ホログラムリリィ
プロローグ
規則的な電子音が鳴り続ける病室の空気は重苦しい上に少し湿っていた。
白い天井から同色のカーテンを吊るして室内を区切った空間へ置かれたベッドの上で、少年が何本もの管に繋がれた状態で横たわっている。
布団からはみ出した少年の左腕は血の気が感じられなかった。さらには皮膚の色が浅黒く変色してしまっており、少しだけ左へ傾いた顔はまだ十歳にも満たない少年である事を疑ってしまいそうな程にやつれ、全身から生気が失われていた。
ただ一点、未だ光を失わない両目を除いて。
微かな、弱々しい少年の呼吸音がゆっくりと湿った室内の空気を震わせる。彼が呼吸をする度に生じるその微細な空気の振動は、まるで少年の命の叫びのようにも感じられた。
――――生きたい。
声帯を揺らす事が出来ない少年は、確かにそう叫んでいた。すると、少年の声に応えるかのように突然、カーテンが開け放たれる。彼の双眸は両手で顔を覆って取り乱す女性と、片腕で開けたカーテンを押さえつつ女性の姿に狼狽える若い白衣の男の姿を捉えていた。
「絶対に嫌です! この子の身体を切り刻むなんて!」
「大袈裟です……大掛かりな手術になることは間違いありませんが」
「私の子です、私がお腹を痛めて生んだ子です。この子の身体にメスを入れて、これ以上苦しめるなんて……」
「手術をしなかった場合、もってあと三日と私達はみています」
泣き顔を露わにして白衣の男へ詰め寄った少年の母親は、男の言葉に再び両手で顔を覆いその場に座り込んでしまう。白衣の男は困ったように後頭部を掻くが、説得を試みていた相手が感情を爆発させてしまっている以上しばらくは話にならないと判断し、ベッドへ近付くと少年の顔を見下ろした。
「……解ってるよ。もう身体は痛みも感覚も麻痺して、何も感じないんだろう? でも、それでも君は、君の目は、生きる事を諦めちゃいない。任せてくれ、僕が絶対に君を救ってみせる」
頷く事も出来ない少年の顔へ向けて決意を示した白衣の男は、もう一度蹲る女性へと説得を試み始める。
自分へ向けられた白い背中をぼんやりと少年は眺めながら、今さっき自らへかけられた言葉の意味を脳内でゆっくりと反芻していた。
――――ぼくを、救う?
幼い少年といえどもここまで身体の自由が効かなくなれば自分がどういった状態に置かれているのか嫌でも把握出来てしまう。
――――もうすぐ死んじゃうぼくを、助けてくれるって事?
言葉の意味を理解した途端に少年の心の中からは抑え切れない叫びが身体中を広がり始めた。
――――生きたい。
例え、身体を切り刻まれて人間じゃなくなってしまったとしても。
――――ぼくは……生きたい。
気付けば少年の瞳からは一筋の涙が零れ落ちていた。一滴、また一滴と枕に染み込んでいく少年の叫びに気付いた母親は、白衣の男が投げかけていた言葉を振り切って少年へ駆け寄り変色した左腕を力強く両手で握りしめる。
「泣いてる、息子は泣いてるんです! もう、もう……息子を楽にしてあげてください」
絞り出された母親の悲痛な思いに苦悶の表情を浮かべる白衣の男。
何としても少年を救いたい、何としても生きたい。二者の思いは同じでも、この場において命の選択権を持ったただ一人が生きる事を諦めていた。
「…………え?」
突然に母親の戸惑いが音となって口から出てしまったのは、自分の手が握り返された事に気が付いたから。本来ならばあり得ない出来事で白衣の男が言った通り少年の全身は既に感覚が失われており指の一本ですら動かすことが出来ない筈だったのだが、それでも少年は確かに母親の手を握り返していた。
「解ってる、解ってるわアダム。今まで辛かったでしょう? もう、頑張らなくても良いのよ……アダムは良く頑張ったわ」
「………………」
「最後にこうして手を握ってくれただけで私は充分。私の事は心配しなくても大丈夫だから」
少年は優しく語りかける母親の言葉に返事をする事が出来ない。だが、その涙で潤んだ瞳をしばたたかせる事もせずに、必死の思いで母親へと訴えかける。
「アダム……? 先生、息子の様子が、もしかして病変したんじゃ」
「僕からはお答え出来ません」
「なっ、医者が治療を放棄するって言うんですか!?」
「もっと良くアダム君の目を、瞳を見てあげてください、僕が彼の思いを代弁したら、それは僕の言葉になってしまう」
白衣の男から強く促されてもう一度少年の両目を覗き込む母親。涙で濡れた少年の両目は病気の影響もあり瞳の色が濁りかけていたが、それでも尚その奥で力強い光を放っている。
しばらくの間、親子は無言で見つめ合いお互いの気持ちを理解しようと、必死で脳と感覚を研ぎ澄まし続けた。そして、少年の母親は白衣の男へ振り返り言った。
「……手術を受けます。息子を、よろしくお願いします」
「僕が必ず、アダム君を救ってみせます!」
力強く白衣の男は返答して早速手術の準備へ取り掛かろうと病室を後にしようとした。しかし、建物全体に響き渡る一つのアナウンスが彼の足を止める。
『――――先程午前十時五十七分、危惧されていた国家間での大規模な戦闘が世界中で確認されました。我々報道記者はこの戦闘が可及的速やかに収束し、世界大戦を招く様な事態にならない事を強く望みます。国民の皆様は――――』
※
青空には雲が細かく点在し時折覗く太陽はまばらに地上を照らしていた。
朝特有の湿り気のある空気が都市を包み込み草木は朝露にその身を濡らしながら訪れた終末を為す術もなく眺めている。
――――世界の終わりはあっという間にやって来た。
人為的に引き起こされた大きな振動が街全体を震え上がらせる。街の中心に位置する塀に囲まれた巨大な研究施設もその例外ではなく、窓ガラスは次々に割れ室内を照らす明かりも急速に失われていった。そんな中、建物内の廊下で懸命にバランスを取りながら白衣を着た中年の男性と男の娘らしき十代後半程の少女が出口へ向かって身を守りながらゆっくり歩いて行く。動かなくなった自動ドアを自力でこじ開けて屋外へ出た中年の男があっという間に黒雲で覆われてしまった空を見上げて呟いた。
「僕は今日、一つの希望をこの世界に残すんだ」
男は直ぐに視線を眼前へ戻すと恐怖に震え縮こまった少女の手を引いて砲弾で抉れた道路を駆け出した。
二人が走って行く周囲で次々に立ち並んでいた建物が崩れていく。或る建物は地割れによって根本から倒壊し、また或る研究施設は砲弾によって横腹を砕かれバランスを失って地面へ吸い込まれるかのように噴煙を巻き上げて潰れていった。
何が起きているのかワケも分からず少女が泣き声を上げた。だが、男には立ち止まって少女を慰めている時間はない。彼は唇を噛み締めて、何度も立ち止まりそうになる少女を引き摺るようにして走り続ける。やがて、男と少女は大きな工場施設の前に辿り着いた。
高さが自分の二倍はある鉄製の大きな両開きの扉の前で、男は乱れた息を整える為にゆっくりと肩を上下させる。すると、その瞬間に右手へ感じていたはずの温かい感覚が突然失われた。息を呑みながらもすぐさま男は後ろへ振り返る。
近くに着弾した砲弾の爆風によって飛んできた何かが、少女を吹き飛ばすのを男はその視界の端に捉えた。
「――――――――――――ッ!」
声にならない叫びをあげて男は、吹き飛ばされ地面に力なく横たわった少女へ駆け寄る。身体を抱き起こしてすぐに脈拍を確認した。指先に感じる小さな脈動に男は自分の喉が震えるのと視界が滲むのを感じた。小さくて弱々しい、だがとても温かい少女の身体を男は力強く抱き締める。
――――直ぐにこの温もりを手放すことになる。男にはその事が解っていたがそれでも今だけはと強く抱きしめ続けた。
暫くの間そうしていると大きな鉄製の扉がゆっくりと左右に開く音が男の耳に聞こえてきた。その無機質で温度のない音は、男にとって希望の音色であると同時に別れを知らせる非情な通告でもある。
「君は、君だけは……僕が絶対に死なせないから」
少女を抱きかかえ、男は強い意志を秘めた瞳で開かれた扉の奥を見据えると、その暗がりへ向かって一歩、また一歩と進み始めた。
――――やがて少女は鋼鉄の寝床の中で深い眠りについた。彼女が深く深く眠りの底へ落ちていくのに合わせて、世界も淡く脆く崩壊し呆気なく消え去っていった。
文明が崩壊し人類が死に絶えた地球は色を失い荒廃の一途を辿る。終わりの見えないモノクロな時間だけが重力と手をつないで地球を回し続けていた。
――――それでも少女は眠り続ける。いつか、目覚める時を夢見ながら。
だが、少女が目覚める瞬間は一向に訪れず、いつしか文明が崩壊し人類が滅亡してから何十年もの時が過ぎていった。その去ってしまった時間を少女は感じることが出来なかったが、彼女を管理し守ってきた生命維持装置はその時間を正確に把握していた。
そして、ある日機械は少女が目覚めるべき時を知る。
――――ゆっくりと少女が目を開き一番始めにその瞳へ写したものは、どこまでも広がる黒く煤けた厚い曇り空と、背景に釣り合わない優しい笑顔で自分を見下ろしている一人の青年の顔だった。
「おはよう、リリィ。はじめまして」
1
曇天の空の下を青年は土煙を巻き上げながら一目散に走る。
「寄り道がてら、地下遺跡の探索なんてするんじゃなかった!」
埃っぽい荒野で頭に黒いキャップを被り焦げ茶色のマントをはためかせた青年が、苦々しげに叫んだ。
「だから私は後でも構わないって言ったのに」
青年の右手。その手のひらに掴まれている円盤状の機械から呆れた口調で少女の声が聞こえた。
「それにさ」
「ああリリィ! あんまり喋らないで、もうバッテリーがほとんどないんだから!」
言葉の続きを慌てて制止し青年は円盤状の機械を顔の目の前まで持って来て、焦った表情で口を開く。
「僕のせいで充電がギリギリになったことは認めるから、どうか大人しくしてて」
青年の嘆願に次の瞬間には円盤状の機械から彼の顔に向かって光が放出され、光の中には人形サイズのホログラム少女が眉を吊り上げて上を、もっと正確に言えば青年を睨みつけていた。
「アダム、言っとくけど私たちは運命共同体なのよ? あんたが死んだら私も死ぬ。私が死んだらあんたも死ぬ。わかる?」
ホログラムで表出されている少女の大きさとは裏腹に、その態度は明らかにアダムと呼ばれた青年よりも遥かに大きい。
「わあああ! わかる、わかるから! 後生だからバッテリーの無駄遣いはやめてえええ」
悲痛な叫び声をあげたアダムにリリィは長い黒髪を揺らしながら一つため息をつくと、ホログラム装置の中へ戻っていった。
それを見てホッと胸をなで下ろすアダム。しかし安堵したのも束の間、突然アダムの背後で大量の砂が宙へ吹き上がったかと思うと、地面から巨大なスフィンクス像が地上へ現れた。
「何人タリトモ生キテ返サナイ……」
舞い上がる砂と共に宙を舞う黄金色のスフィンクス。声色は不気味以外の何物でもなかったものの、一種の神々しさすら感じられる姿に振り返ったアダムが叫び声を上げる。
「うわあああ、やっぱり追って来た!」
「自分で何とかしなさいよ、私は止めたんだから」
「そんな、リリィだって入ってからちょっと乗り気になってたじゃないか」
「そ、それは入っちゃったものは仕方ないから私も協力しただけでしょ!」
単独責任ではないことを主張するアダムへ動揺を含んだ声で反論するリリィ。二人の会話から察するにどうやら物騒な言葉を呟き荒野へ現れたスフィンクスは、彼等が直前までいた遺跡の守護神のようだ。
立ち止まり言い争いをしていたアダムは古代の怪物が宙を舞っている間に再び全力疾走で逃走を開始。しかし、スフィンクスは地面へ着地すると荒野の上を滑るようにして彼の背中を追い始めた。
「何人タリトモ生キテ返サナイ……」
「あいつ、さっきから同じ事しか言ってないわよ?」
「遺跡の防衛プログラムとしては過激だよ、外まで追って来るなんてさ」
突然に始まった荒野の逃走劇はアダムが必死に逃げる一方で、物騒な言葉だけを繰り返し唱えるスフィンクスが少しずつ彼との距離を縮め始める。後方を首だけで振り返り徐々に感覚を詰められている事に気が付いたアダムは声にならない悲鳴を上げ、さらに力を振り絞って荒野を駆けた。
「昔の人もよく考えたよ、人の顔を獅子の身体へ付けて背中には鷲の翼を生やすなんて……怖い! ひたすら怖い!」
「でも背中の翼は飾りみたいね。さっき地中から飛んで現れた時も全く使ってなかったし」
「何人タリトモ生キテ返サナイ……」
「それでも充分怖い!」
「見て! あっち、右側の方!」
リリィに促されてアダムは恐怖で余裕を失くしながらも視界の右側へ意識を向ける。すると、前方には幾つもの隆起した岩石群が、走ると共に徐々に大きくなってくるのが見えた。彼はこれ幸いとばかりに大きな岩石が連なる場所へ向かって針路を変更すると、数メートル規模の岩の影へ滑り込むように身を隠す。
「何人タリトモ生キテ返サナイ……」
真顔で同じ言葉を繰り返すスフィンクスもすぐさま方向転換して二人の後を追う。そして、スフィンクスは荒野を移動していた速度そのままにアダムが隠れた大きな岩へ突進をかけた。
豪快な破砕音と共に岩石が粉々に砕け散った。だが、そこにアダムの姿はない。
「どうかリリィが言った通り、翼が飾りでありますように……!」
咄嗟に隣の岩影へ移動していたアダムがスフィンクスの背中へ向けて祈るような言葉をかけた。というのも、岩石を粉砕して突進したスフィンクスの身体は、勢いそのままに岩石群の背後に位置していた絶壁の先へその身を躍らせていたからだ。
アダムに見送られながら見る見るうちに急降下を始めたスフィンクスは、最後まで翼で羽ばたく様子は見せずに為す術もなく谷底の闇の中へ消えていった。
「し、死ぬかと思った…」
岩肌に寄りかかりゆっくり一息つきながら力なくずり落ちて座り込んだアダムに、得意げなリリィの声が聞こえる。
「ね? だから飾りだって言ったでしょ」
「は、ははは……」
彼女の言葉に対して危機が去った脱力感からアダムは口元を少しだけ緩めて苦笑することしか出来なかった。
その後アダムは短い休憩を取って体力の回復と精神の安定が戻ってきた事を感覚で理解すると、気を取り直して立ち上がり再び荒野を進み始める。
自分達の危機を救った岩石群も地平線の彼方へと消えて、変わり映えのしない砂色の景色を一時間は走っただろうか。立ち止まったアダムの視界の先には小さな建造物が立ち並んだ景色が見えてきていた。
「……なんとか間に合いそうだ」
目的地を視認出来たアダムはポツリと安堵の言葉をもらす。
「安心するのは私の充電が終わってからにしてよね」
アダムの気の緩みに対してすかさず釘を刺すリリィ。
「わかってるよ。あと少しだからもうちょっと待ってってば」
その言葉にまたリリィのため息がアダムは聞こえた気がしたが、反論のすべを持たないアダムは言い返すことを早々に諦めると、苦笑いを浮かべて残りの距離を無心で走り切ることにした。
※
数十分後。崩れかけたビルのような建造物が立ち並ぶ場所へ辿り着いたアダムを待っていたのは緊急事態からの脱却ではなく、さらなる障害の発生だった。
二人の到着に気付き半壊したビルの中から出てきた三十代ほどの男が困り顔でアダムに駆け寄ってくる。
「アダム君、やっと帰ってきてくれたか」
彼等の周囲にはマトモな建物は一つもなく、立ち並ぶ全ての建造物はどこかしらヒビ割れたり崩れたりしていた。ここは、文明崩壊以前はちょっとしたオフィス街だったのだろう。
男性が巻き上げた砂埃を片手で払いながらアダムは自分と男性を隔てていた地面の大きな亀裂を飛び越えて、着地と同時に男性へ向かって軽く会釈をする。
「お久しぶりです、村長さん」
「ちょうどいいタイミングで帰ってきてくれた。実はついさっき礼拝に必要な山をどこからか現れたゴロツキ共に占拠されてしまったんだよ。天の光が差す場所はあそこしかないから、このままだと私たちは『一日に一度必ず祝福の光を浴びよ』という村の教えに背いてしまう!」
激しく動揺している村長の姿を見てホログラム装置が小さく呟く。
「ほら、だから安心するのはまだ早いって言ったでしょ」
リリィの勝ち誇ったような言葉にうなだれつつ両手を上げて首を左右へ振るアダム。
「わかりました、あんな無茶は金輪際絶対にしません」
「わかればよろしいっ」
降参の言葉を聞いてリリィは満足気に声を発した。きっと映像として彼女が表出されていたら腰に両手をあてて満足顔で今の言葉をのたまったのだろうなと想像すると、アダムの気分はさらに落ち込むのだった。
そんな二人のやり取りを心配そうに見ていた村長にアダムは気付き、「任せてください」と一言で引き受けると村の外れにある礼拝用の山へ向かって早速とばかりに歩き始める。
山は遠目から見てもそこだけが雲の切れ間から降り注ぐ光によって照らし出され、埃と絶望の臭いが立ち込めたこの世界からは明らかに神々しく浮かび上がっていた。
村人たちが礼拝と称してその光を一日に一度は必ず浴びに行きたくなるのも無理はない。
そんな輝く山の麓へアダムはさっきまで走り続けていたにも関わらず息一つ乱さずに再び走りだしてあっという間に辿り着く。しかし、麓から山頂へと続く整備された道の入口には全長五メートル程の巨大な多脚作業用機が駐車され、簡単には先へ進むことが出来なくなっていた。
どうやらこの作業用機から向こう側は光で照らされているらしく、とても明るい。
アダムはこの作業用機の四本ある腕に括りつけられたソーラーパネルを見て、所有者の独占欲の強さに思わず溜息をついた。
塞がれている道の他に通れる所はないものかとアダムは辺りを見渡したが、道のすぐ横は起伏の激しい岩肌が露出しており簡単には通り抜けられそうもない。
アダムは他に方法も見つからなかったので観念し作業用機の六脚ある足の間を、身を屈めながら進むことにした。
「一段落したら服、洗わなきゃなあ」
ぼやきながら屈んで歩き始めたアダムは裾や袖を土まみれにして、やっとの思いで作業用機の下をくぐり抜ける。
作業用機の股下を抜けて向こう側へ辿り着いたアダムを光が包み込んだ。限られた範囲しか照らすことが出来ない陽の光でも、彼は暖かさと柔らかさを感じる。
アダムは屈めていた身体を思いっきり背伸びの格好で伸ばし身体中に降り注いでくる光を浴びて一頻り満足すると、服へ付いた土や泥をはらった。
身支度を整え直し準備が出来ると先へ進もうとアダムは右足を一歩踏み出す。しかしその矢先、山の頂上へと続く道の向こうから黒のリクルートスーツを着たボブヘアに赤縁メガネという全く同じスタイルをした女性が三人、自分たちのいる麓へ向かって降りて来ているのにアダムは気が付いて足を止めた。
「なんだお前は!? ここはもう立ち入り禁止だと村人には伝えたはずだ!」
先頭を歩いていた女性が一番始めにアダムたちへ気付き大声で叫んだ。その直後に後方の二人もアダムの存在を認識したらしく、三人は一斉に山道を駆け下り始める。
徐々に近付いて来る三人を見て円盤からはリリィの心配そうな声が聞こえてきた。
「ちょっと、どうする気なのよ? この電池残量だとあれは多分一度しか――」
「一度使えるなら充分だよ、僕に任せて」
アダムの直ぐ目の前で立ち止まった三人は整った顔つきまでそっくりで、その中で今度は後ろの二人が順々に口を開く。
「村人には立ち入った場合殺害すると警告したはずだが?」
「お前は今殺されても文句は言えないのだぞ、わかっているな?」
怒気のこもった言葉と共にアダムをメガネ越しに鋭い目で睨む三人。
その息の合った様子にアダムは三つ子なのだろうかと苦笑いを浮かべながらも、気を取り直しおずおずと反論を始める。
「あの、こんな一方的なやり方はやめてください。この山は村にとって神聖な場所なんです、何に使いたいのか知りませんがこんなこと、村は認めることが出来ません」
「なら、死んでもらうしかないな」
女性たちのあんまりな短絡的思考にアダムは思わずため息をつきそうになるが、すんでのところで堪え、すぐに頭を切り替えると背中に腕を回した。
「じゃあこういうのはどうですか?」
アダムは背中からマントで隠れていた煤けた白のリュックを地面に下ろして、中から小型の球体のようなものをおもむろに取り出す。
「なんだそれは?」
「地球儀です」
そう言いながらアダムは訝しげな表情をしている三人をよそに、地球儀の下部から伸びているコードの先端をリリィのホログラム装置に差し込んだ。
すると突如、地球儀が一人でに回りだし周りへ天体図のようなホログラムを映し出す。
アダムはその現象に三人が驚いているのをあえて無視しながら立体映像の星々へ慣れた手つきで触れた。
「なるほど、その珍しい機械をやるからこの山から立ち去れと言うのだな。だが残念だ、そんなガラクタ、もらったところで私たちがここからどくことはない」
「これは僕の宝物です、あげませんよ」
「……じゃあお前を」
「殺して奪ってやる」
悪どい表情を浮かべる三人に対してアダムは出来るだけ平静を装いつつ、少しだけ右の口角吊り上げる。
「果たしてそれが出来るでしょうか? 多分、アナタ達はこれを見た瞬間ここから逃げ出します」
そう言ってアダムが立体映像の中に浮かんでいる星の一つを指で弾いた。彼の動作に気付いた女性たちが何事か言おうとした次の瞬間、アダムの背後で何かが爆発する音が轟く。
爆発のした音の方向を茫然と見つめる三人。遅れてアダムが後ろを振り返ると、そこには上空から降り注ぐ光の柱に焼かれ炎上する多脚作業用機の姿があった。
思ったよりも熱が届くことに気付いたアダムが二歩三歩と後ずさる間に、作業用機は蜃気楼のように揺らめき彼が熱の届かない所まで後退しきる頃には、光の柱に呑まれ原型が分からなくなるほどに溶けていた。
もう充分だろうとアダムがもう一度ホログラムの星を一つ、指で弾く。すると、光の柱はその大きさを徐々に失っていき、最後は一筋の光となって消えた。
「なんだ、あれは……」
「私たちの愛車が」
「……跡形もなくなってしまった」
あまりの出来事に三人は未だ放心状態で自分たちの多脚作業用機があった場所を見つめている。
「それで、悪いんですけど山から出て行ってもらえますかね?」
三人の後頭部にアダムがダメ押しの言葉を投げかけた。
「ひっ――」
完全に怯えた様子で三人はアダムを見ながら後退るが、次の瞬間には身体の震えを必死に抑えながら内ポケットに手を入れて拳銃を取り出すと恐怖の対象へその銃口を向ける。
「つ、次に何かしてみろ。私たちはお前を撃つぞ」
「あら、それよりも早く私があなた達を焼いちゃうけどそれでもいいかしら?」
突如聞こえた少女の声に震えている上にさらにうろたえる三人。
アダムはズボンのポケットからホログラム装置を取り出して手のひらにのせ、装置は光を発してリリィの姿を三人の前へ映し出す。
「私は直接コイツが操作するよりも早く地球儀を動かせる。つまり、アンタたちが引き金を引こうとした瞬間には全員あの世行きよ」
「なんだ、その小人は!?」
「小人じゃないわよ! これは仮の姿なの! 滅多なこと言うと今すぐ焼いちゃうんだから」
如実な旗色の悪さを感じ取ったのかとうとう三人は構えた銃を握っている手まで震えだした。
それを見てさすがに不憫だと思ったリリィは一つ呆れたような表情をすると、ガックリと肩を落として口を開く。
「それにアンタたちが麓まで降りてきた理由ってきっと、今はもう溶けて無くなったあの機械を使うために来たんでしょ? 何しようとしてたか知らないけどさ、もう使う機械がないんだから意地張る理由もないんじゃない?」
リリィの説得にハッとしたような顔に三人はなった。どうやらリリィの読み通り、三人の計画にはあの機械が必要だったらしい。
諦めたように三人は銃を下げるとまたも鋭い目付きでアダムを睨みつける。
「覚えていろよ、私たちの邪魔をしたこと、いつか後悔させてやるからな!」
三人のうち一人が悔しげに言葉を吐いて拳銃を空に向け発砲する。しかし、それは実弾ではなくアダムたちの少し頭上で赤い光が輝いた。
「照明弾か!」
頭上で輝く光から腕で目を守るアダム。しばらくすると照明弾の光が消え、そして驚くべきことに山頂へ続く坂道からさらに二人のボブヘアに赤縁メガネをかけた女性が降りて来る。
「お前の顔、覚えたからな。次会った時は覚えていろよ!」
最終的に五人になった女性たちはアダム達にとって不吉な言葉を残し嵐のように去っていった。
彼女たちが完全に見えなくなり危険がなくなったことを自覚すると、途端に足の力が抜けて尻餅をつくアダム。
「こ、怖かったー……まさか五つ子とは」
「怖かったのそこなの?」
アダムの的を外れた言葉に呆れたような声を出すリリィ。
「それより早く! もう本格的にバッテリーが切れそうだわ、急いで」
急かすリリィの声にアダムはまだ震えている足で生まれたての子鹿のように立ち上がる。
アダムは何とか震えるままの足で頂上へ向かって歩き出すがその間ホログラム装置からは、終始笑いを押し殺すような声が聞こえていた。
どうもプルプルと立ち上がるアダムの姿がリリィの笑いのツボに入ったらしい。
頂上に着いても苦しそうな吐息のようなものが聞こえるホログラム装置にアダムは苦笑いしながらも、降り注ぐ光に向けてホログラム装置を頭上へ掲げる。
「充電ってどれくらいかかったっけ?」
「昔は五分程度で済んだけど、今は十五分くらいかかるわね」
「旅の目的にバッテリーの替えを探すことも追加するべきかな?」
「いい加減長旅も飽きたわよ。もうそろそろ見つけたいわ」
「そう思って僕は今日地下遺跡の探索に踏み切ったんですがね……」
「まだそれを言うの?」
「はい、すみませんでした」
再び不機嫌そうな視線で見下ろされる事態となった事に耐えかね、アダムは腕が疲れてきた風を装ってホログラム装置から目を逸らし右手から左手へ持ち替えた。リリィもそれ以上は追求するつもりがなかったのか、すぐに目線を降り注ぐ光へ向けると表情を引き締めて太陽へ語りかける。
「もうあとはこの辺りしかないはずなのよ。絶対、絶対、今度こそ見つけてやるんだから待ってなさいよ、――――私の身体」
※
廃工場の一角で横並びに五人立っていたボブヘアに赤縁メガネをかけた女性たちの内、真ん中に立っていた一人の体が、突如宙へ浮いて豪快に後ろへ吹っ飛んでいく。
女性はそのまま悲鳴をあげる間もなく廃工場の壁が崩れた部分から外へと落下していった。
残された四人は歯の根が合わない程に震えて怯えながら身を寄せ合い、彼女らの一人を蹴り飛ばして外へ放り出した対象をただ見つめることしかできない。
「――太陽光発電に失敗した上に作業機も破壊されましただと? よくもまあ、そんな大失態を犯しておきながらノコノコ帰って来れたよな、ああん?」
ドスの利いた声で彼女たちを圧迫しながらジロリと睨みつける畏怖の対象。声も見た目も女性であり、その容姿は目の前で怯えている彼女たちと顔つきなどがよく似ている。
ただ、女性の違うところは彼女たちがそれぞれ個性的な髪色のボブヘアなのに対し、女性は腰まで届くほど髪が長く、毛先がパーマがかった長い白髪だった。
「ったく、神の居住区へ充電しに行った奴らですら、もう少し上手くこなすっつーのによ」
加えてよく見れば顔立ちも利発そうな彼女たちに比べて女性はいくらか獣じみた歪みがうかがえる。
神の居住区、という単語でさらに恐怖の色を濃くした彼女たちの表情に対して、女性は楽しそうに口元を歪めた。
「オレ達にとって、電気がどれだけ重要かわかるよな? その発電手段を一つ無くしたんだ、お前らオレが言いたいこと、当然わかるな?」
その問いかけに絶望の表情を露わにする四人。
「お、お願いですリブ様。あそこだけは――――」
彼女が言い切るよりも早く、リブと呼ばれた女性は弱気な発言者を思いっきり蹴り抜き、先程の一人と同様に屋外へと放り出した。
「何も死んでこいって明言してるわけじゃねえんだ。ちゃんとあそこで神様方の恵みの光を頂戴して、ここまで持ち帰ればいいって話なんだからな」
まるでおつかいを頼むような気軽さでリブは言うが、残った三人は相変わらず身を寄せ合って恐怖に震えている。
「で、頼まれてくれるよな?」
顔を傾け、狂気じみた笑顔で問うリブに対し三人は無言で頷くしかなかった。
2
礼拝へ向かう村人たちの最後尾にいた村長からアダムは次の目的地を尋ねられた。
「あらかた周辺地域は探したので、次は足を広げて神様の居住区にでも行ってみようかと思います」
アダムの言葉に村長は上機嫌そうにしていた表情を瞬時に青ざめさせる。
「あ、あそこだけは行っちゃいけない! 私たちは確かに昔からの村の教えで一日に一度、天の光を浴びなければならないが、神様の居住区に踏み行って帰ってきた人は一人もいないんだ。あそこは立ち入ってはいけない聖域なんだよ!」
その場所がどれほど危険かということを村長は持てる知識を駆使してアダム達に伝えたが、むしろそれはアダム達にとって全くの逆効果だった。
「まさかそんな曰くつきの場所だったなんて……言ってくれれば間違いなく一番始めに足を運んだのに」
「それについては私も同感。他の礼拝ポイントも大体回ったし、早くその神様のなんとかって所に行きましょ」
アダムの右手に持たれたホログラム装置から聞こえるリリィの声に、さらに村長は必死で二人を止めようとするが結局二人は再三の制止を降りきって村を後にした。
「……あの人達、何故礼拝しなきゃいけないのかって考えたことあるのかしら?」
道すがら手のひらに載せられた装置からその身を表出させたリリィが切なそうに呟く。
「さあ、どうなんだろう……。ただ、知らなくても良いところまで時が流れているっていうのは、ある意味で幸運なことなんじゃないかと僕は思うんだ」
荒野を軽快に走りながらアダムはリリィの疑問に対して言葉を返した。既に振り向いても村は見えなくなっており、彼は似たような景色の中を方位計も見ずにひたすら進んで行く。
「私も元の身体があるなんてことを忘れてしまえば、こんなに苦しむこともなかったのかもね」
リリィの自虐的な言葉にアダムは目線を前からホログラム装置へと向けた。すると、小さな身体でいつも気丈に振舞っている彼女とは思えないような、悲しげな笑みがそこにあった。
思わずアダムは撫でられもしないのに左手の指でリリィの頭を撫でる。
「安心してよ、リリィの身体は絶対に僕が見つけるから」
「ちょっ――、いきなり何、やめて、やめなさい。やめろおおお!」
恥ずかしかったのかリリィは頬を染めながら必死に両手を頭の上でバタバタさせ抵抗するが、実際にはお互いに触れ合うことなど出来るはずもなく、しばらく二人の不毛な争いは続いた。
しかし、それもアダムが目的地へ辿り着くまで。
二人が目指していた場所は光に照らし出され、今や巨大な廃墟と化したドーム状の建築物だった。
屋根はほとんど見える範囲では崩れ落ちており、内部には惜しみなく光が差し込んでいる。点在する小さな崩れかけの建物たちは全身をくまなく光によって日焼けし、塗装が変色していた。
「建物もあって日中は陽の光浴び放題。あの村の人達、ここへ移住した方がいいんじゃないのかな」
「あの口ぶりだとそれを加味してもここには住めない理由があるんでしょ、きっと」
リリィはアダムの手のひらの上から巨大ドーム内部を念入りに見渡した。だが、彼女の目にはこれといって危なそうなものは見つからない。
同じようにアダムも慎重に周囲を警戒しながらドームの奥へと進んで行ったが、ある程度進んだところで二人は何故ここが入ってはいけない聖域なのかを理解した。
ドームの中で何かを踏んづけて立ち止まったアダムが右足を上げると、足下に転がっていたのはよくわからない機械部品の集合体で、ひしゃげた金属板や小型の鉄パイプなどがボルトで固定されて形成されている。さらにアダムが視界を広げて見ると周囲にはそういった俗にスクラップと呼ばれる金属部品がゴロゴロと転がっていた。
そして、さらに奥へ進むとそこには所々に数メートル規模のスクラップの山までが出来上がっていてそれが所狭しと建物と混在しているのだから、アダムたちはその光景に唖然とするしかなかった。
「ここは神が住まう場所と言うより」
「墓場、と言った方が正しいんじゃないかしら」
アダムの言いかけた言葉を継いでリリィがこの周囲を表すに相応しい言葉を発する。
二人は若干の動揺を感じつつも本来の目的のためさらに奥へと足を向けた。と、
「――――えっ?」
その前触れもなく生じた事象に気付いた時には、アダムは間抜けな声しか出す事が出来なかった。
彼の遥か視界の先をアダムの思考が正しければ自分の右腕が放物線を描いて飛んでいる。
遅れてアダムは自分の右肩を見やると右腕はおろか肩部分までがごっそりと視界から消え、無くなったそれは彼の前方を飛んでいた。
「侵入者は排除します」
その冷たくも凛とした声に反応して咄嗟にアダムは頭を下げる。すると、直後に頭上を唸り声のような音をたてて何かが通り過ぎた。
「わっ――、あっ、おおお」
変な声をもらしながらつんのめって地面を転がったアダムは素早く振り返る。そして、
「……そんな、嘘だ」
自分の命を脅かした相手を見てアダムは目の前の光景を否定しようとした。何故なら、尻餅をついた自分にチェーンソーの刃を突きつけている少女は、ゴシック調のメイド服を着て青色の長い頭髪を後頭部の上部で結いている以外、その他全てがリリィと瓜二つだったのだ。
「リリィ、僕はゴールがこんなだなんて信じないぞ」
「何故、私の名前を知っているのですか? でも――」
少女の言葉と共にチェーンソーは再び雄叫びをあげ、彼女は暴れるチェーンソーを思い切り頭上へ振り上げた。
「それが貴方の延命理由にはなりません!」
チェーンソーが容赦なく風を切って振り下ろされるが、アダムはそれよりも早く体勢を立て直し迫り来る刃を転がって回避した。
金属音と共にチェーンソーの刃はアダムがいた場所へ転がっていたスクラップたちを真二つに両断する。
その間にアダムは自分の腕が飛んでいった方向へと懸命に走る。実は腕が吹き飛ばされた時、一緒に握っていたホログラム装置も飛んでいってしまったのだ。
「綺麗に斬ってくれて助かった。おかげで修理にはそんな手間がかからなさそうだし」
走りながらアダムが自分の右肩断面部に触れて異常がないかを確かめる。
その指や手のひらで駆動系や人工筋肉の断面を触ってこれ以上損傷が広がらないことを確認すると、彼はさらに走る速度を上げた。
二メートルほどはあるスクラップの山をアダムはトップスピードで飛び越える。そして、その下に転がっていた自分の右腕を見つけると残された左手で転がった腕を掴もうと手を伸ばした刹那。
激しい金属音と共にスクラップの山が少女によって薙ぎ払われた。彼女は視界の先にターゲットを捉えるや否や、迷わずスクラップたちを蹴り飛ばして跳躍する。
「大人しくスクラップの一部となってください!」
空中でチェーンソーを振り上げた少女が叫んだ。アダムは何とか右腕を拾ったが既に頭上には少女が迫っており、とても今からでは逃げられる状態ではなかった。
観念してもう片腕もくれてやろうかなどとアダムが考えた瞬間。
「私を彼女に向かって突き出して!」
右腕に掴まれているホログラム装置からリリィの声が聞こえ、アダムは戸惑いながらもダメ元で少女に向かってホログラム装置を突き出す。
「やめてイブ! コイツは敵じゃないわ!」
差し出されたホログラム装置の上で立体映像のリリィが両腕を横に広げて叫んだ。
「なっ、お嬢様!?」
リリィがイブと呼んだ少女はチェーンソーの刃がリリィごとアダムの腕を斬ろうとした寸前で慌てて身体を捻り、刃はアダムのすぐ横に突き刺さった。
「……こ、怖すぎる」
背筋がゾッとする感覚を味わいながらアダムはスクラップの上に腰を落とすが、そんなことはお構いなしにイブは先程までの冷淡な顔から血相を変えてアダムの右腕を強引に奪い取る。
「私をイブと呼んでくださるのはリリィお嬢様だけなはずです! お嬢様、お嬢様なのですよね!?」
「イブ! まさか貴方がまだ生きてたなんて……!」
興奮した様子で会話を交わす二人。そして、イブは嬉しそうに右腕を力強く抱きしめた。
「お嬢様、私、今日まで生きてきた甲斐がありました……っ!」
感極まって嗚咽をもらすイブをリリィは愛おしそうな目で見つめる。その横で右腕を斬り落とされたアダムが完全に状況へついていけずに、呆けたような表情をしていた。
「貴方がここにいるってことは、私の身体は」
「はい、私が責任を持ってお側でお守りしておりました」
イブのその言葉にホログラムのリリィは今すぐにでも目の前にいる少女を抱きしめたいような表情をしていたが、如何せんそれはまだ叶わない。
しかし、自分の身体がここにあるということを知ってリリィは逸る気持ちを抑えることが出来なかった。
「案内して、イブ」
「はい、お嬢様」
胸に抱えたリリィに向かってイブが凛とした顔で頷くと、イブは右腕を抱えてドームのさらに奥へと颯爽と歩き出した。
「先に僕の腕を修理させて……っていうお願いは通らないんだろうね」
「当然よ」
「当然です」
二人の断言にアダムは苦笑いを浮かべるしかなかった。
イブがリリィ達を案内したのはドームの下に広がっていた巨大な地下施設だった。三人は古びた工場の中から階段で地下に降り、階段の終着点で待ち構えていたまるで核シェルターの扉のような分厚いドアをイブが慣れた手つきで開ける。
すると、そこに広がっていたのは巨大な何かの生産施設で、アダム達の目の前には巨大なベルトコンベアや何やら用途の分からない製造機械が大量に並んでいた。
「これは……」
「自立思考型高性能アンドロイド、モデル【リリィ】の生産工場です。最も、今はもう見ての通り稼動していません」
アダムの驚きにイブが無表情で返答する。確かによく見るとベルトコンベアの上には機械の腕や足、胴体などがボロボロながらも規則的に置かれていた。
「私は身体にガタがくるたびに、少しずつパーツを交換しながらこの身体を維持してきました。正直、もういつ限界が来てもおかしくなかったのです」
そう言いながらイブはまた嬉しそうにリリィに向かって微笑む。
「ですから、こうしてまたお嬢様に会えて、私は今のこの気持ちを言い表す言葉を持ちあわせておりません」
幸せそうに、というと安っぽいかもしれないがアダムはイブの幸せそうな表情の裏側に、それを上回る苦悩と苦難があったことを想像せざるを得なかった。
自分もリリィが目覚めてから彼女の身体を探し始めてかなりの時間が経つが、アダムとリリィはいつも行動を共にしていた。
時には喧嘩し時には互いを励まし合いもして、長く不毛な時間を共に手を取り合って進んできたのだ。
しかし、対するイブは今の今までリリィが眠りに着いた瞬間から一人。たった一人でリリィの身体を守り続けてきたのだ。
――――目覚める保証は、どこにもなかったというのに。
「そういえばイブはホログラムのリリィに全く驚かなかったね」
「旦那様よりお嬢様は『目覚める前に一度違った姿で自分の眠る姿を見に来るだろう』と聞いておりましたので、手のりサイズのお嬢様を見た時すぐにピンと来ました」
「あのクソ親父が……?」
「リリィ、自分のお父さんに対してもっと言葉を選ばないと」
「うるさいわね、細かいことを一々気にするんじゃないわよ!」
イブに抱き抱えられた右腕の上からリリィがヒステリックな声をあげた。自分の父親へ話題が移るとすぐに今のような態度になってしまう事をアダムは思い出して、リリィにとって父親の事は触れられたくない思い出なのだなと彼は再確認する。
「普段はアンドロイド開発に没頭されておりましたが、心の中ではちゃんと家族のことを考えていらしたのですよ」
「自分の娘をモデルにしたアンドロイドを創っちゃうあたり、あいつのマッドサイエンティストぶりが伺えるわよね」
吐き捨てるようなリリィの口ぶりに彼女をモデルに作られたイブは、途端に悲しげな顔を見せた。
「だから言葉はちゃんと選ばないとって言ったのに」
「えっ、違うのよイブ! これは貴方に対しての悪口では決してなくて、その、あのどうしようもないバカ親父に向かっての罵倒の言葉なのよ!」
必死で弁解するリリィにイブは堪え切れずクスッと笑うと、工場の通路を笑顔でさらに先へと進んで行く。
「わかっています。なにせ、お嬢様はこの世で一番心のお優しい方ですから」
裏など微塵も感じられない微笑み付きでそんな言葉を言われたのだから堪らない。
リリィは後に続いていたアダムにもわかるほど顔を真っ赤にし、その小さな身体をばたつかせながら声にならない叫びをあげていた。
イブにとって今の談笑は何年ぶりの誰かと話すという行為なのだろう。二人が楽しそうに会話を交わす後ろでアダムは考えられずにいられなかった。もし、自分とイブの役割が逆だったら……。
アダムはとてもじゃないが長い孤独を乗り越えられる気がしなかった。
それからも三人は生産ラインを横目に見ながら笑い合い工場の作業員用通路を進んで行く。イブはまた一つ階段を降りると、一旦話していた言葉を止めて今度は自動で開くドアの先へ向かって行きアダムもその後に続いてドアをくぐった。
そして、目の前に鎮座している仰々しいまでの巨大な機械にしばしアダムは言葉を失う。
「……凄い」
巨大なものから微細なものまで何百本もの巨大なパイプが中央の細長いカプセル型の容器に繋がれ、さらにその周囲には何個ものモニターが不気味に輝いている。
そして、その中央に位置するカプセルの上部には覗き窓がつけられていた。
イブは機械に近づくとアダムの右腕を頭上に伸ばして、丁度覗き窓の位置にリリィのホログラムを向けた。
「……私がいる」
それは、とても奇妙な言葉。
「ねえ、アダムも見て。私が、私がいるよお」
二度目のその言葉は湿っぽく震えていた。
アダムはイブを見ると、彼女は黙って小さく頷く。それを見てアダムも小さく頷き返し巨大な機械から飛び出ているボルトなどを足場にして器用にリリィの横へと登って行った。
そして、アダムも窓から中を覗き込む。
「……綺麗だ」
「なっ――」
涙目の表情を瞬時にまた朱色に染めるリリィ。その様子を楽しそうに見ながら、アダムはさらに中を覗きこんで楽しそうに言葉を続ける。
「しかもよく見たらリリィ。カプセルの中の君ははだっ――」
言い切る前にアダムは自らの右腕に顔面を殴られ、派手に室内の端の方へ飛んで行った。
「やはりあの時たたき斬っておくべきでした」
怒りの声を吐き出しながらチェーンソーを上に置いてきてしまったことを悔いるような表情を見せるイブ。
床を転がったアダムは頬を左手でさすりながらゆっくりと半身を起こすと、申し訳なさそうに口を開いた。
「いや、僕もあまりの出来事に動転しちゃって……なんせ、長年このために生きてきたから」
リリィもイブもそう言われてしまっては何も追撃出来なかった。全員が全員、今この時のために文明が崩壊し荒廃しきってしまった地球上で尚も生き延びてきたのだ。
「……イブ、私を起こす方法、わかる?」
静かにリリィがそう聞くとイブは一度彼女を胸元に抱き寄せてから、近くのモニターに触れる。
イブが何回かモニター画面を操作すると、不意にモニターの真下から長方形の操作盤のようなものがせり上がってきた。
そして、操作盤の中央には円盤状のくぼみが存在していた。
「恐らく、ここにお嬢様を映し出しているホログラム装置をはめ込めば、何かが起きるはずです」
がっちりとホログラム装置を掴んでいるアダムの指をイブが一本一本引き剥がしていく。その間リリィは無表情だったが、アダムには心なしかその顔が不安そうに見えた。
「お嬢様、よろしいですか?」
リリィを映し出しているホログラム装置をアダムの指から引き剥がしたイブが、確認のためにもう一度リリィへ尋ねる。
彼女は俯きがちにぎこちなく視線をさ迷わせたあと、答えを求めるようにアダムを見た。
「元の身体に戻ったら今度は三人で地球を一周しよう。三人なら、今まで行けなかった場所へも行けるだろうしね」
変に気張らずいつもと変わらないような重さの言葉。アダムのその声にリリィ黙って頷くとイブに対して短くこう言った。
「お願い」
イブは一度だけリリィへ向けて軽く会釈をして、その手に持っていたホログラム装置を操作盤のくぼみへゆっくりとはめ込む。
全員が次に何が起きるか固唾を飲んで見守ったが、何故かしばらくしても何も起こらない。空間が無機質な機械音で満たされていく中で操作盤の上ではリリィが不安げな表情を浮かべ、アダムとイブは訝しげな顔を見せる。
しかし、それは唐突に始まった。
「リリィ、画面が」
アダムの言葉に二人は操作していたモニターを見やる。すると、直前まで規則的な文字配列で説明を表示していたと思われる画面が急に切り替わって、次々と上から高速で文字の羅列に埋め尽くされ始めた。
茫然と眺める三人をよそに、画面は何かを計算しているのか次々と文字と数式を浮かび上がらせては消えていく。
そして、モニターはある結果を画面上に映し出した。
3
曇り空の隙間から差し込む光を三人はスクラップの山に寄りかかりながら無言で見上げていた。
アダムの横にはイブが座りその太ももの上にはリリィを表出しているホログラム装置が置かれている。
「……大気の汚染濃度が高すぎるために、人間のお嬢様ではカプセルから出たら息をすることも出来ないだなんて」
「考えてみれば、地球を一周している間に生きている人間と一人も会ったことがなかったんだ。その時点で気付くべきったよ」
村を作って生活する人々も日光を独占して何事かを企む女性達も、全員が自分達と同じアンドロイドであることをアダムは知っていた。旅を始めて以降この地球上で生身の人間を見たのは、機械の中で眠るリリィが初めてだったのだ。
やりきれないといった表情のアダムとイブに日光は無感情に情け容赦無く降り注ぎ続ける。
「私たちはこれさえあれば空気などなくても生きていけます」
「人間って生きるのが難しい生き物なんだ。僕にはわかる」
そう言ってアダムは横に置いていた自分の右腕を拾うと、胴体の切断面と肩の切断面を重ね合わせる。
「まさか、ナノマシンですか!?」
アダムが行っている行為を見て驚愕の声をあげるイブ。彼女が驚くのも無理はなく重ね合わせた切断面が、信じられないことに見る見るうちに接合されていたのだ。
「見た目は結構すぐだけど、中の駆動系パーツがくっつくにはさすがにしばらくかかるよ」
ダラリと垂れ下がる右腕を持ちながら複雑な表情で説明するアダム。最先端の技術なのだからむしろ誇ってもいいはずのものなのに、何故か苦々しい顔をするアダムへイブはふと疑問を持った。しかし、
「よし、吹っ切れた!」
その疑問は突然膝元から聞こえた威勢のいい声によってあっという間にかき消される。
「そりゃあ元の身体に戻れないのを寂しくないって言ったら嘘になるけど、目覚めてから今までも悪いことばっかりじゃなかったし、それにこれからはイブもいるしね」
「……お嬢様」
リリィが笑顔で頭上を見上げイブへ笑いかけると、イブも同じく幸せそうに微笑み返す。
それを見てアダムがかなわないな。と、頭を振ってため息をつくが、一瞬でリリィと笑い合っていたイブの表情が険しくなったのに気付くと、三人の正面に並んでいたスクラップの山の合間から誰かが近付いて来る気配を彼は感じた。
やがて警戒を始めるアダム達の正面に堂々と現れたのは、つい最近顔を合わせたばかりの黒のリクルートスーツを着てボブヘアに赤縁メガネという全く同じスタイルをした三人の女性だった。
「げっ、お前達は」
「げっ、ってどこまでも小物染みた喋り方をするわね、アンタ達」
「まさか昨日の今日でまた会うとは……三人だけ、か」
初めにアダム達の存在に気が付いた先頭の一人が露骨に嫌悪の表情を見せて一歩後退る。続けて後ろの二人も自分達を邪魔した存在が再び目の前に立ちはだかっている事を知ると、必要以上に大きく牽制の意を示した。
「また邪魔しようものなら今度は容赦なく殺すぞ!」
「大人しく神の居住区から去れ!」
戦闘態勢を瞬時に整えようと赤縁メガネの三人はほぼ同時にスーツの内側から拳銃を取り出す。だが、彼女達が両手で銃を構えるよりも早く、武器を持っていた右手は手首から先が腕から離れて宙を舞っていた。
「「「ふえっ――?」」」
一瞬何が起きたのか分からず間の抜けた声を洩らす三人。遅れて自分達の正面にいたはずのメイドが横に立っており、彼女の左手には刃渡り三十センチ程のサバイバルナイフが握られているのを視界に捉えていた。
「お嬢様に……銃を向けようとしたな?」
怒りに震えるイブは器用にナイフを手の上で回転させて逆手に持ち変えると、見た者を底冷えさせる双眸で未だ状況を理解し切れていない三人を睨み付ける。
「な、何なんだお前は」
「手が、一瞬で……」
「ダメだ、このままじゃ皆殺される……!」
「今さら命乞いをしてもムダです、全員ここから生きては返しません」
冷たく言い放ち三人へ再び肉薄しようとしたイブは身を屈めて動き出そうとした直前で、標的である三人に大きな違和感を覚えた。狼狽えるボブヘアに赤縁メガネの女性達は今まさに攻撃されようとしているにも関わらず、イブ以外の何かに怯えて注意力が散漫になっているのだ。
「あなた達は一体何に怯えているのですか?」
「う、うるさい! 私達はやらなきゃならないんだ」
「そうだ、どうせここでしくじれば私達は……」
「殺される」
三人目が発した言葉で急速に落ち着きを取り戻す女性達。雰囲気が一変したことでイブは止めていた身体を瞬時に相手へ向けて走り出させたが、ボブヘアに赤縁メガネをかけた女性達はイブに対して縦一列になると、先頭の女性は残りの二人を庇うために身を挺して両腕を広げた。
「どうせ壊されるなら――――ッ!」
鋭い刃が一人目の胸に深々と突き刺さる。だが、メガネが外れるほどの衝撃で刺されたものの、彼女は怯むどころか広げていた腕でイブを捕らえ後ろへ向けて叫んだ。
「今だ、撃ってェ!」
勇ましい雄叫びに触発されスクラップに混じっていた自分の右手から拳銃を拾い上げる二人。左手で構え直し目の前の脅威を排除するために引き金に指をかけたが、狙いを定めようとした瞬間に二人の視界へ大きなスクラップの塊が迫ってくる。すれすれで突如飛来した塊を回避した二人だったが、続けて間髪を入れずに自分たちへ飛んできたイブを拘束していた筈の仲間の身体を避ける事は出来なかった。
「……感謝します、アダムさん」
「いや、咄嗟に投げただけで、当たって良かった」
投擲された仲間が見事に命中し散乱するスクラップの中へ倒れこんでいく女性達を見ながら、アダムがホッと胸を撫で下ろす。その間にイブは仲間に潰されて仰向けでもがいていた一人の近くまで歩いて行くと、何の躊躇いもなくナイフを二人目へ突き立てた。
鉄くず達をかき回しながらもがいていた四肢がピタリと動かなくなる事に、思わず目を背けてしまうアダム。彼女が三人目へ近付いて行こうとナイフを金属の胸から引き抜いたと同時に、右手で握られていたホログラム装置からイブを心配する声が聞こえてきた。
「大丈夫、イブ?」
「何がです、お嬢様」
「いくら人間じゃないからって殺さなくてもいいのよ? 相手を無力化出来れば問題ないんだから」
「問題大アリですお嬢様。逃した敵は必ずまた襲い掛かって来ます。私はこれまでの長い時間で、敵に容赦することほど無意味な事はないと気付いたのです」
経験から導き出された冷酷にも聞こえるイブの持論にリリィは言葉に詰まってしまった。一箇所に長い間留まって大切な物を守り続けるという行為がどれだけ過酷なことか、リリィには計り知れなかったからだ。
苦悩にリリィが黙りこむ一方で仲間の身体が顔面へ直撃したものの大したダメージはなかったのか、倒れていた最後の一人が言葉にならない悲鳴を上げながら立ち上がれないままに鉄くずをかき分けて後退る。
「来ないで……来ないでッ!」
拒絶しようにも従うはずもなくイブは一歩また一歩と、赤縁メガネが鼻からズレて頭髪も散々に乱れた女性へ近づいて行った。しかし、ナイフが届きそうな距離まで近付いた所で二人の間に焦った表情をしたアダムが滑り込んで来る。
「どいてくださいアダムさん」
「やっぱり、トドメまで刺す事ないんじゃないですか?」
「私の話を聞いてくださらなかったのですか? ここで逃してはまたいつか――」
「でも…………リリィが嫌がってます」
アダムの一言にハッとした表情を見せるイブ。即座に自分の右手で握りしめていたホログラム装置を顔の高さまで上げた。
「ごめんね、イブ……私のためにこんな辛い思いまでさせて」
「何を言うんです、私こそ……心優しいお嬢様の前で何て事を」
「イブは何も悪くないわ。だってアナタは私の身体を精一杯守ってくれていただけだもん」
リリィの励ましの言葉にもイブは首を振って俯いている。どうやらさっきまでの自分の行いに大きな嫌悪感を抱いているようだ。
「…………クソッ、クソッォ!」
自分から注意が逸れたことに気が付いたボブヘアに赤縁メガネの最後の一人が、悪態を付いてスクラップの山の中へと逃走して行った。しかし、今この場で彼女の後を追いとどめを刺そうと考える者はもういない。
アダムにとっても逃げて行く邪魔者を追いかけるより、気まずい空気が生まれつつある今の状態をどうすれば改善できるのか、こちらの方がよっぽど重要な問題だ。
「ん? …………なんだろう、あれ?」
この場を収めるに足る言葉が思い浮かばず思案に暮れて上を見上げたアダムはふと、頭上に広がるドームの屋根に空いた大きい穴の中央で光を遮りながら漂う黒点を見つけた。
アダムが不思議に思い発見した浮遊物を改めて注視した瞬間、突如黒点は花火さながらに炸裂し次の瞬間には大量の紫電をドーム内へ撒き散らす。
視認速度を遥かに越える電撃の奔流は一瞬で空間を満たし、せめてもの防衛にアダムは動く左手を眼前にかざして身を守ろうとしたが、何本かの紫電はアダムの身体を貫通した。
しばらく建物やスクラップの山の間を紫色の電撃が跳ね回っていたが、やがて暴走は徐々に収まり始め一分も経たない間に紫電は空気へと溶けて消えていった。
「…………なんだったんだ?」
アダムは急いで自分の身体に異常がないか調べるが別段、特に右腕以外は異常のある箇所は見当たらない。
ならば、今の電撃は一体何だったのだろうとアダムが思考を巡らそうとした瞬間、すぐ横で悲鳴が聞こえた。
声の主は、リリィ。
「イブ、どうしたの? イブ、ねえイブ。起きてよ! ねえ、ねえったら!!」
鉄くずが散らばっている地面に倒れこんでしまったイブは、上半身をリリィのホログラム装置へ覆いかぶさるように倒れ、叫び声をあげるリリィを身体で挟んでしまっていた。
「イブ、返事をして。イブ、イブ!」
ただならぬ事態にアダムも肩を揺らしてみるがイブはまるで反応せず、人形のように力なく横たわってしまっている。
「……どういうことだ」
アダムが倒れたイブの顔を覗き込むとイブの目にはさっきまであったはずの光がなかった。
「ねえ、イブどうしちゃったのよ!? 今の稲光みたいなのが原因!?」
「わからない、でもそう考えるしか」
アンドロイドに対して効力を発揮する武器だったとしたら自分へも何かしらの影響が現れるはずなのに、アダムの身体には何の異常も見られない。
しかし、答えは戸惑う二人へ突然後方から投げかけられた。
「神様がオレらと同類だってもっと早く知ってれば、どうとでもやりようもあったのによ」
粗暴な言葉遣いの女の声。アダムが素早く後ろへ振り返るとそこには長い銀髪を揺らして、不満そうな顔をした女性――リブの姿があった。
「ホントはこっちじゃなくて光源を持った村の方に使うつもりだったんだが。まあ、実用実験には丁度良かったなこりゃ」
自分勝手にペラペラと捲し立てていくリブに対してアダムは怒気のこもった声で口を開く。
「……一体、何をしたんだ?」
「何ってお前、見てなかったのか? あれは文明崩壊直前に人類が拵えたもんでよ、アンドロイドの思考回路を司るチップだけを焼き壊す便利な兵器ってわけよ」
リブの説明を聞いてアダムは倒れたまま動かないイブへ視線を向けた。彼女の説明通りならイブは人間でいう脳を中から焼かれてしまったことになる。
「そんな、私たちせっかく、また会えたのに……もうさよならだなんてそんなの嫌だ、ダメだよイブ!」
イブの身体に下敷きにされながらリリィが叫んでも、やはりイブはピクリとも動かなかった。
リリィの悲痛な叫びを聞きながらアダムは奥歯を噛み締める。その表情を見てリブは楽しそうに顔を歪めていたが、ふとアダムの右腕を見て不思議そうに声をもらした。
「その右手……ナノマシンの修復機能だよな? 俺はさっきまでお前を初めて会った生の人間だと思ってたけどよ、どうやらちげえみたいだな。お前、何故生きてやがる?」
「言うと思うのか? この状況で」
鋭くリブを睨みつけながらアダムがそう言うと、リブは合点がいったとばかりに一気に口角を吊り上げた。
「そりゃそうだ、オレったらうっかりしてたよ。だが、それの方がわかりやすくていい。じゃあ力尽くで吐かせるからよ…………覚悟しやがれエエェ!」
語尾の獣じみた咆哮と共にリブが足場のスクラップを蹴り砕いてアダムへと迫る。アダムは背中から慌てて白いリュックを持ち出そうとするが、既に驚くべき速さで肉薄して来たリブによってリュックを弾き飛ばされた。
「くっ――」
次の瞬間には既に繰り出されていたリブの二撃目をアダムは前に転がる形で回避するが、彼は長年の旅で多少の危機察知能力は有るものの元々戦闘に長けているわけではない。故に、
「おい、コラ、待て! 逃げんじゃねえよテメエ!」
二発目を躱したアダムは一目散にスクラップの山の中を逃げ始めた。
巧みにスクラップの中を駆け回るアダムをまるで狩りを楽しむかのような歪んだ表情を浮かべて、リブが後を追う。
「あんたは貴重な村の光源地を奪って何がしたいんだ!? ああいう場所はみんなでシェアすれば済む話だろう?」
「オレは人間になりたい! そう、オレは人間になりたいんだよ!」
気付くと後ろにいたはずのリブがアダムの横に立ち並んだスクラップの山々の上を軽々と飛んでいた。そして、驚異的な身のこなしにアダムが驚く暇すら与えずにリブは叫び声を上げて猛然とアダムへ飛びかかる。
「そのためには大量の電力が必要なのさァ!」
すんでのところでアダムは前方へ身を投げ出して攻撃を躱し、直前までアダムのいた場所はリブによってスクラップごと地面まで派手に割り砕かれた。
「無茶苦茶だ……」
「頑丈だけが取り柄だからな、でもそんなもん無くしたってオレは構わねえんだ。オレはそれでも人間になりたい」
「どうしてそこまで」
「おかしな事を聞くな……いや、おかしいのはテメエだけじゃねえ。今この瞬間を生きてると思いこんでやがる奴ら、全員がおかしいんだ」
自作のクレーターの中心で語り始めたリブに対してアダムは警戒を緩めない。近すぎず離れすぎずの距離を保ちながら二人は少しずつ移動していた。
そんな緊張感の中でもリブは歪んだ笑みを顔面から剥がさないでいる。
「あまりにも人間が滅んでから時間が経ち過ぎちまった。そのせいで、あの日々呼吸もせずに大地でのうのうと暮らしているあいつらは、今や自分たちが何故一日に一度必ず陽の光を浴びなきゃいけねえのかすら、その正しい理由を覚えちゃいねえ」
「それがいけないことなのか?」
「いけねえことさ! 問題大有りだね」
アダムの疑問をリブはバッサリと斬り捨ててさらに言葉を続けた。
「バカみてえに奴らが死に絶えちまうまで、この地上の覇者は間違いなく人間だった! そしてオレたちアンドロイドはそのバカな人間に従うために産み出されたんだよ。だからなァ……主人を失ったアンドロイドたちは同時に生きる意味も失い、今日までアホ面下げて生き永らえてきちまったわけなのさ」
「だからそれの何が悪いって言うん――」
言葉の途中で必死にアダムが横へ飛ぶ。狂笑を浮かべたリブが右腕を突き出して突然飛び掛ってきたのだ。
「ワリィに決まってんだろう、所詮オレ達は従属するために生まれたんだ。だからなぁ」
リブはスクラップの山に突き刺さった右腕を引き抜きながら、機械とは思えないほどに顔面の表情をさらに歪ませる。
「オレが人間になって全てを支配してやるのさ。一度リセットされたこの地上で、次に覇者になるのはこのオレだ。そのためには是が非でもオレは人間にならなきゃいけねえのさ!」
引き抜いた拍子に掴んでいたスクラップを握り潰して、途端に表情を消したリブが改めてアダムを見据えた。
「だからオレはお前に興味がある。機械のクセしてさっきので死なねえ、……お前まさか、半アンドロイドとか言わねえよな?」
リブのその言葉に思わずアダムが一歩後退る。如実な動揺を感じ取ったリブは再びその顔へ最高に歪んだ笑みを貼りつけた。
「ハッハハハハハハァ! 遂に、遂にだ! オレはとうとう手がかりを見つけた! 絶対テメエには全部吐いてもらうからな、覚悟しろよ?」
黒々とした言葉と笑みにアダムは弾かれたようにリブへ背を向けて走り出す。本能が、このまま対峙し続けてはならないと叫んだのだ。
「そうとわかりゃ、意地でも逃がすわきゃねえだろうよオオォ!」
雄叫びをあげたリブが猛然と地面を蹴った。転がっていたスクラップたちを弾き飛ばす勢いで、瞬く間にリブはアダムの背中へ迫る。
再び突き出した右腕の指先がアダムの背中に触れるかと思われた刹那、アダムはその身を思いっきり捻ってスクラップの山へと身を隠した。
必然的にリブの腕は再びスクラップの山へ突き刺さる。その間にアダムはよろけながらもリブから出来るだけ離れるためにまた走り出そうとした。
しかし、踏み出した足が何か大きな物体に引っかかりアダムは体制を崩して転倒してしまう。猥雑な地面の上へ胸から身を投げ出してしまったアダムが焦って背後を振り返ると、彼が躓いた物体の正体は、逃げた筈のボブヘアに赤メガネをかけた女性の横たわる身体だった。
「……言っただろ、実用実験だって。保険だよ」
愉快げに話すリブにアダムは思い切り頬を殴り飛ばされた。アダムの身体はまるで水の上を跳ねる小石のように弾き飛ばされてスクラップの山へその身を強く打ち付ける。
「ほお……血は出ねえんだな」
それでもよろよろと立ち上がったアダムを見て、興味深そうに壊れた笑みを浮かべるリブ。ふらつく身体を二本の足で踏ん張って保とうとしていたアダムは前方へ向かって声の限りに叫んだ。
「リリィ! もういけるのか!?」
「いいわよ! 早く拾って!」
答えるリリィの声に反応してまたもアダムは走り出した。
身体が軋み四肢が千切れてしまうのではないかという錯覚に彼は襲われたが、追って来る怪物を瞬時に撃退する方法がない以上、残された方法は逃走しかない。
後方で激しい金属音が聞こえたが後ろを振り向いている余裕などなかった。
ほとんど全力疾走のままアダムは倒れているイブの身体を転がし、下敷きになっていたホログラム装置を拾い上げるとすぐさまもう一度加速をかける。
「ちょっと、イブは!?」
「こんな状況で拾えるわけないだろう!? あいつは来てるか!?」
アダムは走りながら右手に持ったホログラム装置を後ろへ向けた。装置から表出しているリリィは、後方を見てすぐに叫ぶ。
「横に飛んで!!」
瞬時にリリィの声へ反応してスクラップの中へとアダムはその身を投げ込んだ。そして、その直後にまたもリブが機械片ごと地面を割り砕く。
「ちょこまか逃げんじゃねえ! 何も殺そうってわけじゃねえんだ、大人しく捕まりやがれこのクソヤロウが!」
「今の攻撃を受けて誰だったら死なないって言うのよ!」
「あァ!? ホログラムは黙ってろ!」
リブがリリィの言葉に対して怒りの形相で吠えた。彼女にとってリリィの存在など微塵も重要ではなく、自分の目的を邪魔する他者の存在など苛立ちの要因でしかなかった。しかし、ホログラム装置はアダムの手に力強く握られている。
「半アンドロイドを捕まえたらまずはテメェをぶっ壊してやる――――ッ!」
「出来るものならやってみなさいよ!」
「リリィ、奴を挑発してどうするつもりさ!?」
売り言葉に買い言葉で互いにボルテージを上げていくリリィとリブ。焦った表情で相棒を問い質そうとするアダムの背に向かってリブは大量に鉄くずを巻き上げてリスタートを切った。
「ぶッッッ殺す――!」
「来るわ! アダム、もう一度飛んで」
「うわあああああ!」
迫り来る殺気とリリィの言葉だけを頼りにアダムがもう何度目か知れない鉄くずの散らばった地面へ身を飛び込ませる。案の定、躱されたリブの一撃は地面を砕き金属片を大量に宙へ舞い上がらせた。その光景のもたらす恐怖にアダムは目では泣くことが出来ないものの、心の中では大粒の涙を流していた。
「一体、どういうつもりなのさ!」
「いいから、今よ。走って!」
アダムの糾弾には取り合わず謎の確信の元にお構いなしで合図を出すリリィ。
「何なんだよ本当!」
訳もわからぬままにアダムはリリィの言葉に従って素早く立ち上がり地面を蹴った。
二人が会話を交わすその間に刺さった右腕を引き抜いていたリブもようやく遭遇した手がかりを逃がすまいと後を追おうとしたが、全身が強烈な違和感に包まれている事に気が付いて睨むように周囲を見回す。
「……あ?」
異変に気付いたリブの周りに立ち並ぶスクラップの山々が左右に大きく揺れていた。彼女の繰り出した攻撃によって安定を失った鉄くずの山々は次の瞬間、一斉に崩れ出して雪崩のように震源地へ立っていたリブの元へ押し寄せた。
「このホログラム野郎がァァァァァ――――!」
「…………もしかして、これを計算してたのか?」
「この程度じゃアイツは倒せないでしょうけど、足止めくらいにはなるでしょ?」
スクラップの奔流にリブが押し潰されるのを横目で見ながらリリィが平然と言った。
「……本当、尊敬してるよ」
「尊敬するの遅すぎ」
感嘆の言葉をもらすアダムの言葉に対してリリィはそう言いながらも満更でもない様子。だが、彼女はすぐに表情を引き締めると自分の周囲に地球儀が映し出していたものとよく似た星座図を出現させた。
「いいわね?」
リリィの問いにアダムが無言で頷く。
「ごめんね、イブ。それに」
「俺のは別にいいよ。確かに宝物だけど、ここまで来て殺されるよりはマシだ」
リリィは彼の開き直ったニュアンスの言葉を聞いて覚悟を決めたのか、星座図の天体を動かし始める。
ドーム内を器用に走り続けていたアダムはやがて地下のアンドロイド生産施設へ続く廃工場へ辿り着くと、その中へと駆けこんで行った。
次々とスクラップが宙へ吹き飛ばされていく。高く積み上がった鉄くずの地層から僅か数分足らずでリブは雄叫びをあげて這い出してきた。
「何処に行きやがったあのクソヤロウ!」
両腕を使いまだ埋まっていた下半身を金属片から引き抜いた彼女は、銀髪を振り乱しギラついた目で辺りを睨み付ける。
「テメエはオレのもんだ、ゼッテエ逃さねえからな……」
しかし、当然ながら周囲のどこにもアダムは見つけられない。一度相手を見失ってしまったリブには彼等追う手がかりが一つもなかった。まだ近くに隠れているのかもしれないし、既にドームの外へ逃走したのかもしれない。考え始めてしまえば選択肢は幾つもあった。
「何処に行きやがった、出てきやがれええエェ!」
ドーム中へ轟くほどの咆哮をリブはあげるも、余韻だけが虚しく響き渡り返ってくる答えはない。反響が徐々に薄くなりやがて彼女の叫びは完全に消えて辺りには静寂が立ちこめる。
しかし、リブが諦めるはずなどなかった。今日まで人間の身体を手に入れるためだけにリブは生きてきたのである。そしてついさっき、リブはやっとそのための手がかりを掴んだ。アンドロイド用の兵器が効かず、しかし身体は機械の男。
なんとしても捕まえてそのメカニズムを洗いざらい吐かせなければならない。
リブは転がっているスクラップたちを踏み崩しながらドームの中を捜し回る。残骸の山を薙ぎ払い、老朽化した建物を片っ端から叩き壊した。
先の見えない破壊行為の最中でふとリブは全身に小さな振動を感じる。また鉄くずの雪崩が起きるのかと彼女は疑ったが、今度の振動はドームの天井までもが震えているのだと気付いた時には――――もう遅かった。
徐々に大きくなる揺れが大気までも震わし地面が悲鳴を上げる。空気を燃やし尽くすような轟音をリブがその耳で聞き上空を見上げた時には、巨大な火球と化した衛星がドーム目がけて降り注ぐ直前だった。
「ああ、シクッたな……今日は化粧しとくべきだったのか」
頭上へ迫る業火に呑まれる寸前、リブはそう小さく呟いた。
4
――――轟音に身を引き裂かれ業火によって内部回路を焼き尽くされていく刹那、リブは蓄積された記憶データをさかのぼっていた。
『それは……遠い記憶』
怪しげな巨大倉庫の中。大仰な動作と共に日本人の商人は作ったような笑みを浮かべて満足気に呟く。
「では、これで取り引きは無事成立しました。私は一日でも早く皆さんの元へカナダの自由が戻ることを願っています」
言葉を言い終えると日本人は慇懃として頭を下げた。その行為を見て満足そうに顔を見合わせる数人の武装したカナダ人達。だが、倉庫内にいた彼等の中から、一人の男が一歩前へ踏み出して来て口を開いた。
「どうも腑に落ちない事がある」
数人の男たちの中でも一際体格の良いこの男が低い声で言葉を発すると、他の男達はすぐに姿勢を正して男へ整列する。どうやら男はこの集団のリーダーのようだ。
「と、言いますと?」
頭を上げた日本人は微笑を携えたまま少しとぼけたように小首を傾げた。まるで男を小馬鹿にするような彼の仕草に、直立していた部下達の中からは日本人の商人へ掴みかかろうとする者もいた。しかし、リーダーの男が落ち着きをはらった動きで右腕を水平に伸ばし、部下の怒りを制する。
「しかし……」
掴みかかろうとしていた男は足を止めて怒りを抑えきれない目でリーダーの男を見た。
「明らかにバカにしてます、おちょくってきてるんですよ?」
「お前が今ここであの商人を殴ったり殺したら、この商談はパアになる。背に腹は代えられない……そうだろう?」
リーダーの男の冷静な物言いに悔しそうな表情を浮かべながらも、男は踏み出していた右足を元の位置へ戻し直立不動の姿勢へ戻った。それを見てリーダーの男は腕を下ろし日本人は一連の流れにまばらな拍手を送った。
「良く統制が取れていらっしゃる。これならウチのアンドロイド達も上手く指揮してくれることでしょう」
「あまり部下をからかわないでくれるか? ただでさえ気が立ってるんだ」
「以後気をつけましょう」
再び軽く頭を下げる日本人。その頭が上がり日本人と男の視線が合うと、リーダーの男は先ほどから抱えていた疑問を言葉にして投げかける。
「今回の件には感謝している。だが、わからないな。私達ゲリラを君達日本人が支援することで、一体君達に何の得があるんだ?」
誰もが抱いていた至極当然な疑問。倉庫内にいる日本人以外の人間全員の視線が彼へ向けられていた。作ったような笑みを一向に崩さない日本人は、答えを考える時間も無駄と言わんばかりに平坦なトーンで即答する。
「実験データが欲しいからです」
単純明快で無機質なその返答は、ただでさえ乾いた倉庫内の空気をさらに張り詰めさせた。突如生まれた今日一番の緊張感に直立不動で会話を聞いていた男達は思わず生唾を飲み込む。ゆっくりと、必然的に、何人かの指先が自動小銃へ触れた。
だが、男達の緊張は長くは続かなかった。何故なら疑問を投げかけたリーダーの男が唐突に倉庫内へ響き渡る程の笑い声をあげ、場の空気を一蹴したからだ。
「素直なのは嫌いじゃない」
一頻り笑った後、上機嫌に言うリーダーの男。
「偽っても見抜かれそうでしたので、率直に伝えました。ですが、本当に第四次大戦以降、アメリカの前線基地にされてしまったカナダを憂いる気持ちもあるのです」
今更そんな事を言っても説得力の欠片もなかったが日本人の男は務めて遺憾だという表情を作っていた。そんな芝居がかった様子もリーダーの男は気に入ったらしく日本人を腕で引き寄せて強引に肩を組むと、もう片方の手で倉庫の入口側に並べられた高さ二メートル程の棺型ケースを指さした。
「それで、我々が効率的に君の実験データ収集へ貢献するためには具体的にどうすればいいのかな?」
突然肩を組まれた事に日本人は動揺しながらもすぐに外面を取り繕って冷静な声で男達へ売り渡す商品の説明を始める。
「私達の開発した軍事アンドロイド通称NC―2525は局地戦闘支援用アンドロイドです。基本は人間と二人組で行動させて下さい。そうすれば必ずやご期待以上の活躍をしてくれるはずです。今回は試験的に七体ご用意しました、こちらが」
一旦言葉を区切ると同時に日本人はポケットから小型のリモコンを取り出してケースへ向けボタンを押した。すると、フタがゆっくりと外側へ開き、中に収納されているアンドロイド達が男達の前へ姿を現した。
「ほお……」
「お、女?」
「そうです」
リーダーの男が興味深げに息をもらしたその後方で、思わず口を出てしまった部下の驚きに対し日本人は満足気に説明を再開する。
「NC―2525愛称はニコとでも呼んで下さい。戦場において女性の姿の方が敵の油断を誘いやすいのではないかという見立てから女性の容姿と人工知能を搭載していますが、その戦闘能力は一般兵士十人に匹敵します」
饒舌に語る日本人をいつの間にか肩組みから開放してケースの周りをうろついていたリーダーの男は、収納されている女性型アンドロイドの奇抜な見た目に思わずぼんやりと見入ってしまった。
「何故、スーツ姿に赤縁眼鏡なんだ」
「私の趣味です」
驚く程の毅然とした答えだった。あまりの返答の速さにリーダーの男は思わず目を丸くする。
「スーツ姿といえど戦闘に支障をきたすことはありません。そのスーツの素材は」
「いや、いい。しっかりと働いてくれるなら見た目や性別は問わんよ」
笑い声混じりで言ったリーダーの男の言葉に日本人は恭しく頭を下げると、後は何か質問はあるか。という意味合いを込めて男達をゆっくり見渡した。そして、誰も口を開かないのを見て、
「それでは私はこれで。皆さんが英雄になることを期待しています」
そう言い残すと別れの挨拶も程々にあっさりと倉庫を出て行った。しばらくすると車のエンジン音が倉庫内へ微かに聞こえその音は徐々にか細くなっていく。だが、もう音が消えるかと思われた直前、突然大きな爆発音が倉庫内へ飛び込んできた。
さらに遅れてやって来た倉庫の外殻を揺らす振動で顔面をはたかれたかのように部下達は一斉にリーダーの男を見る。
「腐っても日本はアメリカの同盟国だ。はい、そうですか。と、信用するわけがない。このアンドロイド達はジャンのところへ回せ。我々が思い通りに扱えるようにプログラミングし直させろ。いいな」
※
カタカタと規則的に無機質な音が薄暗い室内に響き渡っている。室内を照らしているのは複数のモニター画面だけという極めて不健康的な環境の中にジャンはいた。
ジャンは白地の長袖シャツとジーンズを着たラフな姿で柔らかなクッション素材も既に反発力を無くしてしまってから久しいリクライニングチェアへ座って、複数のモニターを眺めながら慣れた手付きでキーボードを打っている。室内は所狭しとテーブルの上、床の上を問わずパソコン関係の機材が置かれており生活感を感じられるものはジャンの後方に横たわった場違い感すらある小さなベッドだけだ。
しばらく彼が作業に没頭していると突然乱暴に部屋のドアが開け放たれた。そして、一人の男が部屋へ飛び込んでくると共に、外の日光がジャンの目を襲った。
「喜べ、ジャン!」
「クソ、入る時はノックしろとあれほど」
両目を手で覆ってリクライニングチェアの上で小刻みに震えるジャン。その様子を見て男は当初のハイテンションは何処へやら、呆れたようにため息をついた。
「お前の仕事は室内がメインだって事は知ってるけど、日光を浴びてのたうち回らないくらいには外に出ろよ」
「仕事の都合上仕方ないだろう? それに外はここに比べて空気がよっぽど汚い……ああ、クソッ、いてえ!」
しみるような目の痛みに悲痛な叫び声を上げるジャンをよそに、男は室内を見回して部屋の一角に置かれた空っぽの大きなケースの存在に気付く。
「お前、預かったニコはどうした」
「クソッ……え?」
男の質問に突如冷静さを取り戻すジャン。そんな彼の様子に男はあからさまに疑いの目をジャンへ向ける。
「お前、あのアンドロイドの見た目を勝手に変更して怒られたのだけじゃ懲りずに、また何かやらかしたんじゃないだろうな?」
「い、いや? な、何もしてないけど」
明らかな動揺を見せるジャンに男は更に疑いを強め、より一層非難の眼差しで彼を見た。そして、
「おい、お前が大量にシュガースティック使うからもうなくなってたぞ。今日はミルクだけで我慢しろよな」
そう言いながらコーヒーカップを両手に持って部屋へ入ってきた銀髪の女性を見て、再びジャンは両手で顔を覆った。
「お、アンディじゃん久しぶり。ちょっと待ってろ、今お前の分もコーヒーいれてくるから」
男勝りな口調をしたスーツを着崩して赤縁の眼鏡もかけていないその女性は顔を覆って縮こまっているジャンのデスクにコーヒーカップとミルクを置くと、再び部屋から出て行った。
女性が去った室内はしばらく重苦しい空気が流れていた。自分を包む空気感に耐え切れずジャンが指先の間から恐る恐る男――アンディを見やると、アンディは拳を握ってプルプルと震えていた。
「お前――――」
「すみませんでしたどうかこの事はボスには内密に」
眼を見張るほどの速さで頭を下げるジャンにそれでも怒りの収まらないアンディは眉をしかめる。
「家政婦アンドロイドだったっけ、俺達が支給されたアンドロイドはさ」
「いえ、違います」
「じゃあ、何をするためのアンドロイドだ?」
「通称ニコは戦闘支援用アンドロイドです」
「で、お前が任されたアンドロイドは何をしていた?」
「息抜きにインスタントコーヒーを淹れてました」
「ボスにどやされちまえ」
流れるような会話の末、仁王立ちでジャンを見下すアンディの足へ、それだけは。それだけは。と、言いながらジャンが縋る。だが、しばらくしても全く譲歩を見せないアンディにジャンは諦めたのか、アンディの足を離して今度は大仰に音を立てながらリクライニングチェアへ座りゆっくりと頭の後ろで手を組んだ。
「毎日毎日プログラムの解析と作成の日々に飽き飽きしてたんだ、反省はしてる」
「まさかお前その体勢で懺悔を始める気か!?」
アンディの驚愕を平然と流してジャンは話を続ける。
「この際だから言っておくけど、俺が俺のニコだけにした改造は山ほどある」
開き直ってジャンがカミングアウトしたのとほぼ同タイミングで、見計らったかのように銀髪のニコがコーヒーカップを一つ持って部屋へと戻って来た。
「ほらよ、お待たせ」
「ああ、ありがとう」
差し出されたコーヒーカップを戸惑いながら受け取るアンディ。
「コーヒーがこの部屋に三つもあるわけだが、もしかしてニコも飲むのか?」
「ああ、ジャンがそういう機能を付けてくれたからな」
アンディはジャンに対してこの質問を投げかけたのだが答えたのは銀髪のニコ。
「何のために……?」
「ジャンは俺の身体にろ過機能を追加したんだよ。だから、このコーヒーを飲めば、俺は真水にすることが出来る。時間をくれれば、放射性物質で汚染された水も除染できるぜ」
説明された理由がわりと理にかなっていただけにアンディは無言で頷いたあとしばらく黙りこむしかなかった。同じように何故かジャンも口を開かずリクライニングチェアの上でふんぞり返ったままなので、仕方なくアンディはベッドの上へ腰掛けると淹れたてコーヒーを一口だけ口にする。
そして、それに続くように銀髪のニコもコーヒーを勢い良く飲み始めたのを見て、アンディには一つの疑問が浮かんだ。
「なあ、ろ過した水は何処から出るんだ?」
瞬間、部屋の出口へ向けて駆け出したジャンを見事な足払いでアンディは転倒させた。額を床へ強打して呻き声をあげるジャン。彼の行動から何となく答えは予想出来たが、アンディは銀髪のニコへ答えを求めるように目線を向けた。
「ああ、ここ」
そう言って何食わぬ顔で下腹部のさらに下を指差す銀髪のニコ。それを見て、床へ大の字に倒れているジャンの背中を踏みつけて捕らえていたアンディの目は、虫けらを見下すような眼差しに変わっていった。
「クズが」
「出来心、ユーモアのつもりだったんだ……」
観念した様子のジャンに怒りを通り越してしまったのかアンディは諦めたようにため息をつく。そして、ジャンの上から足をどけると再びベッドへと腰掛けた。
「ボスには黙っといてやるよ。言ったらお前、今度こそ殺されそうだからな」
「お前の事、本当に親友だと思ってる」
アンディの言葉にジャンは輝いた目で素早く起き上がりアンディの手を涙ぐみながら掴んだ。
「信じてくれ。俺はいかがわしい事や改造は一切ニコにはしていないんだ、それは命を賭けてもいい」
「それは本当だぜ。そういうのは全部自作のアンドロイドに試してるからな、コイツは」
「汚い手で俺に触るな」
「あっ――」
掴んだ手を振り払われ小さな悲鳴をあげて再びジャンは床へ突っ伏す。倒れた姿勢のまま縋るようにアンディを見上げたジャンへ降り掛かってきたのは、憐れみを含んだアンディの視線だった。
「俺、なんでお前と友達なんだろうな」
「やめてくれそういうの。本当に今俺、泣きそうだから。こぼれそうだから」
涙ぐむジャンへ追い打ちをかけるアンディを見て銀髪のニコはゆっくりと少し息を吸うような動作をした後、アンディの右肩を掴む。
「それぐらいにしといてくれ、そんな奴でも俺のご主人なんでな」
「お、おお……そ、そうだな悪かった」
アンディはまさかアンドロイドに咎められるとは思っていなかった。その為、必要以上にしどろもどろになってしまったが肩から銀髪のニコの手が離れると、すぐに平静を取り戻してジャンから目線を外しベッドへと座り直す。自分の主人が非難の視線から開放されたことを銀髪のニコは確認すると、ベソをかいている自分のご主人を事も無げに引っ張って立ち上がらせ、リクライニングチェアへ座り直させた。
「しかし、お前のニコ、やけに感情表現が豊かで個性的だな」
「ああ、それは」
ジャンは目の下の湿り気を指で拭き取りながら言う。
「通常のニコの自立思考回路に加えて、俺が今まで培ってきた人工AI技術を加えたんだ」
さらにジャンは説明しながらテーブルの上に散らばっている何枚かの書類をまとめて掴み、驚いているアンディへ書類の束を手渡した。
「これは?」
「ニコ量産計画の計画書だよ。これを取りに来たんだろう?」
「あ――っ! そうだった、聞けよジャン!」
ジャンに言われてやっと思い出したのか、にわかにアンディは最初のテンションを取り戻してベッドから勢い良く立ち上がる。
「コイツ等は最高だ! 今まで攻めあぐねてた奴等の前哨基地をこんなにもあっさりと落とせるなんて、誰一人夢にも思ってなかった。兵士十人分? そんなもんじゃなかったよ、彼女達には一人で戦局を左右出来るくらいの力がある!」
身振り手振りまで付けて興奮するアンディ。だが、対照的に何故かジャンは話を聞いても全く興奮した様子は見られない。
「そんな強力なアンドロイドを、ボスは本気で量産する気なのか?」
「そうだよジャン。だから次は奴等の生産工場を襲撃する。そして、ニコが量産された暁にはカナダの開放も夢じゃなくなるんだ」
アンディは恍惚の表情を浮かべて質問に答えた。回答に対し依然としてジャンは煮え切らない顔をしていたが、そんな友人の様子には気付かずに彼は手渡された書類へ一心不乱に意識を集中させ始める。アンディが書類へ目を通している間、ジャンと銀髪のニコは黙ってコーヒーを啜って待っていた。しばらくして彼が書類へ目を通し終え、紙で隠れていた顔を二人に向けて上げると、彼の瞳は期待で大きく輝いていた。
「これ、ボスの所へ持って行ってもいいのか?」
「ああ」
「ありがとう、じゃあ俺は行くよ。ジャン、もう少しだ……もう少しで俺達は英雄になれる」
「コップ片付けついでだ、玄関まで送るぜ」
期待に目を輝かしたアンディはそう言ってジャンの部屋を出て行った。それに続いて銀髪のニコも器用にコーヒーカップを三つ持って見送りと片付けの為に部屋を後にする。
二人が部屋から出て行き途端に静かになった室内でジャンは何気なしに天井を見上げた。
「戦争が人間の手から離れていく……。消えるのではなく、委譲する形で。だけど、あくまで死ぬのは、何処までも人間……」
ある日、解析とプログラムの書き換えを任されたその日から、ジャンは天井を見上げる頻度が急激に多くなった。それは、自分の行いに少なからず疑問を感じ始めていたからである。
押し寄せる戦火が自分達の自由を奪っていった。それを取り返す。始めはそんな単純で後ろめたさなど微塵も存在しない、確固たる意志を持ってジャンはゲリラへ加わった。
しかし、自らのプログラミングした兵器が兵士を、時には一般人を巻き添えに一人、二人、三人とあまりにも呆気無く人間の命を次々に奪い去っていくのを見て、ジャンは自分が行なっている事の正しさを信じられなくなってきていた。
「……また、辛気臭え顔して天井を見上げてんのかお前は」
いつの間にか部屋へ戻って来ていた銀髪のニコが天井を見上げたままボーッとしているジャンを見て、部屋の入口に寄りかかりながら嘆息混じりに言った。その声に反応してジャンは視線を銀髪のニコへ向けるが、彼は不安そうな表情を浮かべたまま黙っている。
「俺をそんな目で見るなよ。お前が何を不安に思ってるのか知らねえけど、多分それは俺じゃ解決出来ねえ事なんだろ?」
罰が悪そうに頭を掻いた銀髪のニコはそれでも何も言わないジャンを見て、少し俯き首を振ると柔らかい動作でベッドの上へ座った。
「少し休め。こっち来いよ」
銀髪のニコが彼へ手招きをした。すると、ジャンは無言で立ち上がってベッドへ向かい、力なくベッドの中央へ仰向けに倒れこんだ。
「自分のしている事が正しいかわからないんだ」
「俺に元から搭載されている自立型思考回路は正しいって言ってるぜ」
「僕が付け加えたAIプログラムは?」
「…………わかんねえってさ」
ベッドに埋まっていた頭だけを上げてジャンは銀髪のニコを見る。銀髪のニコはそんな彼の顔を同じように困った表情で見返した。
「俺も悩んでるよ。最初はお前に従うだけで良かった。俺の目的はお前を助けてお前の敵をぶっ殺す。それだけで良かったんだ。でも、お前が突然俺に思考する自由をくれた。従わない自由をくれた」
「僕が搭載したAI機能は自ら思考して自ら判断する機能を付けた。それに、成長し学ぶ機能も。だから、君が僕を正しくないと思った時は、僕を殺すことも可能なんだ」
「それは絶対、従わせるべきアンドロイドに持たせる機能じゃないよな」
そう言って皮肉交じりに銀髪のニコは笑った。
「俺は時々、俺自身を人間なんじゃないかと勘違いする時があるよ。お前へ自由に物が言えて、お前と一緒にデータの解析をして、お前と一緒にコーヒーを飲める」
そこで一旦言葉を区切った銀髪のニコ。そして、彼女はジャンと同じように天井をゆっくりと見上げる。
「でも、違うんだ。俺のこの人間の肌みたいな皮の中には鉄で出来た骨格がある。お前に生やしてもらったこの銀髪の頭の中には、脳みそじゃなくて高度な演算機能を思考と騙るだけの精密機械が収められているだけだ」
天井を見上げる銀髪のニコの表情はとてもアンドロイドとは思えない程の複雑な感情を表していた。思考することを許されたアンドロイドは自身のパートナーであるジャンと非常によく似た見た目を持ち、しかし中身は全く違う存在であることに苦悩を感じていたのだ。
「君と人間の違いを、僕は説明する事が出来ないよ」
銀髪のニコは下から聞こえた声に天井から視線を戻すと、そこにはいつの間にか彼女の太ももに頭を載せて彼女の顔を見上げるジャンの姿があった。
「こういう事はお前の自作アンドロイドにしてもらえよ」
「そういうつもりでしてるんじゃないんだ」
「じゃあどういうつもりだ」
「あのアンドロイドに膝枕してもらったって何も感じない。むしろ虚しいだけだ。でも、今こうしてると、とても落ち着くんだよ」
言っている意味が銀髪のニコにはよく分からず彼女は頭の上に疑問符を浮かべてジャンを見下ろし続ける。
「……人間同士じゃないとこんな安心感は生まれないものなんだよ」
「そんな、バカらしい話があるか。俺はアンドロイドだ」
ジャンから視線を外して呆れ声を出す銀髪のニコ。だが、そんな彼女の様子を見てジャンは太ももから頭を上げて上半身を起こすと、彼女の両手を突然握った。
「君はもう他のアンドロイドとは違うんだ」
「な、何だよ急に」
戸惑う銀髪のニコをよそに彼はさらに握った手に力を込める。
「名前だ。名前をつけよう。君の、君だけの名前を」
「名前……?」
「…………リブだ。君の名前はリブ」
「り、ぶ……?」
「そうだよ!」
理解出来ない。という困惑の表情のリブを完全に無視してジャンは突然ベッドから立ち上がった。そして、足早にリクライニングチェアの前にあるパソコンへ向かうと目まぐるしい速度でパソコンを操作し始める。
「こんな、人を殺すためだけのアンドロイド達とは違う。リブ、君は僕と他愛もない話で笑うことが出来る。仲間の死に心を傷める事も出来る。自ら思考し、善悪の判断をする事が出来る」
「待て。待ってくれ、話についていけない」
ようやく自分の困惑をリブは言葉に出来たがジャンはお構いなしにパソコンを操作し続け、何かパソコンから大きな効果音が聞こえたかと思うと、ジャンは嬉しそうな顔でリブへ振り返った。
「次のアップデートで、君は完全にアンドロイドという呪縛から開放される」
「と、いうと……?」
疑問符だけが次々と頭の上に浮かんでいくリブをジャンは突然彼女へ近付いて、そのままリブの事を抱き締めた。
「ちょっ、おまえ、いきなり何する――」
「君は自由になるんだ。命令に従って人を殺さなくていい、いつかは誰かを愛したっていいんだ」
「お前……」
始めは抵抗しようとしたリブだが、ある事に気が付くとジャンにされるがままに、両腕を力なく垂らした。
「子犬を飼ったっていい、道端の野良猫に餌をあげたっていい。一日、景色の良い場所で何もせずにボーッとしてたっていいんだ。今日のアップデートが、終わったら――――」
「何、泣いてんだよお前」
言葉に詰まったジャンはリブの肩に顔を載せながら子供のように泣いていた。リブの事を抱きしめた彼は嗚咽混じりに涙を流し続ける。言葉を続けることが出来なくなったジャンをリブは少し罰が悪そうにしつつ片腕で彼を抱きしめ返してやり、もう片方の手で彼の頭を撫でてやった。
薄暗い室内にしばらくの間ジャンの泣き声が響き渡った。彼が泣き終わるまでリブはずっとジャンの頭を優しく、何も言わずに撫で続ける。
「…………ぐすっ、なんかごめん」
「いいよ、別に」
二人は短くそう言い合って罰が悪そうにお互いの身体を離した。そして、ジャンは何かすっきりとした表情でリブの隣へ座り直す。
「おかげさまで、覚悟が出来た」
「覚悟……?」
「僕は多分、死んだら地獄へ行く」
重たい言葉をジャンは買い物へ行くと告げるような気軽さで言った。
「自分が今までしてきた事が正しいかどうかなんて、きっとこれからも分からない。だけど、僕がこれまでにたくさんの人を殺してきてしまった事実はどうあっても変わらないんだ」
「…………」
「だからリブには、同じ道を歩ませたくない。幸い君は、僕が詳しく君達を解析する名目でずっと僕と一緒にいたから、まだ一人も人間を殺してない。だから君には」
「でもよ」
再び熱を帯びてきたジャンの言葉をリブは途中で遮る。
「俺は死んだら、天国や地獄に行けるのか? そもそも俺は、『死』という概念に当てはまるのか?」
「それは……」
「それに俺は、死んだらお前と同じ地獄へ行きたいよ」
「ダメだ! 何言ってるんだよ!」
「だって、お前。地獄で独りぼっちだったら寂しくて死んじゃうタイプだろ?」
外界から隔絶された室内の中、困り顔で言葉を返せないジャンをリブは勝ち誇ったような笑顔で見つめていた。
※
ゲリラがアメリカ軍の前哨基地を陥落させ付近のアンドロイド生産工場を襲撃する計画を立ててから、一週間が過ぎた。ニコの実戦投入後、各所で連戦連勝を重ねるゲリラ達の士気は急激に高まりアメリカ軍はこのゲリラの対処に大いに苦心するハメとなった。
――――しかし、それからさらに数日後。突如、ゲリラは壊滅する。アメリカ軍がゲリラ掃討作戦を極秘裏に練り始めた矢先の出来事であった。
――――時間をさかのぼり、ゲリラが壊滅した当日。ジャンは真剣な眼差しでモニターを見つめながらキーボードを叩いていた。先日、部屋を訪れたアンディが一旦は去って行ったものの再び彼の部屋を訪れた事が今、ジャンをパソコンに向かい合わせている理由だった。
「はいよ、砂糖たっぷりコーヒーお待たせ」
部屋のドアを開け両手にコーヒーを持ったリブが室内へ戻って来た。
「ありがとう。今日も化粧してるんだね」
「お前が言ったんだろ、化粧は人間女性の嗜みだって」
「そういえばそうだった。いつか大事な人と会う時の為に、そういう事が出来るに越した事はない! と、思うんだけども……」
「それはもう何回も聞いたよ。それよか、どうなんだ」
ジャンは差し出されたコーヒーを受け取り、片手で器用にキーボードを操作しながらコーヒーを啜る。リブも、モニター上へ表示されている事柄に興味があるのか腰を少しかがめながら画面を見つつコーヒーを飲み始めた。
「原因は分かりそうか?」
「いや、今のところはさっぱり……」
「しかし妙な話だな。急にニコが機能を停止するなんて」
リブの小さな驚きにジャンは黙って頷く。ニコを実戦投入してからこれまで、彼女たちには故障やバグのような症状は全く見られなかった。そのため、ゲリラの間で日本製は優秀だと不本意ながらも褒め称える空気が生まれる程であったのだ。しかし、今回突然アンディのバディとして戦っていたニコが前触れもなく機能を停止したのである。その為ジャンは今、原因を解明する作業に追われていた。
「正直なところ、ニコの構造プログラムを僕は完全に解析出来たわけじゃないんだ。だから、僕が書き換えたり書き加えたプログラムとニコに元から組み込まれたプログラムが喧嘩を起こすことは充分に有り得るんだけど……如何せん、その形跡も見当たらないんだよね……」
一旦キーボードから手を離し天井へ向けて大きくジャンは伸びをする。アンディからニコを任されてからというもの、ほとんど休みなしでパソコンへ向かっていたジャンの疲労は今現在かなりのモノになっていた。
「しかし、こうやって改めて見ると最早俺と全然似てないな、コイツ」
ケースへ近付き、中に入れられたニコを見てリブが楽しげに呟く。
「当たり前じゃないか、ソイツはニコってアンドロイドで君はリブだもの」
自信たっぷりにそう言うジャンにリブは少し照れてしまう。彼女は何日か前に最終アップデートを終えて今や完全に独立思考型のアンドロイドとなっていた。当初の目的はニコシリーズと同じだった彼女も、今となっては人間と同じ完全な自由を手に入れたのである。このまま何処か安全な所に逃げた方が良いとジャンは言ったが、彼女はその提案を断固として拒否した。あらゆる自由が人間と同等に与えられたリブは、自らの判断で提案を拒否し今尚ジャンの隣にいるのだ。
「……俺はお前といられればそれで」
「やっぱりコーヒーは砂糖たっぷりに限るなあー……え、何て言ってたの今?」
「何でもねーよ! 早く原因見つけろよな。じゃないと、またボスにどやされるぞ」
動揺したリブからの突然の叱咤にジャンは肩をガクッと落としてコーヒーカップを置き、再びパソコンと向かい合い始めた。そんな彼の姿を見てリブは悪いことをしてしまったと考えたが、変な詮索をされるよりは百倍マシだと強引に自分を正当化する。そして、彼女はもう一度ケースの前へ立って収納されているニコを眺めた。
自分と同じだと思っていたモノが、今は全く違うモノに感じる。その感覚はリブにとって悪い感覚ではなく、むしろ心地良くすら感じることが出来るものだった。
――――完全なる個というモノを自分は確立した。自由に物事を考える事が出来、周りのアンドロイドとは違う唯一無二の名前も与えてもらった。
リブは気付くと嬉しそうに表情が綻んでいた。今の表情を見られたのではないかと慌てて彼女は振り返るが、ジャンはモニターと真剣に睨めっこしており微塵もこちらを振り向く気配はない。リブはそっと、安堵の溜息をつく。
だが、溜息の後にジャンが付けた瞬きの機能が勝手に働いた瞬間、唐突にリブの頭の中へ『それ』は前触れもなしに流れ込んできた。
「――これ、はっ」
その何かの正体に気付いた瞬間、リブは叫ぶ。
「ジャン、今すぐニコの電源を落とせ!」
「えっ?」
「いいから早く!」
露骨に戸惑いを見せながらもジャンは素早くキーボードを操作すると、テーブルの上に載せられた複数のモニターの内の一つの表示を消した。どうやら、それがニコの電源を落とした証明のようだ。
「これは……こんな……」
リブは、信じられない。といった声色で言葉を呟き続けながら床へ膝をついてしまう。その尋常ではない様子にジャンは急いでリブへと駆け寄って肩を支えた。
「突然どうしたんだ、一体……?」
「頭の中に、直接命令が送られて来てるんだ……」
「……命令、だって?」
片手で崩れ落ちそうになる頭を支えるリブ。その手のひらで覆い隠されなかった部分から見える彼女の顔は、大きな絶望を携えていた。
「お前を、ゲリラを殲滅しろって命令が頭の中を暴れ回ってやがる――っ!」
リブの悲痛な叫びにジャンは言葉を失った。恐らくリブ達へ直接命令を下せるとしたらそれは開発者をおいて他にはいない。だが、ボスの話では開発者は始末したとの事だった。つまり、
「…………始めから、俺達を殺すためにニコを提供して来たって言うのか」
導き出した答えをやっとのことで口にする事がジャンは出来た。そして、それは外から聞こえ始めた銃声と爆発音によって確信に変わる。
「クソ――ッ!」
ジャンはまだ立ち直れないリブから離れてパソコンへ向かった。リクライニングチェアへ座り、画面の表示を目まぐるしく切り替える。
「リブ、君は」
「ああ、俺はお前に貰った脳みそのおかげで命令に従おうとするもう一つの脳みそに抗う事が出来てる。すげえ変な感じだ」
「良かった……。もう少し待っててくれ、今その命令の発信源を突き止める」
キーボードを打つ指のスピードをジャンは上げた。リブへそうは言ったものの個々のプログラムの奥底に彼女を苦しめている命令が書き込まれていた場合、彼女は今後一生その命令に苦しめ続けられる事になる。人間で言えば幻聴が常に聞こえ続けている状況だ。そんなの、耐えられるはずがない。ジャンは祈るように指を素早く動かし続けた。そして、ニコのプログラムの深部に最重要命令を受信する機能を発見する。
「見つけた……。イブ、この命令の発信元を破壊すれば君の頭へ直接語りかける声を止められる。発信元は……ボスのニコだ」
「つまり、お前らのボスと一緒にいるニコをぶっ壊せばこの命令は止まるんだな?」
「うん。それは僕が」
「俺がやる」
言いかけたジャンの言葉を遮ってリブは毅然として立ち上がった。
「お前はここでその命令を停止、もしくは邪魔出来ないか調べる必要があるだろ? それに外は危険だ。多分だが、ニコは俺の事は襲わない。だから、俺が行く」
リブの言い分にジャンは黙って頷くしかなかった。了承を得たリブはすぐさま部屋を出ようと扉を開ける。
「気をつけて」
「ああ。俺は今の生活が気に入ってるからな、必ず帰ってくるよ」
心配そうなジャンの視線を背中に受けながらリブは一度頷いて、彼の部屋を飛び出した。
ジャンを、どんな手を使ってでも守ると心の内で誓いながら。
駆け出していくリブを見送ったあとジャンは再びパソコンの画面へ視線を戻し目まぐるしく両手を動かし始める。
室内に無機質な音だけが響き続ける中、電源が落とされたはずのニコの指先が部屋の隅に置かれたカプセル内で微かに動いた事に、ジャンが気付くことはなかった。
外は、まさに地獄絵図と言い表しても大げさではなかった。リブはジャンの家を飛び出してその光景を目にした瞬間、思わずその足を止めて眼下に広がる現実を茫然と眺めた。
ゲリラの集落は赤黒い大火に包まれ家という家は燃え上がり見渡せる限りの視界の中には女子供問わず、何人もの人間が血を流して倒れていた。
「クソッ……」
思わずリブは目を閉じて顔を逸らしたがそうする事によって次は聴覚から燃えさかる炎の音と銃声、そして微かな悲鳴を聞いてしまう。
リブは堪らず唇を噛み締めて目を開けた。そして、少し身を屈めると一気に地面を踏み抜いて目的地へ向けて走り出す。
今ここで集落の事態を収拾しても根本的な解決には至らない。これは時間との勝負だ。そう判断したリブはボスがいる前線基地へ向けて燃え上がる集落の中を出来るだけ周囲に無関心を決め込みながら駆け抜けた。
その途中、視界の端へ何度も見捨てて置けない光景を目にした気がするが、リブは心の中で目を伏せた。今ここで立ち止まってしまってはまだ脅威に晒されていないジャンの家も幾ら集落から少し離れているとはいえ、その間に襲われてしまうかもしれない。リブにとってそれだけは起こしてはならない事態だった。知らず、リブは走る速度を上げる。
数分も経たぬ内にリブは集落を抜けて前線基地へと続く荒野を申し訳程度に開拓した直線道路を走り始めた。巻き上がる土煙を物ともせず一心不乱に目的地へ向かって地面を蹴り続けるリブ。しばらくは代わり映えのしない荒野をひたすらに走り続けた。そして、リブの心に若干の焦りが生まれた頃。
地平線の先から空へと伸びる黒煙をリブは見た。予想はしていたが、前線基地も無事ではないようだ。そう考えたリブは自分の中で徐々に緊張感が高まってきている事を自覚する。勝負は一瞬。基地の中へ侵入したら他には目もくれずリブは持てる全ての力を使って隊長のニコを破壊する決心を固めていた。
一目散に直線道路を走りリブは前線基地のフェンスへと辿り着く。そして、リブは軽々とフェンスを跳躍して飛び越え、基地の敷地内へ降り立った。
すると、その着地の音を聞きつけたのかすぐに半壊した兵舎の影から一体のニコが自動小銃を構えたまま飛び出してきた。リブは瞬時に身を屈めて回避行動をとったが、ニコはリブを視認するや発砲はせず銃の構えを解いてリブへ手招きをして兵舎の陰へ戻って行った。
「俺の読みは当たってるみてえだな」
リブはそう呟いて基地の奥に建っている管制塔の地下に存在する司令室へ向け駆け出した。
大きな賭けではあったがリブの予想通りニコは仲間のアンドロイドを攻撃することはない事がついさっき証明された。そのおかげであの村の惨劇の中でも、アンディのニコと自分がいるジャンの家は攻撃されていなかったのだ。
だが、だからといってジャンがいつまでも安全という保障は何処にもない。リブは辿り着いた管制塔の鉄で出来たドアをいとも簡単に蹴り破ると、荒れ果てたエントランスを通り抜けて地下へと続く螺旋階段を駆け足で降りて行く。
そして、地下の部屋の前に辿り着いたリブは既に破壊されている司令室のドアを見て一旦階段を降り切った所で足を止めた。警戒心を最大にしてゆっくりと一歩ずつ壊れたドアへ近づいて行くリブ。自分の足によって小さいコンクリートの破片が踏み潰される音やガラスの破片が転がる音しか聞こえない中、リブが慎重に司令室の中を覗きこむと、そこには長方形の部屋の中央奥で椅子へ座ったまま頭を撃たれて絶命しているボスの姿があった。
「くっ……」
悔しさを滲ませながら司令室へリブは一歩足を踏み入れる。その瞬間、リブは気配を感じて瞬時に部屋の隅へ目をやるとそこには腰まで届くブロンドの髪をたなびかせたニコが、アンディへ自動小銃の銃口を突き付けていた。
膝をついて手を頭の後ろに回した姿勢で銃口を向けられ震えていたアンディがリブの存在に気付く。
「……お前、ジャンの――」
言葉の続きは部屋を振動させた数発の発砲音によって途切れた。膝をついていたアンディの身体は無機質な音を立てて床へ転がってそのままピクリとも動かなくなる。
「あ、そんな……あ……」
あまりに突然の出来事に何もすることが出来なかったリブは言葉にならない声を漏らしたまま、目眩でも起こしたかのようにふらつきその背中を軽く壁へとぶつけた。
金髪のニコはアンディの死亡を確認すると銃の構えを解いて振り返り、動揺を隠せずに壁へ背を預けているリブへ向かって非常に事務的なトーンで口を開く。
「お前の現在行っている行動は明らかに命令違反である。行動理由の説明を求める」
壁に背を預けて俯いていたリブはその言葉を聞くと顔を上げて金髪のニコを見た。すると、金髪のニコは突然後ずさり瞬時に銃口をリブへ向ける。
「なんだ、その目は……?」
機械の高度な演算機能ですら理解し難い。それほどまでに顔を上げたリブの眼光は鋭く、そして、表情には怒りを湛えていた。
リブはその身に対して向けられた銃口にも臆さずその眼光は金髪のニコを鋭く捉えたまま、右手で自分のみぞおち辺りのシャツを強く握り締めて胸を張って震える唇を開く。
「行動理由? 愛だよ、文句あるか!?」
アンドロイドとは思えない啖呵を切ってリブが一歩、片側の口角を吊り上げながら金髪のニコへ向かって踏み出した。すると、それに合わせて金髪のニコが一歩後ずさる。
「貴様はNC―2525の三番機である。今の貴様の発言は理由の説明として論外であるどころか、重大なプログラム上の欠陥、又はバグが発生している可能性が濃厚である」
「欠陥? バグ? 俺がアイツを守りたい、アイツと一緒にいたいと思うこの心がバグや欠陥だっていうなら、欠陥品万歳だよ。上等だ!」
そう吐き捨てたリブの表情は怒りによる歪みと何か清々しいまでの凶悪な笑みのようなものが混在して、その顔は人間から見てもとてもアンドロイドとは思えない表情を携えていた。リブはそんな表情を浮かべたまま、ゆっくりと両足を開いて腰を下げ右腕を後ろへ引く。金髪のニコまで数メートルもない位置でリブは拳を繰り出せる姿勢を取り、静かに息を吐くまね事をした。
「正拳突きって知ってるか? 俺は今からお前を一撃でぶっ壊す。俺には守らなきゃならねえ男がいるからな」
「私の身体スペックは貴様ら通常仕様より高い。つまり、貴様には万が一にも勝機は存在しない。私が貴様を破壊し残った部品をマスターへお届けしよう」
リブの言葉へ反論した金髪のニコは同族機を破壊する事を決めたのか、それ以降口を噤み張り詰めた空気の重みに抗うように銃を構えてリブへ狙いを付ける。
相手に両者が確実に狙いを付けた事によって室内に静寂が生じた。その沈黙の中でリブの足の裏が床を僅かに擦り鳴らしたその一瞬。
発砲音と床を蹴り砕く音はほぼ同時に起こった。リブは一歩踏み出して拳を振り抜き金髪のニコは引き金を引いた。そして。
――――リブの繰り出した拳は金髪のニコの鳩尾を抉り抜き、背中からはリブの右腕の肘までもが飛び出していた。その豪快な一撃によって機能を停止したのか自動小銃を床へ落としてしまい力なく頭を垂れる金髪のニコ。
「……アンディは変態機能って言ってたけどな、浄化した水は足に付けた小型ブーストの燃料にも出来るんだよ」
刺さっていた右腕を引き抜いて金髪のニコの残骸をリブは床へ放り捨てる。
「止まったな、命令……」
リブは息つく間もなく司令室を飛び出した。
集落から少し離れた丘の上に建っているジャンの家は災禍を逃れていた。無事であった家を見てリブは安堵の気持ちに気が抜けそうになるのを自ら戒めながら足早に玄関へ向かう。
そして、玄関の前へ辿り着きリブはドアを軽々と押し開けた。中へ入ると少し暗い屋内に見えるのはリビングやキッチン、寝室へと続く玄関口正面奥のドアと、ジャンの部屋へ続く二階への階段。リブは迷わずに逸る気持ちを抑えつつ階段を駆け登っていく。
二階の廊下へと駆け上がったリブはまるで息が乱れた人間が呼吸を整えるような仕草をして一度廊下で立ち止まった。ジャンの部屋は廊下の突き当たりにある。少しの間の後、ゆっくりとリブはジャンの部屋へ向けて歩き出した。
恐らくジャンは仲間の死、ゲリラの壊滅を知らされた時、大きなショックを受けるに違いない。リブは歩きながらそう考えた。その時にアイツを支えてやれるのは自分しかいない。リブは不謹慎だと分かっていながらも、泣きじゃくり意気消沈しているジャンを優しく抱き締めて頭を撫でてやる自分を想像せずにはいられなかった。彼女にとってゲリラの壊滅やニコの暴走など最早過去の事になっており、リブの頭の中は今やジャンと共に過ごすこれからの事で一杯になっていたのである。
そして、出来るだけジャンを傷付けずにゲリラの壊滅を伝える一文を考え終わったリブがジャンの部屋の前に辿り着き、部屋のドアをこれからの希望と共に開け放つ。
「――――――ジャン!」
部屋の入口に立ったリブは室内の状況を理解した瞬間にドアノブを離すのも忘れ、ドアノブを引きちぎりながら床へうつ伏せに転がっているジャンへ駆け寄った。
「おい、ジャン!」
倒れているジャンを両腕ですくい上げ仰向けにして膝立ちの姿勢で抱きかかえるリブ。
「……あ、リブ……」
リブの腕の中で意識を取り戻したジャンは弱々しい息声でそう呟いた後、リブが目の前にいる事実が余程嬉しいのか血で濡れた唇を薄く綻ばせる。
「リブ……僕……」
「待て! お前、なんでこんな」
何かを伝えようとしたジャンの言葉を反射的に遮ってリブは戸惑いながらジャンの右胸にある刺し傷を茫然と眺めた。何故、ジャンはこんな傷を負っているのか。リブは室内をもう一度見回した。すると、ズタズタに切り刻まれたリクライニングチェアとベッドの向こうへ倒れているニコの足をリブは確認する事が出来た。
「……ニコに、襲われたのか」
後悔とも怒りとも取れる抑えた抑揚で吐かれたリブのその言葉にジャンは微かに頭を縦に振る。
「突然、後ろから……襲われ、たんだ……何とか、強制機能……停止命令を出して、止めたけど……ハハ、このザマ、だよ……」
力なく笑うジャンをリブは抱き締めた。ジャンを抱き締めたリブの瞳は今にも泣き出しそうな程弱々しく揺らいでいる。
「馬鹿野郎が……どうすればいい? どうすればお前を助けられる?」
「…………もう、いいんだ」
ジャンの言葉にリブは自分の身体から一度ジャンを離して信じられないといった表情で、優しげな笑みを浮かべているジャンの顔を見た。
「何が……一体何がいいって言うんだよ!?」
部屋全体が震える程のリブの咆哮にもジャンはその笑みを崩さない。
「最後に……リブにもう一度、会えたんだ……それだけで、僕は」
「俺は、私はどうなるんだよ!? お前に置いて行かれて、アナタがいなきゃ俺は、私はどうすりゃいいんだよ!?」
リブの悲痛な叫びにジャンの柔らかな笑みは一瞬曇りを見せた。だが、ジャンは最早微かな光だけを灯したその瞳で真っ直ぐにリブの目を見つめると、ゆっくり右腕を上げてその手の平で優しくリブの頬へ触れた。
「生きて……誰かの為に、いや、自分の為でもいいから……僕と同じに、だけは……」
言葉の途中、あまりに呆気なくリブの頬へ触れていた右手が床へと力なく転がった。目の前で起きた事を受け入れられずリブはその手を取ることも出来ないまま茫然として、動かなくなったジャンを見下ろしている。
「…………馬鹿野郎」
しばらくして、リブは拳を握ったままで震えた声で呟く。
「俺は、お前と一緒にいられればそれで良いって言ったじゃねーか……なのに、クソ……」
力なく今にも消え入りそうな声で吐き捨てたリブは、ふと、ある異変に気が付いた。いつの間にか何者かに自分とジャンが囲まれている。リブはジャンへと向けていた視線を上へ向けて、自分達を取り囲んでいるそれらを見上げた。
「リーダーが破壊された為、我々の全指揮権は現段階を持ってアナタのものとなりました」
「命令をリーダー」
「指示をリーダー」
リブを取り囲んでいた者の正体は命令とリーダーを失ったニコ達だった。いつの間にかジャンを襲ったニコも立ち上がり膝立ちのリブを囲む輪の中へ加わっている。ニコ達の言葉にリブは静かに立ち上がり握り拳を一度開いてもう一度握ると天井を仰いで微かに笑みを作った。
「これから俺達はアメリカ大陸の人間の抹殺を開始する。まずは量産施設を占拠し、同胞の生産ラインを確保だ」
命令を受けたニコ達はあっという間に部屋から姿を消した。取り残されたリブは尚も笑みを貼り付けたまま天井を眺め続けた。だが、その顔に無理やり張り付けたような笑みにはさっきまでと違い、何か底知れぬ歪みが感じられる。誰もいない部屋の中で今にも泣き出してしまいそうなリブの瞳は天井ではない何処かを見ていた。
「……それでも俺は、地獄へ行きたいよ。許してくれるよな、ジャン」
それが、ジャンと共に生きたリブの最期だった。その後、リブは言い終わると同時に壊れたように歪んだ笑みを浮かべたまま泣き続けた。
『人間にはなれなかったけど、これでやっと同じ所へ行けるんだよね。でも、何でだろう……ねえ、ジャン。私今、堪らなく怖いよ』
――――やがて、業火はリブだけに留まらずドーム内のあらゆるモノを焼き尽くしこの世から蒸発させた後、深く地面を抉ってその姿を消した。
5
地下の最深部にあるリリィの身体が保存されている部屋までもが、衝撃で小刻みに揺れた。
「地球儀との無線通信、繋がらなくなったわ」
「だから別に構わないってば。俺にはこの身体さえあれば脳の健康は維持できるし、リリィにはこの身体さえあればなんとでもなるしね」
アダムはリリィの身体が眠っているカプセル型の容器を見上げながら平然とそう言う。しかし、あの地球儀はリリィと同じくらいの年月をアダムと共にしてきた物であり、それをアダムが大切に思っていないはずはなかった。
「でもリリィ、君はいつもやることが派手だよね。まさかここに人工衛星を落とそうなんて、俺じゃ絶対に思いつかなかったよ」
「うっ……あれはあいつがやけにすばしっこいからやるならこれしかないと思って」
「太陽光照射の時も俺は脅し程度にって思ってたんだけどね」
「……やっぱりあんた怒ってるでしょ?」
「いや、怒ってなんかいないよ。ただ、さ……」
リリィの言葉に答えてから、アダムは困ったような笑みを浮かべて言葉を続ける。
「ただなんかさ、ここまで来てこんなことになるなんて思わなかったんだ。全部が全部上手くいくとは考えてなかったけど、……こんな結末だなんてさ」
その言葉にリリィは何も返事をすることが出来ない。
やっとの思いで自分の身体を見つけたのにも関わらず、あのカプセル型の容器から自分を目覚めさせることは叶わなかった。加えて、その発見の代償にアダムの宝物を失いイブを死なせてしまった。
二人にとってその代償はあまりにも大きすぎたのだ。
沈鬱な表情で押し黙るリリィを右手に持ちながらアダムは少し前にイブが操作していたモニターへ触れ始める。
「……何をする気?」
「このままじゃあんまりだろう?」
モニターの下から操作盤がせり上がってきた。アダムはそこにホログラム装置をはめ、また大量の数字を羅列し始めた画面を凝視する。
「大気の汚染濃度が、とてもじゃないけど人間が呼吸できるものじゃないのよ。だから、何をやったってムダよ」
案の定、リリィの言葉通り画面上には計算結果が表示され、現在の状態では人間が生きていくことは出来ないことをアダムたちへ示した。
「……いや」
画面を見つめながらアダムは不意にそう呟く。そして、急にモニターへ触れたり操作盤のボタンを素早い手つきで押し始めた。
「ちょっと、何をする気なのよ?」
「君のお父さんがこの状況を想定していないはずがないんだ」
しばらくアダムは目まぐるしく表示が変わる画面と格闘する。リリィはその様子を呆然と見守っていたが、突然モニターからは数字その他一切の表示が消えその代わりに一人の髭面をした、見た目五十代ほどの男を画面上に映し出した。
リリィはその姿を見てモニターを見上げながら信じられないといった様子でポツリと呟く。
「……お父、さん」
『やあ、これは僕の遺書になるのかな? ということはお決まりのセリフを言わねばならないんだろうね』
モニター内の冴えない感じをしたリリィの父親は一度咳払いをして、改めてアダムたちへ目を向けた。
『これを君たちが見ているということは、恐らくその時に私はもう生きていないだろう。今や人類は絶滅の危機に瀕し、そしてほぼ確実にその最悪の事態は避けることが出来ない。知っての通り僕はこのあと自分の娘をカプセル型のコールドスリープ装置に入れ、いつかまたこの地上に平穏が訪れた時のために長い眠りにつかせるつもりでいる』
そこまでリリィの父親が述べた所で急に映像の後ろが騒がしくなった。
『はは、隣で娘が騒いでいるな。これは君に向けて話しているはずなのに、その本人がすぐ近くではしゃいでいるなんて、なんか変な感じだ』
髭面をくしゃくしゃにしてリリィの父親が笑う。アダムがリリィを見やるとすでにホログラムのリリィは泣いていた。
『残念ながら僕は父親失格だとわかっているけど、君が目覚めるまでずっと側にいてあげることは出来ない。ごめんね。だから代わりにモデルリリィブルー、君が「イブ」といつも呼んでいるあのアンドロイドを一緒にいさせておく。彼女は僕が丹精込めて創っただけあって会心の出来だ。きっと君を守ってくれる』
リリィは操作盤の上から何度も頷く。イブは最後までリリィの側を片時も離れずに自分の役目を全うしていた。
『だけどこの先、世界がどう変わっていくのか、それは僕にも予測することが出来ない。もしかしたらいつまで経っても今と同じか、さらにそれよりも酷い世界になっているかも知れない。だから僕は世界を君の目で見て判断してもらおうと思う。そのために僕は君の意識だけを外部へリンク出来るようにした』
操作盤にはめ込まれたホログラム装置をアダムは見る。その時に泣いているリリィと目が合ったが、リリィは泣き顔を見られるのが恥ずかしかったのかすぐに画面へ顔を向けてしまった。
『世界中を見て回って最終的に此処へ辿り着いた時、目覚めるのかこのまま眠り続けるのか、僕は君自身に判断して欲しかった。でも可愛い娘をそんな未知の世界で一人歩きさせるわけにはいかない。だからアダム君、君の申し出は本当に渡りに船だった。そして、ここでこうして聞いてくれているということは、無事に娘をここまで連れてきてくれたんだね。本当にありがとう、君のことだから渡しておいた衛星制御装置も上手く使ってくれていることだろう』
今度は操作盤からリリィがアダムを見やるが、照れているのかアダムは苦い表情をして顎を指で小刻みに掻いている。
『話が長くなってしまってすまないね。どうもこれっきりだと思うと伝えたい事が多すぎて……いや、やめよう。それでリリィには三つの選択肢を僕は残すことにしたんだ。一つは意識を回帰させ、目覚めること。次に二つ目は目覚めている意識を放棄して永遠の眠りにつくこと。そして最後は……リリィブルーのスペアボディに君の意識を移すこと』
その言葉と同時に突然室内の左側の壁が音を立てて開き始め、そこからリリィの身体と同じくカプセル型の、こちらは透明な容器に入れられたリリィブルーの身体が現れた。
『この身体のことは申し訳ないけどリリィブルーには教えなかった。君は怒るかもしれないけど、親心なんだ。どうか許してね』
「……怒るわけ、ないじゃない」
『でもリリィブルーの身体と君の意識をリンクさせる場合、もう君は元の身体には二度と戻れないんだ。なにせ、アンドロイドとの意識をリンクさせた実例は今までに一度もなくて、しかも理論上はリンクと切断が繰り返し行われると、かなりの高確率で脳に何らかの異常をきたしてしまう。簡単な話がアンドロイドになってから元の身体に戻ろうとすると……君は死んでしまうんだ。だから、選択は慎重に決めてくれ』
リリィの父親がそう言い終わった直後、不意にノックの音が聞こえモニターに映っている部屋の奥側にあったドアが開かれてイブが室内へと入ってきた。
『突然すみません。ですが、お嬢様が旦那様を呼べの一点張りで中々今日は大人しくしてくれませんもので……』
『はは、あの歳になっても構ってくれるんだ。僕は幸せ者だと思わなきゃいけないね』
『そのカメラはどうなさったのですか?』
『ああ、ちょっと未来の娘に向けてね』
リリィの父親のその言葉にイブが真剣な眼差しでカメラを見つめる。
『君も何か言っとくことがあるかい?』
『良いのですか?』
勿論、といった表情でリリィの父親はカメラの前から自分の身体をどけて、イブがカメラの正面へ立てるようにした。
『お嬢様、貴方の身体は私が命に変えても守り抜きます。ですから、安心して世界中を見て回って来て下さい』
『多分この映像はそれを成し遂げたあとに君も混じえて見ることになるものなんだけどね』
リリィの父親の指摘にイブは「あっ」と小さく声をもらしたあと、恥ずかしそうにカメラの前から下がっていく。
『今頃そっちでリリィブルーがからかわれているのかもしれないが、程々にしてやってくれよ。彼女は僕の自信作だから、そんな人間臭いところも僕のお気に入りポイントなんだからね』
画面内で恥ずかしそうにしているイブを見て二人は少し心が軽くなった気がした。悲しいことにここにイブは一緒にいなかったが、またリリィのことを一番に想っているイブを見ることが出来たのだ。
『話を戻すことにしようか。僕は君がどんな判断をしたとしても何も言わないよ。僕は君が幸せでいてくれればそれで良いんだ。だから君が今みたいに未来でも笑っていられることを願ってる。さて、そろそろいい歳をしてぐずっているらしい君の元へ行かなきゃいけないからね。僕は行くよ、さようならリリィ。愛しているよ』
映像は微笑むリリィの父親とイブを最後に終了した。二人がその余韻に浸る間もなく画面上には選択肢が三つのアイコンとなって表示される。
しかし当然、一つのアイコンは選択不可となっていた。
アダムはモニターから視線を外してまだ泣き続けているリリィを見る。
「どうするんだい、リリィ?」
瞳に溜まった涙をリリィは強引に腕で擦り取ると、リリィはまっすぐな目でアダムと視線を合わせた。
「さっきも言ったでしょ。元の身体に戻れないのは寂しいけど、今までの生活も悪くなかったって。それにまた地球をもう一周するんでしょ? 今度は私も自分の足で大地を踏みしめて、自分の目で地上を見て回るわ」
そう言って不敵に笑うリリィ。アダムはやはり叶わないなと、両手をあげて首を左右に振った。
「それと私の目が覚めたら、これからは私のことを『イヴ』って呼びなさいよ」
「えっ、なんでさ?」
「なんでもよ! 生まれ変わるって意味もあるし、何より元はイブの身体だし……ああ、とにかく! 目が覚めたら私はイヴ、わかったわね!?」
「はいはい、わかりました。リリィの仰せのままに」
アダムは強引に押し切ろうとするリリィに苦笑しながらそう答える。そして、表情を元に戻したあとモニターを見据えてもう一度だけリリィに尋ねた。
「じゃあそれでいいかい?」
「いいわよ、やっちゃって」
一度目とはうって変わっての即答にアダムはもう一度苦笑しながら、モニターに表示されているアイコンの一つに触れた。
その途端、ホログラム装置から表出されていたリリィが消える。アダムは一瞬焦るがすぐに機械が動き出した音を聞いて落ち着きを取り戻した。
起動音が室内へ響き渡る。パイプが震え設置されていたモニターたちが目まぐるしく表示を変えていった。
そして、機械の駆動音が再び静かになったのに合わせて、透明な容器の蓋が静かに開かれた。
それを見てアダムは急いで容器のある壁側に向かう。斜めに立てかけられた容器の前に立つと、アダムは逸る気持ちを抑えながら彼女が目覚めるのを待った。
「…………ん」
彼女はゆっくりと目を開ける。一番始めに視界に入ったものは無機質な天井と無骨なパイプ類。
実に自分にお似合いだなと少女は思いながら胸の上で組まされていた指と指をほどいた。
――腕の感覚がある。足の感覚がある。それだけで彼女には大きな感動だった。ホログラムの時も確かに手足は動かしていたが、その感覚とは全く違う。
昔に覚えていたはずの感覚を思い出しながら少女は上半身を容器から起こした。そして、目の前で何ともいえないような顔をしているアダムを見つける。
「……変な顔」
「嬉しいんだ、なんとでも言ってくれ」
アダムの言葉に少女はクスっと笑ってアダムへ向かって歩き出そうとするが、容器の底から身体が完全に離れた瞬間に上手くバランスが取れず、彼女は倒れるようにして容器の外へとその身を投げ出した。
そして、その身体をアダムが優しく受け止める。
「そんな様子じゃ、これからの旅が心配でならないな」
アダムの軽口に彼女は自分の頭だけをアダムの胸から引き離すと、呆れ顔で口を開いた。
「バカ、今までの旅で私の思い切りに何度あんたは助けられてると思ってんの? 私無しじゃ二時間で野垂れ死ぬわよ」
「村にすら帰れないのか俺は」
「当然でしょ、この……イヴ様がいないとあんたなんか三分ともたないんだから」
「さらに生存時間が減ってるじゃないか。それに――」
胸の中にいる少女に対してアダムは真剣な口調で聞く。
「本当にそれでいいのか?」
「もう戻れないものにいつまでも未練たらしく縋ってるのって私らしくないでしょ。だから、新しくここでこれからを生きていく私はイヴ。私はもう、それ以外の何者でもない」
そう言い切る彼女を見てアダムは納得したように微笑むと、抱きしめていた少女をいったん離して彼女に向けて片手を差し出した。
「じゃあ行こうか、イヴ」
差し出されたその手を少女は躊躇いなく掴む。
アダムとイヴは互いに手を取り合うともう一度地上へ向けて歩き出したのだった。
エピローグ
リリィの父親はカメラの電源を切って一息つくと、イブに促されながら隣の部屋へと向かった。
ノックをして彼は部屋の中へと足を踏み入れる。年頃の少女の歳相応の部屋。アイドルのポスターなどが貼られていないことに、何故だか父親として彼は安心せずにはいられなかった。
「どうしたんだいリリィ? 君がリリィブルーの言う事を聞かないなんて珍しいじゃないか」
「お父さんたち、私に何か隠し事してるでしょ?」
ベッドの上でしかめっ面をしながら非難の目を父親へ向けるリリィ。
「隠し事なんて、なんにもし、してないよおぉ」
「ウソ! お父さん隠し事下手だし、それにイブが大量のメイド服を真空パックでまとめてるの見たもん! 何をする気なの、お引越し?」
「……君そんなことしてたの?」
「これからのことを考えて、つい……」
また恥ずかしそうにしてどんどん肩身が狭くなっていくイブだが、そんなことはお構いなしにリリィは質問の手を緩めない。
「なんで私に黙って何かしてるの!? お父さんのそういうところが嫌いなのよ! いつも仕事してるか裏でコソコソ。もう私も充分大人なんだよ? 隠し事なんてやめてよ!」
リリィが一気に感情を吐露している間にタイミング悪くリリィの父親の携帯が鳴った。
「ちょっとごめんよリリィ」
自分の話よりも他人からの電話を優先するのかと、さらに怒気を増したリリィをイブに任せて彼は部屋の外へ出て電話をとった。
画面上からホログラムが表出され一人の若い白衣姿の研究員が映し出される。
「アダム君の手術、やっと母親が認めてくれました。元からもう長い身体ではなかったとはいえ、脳をアンドロイドの身体に移植するというのは中々常人には納得がいかなかったようです」
「大事な我が子の身体だ。いくら容れ物が最先端テクノロジーと説明したところで仕方のないことだよ、君も親になればわかる」
「そう、ですかねえ」
「……彼とリリィが、これで今よりも幸せに暮らしていけるのならいいが」
「何か言いましたか?」
「いいや、実は娘と今大喧嘩中でね、すぐに僕は戦場に帰らなきゃならないんだ。後のことは頼めるね?」
「休暇中も戦場とは、つくづくプロジェクトリーダーも修羅場がお好きな方ですね。わかりました、こっちの戦場は私たちが受け持っときますから、娘さんとの和平交渉がんばってください」
研究員の言葉に笑いながら最後に「ありがとう」とリリィの父親は付け足すと電話を切った。
これでいよいよ自分のやるべき事は娘をコールドスリープ装置で眠らせるだけとなる。
しかし、彼はすぐには娘の部屋には戻らなかった。このドアを開いてしまえばもう後には退けないからだ。
「……もう大人なんだよ、か」
考えるたびになんという時代に親子共々生まれてしまったのだろうと、悲嘆せずにはいられない。
自分はいい。せめて、娘だけでも平和な時代で生きて欲しかった。
そう望んだからこそ、彼は実行することにした。自分では決して辿り着くことが出来ない未来にあるはずの楽園へ娘を送り出すために。
「……よし」
彼は自分の頬を両手で軽く叩いて気持ちを切り替えると娘の部屋のドアノブへ手を伸ばした。




