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婚約破棄された食いしん坊姫、海を渡って平民出身の王子と下剋上を目指す

作者: 林檎





 春の宵。

 室内だというのに、桃色の花の咲く大きな木が中央に植わった、美しい設えのダンスホール。木の植わっている上部分は、そこだけポッカリと天井がなく半円状のガラス屋根が造られて、昼間ならば木に十分に陽光が届くように設計されている。

 楽団の演奏するのは、鈴の音が連続しているかのような調べのワルツ。床のタイルはモノトーンの大きな幾何学模様で、着飾った紳士淑女がその上で舞うと衣装の色を仄かに反射して彩られた。

 セントール王国の国王主催の舞踏会は、まだ始まったばかりだというのに大盛り上がりだった。


「おい! 音楽を止めろ!」


 そこに、片手にシャンパングラス、もう片手に豊満な胸が溢れんばかりの派手なドレスの美女を抱いた、セントール国第一王子・マイクが酔っ払って千鳥足で登場した。

 そして彼がグラスを床に叩きつけると、ガシャンッという耳障りな音がホールに響渡る。


「ルル! お前との婚約を破棄して、俺は恋人のアネモネと結婚する!」


 カッ、と一人の女性に注目が集まる。

 婚約者のマイク王子が不在だったので、壁の花にすら徹さず軽食のテーブルに常駐していたルル、こと隣国のルルーシェリ王女。

 夜空の色のドレスに、小さな真珠をたくさん縫い付けたミルキーウェイ。淡い金の髪は編み込みにしてサイドに垂らし、そこここに生花と真珠が飾られている。

 彼女は、突然のご指名に焦った。


「……むぐ」


 今、スモークサーモンとクリームチーズのカナッペを齧ったところなのだ。

 ちょっとキャビアも乗ってた。本当は一番たくさん乗ってるカナッペが欲しかったのに、それは別の人に取られてしまったので、二番目のを取って食べたばかり、なのだ。


「……。……んん」


 ルルは極美味カナッぺの味わいを堪能出来るギリギリの速さで咀嚼し、ごくりとシャンパンで喉を潤してから、王女らしい威厳を持ってビシッと姿勢を正した。

 一連の動作は、舞踏会の招待客たちに全て見られている。時既にだいぶ遅しである。


「……マイク殿下。突然何をおっしゃいますか。私とあなたの婚約は国同士で決めたもの。簡単に反故に出来ません」

「うるさい女め!俺はお前のそういうところが大嫌いなんだ!」


 ルルの一連の行動を見ての罵りがそこなあたり、マイクは確かにルルのことをよく見もしない程嫌いなのだろう。絶対にツッコむところはそこではなかった筈だ。


「なんだ、そこ? 早く言ってくれたら、そこそこボリューム落とすことも出来たのに! ……ほら、これぐらいの声量も私、出来てよ?」


 マイクが人前だというのにざっくばらんに話すものだから、馬鹿馬鹿しくなってルルは猫を脱ぐ。

 既に招待客たちは、彼女が最初から上手に猫を被れていないことは知っていたが。


「リアルな声量の話じゃない! つくづく馬鹿だな! お前ときたら、他国から俺の妃になる為にやってきたくせに、王子妃教育も受けずに王子の公務である書類仕事ばかりしおって……優秀アピールのつもりか、でしゃばりめ!」

「それって私が悪い系? 王子妃教育は故国を出るまでに修了してるんだもん。勿論この国仕様のやつを。国史暗唱しようか? 国章刺繍しようか? だいたい、書類仕事はマイク様が溜めに溜めてたからじゃない〜 文官に泣きつかれて手伝い始めただけで、私からやりますって言ったんじゃないよ? あと母語なのにスペルミス多いの、気をつけなね」


「うるさいうるさい! とにかく! 王子妃の仕事は、王子である俺を癒すことが最優先だ! なのに、お前は夜に寝室を訪ねて行った俺を、部屋にも入れなかった!」


「相手が婚約者であれど、未婚の男性を部屋には入れません。しかも深夜に一人で忍んでやってきた男なんて……はっ! あの暗殺者かと思って投げ飛ばした相手は、まさかマイク様だったんですか!?」

「う!」

「え? この国の女性は、約束したわけでもないのに深夜に勝手にやってきた男を部屋に入れるのが常識なの? ごめんなさい、調べが足りなかったわ」


 ルルは頭を掻いて苦笑する。

 まさかのマイクの所業に、会場はシン……と静まり返った。


「あぁん! マイク様ったら、こんな色気のない女と婚約させられて可哀想!」


 そこで突然、マイクに腰を抱かれている真っ赤なドレスの女が素っ頓狂な悲鳴を上げた。

 まさか許可なく別の者が話に入って来るとは、ルルは驚いて紫色の大きな目を丸くした。ついでに喉が乾いたので、すぐ近くに立っていた給仕から水のグラスを受け取る。


「てか誰」

「アネモネよ!」

「俺の恋人に失礼なことをいうな!」

「他国の王女かつ婚約者には失礼言うのにぃ?」


 驚いてルルが片手で口を覆うと、その時ばかりは招待客たちも大いに頷いていた。自国の王子とはいえ、ルルに対するマイクの態度は大変失礼だと感じたのだろう。

 どうもルルがケロッとしているのでうっかりスルーしてしまいそうだが、彼女は隣国の王女。最上級の礼儀で接するべき賓客なのだ。


「マイク様が見限るのも当然だわ。色気はないし、なんだかガサツだし、本当に王女なの? こんな女が王妃になるなんてゾッとしちゃう」

「あらら。それって私への侮辱でもあり、我が故国エルドランドへの侮辱でもあるわね」


 アネモネは勝ち誇ってせせら笑ったが、ルルは呆れてしまった。

 ちなみにルルはわざわざ口にしなかったが、マイクは第一王子ではあるが次期国王である「王太子」ではない。

 現セントール王には三人の王子と二人の王女がいて、王位は男女どちらにも継ぐ資格がある。そして、まだ王太子は決まっていないのだ。

 マイクが後継者争いで一歩リードしていたのは、友好国である隣国エルドランドの王女と婚約しているからに他ならない。

 つまり、ルルのことだ。


「アネモネのいう通りだ! 真に愛する者と結婚してこそ家庭に対して責任を感じ、王としても立派に職務を務めることが出来るだろう。お前なんかと結婚しても、生活に張り合いがない!」

「プライベートの状況がなんであれ、仕事である以上真っ当に務めるのが最低条件よ。まして王なんて責任の重い立場はね」


 水のグラスを飲み干すと、ルルはため息をついた。

 随分失礼なことを言ってくれるものだ。はるばる隣国から嫁ぐ為にやってきたのに、お前が妻では張り合いがない、と大勢の前で言うなんて本当に腹の立つ。

 こんな男、たとえ縋られたとしても、こちらから切り捨ててやる。


「いいわよ、私と故国を馬鹿にしてまでその女と結婚したいなら、婚約破棄してあげるわ」

「フンッ偉そうに!」

「その言葉、そっくりそのまま返すけど……」


 そこでようやく、舞踏会の一番最初に開会宣言をしたのち、部屋へと下がっていたセントール王と王妃がやってきた。

 彼らは道すがら、現状を聞きながら来たのだろう。会場に着いた時には顔色を真っ青にしていた。シャンパンをがぶ飲みして、強かに酔っている第一王子の顔の色とは対称的だ。


「マイク! お前何をしている!」

「父上! 今ちょうどこの女が婚約破棄を了承したところです!」

「マイク……まさか、本当に婚約破棄などとルルーシェリ姫に言ったのか! あれほどやめろと言っただろう! 馬鹿者が!」


 どうやらマイクは、先にセントール王に直談判していたらしい。そこで大反対されたので、こんな大勢の前で直接婚約破棄などと言い出したのだ。

 確かに、これだけの目撃者がもう後には引けない。それに、どんな意味があっても。

 十分に意味が分かっているセントール王は、青褪めた顔でルルの前までやってきた。


「ルルーシェリ姫。どうかこの事は、酔った息子の戯言として流しては……」

「いただけないことは、国王陛下が十分にお分かりの筈。ご子息とその恋人は、エルドランドを代表して嫁ぐ予定の私を侮辱しました。そして、エルドランドとの契約を一方的に破棄することを宣言しました。この会場にいるすべての人が証人です」


 国王主催の舞踏会だ。招待客の中には、他国からの来賓も当のエルドランドの貴族もいる。

 特にアットホームで王族と国民が仲の良いエルドランドの民は、ルルーシェリ姫への侮辱を絶対に許さないだろう。


「これ以降の話は、我が国の外交官がお聞きします。それでは皆様ごきげんよう」


 ルルはにっこりと微笑むと、ふわりと夜空色のドレスの裾を翻して、ダンスホールの出口に向かった。エルドランド側の護衛とメイドも追従する。

 セントールの王子が国同士の契約を一方的に破ったのだ。

 益がないので戦争にはならないが、どれほどの賠償を求められるか、セントール国王夫妻はさらに顔を青くしている。


「見ろ、アネモネ! あの女、尻尾を巻いて逃げていくぞ!」

「やったわ、マイク様! 私、これで王妃になれますね!」

「ああ、世界一幸せな花嫁してやるとも!」


 マイクとアネモネは、まだ事の重大さが分かっておらず、勝利宣言をして盛り上がっていた。

 もはやこの二人の間でも話が噛み合っていないが、互い自分に夢中になっていて気づいていない。


「うーん。真っ直ぐ帰国すると、家族にめちゃくちゃ揶揄われそうねぇ……」


 間抜けな会話を背に、ルルは悩みつつ歩を進める。そこでふと、出口の壁際に立つ男と目があった。

 緑の瞳に短い銀の髪、光沢のある黒地の上着。胸ポケットのチーフの刺繍は、海の向こうの国の国章だった。

 彼は、


「あ、キャビアいっぱい乗ったの食べた人」

「こんばんは、エルドランドの姫。ところで次は、うちの国に来ませんか? 美味い海鮮が豊富です」

「参りましょう」


 即決即断。

 こうして、エルドランドの姫・ルルーシェリは、セントールのマイク王子と婚約破棄をしたのち、海の向こうのロイレーヌ国の王子に請われて渡海した。

 これだけ聞くと、まるでラブロマンス小説のあらすじのようだった。実際は食い気に釣られただけである。


 ・

 ・

 ・


「え。あなた、王子だったんですか?」


 ロイレーヌへ向かう船旅の途中。

 甲板に設けた食卓で、今朝釣った魚が料理されてテーブルに提供された。ルルにとっては最高の環境である。

 向かいの席に座る、カナッペ争いの勝者である銀髪の男は朗らかに笑った。


「テセウス・ロイレーヌです。よろしく」

「ルルーシェリ・エルドランドです。知らぬこととはいえ、無礼な口をきいて申し訳ありません」

「とんでもない。ぜひ気さくに話してください、俺もあなたのことはルルと呼びたい」

「それはあまりにも気さくすぎませんか」


 ルルは胡乱な眼差しをテセウスに向ける。その流れで海風が淡い金の髪をさらっていき、ふわりと揺れた。

 テセウスは、婚約破棄の舞踏会で顔を合わせただけの相手にしては、流石に馴れ馴れしすぎる。


 エルドランドの第七王女であるルルは、語学が堪能で物怖じしないので王族代表として外交に出ることが多い。ほとぼりが冷めるまで帰国はしなくていい、と父王からも仰せつかっているので現在喜んで遊学の身なのだ。

 その一環でロイレーヌに向かうので、一応それ相応の扱いをしてもらわないと、姫として立つ背がない。


「いや、真面目に言ってる。外交に強いエルドランドの姫。婚約破棄したのなら、次の相手に俺を選んでくれないか」


 テセウス王子は、ルルのグラスにきりりと冷えた白ワインを注ぎながら言った。片手でボトルを持つ、腕の筋がたいへん男らしい。

 彼の瞳の色は、南国の海の色をしている。

 大型船の甲板は磨き上げられていて、陽光は明るいが強くはなく、吹き抜ける風が心地よい。


「どうして?」

「あなたは俺が王子だと知らなかった、と言ったが。それは当然のことなんだ。俺は三年前までは平民として、故郷で母と二人で暮らしていた。突如ロイレーヌ国王が俺の母と当時恋仲だったことを発表し、俺は王子として城に招き入れられた」

「わあ」


 突然始まったドロドロ後継者争い話に、ルルは焼き目のついた大きな海老を切る手が止まらない。このオレンジのソースつけて食べると、またたまらなく美味だ。


「現在後継者争いをしているのは俺を含め、三人。残虐な第一王子と、卑怯な第二王子、そして清廉潔白で誠実がウリの元平民の第三王子」

「自分だけすごい盛ってるぅ〜」

「求婚してるんだから、自分のいいところはアピールしないと」


 そう言いながら、テセウスは自分の皿からエビフライをルルにくれた。いい奴。


「どうして私なの?」

「婚約破棄されたばかりで狙い目であること。エルドランドは大国で、元平民の俺にとってこれ以上ない後ろ盾になること。あとは……飯を美味しく食べる人と結婚するのが、ガキの頃からの夢だったから」

「最後だけ全然違う理由だった。あ、ねぇフライにレモン絞っていい?」

「いいよ。食の好みが同じってのは大事な要素だろ。別に俺を愛さなくてもいい。一緒に国を守ってくれる、出来れば気の合う人とパートナーになりたいんだ」


 白身魚のフライにレモンをかけて、一切れフォークで刺してルルは口に運んだ。揚げたて熱々で美味しい。ここに冷えた白ワインを流し込むのは、痛快ですらある。


「じゃあなんで、あなたは王になりたいの? 普通それまで平民だったなら……お金だけもらって王位継承権を返上の道もあったでしょ」


 ルルの言葉にテセウスの瞳がギラリとした光を帯びる。


「元平民だからこそ、だ。第一王子も第二王子も、どちらが王になっても、今より国をよくしてくれるとは思えない。……悪くなる予想しかない。それなら、まだ無知でも俺がなった方がマシだ。国の……いや、平民の為になるなら、俺はなんだってやるし、俺より向いてる人を見つけたら譲ることも出来る」


 そこまで国政は簡単ではないと思うが、テセウスが平民として危機感を感じる程に二人の王子は不適格なのだろう。ロイレーヌ、やばいな。


「私にメリットは?」

「それは正直、俺が提供出来るものなんて美味い海鮮ぐらいだ。もし王妃になったとしても、贅沢三昧は約束出来ない。俺にばかり益のある話だよ。後は……あなたを生涯の伴侶として、大切にする……なんて、当たり前のことしか言えない」


 テセウスは苦く笑い、アヒージョ用に硬いパンを薄く切ってルルの皿に置いた。

 それからは、ルルの判断に任せるとばかりに料理を黙々と食べ始めた。スピードは早いがガツガツとはしておらず、すいすいと美味そうに平らげていく。

 時折彼は、ルルのグラスにワインを足したり、自分の分は分厚くパンを切ったりした。


「……」


 冷えた白ワインは辛口で、甘辛酸っぱいそれぞれの料理に合う懐の広い味が、ルルの好みだった。

 フライの皿が空になるまで考えて、次にバジルソースのかかった魚介グリルがテーブルに置かれた時にルルの腹は決まった。


「分かった。いいよ、婚約しよう」

「! ……自分で言っておいて、本当にいいのか? もっと俺を知る時間とか……」

「相手が誰でも、婚約してから初対面なんてのは王族の結婚では普通にあること。今回は、それよりはマシなぐらいよ」


 少なくとも、理想があって、そこそこ現実的な考えを持ち、テセウスがルルと同じぐらい食いしん坊な男だということはわかった。

 愛は、後から育めばいい。

 ルルは、政治的に重要ではない第七王女な上にセントールの王子と婚約破棄したばかりなので、求婚者は他にいない。この後エルドランドに連絡して了承をもらう必要は勿論あるが、ルルの見立てでは父王とエルドランド議会からは承認を得られるだろう。


「一応父に聞いて見るけど、多分大丈夫だと思う」

「ロイレーヌ側からも、正式な婚約申込書をお送りする」


 テセウスがすかさず言ったので、ルルは満足して頷いた。

 既にルルはマイクの件でセントールから十分に賠償金をせしめている。その直後なので、金にならない結婚も許されよう。

 などとロマンの欠片もないことを考えていたら、テセウスは席を立っていつの間にルルの前に跪いていた。


「王子様が容易く膝をつくものじゃないわよ」

「容易くないさ。生涯一度の求婚なんだから」


 そう言われて、それもそうか、とルルは納得した。そのまま見ていると、彼は正式な作法に則りルルに求婚した。


「ルルーシェリ・エルドランド姫。テセウス・ロイレーヌがお願い申し上げる。俺と、結婚してください」

「いいよ」


 大輪の花束も大粒も宝石もなかったが、美味しいご飯と綺麗な海が見える場所での求婚は、悪くなかった。

 ルルとテセウスはこうして婚約し、ロイレーヌへと入国した。


 ・


 それから早ひと月。

 かつての婚約者であるマイクは横柄な男だったが、セントール国はルルにとって居心地が良かった。きちんとエルドランドからきた婚約者の姫として扱われていたし、皆親切だった。

 しかしロイレーヌでのルルの扱いは、まあ悪い。結構悪い。

 正式な第三王子の婚約者なのに、王城での滞在が許可されていないのだ。ルル自身は住まいにコダワリはないが、エルドランドの姫への扱いとしては腹が立つことこの上ない。


「美味しい海鮮だけは死守してよね!」

「美味しいよ?」


 ルルが文句を言うと、テセウスはイカの串焼きを差し出してきた。宮廷マナーには背くが、屋台のマナーはこのまま立ち食いが正解だ。ルルは串焼きにかぶりついた。

 ここはロイレーヌの王都、港町ネイジュール。ルルは、王城ではなく街に建つ迎賓館に滞在していて、街に出やすいのでテセウスをお伴にちょくちょく出歩いているのだ。


「テセウスが育ったのは王都じゃないんだね」

「うん、山のほうの村。母の故郷なんだ」

「ロイレーヌって海の国のイメージだったから、意外だわ」

「皆そう。だから、俺の故郷は避暑で有名な観光地だよ」


 ロイレーヌで、わざわざルルの扱いだけが悪いのではない。

 単純に、新しく婚約者になったテセウスに対する城内での扱いが悪いのだ。ルルは婚約者としてその煽りを食らっているだけ。

 平民の子であり、突然現れた派閥を持たない王位継承権を持つ男。しかも彼が雑魚なら皆適当に扱っただろうが、テセウス自身は優秀な男だった。

 城に入って三年で、王子として必要な学習とすべて終え、第三王子として公務に出るようにまでなってしまった。そして彼は、大陸の大国エルドランドの姫を婚約者に迎えて帰国したのだ。

 これまで残虐な第一王子派か、卑怯な第二王子派かで分かれていた城内勢力図をひっくり返すには、十分なダークホース。


「平民人気は高そうだね」

「そうだな。俺の公務はそういう方面のものが多いし」


 あちこちでテセウスは国民に声を掛けられていた。なるほど、開かれた王族、気さくで精悍な美丈夫の王子様。そりゃ人気が出る。

 他が残虐と卑怯と称されるのならば、尚更だろう。


「貴族に賄賂ばら撒いたり、政敵である兄たちを陥れたりしなくていいの」

「物騒な。後継者指名は、父王に委ねられている。俺は俺のやるべきことを誠実かつ確実にこなして、俺の

 有能さを示すだけだよ」

「……少なくとも、卑怯の第二王子は邪魔して来ると思うけど。多分、弱点の私を使って」


 テセウス自身に欠点らしい欠点はなく、なんなら武術もメキメキ頭角を表しているので、護衛もついている彼自身を襲撃して成功する確率は低い。

 それなら碌に護衛のついていないルルを攫って、無体を強いる方がよほど簡単だ。そしてテセウスは後ろ盾を無くす。


「俺がそんなことさせない」

「頼りにしてるわ婚約者さん」


 テセウスはキュッと表情を引き締めた。

 ルルが露天で甘いジュースを購入すると、彼はすぐにコルクを開けてくれた。ぽん、と小気味よい音がして、シュワッと炭酸が弾ける。

 甘くてシュワシュワしているジュースを飲みながら、ルルはそんなに上手くいくかな? と考えていた。


 理想の高い、平民出身の王子様。彼は人間の汚さは知っていても、政治的な醜さは知らないのではないか?


 ・


 そして、更にひと月。

 今夜はロイレーヌ王家主催の舞踏会の夜だった。

 ロイレーヌの王城は、海に向かって大きく開いたバルコニーがあり、波や貝を模した意匠が柱や天井に施されている。ルルにとっては、最初に入国して、国王に謁見して以来の王城だ。

 今夜はパール光沢のある桃色のドレス。腰まではすっきりと体に添い、ドレスの裾にかけてどんどん広がっていくラインが魚の尾鰭のようで美しい。宝飾は、テセウスのくれた小さな宝石のついたネックレスだけで、後は細い銀のリボンで髪を飾った。

 こんな小さな宝飾しか贈れなくて申し訳ない、とテセウスは謝っていたが、ルルはこれが気に入っている。自分の淡い金髪や白い肌に合う色だし、テセウスの瞳の色だ。

 他国の王女としてではなく、テセウスの婚約者として舞踏会に出席するのに、これほど相応しい装いはないだろう。

 控室を出ると、第三王子自ら迎えにきてくれていて、ルルの心は浮き立つ。


「お待たせ」

「……綺麗だな」

「そうでしょうとも」


 最後にルルが出席した舞踏会は、例のマイクとの婚約破棄の場だった。あの時、マイクもこうして迎えに来るべき立場である婚約者であったというのに、彼は現れなかった。

 それどころか、遅れて登場した際にはアネモネを抱いて登場したのだ。その後の婚約破棄騒動で、ルルはエルドランドの姫としての立場での立ち振る舞いが必要だったので自分個々人の感情は無視した。

 だが実は、あの時「女の子としてのルル」もたいへんに傷ついたのだった。

 その傷ついた気持ちを、テセウスの行動が優しく慰撫してくれるかのようだ。


「王子様のエスコート。いい気分だわ」

「俺は王女様をエスコートするのは、緊張する」

「あら、早く慣れてちょうだい」

「どのみちずっと繰り返すんだから、その内慣れるとは思うけど……なるべく早く慣れるように、善処する」


 ずっと。

 なかなかいい言葉だ。ルルは現金にも、ご機嫌になった。そして、なるほど、自分は結構傷ついていたのか、とようやく自覚したのだった。


 今夜のテセウスの装いは濃灰色の夜会服で、豪華で美しい飾り帯にはルルの瞳と同じ色の宝石が象嵌されている。こちらは、ルルが婚約の祝いに彼に贈ったもの。

 第三王子に、強力な後ろ盾がついたことがひと目で分かるように、ちょっと目立つものにしておいた。

 案の定、舞踏会場に着くと、皆の注目が集まる。


 センセーショナルなデビューを果たした、平民出身の第三王子。その彼が国に連れ帰ってきた婚約者は、大国の王女。

 ルルは、ざわざわしている出席者たちなど気にせず、麗しく笑ってテセウスと共に奥へと進んだ。

 そこには国王夫妻が座していて、皆からの挨拶を受けているところだ。ただの出席者であれば列に並んで待つべきシーンだが、テセウスは王子様だ。皆が列を開いて、道を通してくれた。

 悠々と国王の前に辿り着き、ルルとテセウスは最敬礼をする。


「ああ、ルルーシェリ姫。今宵も美しいな」

「ありがとうございます」


 国王とは二言三言話をして、その場は終わった。彼はテセウスに父親らしい言葉をかけていたが、特段声に情が混じっている様子はない。

 わざわざ平民として暮らしていた母子の存在を明るみに出してまで、城に連れてきた第三王子なのだ。もう少し何かあると、ルルは勝手に思っていた。王妃の方も、テセウスを憎んでいるだとかそういった素振りもない。

 挨拶の輪を抜けて、ひと気の少ない壁際までくるとテセウスがホッと肩から力を抜いた。


「緊張してたの?」

「うん。陛下に会うといつも緊張する」


 父親と息子、というよりはまさに主従、もしくは上司と部下のように見えた。テセウスの方でも、王を父親として慕っているようには見えない。

 ルルは大家族で、エルドランド王である父のことは母や他の母、腹違いの兄弟たちも皆慕っているので、ロイレーヌの親子関係は奇妙に見えた。


「仲が悪い訳ではないんだ。……あの方は後継者を決める為に、今は特に王子達を厳しい目で見ておられる」

「なるほど」


 ルルが、ロイレーヌに来てふた月。

 三人の王子のことは表面的にだがかなりわかってきた。三人ともそれぞれに秀でた面があるが、やはり上の王子達が王になれば、平民には苦境が強いられるように感じた。

 残虐の第一王子フォーヴは、軍力強化を掲げていて周辺諸国を併呑することを虎視眈々と狙っている。ロイレーヌは海運業が盛んで確かに国自体の生産力は弱いが、それを補強する為に生産力の強い国を奪おうというのは、ヤクザな考え方すぎる。

 そして卑怯な第二王子ウォードは、部下の仕事の横取りばかりしている。公務と称しては大金を使い込んでいて、自分が楽をして相手から奪うことばかりに注力しているのだ。王子、もしくは王としての政治的理念はなさそうだ。


「後継者指名って近々行われるものなの?」

「半年後の建国記念祭で発表される。王はもうお年だし、すぐに王位を譲るわけではないが王太子となった者の準備期間も必要だろ」

「確かに確かに」


 頷きながら、ルルは立食形式の料理をパクパクと食べる。さすが海の国、王城のシェフの海鮮料理は街のそれとはレベルが違う。大きなホタテを軽くグリルしたものにバジルソースがかかったものは、おかわりしてしまった。

 とはいえ街のレストランの味も、別腹で愛してはいるルルである。


「このシャンパン、ちょっと花の香りがする〜濃いめのソースの料理に合う〜」

「あ、味変でこのスパイスちょっと振るといい」

「何これ、雰囲気ガラッと変わる! 大人の味!」


 残虐王子も卑怯王子も舞踏会会場に出席しているが、それぞれの派閥の者に囲まれている。こちらにやってくる気配はないので、顔だけ確認しておいた。

 二人ともテセウスと同じ髪色で、顔立ちは兄二人はよく似ている。それぞれ母親似なのか。

 テセウスは先ほど挨拶した国王に似ていないので、故郷にいる母親似なのだろう。

 第三王子の彼にはまだ派閥らしい派閥はなく、王子に対して挨拶に来る者はいるが政治の話をしてくる者はいなかった。ゆえに二人して、食事を堪能しているのだ。


「美味しい〜ロイレーヌに来て良かったー」

「セントールより?」

「ご飯はこっちの方が好み」

「それはよかった」


 テセウスは朗らかに笑う。結構面白い男だ、とルルは思う。

 急に後継者争いの渦中に放り込まれた割に、自分の望みを叶える為にルルを娶ろうと画策したり、かと思えば一緒に食べ歩きをしたり。

 一緒に過ごせば過ごすほど、違う面が見えてくる。


「退屈しなくていいよ」


 ルルが言うと、テセウスは面白そうに瞳を輝かせた。

 そこに、若い男性が近づいて来て挨拶をしてきた。新興の男爵家の当主で、同じく新興の貴族達を紹介したいのだという。

 古参の貴族たちは既に残虐王子か卑怯王子に付いてしまっているが、新興の貴族は第三王子に興味があるようだ。


「ルル」

「ええ。どうぞ行ってらして」


 まだ婚約者にすぎないルルは、ロイレーヌの政治の輪には加わらない方がいいだろう。テセウスの言いたいことを先に読んで、彼を促した。

 すぐ戻る、と言ってテセウスがその男爵と共に人の生垣の向こうに去っていく。その堂々とした背中は、なかなかの男ぶりだ。短い銀の髪が、シャンデリの光を弾いて控えめに輝く。

 最近はしょっちゅうテセウスと一緒にいたので、こんな大勢人のいるところで一人になったのは久しぶりだった。ロイレーヌの社交界に出るのは今夜が初めてなので、顔見知りもいない。

 もう少し食事を堪能したら、テセウスに伝言を残して迎賓館に帰るのもいいかもしれない。

 そんなことを考えつつ、ルルはもう一杯、シャンパンを飲んだ。


 そこで。

 急に、背後から口元に布が当てられて、奥へと引き摺り込まれる。


「!」


 叫ぼうにも布が邪魔で声は出ないし、誰もルルには注目していない。壁の花になっていたのが運悪く、あっという間に背後のカーテンの向こう、つまり窓の外へと連れ出されてしまったのだ。

 ルルは焦りながらも相手を探ろうとしたが、口に当てられた布に麻酔が仕込まれていたらしく、そのまま意識は遠のいていった。


 こうして、舞踏会のさなか、ルルーシェリ姫は何者かに誘拐された。


 ・


 次にルルが目を覚ましたのは、予想に反して煌びやかな客室だった。

 自分が狙われることは想定内だったが、その場合速やかに城から連れ出されて粗末な小屋に監禁されると考えていたのだ。

 天蓋付きのベッド、重厚な絨毯、飴色の家具。窓には分厚いカーテンが引かれている。

 細かい場所は分からないが、まだ城内にいることは間違いなさそうだ。ルルがどれほど眠っていたかは分からないが、長時間城内に拘束しておくことにメリットはあるだろうか?


「……っ……?」


 声を出そうとして、ルルは困惑した。

 意識はしっかりあるが、体が動かないし声が出ない。動けないことが分かっているからか、縛られてすらいなかった。ルルは必死に腕を動かそうと力を入れたが、ほんの僅かに指を震わせることしか出来ない。

 内心でジタバタとしていると、ぐい、と肩を引かれてベッドに仰向けにされた。


「!」


 視界に入り込んできたのは、これは予想通り卑怯な第二王子ウォード殿下。

 テセウスと同じ色の銀の髪、瞳の色は深い青でこれはロイレーヌ国王と同じ色だった。顔立ちは母親である王妃様似の優男。


「エルドランドの姫か。なかなかの美人じゃないか」

「顔が多少整っているかもしれないが、性格がひん曲がっているんだ」

「!」


 ここで、またしてもルルにとって想定内の人物が現れた。

 今となっては懐かしい、セントールの第一王子マイクだ。彼は最後に見たあの夜よりも面窶れしていて、自慢のハンサムな顔が台無しだ。着ているものも、派手好きな彼にしては地味だし薄汚れている。


「しかしマイク殿には助かった。ルルーシェリ姫の動きを教えてくれたおかげで、あの平民と引き離すのは簡単だった」

「ああ。ああいう場面では、この女は男を立てるフリをすると思っていたら案の定だ。そちらの第三王子もよほど味方が欲しいのだろう。この女を置いて、金で懐柔した男爵にあっさりと着いて行ったな」


 マイクとウォードは、そこで愉快げに笑い合う。


「まったく……俺がどんな目に遭ったか、お前は知らないだろう」


 マイクは、憎々しげにこちらを見下ろして言った。

 ルルとマイクの婚約破棄の後、彼がどうなったのかは勿論把握していた。

 セントールはエルドランドに多額の賠償金と一部取引商品の関税引き下げを求められて承諾し、大打撃を受けた。その金は王子としてのマイクに用意された予算から分割で支払われることになり、マイクは苦境に立たされたのだ。


「本当に大変だったんだからな! アネモネはいなくなったし、あの薄情な女め!」


 たまりかねた様子で、マイクが怒鳴る。

 当然王位継承権は取り上げられ、王妃になれない上に貧乏暮らしだと気づいたアネモネはすぐに逃走。その後捕縛され、彼女は彼女で罰が与えられる予定だ。一方、廃嫡と王子予算の差押えがマイクへの罰であり、彼の身柄は拘束されなかった。

 その時点で、マイクがルルに逆恨みで復讐にくることは予想がついていた。


「まあまあ。この女が俺のものなるところを見れば、マイク殿の溜飲もいくらか下がるだろう」


 そう言って、ウォードはベッドに乗り上げてきた。

 なるほど、とルルは冷や汗をかきながら考える。卑怯な第二王子は、第三王子の利である「大国の後ろ盾」をそっくりそのまま奪うつもりなのだ。

 つまり、ルルを奪って、己のモノにすることで。なんて醜悪な計画だろうか。


「ああ、この女が抵抗せずウォード殿に身を委ねていたことは、俺が目撃証言をしよう」


 マイクが私怨からウォードに加担して入れ知恵をして、ウォードはわざわざ見つかるようなところでルルを汚す。その為に城から連れ出さず、犯行現場に客室を選んだのだ。

 攫われてから時間がどれほど経ったかは知らないが、王城主催の舞踏会ならば夜中になってもまだ開催されているし、出席者もまだ大勢残っている筈だ。


「俺の好みじゃないけど、まああの平民の女だと思えば楽しめるか」


 ウォードはニタリと笑ってルルの髪をいじる。体にギリギリ触れない距離で手の平が移動していき、気持ち悪い。

 薬で動けないようにしてあって、縄がかけられていないのも「ルルが自ら身を委ねていた」と見せかける為だ。

 しかし、馬鹿王子と卑怯王子の分際で、調子に乗らないで欲しいものだ。

 ルルは自分が狙われる可能性も、マイクが復讐にくる可能性にも気づいていた。そんな状況で、彼らのことを野放しにして、のほほんと食べ歩きをしていたとでも思っているのだろうか?


「そこまでだ、ウォード! 俺の婚約者から離れろ!」


 ばん! と大きな音を立てて客室の扉が開き、テセウスが部屋に飛び込んできた。

 彼はベッドの上で組み敷かれたルルを見た瞬間、放たれた矢のように走り寄り、ルルに覆いかぶさろうとしていたウォードのことを殴り飛ばす。


「ルルに触るな!」

「ぐぁっ!」


 ウォードは派手な音を立てて床に殴り飛ばされ、悲鳴を上げる。

 その頃にはルルに使われた薬の効果は緩んできていて、首を巡らせて声を出すことは出来るようになっていた。


「私は無事よ! 指一本触れられていないわ!」


 テセウスの後ろからエルドランドのルルの護衛たちが次々に部屋に入ってきて、素早くウォードとマイクを拘束した。ついで、客室の窓のカーテンの向こうから、ルル付きのメイドが姿を表す。


「エレーナ、話聞いてた?」

「ばっちりです。計画の全容をべらべら喋ってくれたので、一言一句全て聞きました!」


 エレーナと呼ばれたメイドは、実はずっとルルの近くで隠れていたのだ。

 舞踏会会場でテセウスが離れたのちにルルが誘拐されるのを見届けると、その後を付けて、この部屋にこっそりとバルコニー側から侵入してじっと潜んでいたのだ。

 いよいよルルが危なくなれば、エレーナが介入する手筈となっていて、それまではマイクとウォードの計画に聞き耳を立てていた。

 部屋の中は騒然となり、王子二人が拘束されるのを見届ける前にテセウスがルルの下へと駆け寄ってくる。


「ルル! 大丈夫か」

「なんか盛られたけど大丈夫。私の無事はエレーナが証言してくれるわ」

「自ら囮になるなんて、本当になんて無茶をするんだ……せめて俺に相談してくれ」


 そう。

 マイクの動向もウォードの性格も把握していたルルは、自分が無防備に一人になれば何かしらのアクションを起こしてくれると踏んでいたのだ。その為に、エルドランドの姫としての矜持を曲げて迎賓館に滞在したり、王都をぶらぶら食べ歩きしたりと泳いでいたのに、奴らときたら行動が遅くてヤキモキしてしまった。

 いやまあ、食べ歩きは趣味だが。


「ごめん。テセウスに言ったら反対されるのは分かってたから」

「当たり前だろ」

「うん。でも平民出身の第三王子様。あなたに使える手札は少ないわ」

「……うん」

「その中で成果を上げる為には、リスクを冒す必要があった。なら、最大限リスクを減らして迎え撃つのが、私たちに出来るベストな戦法だと思ったの」


 ルルがそう言うと、テセウスが唸った。

 テセウスの持つ手札の中で、今一番強力なカードはルルだ。

 おそらく、彼がルルの立場ならば同じことを考えただろう。ルルは、テセウスのそういう性格も見抜いていた。

 けれどそれは仮定の話であってテセウスはテセウスだ。ルルではない。

 そしてテセウスは、求婚の際に言った「ルルを大切にする」を至極真面目に実行しようとしてくれているだけなのだ。


「……俺は、ルルを危険な目に遭わせたくなかったよ」

「ありがとう。私もテセウスを守る為にしたの。私なあなたを大切にするって決めたから」


 ルルが微笑んで見せると、テセウスが控えめに手を差し出した。それを見て、ルルは首を傾げる。


「なに?」

「ルルが無事なのを確かめたいから、抱きしめてもいいかな」

「……いいよ。あなたは私の婚約者なんだから」


 ルルがそう言うと、テセウスの長くて温かい腕がルルの背中を抱きしめた。ぎゅう、と力を入れられると、痛いぐらいだが、何故か心地よい。

 先ほどウォードに触られそうになった時は吐き気がするほど嫌だったが、同じ男でもテセウスの腕の中は安心する。


「ルル。今度から俺も作戦会議に入れてくれ。王位継承の話は、俺が当事者の筈だ」

「うん……」

「俺は王になりたいけど……大切な人を犠牲にして、なりたいわけじゃないんだ。一緒に戦わせてくれ」


 その言い方が面白くて、ルルは肩を振るわせた。

 ルルは大国の姫だが、第七王女と気楽な立場で、自分の身の使い方をよく心得ている。ロイレーヌの中でも、ある程度自由に動かせるエルドランドの人員もいるし、予想出来る脅威にならば対処可能だと考えていた。

 だから、テセウスがルルを大切にしたいように、ルルもテセウスを守ってあげたい、と思っていたのだが。


「俺にも、ルルを守らせて」

「分かった」


 僅かに震えるテセウスの、その広い背中を抱きしめてルルは深い安堵のため息をついた。

 仕方がない、私の婚約者は怖がりなのだ。守らせてやるか、と。


 ・


 その後。

 卑怯な第二王子、ウォードは廃嫡が決定した。

 ロイレーヌとエルドランドは友好国であり、ルルがロイレーヌに遊学滞在していることとテセウスとの婚約は正式に発表されていて、各国でも知られていること。その滞在中の他国の姫を、当国の王子が襲った、と言うのは大変な事件だ。

 幸い、王女と一緒に誘拐されていたメイドが王女の純潔を証言することが出来、王女の身柄もエルドランドの護衛が保護した。速やかな解決のおかげでこの事件はロイレーヌとエルドランドの双方だけで終結させ、世界中に知られることはなかったが、ウォードの犯した罪の大きさは消えようがない。

 その為、ウォードは廃嫡し辺境の地で幽閉、という罰が与えられることとなった。


 ちなみにマイクは二度目の罪なので、セントールではなくエルドランドの司法によって裁かれることとなる。

 元王子とはいえ、こちらも今や廃嫡された平民同然の身。おまけに王女を害そうとし大罪人だ。毒杯などという生温い罰では終わらないだろう。


「ぷはー! 昼下がりに飲むビールは背徳的な味がするわね」


 ロイレーヌ城下のオープンテラスのレストラン。今日も今日とて迎賓館に滞在中のルルは、外歩きもとい外呑みを楽しんでいた。

 大きな白身魚を一匹丸々使ったアクアパッツァ、アンチョビのピザ、魚介と海藻のサラダ。肉厚の海老ステーキ。故国エルドランドは内陸国なので、ルルは海鮮料理に目がないのだ。


「ルルって、まさかロイレーヌのご飯が食べたくて、俺の求婚受けてくれたとかじゃないよね……?」


 料理に対してルルの食いつきがあまりにもいいので、向かいの席に座るテセウスは眉を下げて情けない声を出す。

 ウォードが廃嫡になったことで、彼の分の公務も回ってきて忙しい筈なのに、テセウスは律儀にルルの外歩きに付き合ってくれる。

 彼のいい食べっぷりをルルは気に入っているので、一緒に食卓を囲むのは大歓迎だ。


「それもある」

「他にも理由があるんだ?」


 テセウス意外そうに目を丸くした。一体自分をどれだけ食いしん坊だと思っているのだ、とルルはムッとしたので、大きく切った海老を口に放り込んで黙秘を貫いた。

 焼いてガリッと胡椒を振っただけなのに、どうしてこんなに美味しいんんだろう。プリプリだし。


「ルル?」


 しつこくテセウスが聞いてくるが、無視だ。

 黙々と食べていると、テセウスが白身魚の骨を取って深皿にアクアパッツァを取り分けてくれた。そのまま彼は新しい白ワインのコルクを抜き、分厚いグラスにとくとくと注ぐ。

 透き通る黄金色のワインと、本日も快晴の空と海。ロイレーヌの空気は乾いていて、暑い。

 無言で魚を食べてワインで喉を潤すと、ルルの気分が上向いてきた。


「私も、一緒に美味しいものを食べる相手を伴侶にしたいと思ってたの。その点、あなたは私に相応しい」


 グラス片手にルルが笑うと、魚介サラダを取り分けていたテセウスの顔が真っ赤になった。

 それを見て、ルルは驚いて目を丸くする。


「え? え? なに?」

「なんでもない!」


 しばらくしつこく聞いたが、テセウスが頑として口を割らなかった。ルルは渋々諦めて、ピザを頬張る。

 不満とピザとで膨らませているルルの頬に、テセウスの視線が刺さるものの、彼は最後まで黙秘の姿勢を崩さなかった。


 実は、セントールでルルがマイクに婚約破棄を言い渡された、あの舞踏会の夜。

 テセウスが、立食式の料理をどれを食べようかと真剣に悩む夜空色のドレスの姫に一目惚れをしたことを、当のルルが知るのは、もっとずっと後のことだ。


 しかしまだ、残虐の第一王子フォーヴの存在も気になるところだし、テセウスに王の器があるかどうかも重要なところ。問題は山積で、二人の道行きは険しい。

 それでも、二人でなら、なんとか乗り越えていけるのではないか、とルルは考えていた。


 とりあえず今日のところは、素敵な景色と美味しいご飯で、ルルは幸せなのだから。


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― 新着の感想 ―
気持ちよく食べる2人、いいですね! ぜひぜひ続編を~第1王子編希望です!
続きはあるのかしらん? 「残虐な第一王子」の繰り出す策が気になります。
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