そう書いておいた。
「それじゃ、憂さ晴らしできてこっちの用は済んだから。あんたも満足できただろ?」
表情から察するに――。
高田にも不満はないようだ。
「影武者とか、どうでもいいことはもう忘れろ。生きてりゃきっといいことあるさ。じゃあ、縁があったらまた会おう」
雨はもう完全に止んでいたが、オレは番傘を拾ってその場を後にした。
色部安長
吉良邸が赤穂浪人の襲撃に遭ってから、数年後――
「主君を守るために命がけで戦ったお主らこそ、真の忠臣というべきであろう」
桜田にある上杉家上屋敷の一室。目の前で座している人物は、そう言って誉めてくれた。
襲撃を受けた夜に斬り死にした一学たちも、今の言葉を喜んでくれているだろうか。
「そう言っていただけるのは、ありがたいのですが」
オレはため息をついた。
あの夜に気絶させられた自分は、未だに生き恥を晒してしまっている。
「吉良家は改易となった上に、主君である左兵衛様(上野介の跡継ぎ)は、諏訪にて病死されてしまいました」
赤穂浪人たちの目標はあくまで上野介様の首だったので、自分のように傷を負わされても止めをさされなかった者は数多くいた。
左兵衛様もそのうちの一人だ。オレは左兵衛様の近習をしていた。
ただ、赤穂側には一人の死者も出ていない。そういう意味では、一方的な殺戮だったと言える。
だが、今でも江戸では討ち入りが持て囃されているという。あんな暴挙を、義挙だと。
「別にお主のせいではあるまい。気にするな」
そう言われても、気休めにしか聞こえなかった。
「結局、負ければ賊軍です。関ヶ原で負けた西軍みたいな気分ですよ」
「お主は上杉家が西軍だったことを知っていて、言っておるのか?」
「あ」
片手で口を抑える。
「失礼いたしました、色部様」
――米沢藩上杉家江戸家老、色部安長様。一六六六石取り。知略と寛大さを併せ持つ人物と聞く。
「構わぬ。そんな上杉家だからこそ、お主の気持ちも分かるというもの」
色部様は大きく頷かれた。
「色部様。恐れながら、影武者の件はいったいどうなったのでしょうか?」
高田郡兵衛との立ち合い以降、こちらはまったくその話を聞かされていない。
上野介様は、今もどこかで生きていたりするのだろうか?
「政の話ゆえ、お主は知らなくてよい」
「承知いたしました」
平伏する。
藪をつついて蛇を出す、ということわざもある。
下手に触れないほうがいいだろうと判断した。
「そういう弁えたところが、お主のいいところよな」
色部様はニコリと笑った。
「恐れ入ります」
上々の返答ができたことに胸を撫で下ろし、さらに深く頭を下げる。
「さて。それはともかく、左兵衛様も亡くなられた。今後お主は、米沢藩に再仕官するがよい。父と息子のために奮戦してくれたお主のことは、亡き殿も評価しておられた。もちろん今の殿も」
――出羽国米沢藩の藩主である上杉綱憲様は、上野介様の実子であり左兵衛様の父でもある。
上杉家は外様ではあるが、謙信公を祖とするだけあって、未だに大名の中でも指折りの武闘派だ。
そんな上杉家の藩主が実の父親を助けなかったため、江戸市中では上杉家までが悪く言われていた。
その心痛からか、綱憲様は討ち入り後二年と経たずに病死。現在はその子、吉憲様が藩主である。
「ただ、禄は五石三人扶持となるが」
色部様は申し訳なさそうに言った。
上杉家は末期養子による相続の代償として、三十万石から十五万石に減封されている。
にもかかわらず家臣を切り捨てないので、財政が逼迫しているのだろう。
「充分です」
短く答えて頭を下げた。
どうせ運良く拾った命だ。贅沢は言うまい。
しかしあれだ。赤穂浪人たちが未だに世間でチヤホヤされているというのは、やはり面白くない。
あの夜。吉良邸では四十名以上の死傷者が出たし、オレの顔にも一生消えない刀傷がついた。
刀傷は名誉の負傷だが、目立つし怖がられる。
何が忠義だ、何が義挙だ。あんなのは逆ギレした食い詰め浪人どもが起こした、ただの暴挙だ。
にもかかわらず、世間の人間は好き勝手なことを言う。ただ娯楽に飢えているだけの連中が。
彼らは犬公方(徳川綱吉)や幕府を批判して、憂さ晴らししたいだけだろう。
あるいは、赤穂浪人四十六人が切腹させられたことに同情したのかもしれないが、本当は討ち入りを予想も期待もしていなかった癖に。判官びいきだ。
その時ふと、加代の顔が頭に浮かんだ。
――けどまぁいいか。雀がなにを囀ろうが、鷹は気にせず悠然としていればいい。
オレは唇の端を歪めて冷笑した。
終章
「ちょっと新一郎、起きなさいよ。いつまで寝てるの」
「んあ?」
「どうかしたの? ぼけっとして」
「いや、ちょっと夢を見てた。飲み過ぎたせいかな」
夕刻。芝居茶屋で酒を飲んで居眠りしていたところを、親しくしている茶汲女の加代に起こされた。
彼女は二十歳前後の美人で、酔っ払いに絡まれていたところを助けたのがきっかけで知り合った。
――なんだかおかしな夢を見ていた気がする。
オレが吉良邸で赤穂浪人たちと斬り合ったり、槍の郡兵衛と立ち合ったりとか。
今どき、斬り合いなんて流行らない。時代遅れだ。
それに、オレは加代を置いてあの世へ行くつもりはない。大泣きされそうだし。
どうして赤穂の浪人たちには、この世には家や主君よりも大事なものがあることが分からないのか。
惚れた女と所帯を持って、子供を作って幸せに暮らす。
それ以上になにを望むのか? それ以上は強欲というものだ。
まあ、貧すれば鈍するということかもしれないが。
誰しも、貧乏が極まればまともな判断なんてできない。
金が無ければ酒どころか、飯もまともに食えない。
自分だけでなく、家族にもまともに飯を食わせてやれない。
ヤケを起こすのも暴発するのも、無理はないのかも。
やるせない。酒が飲みたくもなる。
「加代、酒――」
睨まれた。
「水をくれ」
やはり酒の飲み過ぎで頭が痛い。
もともと、オレは酒が強いほうではない。
「はい、どうぞ。赤穂の浪人たちが仇討ちを企んでるって噂だから、あんたも気をつけなさいよ」
「大丈夫だ。上手くやるさ」
ゆっくりと水を一口飲む。
と、閃いた。
「そうだ! 暇をもらって、お伊勢参りに行くとしよう」
そうすれば討ち入りがあってもやり過ごせる。
これぞ処世術!
「加代も一緒にどう?」
「なにを言ってるのよもう、酔っ払い」
頬が少し赤い。満更でもなさそうに見えるのは、気のせいだろうか?
「いい案だと思ったんだけどな」
腕組みして考えてみる。
縁起でもないけど、さっきの夢は予知夢だったりして。
だったら――。
「とはいえ、しがらみもあるし難しいか」
「それはそうでしょ」
加代は呆れ顔だ。
まあ、酔った頭で考えた案なぞそんなものだろう。
なんとなく、腰の小太刀の柄を叩いてみる。
やはり、鍛え抜いた剣技が頼みの綱か。
世知辛く物騒な世の中だ。
「けどまあ、心配するな。お前がいる限り、オレは死なない」
ドンと胸を叩いて、ニヤリと笑って見せる。
「なに言ってるんだか」
照れ隠しなのか、加代はやれやれと首を振って厨房へ行ってしまった。
割と本気で言ったのだが、つれないことだ。
いったいいつになったら、オレと所帯を持ってくれる気になるのか。
酔った頭で考える。
……分からない。オレは剣術馬鹿だし。
そうだあれだ。男と女の間には、海よりも広くて深い川があるということなのでは?
なんだかさらに頭が痛くなってきたが、さらに考えてみる。
「斬り結ぶ太刀の下こそ地獄なれ、一足踏み込めそこは極楽」という歌がある。
中途半端はいけない、思い切って踏み込めば活路は開けるといった意味だ。
実際、オレはこの歌にあるように踏み込んでいつも勝利してきた。
よし決めた! 男は度胸だ!
オレは水を飲み干して、今度加代に会った時に結婚を申し込むと決めた。
――多数の赤穂浪人との斬り合いにも匹敵するような、オレの人生における一大決戦が始まろうとしていた。
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