第45話 終戦
「色々と聞きたいことはあるが、話は纏まったか?」
「はい。ありがとうございますシ――」
姫様は俺に目を向けると、みるみるうちに顔を青くした。
そしてすぐさま俺の胸に手を当て、魔術式を記述する。
――光属性回復魔術:聖天の癒し
「ありがとうございます」
「ごめんなさい。私……」
姫様の表情は優れない。
どうやら俺を攻撃した事を悔やんでいるようだ。だけどそれは仕方のないことである。それが狂化の呪いという物だ。
俺は姫様の手を握った。
「気にしないでください。それに、俺は姫様が生きていてくれた事だけで十分です」
「……シン」
姫様が今にも泣き出しそうな目で見つめてくる。
なので俺は安心させようと微笑んだ。しかしそこで首筋に冷たいものを感じて頭上を振り返った。
レティシアがジト目を向けてきている。心なしか頬も膨れているように感じた。
なにかマズイことをしただろうか。
そんなレティシアは俺と目が合うと、プイッと視線を逸らした。
……んん?
よくわからないが、あまり時間はない。
今は他に優先すべき事がある。
だからレティシアの異変はひとまずは置いておく事にした。
俺は転がっているヴィクターに視線を向ける。
「ヴィクター! 起きてるだろ?」
俺の声かけにヴィクターがのそりと身体を起こす。
流石の豪胆さと言うべきか、レティシアを前にしても身体を震わせてはいなかった。
死への恐怖に打ち勝っている。それどころか好戦的な笑みを浮かべていた。
俺は若干呆れながらも注意を促しておく。
「……戦おうとするなよ」
「それはもちろんだ。近付いたら死ぬのだろう? 剣士であるオレに勝ち目はない。だが興味は捨てきれんさ!」
「まあいい。その口ぶりからだと話は聞いていたな?」
「すまないな。盗み聞きするつもりはなかったのだが、起きるタイミングを逃してしまった」
「それはいい。だがわかっているな?」
殺気を放つとヴィクターは大仰に頷いた。
「当然だ。他言無用だろう? 言葉で信じられないのなら契約でも結ぶか?」
契約。
それは口約束のことを指す言葉ではない。
魔術的な契約だ。
どちらか一方が契約を破れば、即座にもう片方に伝わる仕組みで、契約魔術という。
あらかじめ罰を契約に盛り込んでおけば、それがどんな罰であろうと即座に執行される。
しかし、そんなものは必要ない。
「お前はそんな男じゃないだろう?」
剣を交えればその者の性格は概ね理解できる。
俺から見たヴィクターは根っからの武人だ。戦闘狂なのは間違いないが、約束を破る男ではない。
「当然だ! 約束を守れない男は武人にあらず! それにオレは負けた! 敗者が勝者の要求を呑むのは当たり前だ!」
「では俺の質問にも答えてくれるか?」
「なんでも聞くが良い。知っていることならば答えよう!」
「話が早くて助かるな。では……帝国はどこまで知っている?」
無論、ゲーティスの正体や魔人の事だ。
元帥ともなれば知っていることも多いだろう。そう思って聞いたのだが、ヴィクターは首を振った。
「すまぬ。奴は陛下と内密に事を進めていたようでな。オレですら奴が呪術師だということしか知らなかった。まさか魔物だったとはな……」
「では魔人の事も?」
「魔人? 魔物の特徴を有した存在か?」
「そうだ」
「そちらも陛下の管轄だろうな。オレも初めて見た」
「本当か?」
そうは聞いてみたが答えはわかっていた。
「この刀に誓おう。……事実だ」
「全て皇帝の独断か。なら聞いても意味がないな」
「すまぬな」
「いや、いい。じゃあ最後に、まだ戦争を続ける気はあるか?」
軽く殺気を放つが、ヴィクターは取り合わずに首を振る。
「少なくともオレにはない。貴殿と彼女がいる時点で帝国に勝ち目はないからな。しかし本部の連中はわからない。貴殿と彼女を目の当たりにしていないことが理由だ」
「わかった。なら釘を刺しておくか。……レティシア!」
俺は上空に呼びかける。するとレティシアは首を傾げた。
「……ん?」
「そこに結界で足場を作ってもらえるか?」
「………………仕方ない」
どことなく不機嫌そうにレティシアは頷くと、魔術式を記述した。
そしてすぐ隣に透明な板を生成する。俺はそこに向かって縮地を使った。
一瞬でレティシアの元へ舞い上がり、結界に着地する。
「レティシア? もしかして俺、なんかしたか?」
「……なんでもない」
なんでもないと言う割には、俺の目を見ない。
こういう時はなんでもない訳がないのだ。しかし無理に聞き出すのも効果的ではない。
だから俺に取れる選択肢は先送りだけだった。
「……そうか? なら協力してくれるか?」
「……それはもちろん」
「じゃあ俺を帝国本陣に転移させてくれ。それで俺が腕を上げたら、できるだけ巨大な魔術式を記述して欲しい」
「……なるほど。……つまりは脅し?」
「そうだ。万に一つも変な考えを起こさない様に釘を刺す」
「……ん。……わかった。……なら転移させる」
「少し待て! シン・エルアス!」
レティシアが魔術式を記述する前に眼下からヴィクターが大声を張り上げた。そして何かを投げる。
凄まじい勢いで飛んできたソレを俺は掴み取った。
「これは……?」
それは龍の描かれた徽章だった。
先程まで、ヴィクターの胸に付いていた物だ。
「それを見せてオレを降したと言えば話が早いはずだ! 使え!」
「助かる! じゃあレティシア。……頼む」
「……ん」
レティシアが魔術式を記述し、視界が切り替わった。転移した場所は帝国軍本陣のど真ん中だ。
しかし、俺が囲まれる事はなかった。
……やっぱりここまで影響があったのか。
周囲には死屍累々の光景が広がっていた。
血を流して倒れている大量の帝国兵や、血のついた剣を茫然と見つめている帝国兵。
ここでも狂化の呪いが発動したのだろう。そして自我を失い、殺し合った。
……本当に忌々しい呪いだ。
そんな中、侵入者に気付いた生き残りの帝国兵たちが剣を向けてきた。
「貴様! 何者だ!?」
しかし俺を知っている者が居たのか、そのうちの何人かが剣を取り落とす。
「ま、まさか……! 貴様はシン・エルアス……!」
「嘘だろ!? ヤツは死んだはずじゃ……」
帝国兵の間にざわめきが広がっていく。
だから俺は注目を集めるために、不壊剣を抜き、地面に突き刺した。
「俺の名はシン・エルアス。一番偉いヤツを出せ」
しかし帝国兵は動かない。
どこか自信ありげにしている者が多かった。
「俺たちには元帥閣下がいるんだ! お前なんか――」
俺は大きくため息を吐き、帝国兵の言葉を遮った。
早速、徽章の出番だ。
「ヴィクター=エクリプスなら既に降した」
俺は手の中の徽章を掲げた。すると帝国兵の表情が絶望に染まっていく。
「状況が理解出来たな? ならば早く連れてこい! さもなくば……」
俺は軽く殺気を放つ。
それだけで多くの帝国兵が腰を抜かした。
「わ、わかった。い、いま連れてくる!」
何人かの兵士が走り去っていく。
そしてしばらくすると一人の男を連れてきた。
とくに特徴のない男だ。ここらにいる帝国兵よりはかなり強い。しかしヴィクターには遠く及ばない。
そんな男が尊大に言い放つ。
「私の名は――」
「名前なんてどうでもいい。お前が指揮官か?」
「貴様ぁぁあああ! 私を誰だと思っている!」
帝国の指揮官が激昂した。随分と短期な男だ。そして無駄にプライドが高いと見える。
こういう輩はそのプライドを圧し折るのが効果的だ。
「だから誰かなんて事は心底どうでもいい」
俺は縮地を使い指揮官の懐に入り込むと、不壊剣を首に突きつけた。指揮官の肌を浅く斬り裂き血が伝う。
「ひぃっ!」
俺は先ほどとは比べ物にならないほど濃密な殺気を放つ。そして要求を淡々と告げた。
「兵を退かせろ。そして二度と王国に足を踏み入れるな。もし従わないのなら――」
俺は右手を上げる。
すると打ち合わせ通りにレティシアが魔術式を記述した。
戦場全体を覆うほどに巨大な魔術式を。
「――滅ぼすぞ」
「ひぃっ!」
指揮官は俺の顔と、頭上に広がる魔術式を見て意識を失った。我を取り戻した帝国兵たちが転がるように逃げていく。
こうして王国と帝国の戦争、後にオルビット決戦と呼ばれる戦いは、王国の勝利で幕を下ろした。




