第35話 天衣無縫
アリシアの身体を淡い光が包み込む。
天衣無縫。
それはアリシアが創り上げた専用の魔術である。
分類される種別は強化魔術。人体に作用する光属性の回復魔術を強化へ転用した魔術だ。
「……行きます」
アリシアの姿が掻き消え、ヴィクターの前に姿を現した。そして天煌剣を振るう。
「ふはは!」
ヴィクターは真正面から迎え撃った。
天煌剣と大太刀が交差する。そしてアリシアがヴィクターの大太刀を弾き返した。
ヴィクターが嬉しそうに笑みを深くする。
「いいぞ! 流石だ!」
アリシアは勢いそのままに身体を一回転させ、遠心力を利用した一撃をヴィクターに向けて放つ。
「はぁぁあああ!!!」
強化された膂力から放たれる鋭い一撃。
ヴィクターは弾き返された大太刀を引き戻すが、アリシアの方が早かった。
無防備になった胴体に天煌剣は吸い込まれる。
しかし――。
――ガキンッ!
硬質な音が響き、天煌剣は揺らめくナニカに阻まれた。
それを予想していたアリシアは即座に後退する。
「……それが貴方の天恵ですか?」
アリシアは揺らめくナニカに見覚えがあった。
闘気だ。
それは魔力とは異なるエネルギー。専用の天恵を持つ者だけが扱える特殊な力だ。
しかしアリシアはこんなに洗練された闘気を見るのは初めてだった。
しかしてヴィクターは頷いた。
「そうだ。……闘神鬼。それがオレの天恵だ」
高位魔術である聖なる審判や、ヴィクター自身が放った炎属性魔術は闘気によって防がれたのだ。
アリシアの額に汗が伝う。
……まさか聖なる審判を防ぎ切る闘気が存在とは。
通常、闘気というものはそんなに便利なものではない。
せいぜいが己の肉体を強化して攻撃力を上げる程度だ。
それを考えるとヴィクターの纏う闘気は別物だと考えるべきだろう。
最悪なのは今だに闘気を防御にしか使っていないという事だ。闘気の真髄は攻撃力の向上にある。
アリシアは嫌な予感に天煌剣を握る力が強くなるのを感じた。そしてその予感は直ぐに現実となる。
ヴィクターの身体を闘気が包み込んでいく。
やがて全身に纏うと、額に闘気で出来た角が出現した。
「オレがこの姿になるのは魔王と戦った時以来だ。……姫騎士アリシアよ。ここからはオレも本気で行く。すぐに終わってくれるなよ?」
ヴィクターがニヤリと邪悪な笑みを浮かべる。
「望むところです!」
対するアリシアは自身を鼓舞する様に毅然と言い放った。
次の瞬間アリシアとヴィクターの姿が掻き消えた。
二人の刃が交差する。その衝撃で周囲の地面がひび割れ、捲れ上がっていく。
だがどちらも退かず、ただ剣と刀を振り続ける。
戦場に天変地異が巻き起こった。
そんな中でアリシアは全身に走る激痛に顔を歪めた。
それを見逃すヴィクターではない。
「どうやらその魔術。相当な負荷が掛かっているようだな?」
「……どうでしょうね?」
アリシアは不敵に笑って見せたが、ヴィクターの言葉は正しい。
天衣無縫にはデメリットが存在する。
常識はずれの身体能力を得る代わりに、身体が強化に耐え切れないのだ。そのせいで身体中が刻一刻と壊れていく。
今のアリシアは常に回復魔術を使い続け、なんとか持ち堪えている状態だ。
しかしそれにも限度がある。
天衣無縫はもって五分の短期決戦用魔術だ。
……早く決めないといけませんね。
戦況は互角だ。しかし時間はアリシアに味方しない。
互角ではダメなのだ。
アリシアはもう一段階、スピードを上げる。
「また上がったな? ならばオレは!」
大太刀から放たれる斬撃の威力が増した。
即座に受け切らないと判断したアリシアは大太刀を受け流す。そして煌剣を放つが、それは闘気によって阻まれた。
……やはり煌剣では闘気を貫けませんか。……なら!
アリシアは周囲に侍らせていた煌剣を光に戻し、天煌剣に纏わせる。
そしてヴィクターの斬撃を紙一重で躱し、光り輝く天煌剣を叩き付けた。
「はぁぁぁあああああ!!!」
アリシアの繰り出した全力の一撃は、ヴィクターの闘気を貫き、肌を浅く斬り裂いた。
……行ける!
絶対的な硬度を誇る闘気を貫けた。
ならば倒せないはずがない。アリシアは一気呵成に攻め立てる。
「ふはははは!!! オレが傷を負ったのは何年ぶりだ!? いいぞ姫騎士よ! 貴殿は最高の騎士である!!!」
ヴィクターが高笑いを響かせ、その攻撃が苛烈さを増す。斬撃の速度も上がり、アリシアは回避が困難になってきた。
「くっ!」
しかし受ける事も出来ない。
受けた瞬間に天煌剣は砕ける。そんな予感めいた確信があった。
……なら!
アリシアはさらに一段階速度を上げる。
回復魔術が追いつかなくなり、全身に激痛が走るが構っている暇はない。
……もっと! もっと早く!!!
ひたすら速度を上げていく。
それでもヴィクターは喰らい付いてきた。
……この男! 一体どこまで!
ならばもっと上げなくてはならない。
全てを出し切る覚悟で、アリシアは瞬間的に速度を上げた。
……一秒もいらない。刹那があれば十分!
結果として、ヴィクターはアリシアの姿を見失った。
その時には天煌剣がヴィクターの首元に迫り、闘気を斬り裂いていた。
――取った!
だが次の瞬間、アリシアは地に沈んでいた。
左胸に激痛が走る。
……えっ……?
アリシアには何が起こったのか理解できなかった。
気が付いた時には心臓が貫かれていた。
「がはっ」
アリシアは口から大量の血を吐く。
「……なに……が……」
「簡単な事だ。姿を見失っていようが、闘気を斬られればわかる。そこを斬ったまで。一撃で殺し切れていたのならば結果は変わっていただろうな……」
ヴィクターの呟きが遠く聞こえた。
……そんな馬鹿な事が。
そうは思う。しかし結果が全てだ。
「さらばだ。姫騎士アリシア=ハイルエルダー。楽しいひと時であったぞ」
そしてヴィクターは大太刀を引き抜くと、アリシアの首に向けて斬撃を放った。




