残留
長年付き添った妻が死んだ。
空虚な思いや悲しさが沸き上がり、狭苦しい私の心を奪い合う。その痛痒い感覚から逃れたくてブラリと夜の河原を歩く。
生前、妻とよく通った土手は夜の天幕に隠されて鈴虫だけが存在を奏でる無そのもので、行き先も決めず流浪すれば埋められるかもしれないと思った隙間はやはりどうにもならない。
仕方なく家に帰るも、当然ながら明かりはない。
昔、私がよく働いていた時代。日も変わろうとする時間でも、妻は電気をつけて私を待っていた。よく、好物の炒飯を作り、居間で舟を漕いでいた。そして私の気配に気づき目をしばたくと、こう呟くのだ。
あら帰ってきたの、おかえりなさい。
素っ気ない、だが愛情の滲むその声が私をどれほど暖めていたか。ついぞお前に語らずじまいだったのだなと、私は改めて思い知り、次第に沸き上がる苛立ちにうち震える。
何故。どうして。置いてった? いつもいつも待ってくれたお前。どこに行ってしまったのか。
家には私一人。
明かりもなく、炒飯はすでに腐っている。
ついに、やり場のない怒りに耐えられず、私は噴き出す感情のままにちゃぶ台やらなにやらをひっくり返し始めた。
吹き荒れる鬱憤は晴れることなく体躯をせめぎあい、駆けずり回り、弾け続ける。
それさえも苦痛になってようやく、私は畳に崩れるように膝を落とし、そして泣いた。
号泣した。
何故、何故何故何故。
「どうしてだ?」
嗚咽混じりに絞り出した疑問符が夏の芳香にとろけてゆく。肩で息をしながら、私はよろけながら仏壇に近づく。虚しくて悔しくてたまらない。
誰にも聞こえることのない言葉を吐く。
私は待っていたのに。お前を待っていたのに。
事切れたのに誰にも見つからず、死を通りすぎて壊れてゆくお前の肉体。仏壇に供えられた炒飯さえも共に腐っていく。こんなにもはっきりとお前の名残があるのに、どうしてお前は居ないのか。
「どうしてお前だけ天国に行けたんだ?」
答えるものはどこにもおらず。私はただただ、仏壇に置かれた炒飯と私の写真を俯瞰しながら、立ち尽くす。
2007年執筆。




