タイトル未定2025/09/28 12:38
冬の寒さが一段やわらぎ、どこかからあたたかな風が吹いてくる、そんな陽気の日であった。
この日も、礼郎とたよりは、妙顕寺の離れで待ち合わせ、密やかに闘茶を楽しんでいた。
あまりにのめり込んでいたので、二人は小屋の外で聞き耳を立てている者の存在には当然気づかなかった。
彼女は妙顕寺に通う村娘の一人であった。
彼女が二人の動向をいぶかしむようになったのは、つい先日のことであった。
本堂での説教を終えたその日の午後、彼女は裏の離れに向かってこそこそと歩いてゆく礼郎を見つけた。
彼女は密かに礼郎を好いていた。
そのため、礼郎の後から離れに入って行ったたよりの姿を見て、とても驚いた。
二人してこんなところで何をしているのだろう――。
彼女は小屋に近づき聞き耳を立てた。
すると予想に反して聞こえてきたのは、色っぽい声色などではなく、闘茶の掛け声であった。
彼女は寺に通ううちに文字を読むことを覚えていた。
最近、村のいたるところに看板が掲げられていた。
そこには、「闘茶禁止」の文字があった。
彼女は、何故二人がこそこそと密会のような形で会っているのか、その理由を知った。
そうして、連日、聞き耳を立てている中で、彼女の中に小さな炎が灯った。
それは、決して礼郎とたよりの間に割って入れない、嫉妬の炎であった。
その炎は彼女の身を連日連夜焦がした。
そうしてその日、彼女は狂わんばかりの心地で、役所の扉を叩いたのであった。
あの女――たよりと言ったか、礼郎殿をたぶらかす、あの女を戒めてやろう。
彼女はその日、小屋の傍に立って、二人が闘茶をしている最中、役人がやってくるのを声を潜めてひたすらに待った。
果たして、役人は数名連れ立ってやってきた。
彼女の目の前で、役人は小屋にずかずかと入っていき、礼郎を捕らえた。
彼女は飛び出して行った。
「違うんです。闘茶をそそのかしたのは、その女なのです。礼郎殿は悪くない――」
彼女は役人にそう訴えた。
しかし役人は、「このような女子が闘茶を知るはずあるまい。男がたぶらかしたに決まっておろう」と言うばかり。
彼女の訴えは退けられ、たよりは捨て置かれ、礼郎だけがしょっぴかれて行ったのであった。
突然のことにたよりは彼女に詰め寄ったが、彼女は逃げ出しそれきり、妙顕寺に二度と近寄らなくなってしまったのである。
しょっぴかれた礼郎は考えていた。
一体、誰が俺たちが闘茶をしていたことを告げ口したのか――と。
しかしその答えを知るには至らず、礼郎は冷たい牢の中へと入れられた。
たよりの行動は早かった。
自分一人では話が通じないと判断し、円仁に訳を話してついてきてもらい、その日のうちには牢の番人と口をきくまでになっていた。
「どうぞ、礼郎殿を牢から出してやってくださいませ。彼は無実です」
たよりの必死の訴えにも、番人は譲らなかった。
「もし、礼郎殿を釈放してくだされば、一晩、私がお相手いたしますれば」
番人は笑った。
「結構な心意気だ。しかし俺は元来男が好きでな」
するとこれを聞いていた円仁が言った。
「では私がお相手いたしましょう」
女のように線が細く色白である円仁に、番人はじろりと目を向けた。
「悪いが俺にも好みというものがある。お前を抱くくらいなら、しょっぴいた小僧を抱きたいものだ」
これを礼郎は牢の中で聞いていた。
両腕をしばられ、身動きできない頭で、礼郎は考えた。
そうして、礼郎は、牢の中からぽつりとつぶやいた。
「では、俺がお相手しよう」
礼郎のこの発言には、たよりと円仁の、二人がいきり立った。
「何を言う礼郎!おぬしにそのようなことが出来るはずがあるまい!」
それを牢の番人が制した。
「まぁまて、よい話ではないか」
番人は舌なめずりをして、礼郎の全身を眺めた。
「知っておるか。時の将軍がそばに置いておる世阿弥という舞手は、夜の舞も得意なのだそうだ。おぬしはどうかな」
そう言うと、番人はくつくつと喉を鳴らした。
「礼郎!ふざけたことをぬかすな!考え直せ!」
たよりは叫んだ。
しかし礼郎は、きっと番人の両目を見定め、
「世阿弥よりも上手に舞ってみせましょう」
と言い、にやりと笑った。
それを見たたよりは絶句し、円仁は悲壮な目を礼郎に向けた。
番人は、ひとこと「ほう」と言うと、後ろ手に礼郎をひっ捕まえ、連れ立って奥の座敷へと消えていった。
残されたたよりと円仁は、なすすべもなく、肩を落として帰路についた。
妙顕寺に帰り、礼郎の不在を問いただす経徳に、たよりは顛末を告げた。
経徳は鬼のように怒った。
「闘茶をしておったのは、たより、おぬしもであろう?」
経徳の指摘はもっともであった。
「ああ、だが私はおろかで、物を知らぬ女子ということで不問とされた。礼郎がそそのかしたということにされてしまった」
円仁は、「私が闘茶について教えねばよかった」ともらした。
経徳はそれを聞いて円仁を咎め、果ては西念寺の連中をののしった。
経徳の吐き出す罵詈雑言は、春先のなまあたたかな陽気の中に、ただむなしく溶けていくのであった。