表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
音のないプロポーズ  作者: 神屋青灯
8/60

音のないプロポーズ 08

 

「静かなところに行こう。それで、少しでも何か口に入れよう」


 斗南は乗り気ではなさそうだったが、頷いた。やはり一人になるのは怖かったのだと思う。それから、か細い声でやっとしゃべった。

「でも、影ちゃん、帰らなくて大丈夫?」

「平気だよ。ホッシーと話もしたいし。どこがいいかな。食欲…は、ないよね」

 斗南はまた小さく返事をした。


 この辺りは近所ではあるが、普段来ている場所じゃないから土地勘がない。適当に歩いてファミレスを見つけた。覗くと客が少なかったため、二人はそこへ入った。

 食事時のつもりでいたが、午後八時をまわると、客足は引くようだ。あるいは単純に流行っていないのかもしれないが、とにかく奥の席を選ぶと、周りは誰もいなかった。流れているメロディも静かなもので、落ち着いて話ができる。ホールに出てくる店員も一人だけだった。

 冷めてからでも食べられそうなメニューを適当に注文し、とにかくお茶だけでもと一口飲ませる。斗南は大人しく従ったが、佳之だったらお茶もまだ飲めないかもしれないと氷影は思った。かくいう自分も食欲があるわけではない。ただ、どうしても斗南には食べさせたかった。このまま斗南にまで倒れられるわけにはいかない。

「ハルが起きたとき、ホッシーがそんなだったら、僕怒られちゃうよ」

 在り来たりだとは思ったがそう言うと、斗南はやっと少し笑って、パンの端をかじった。今はこれだけでもいい。氷影はほっとすると、ぬるいコーヒーを啜った。


 ホットコーヒー、アイスコーヒー、コーラ、メロンソーダ、オレンジジュース……。今この店のドリンクバーに興味など微塵も持ってはいないのに、氷影の目はメニューの羅列を延々と追っている。どの単語も頭には入らず、しばらくするとまたホット、アイス……と列挙が始まる。立てられた三角のメニューを回転させることすらしないまま、どれだけ飲んでも三五〇円の文字を何度も認識したが、その知識を役立てる日は来ないだろう。

 未だに、親友が事故に巻き込まれたという事実が信じられずにいる。自分には痛みもケガもなく、このファミレスにもそんな空気は微塵も漂ってはいない。悪い夢なんてよく言うが、目を覚ませば日々の喧騒であっという間に忘却できるくらい、一瞬の記憶に思えた。そして忘れてさえしまえば見なかったのと同じになる。深入りせず別の思念に没頭すれば、こんな事実はただの幻と消えていったり、しないのだろうか。

「心臓発作だった……」

 三十分以上続いた沈黙の後、斗南からぽつりと落とされたのはそんな言葉だった。やっぱり、これは幻なんかじゃないのか。氷影は意識を立て直し、斗南の声に耳を傾ける。

「…お父さんのこと、考えてる?」

 心臓発作という単語を聞いた時、氷影でも最初に斗南の父を連想した。亡くなったのは十五年も前だそうだ。

 斗南がハンカチを握りしめて泣いていた。黙っていただけで、氷影がこの現実を何とか偽りにしようともがいていた間、斗南はずっと涙を流し続けていたことに気付く。

「春ちゃん、死んじゃったらどうしよう……。また心臓発作が、今度は春ちゃんを……」

「ホッシー。そんなこと言うな。ハルは大丈夫だよ。ハルは……今きっと、薬が効きすぎてるだけで、ちゃんと明日には起きるんだから」

「でも……私のせいだよ。春ちゃん、送ってくれようとしてたの。私が断ったりしなかったら、巻き込まれたりなんか……!」

 氷影の胸がズキンと痛む。それを言うなら、昨夜飲みに誘ったのは氷影だ。あるいはメッセージのやり取りの時、斗南を追えと、もっと強く言っていたら違っていたかもしれない。春直の隣で、氷影は何度もそのことを考えた。

 人に言えば、きっとあなたのせいではない、と言われるだろう。けれど、もう一本早いバスにしていれば。あと一分立ち話をしていれば。氷影があと一通メッセージを送っていたら。斗南が終バスぎりぎりまで粘ろうなんて言わなければ。あの瞬間、あの場所にさえいなければよかった。そうなる未来は数えきれないほどあって、救えたかもしれない道が、氷影にも斗南にも確かに存在した。助けてあげられる道があったのに、選ばなかったことを、選ばせなかったことを、後悔せずにいられるわけがない。

「春ちゃん…、どんなに痛かっただろう……。怖かったのかな……。私、春ちゃんになんて謝っていいのかわからないよ……」

 斗南の肩に触れようと、伸ばした氷影の手が震える。本当に。本当に大丈夫なのか。こんなところにいていいのか。もしも、万が一最悪のことがあった時、ここにいたら春直の手は握れない。ばかなこと言うな。ふざけたこと考えるな。大丈夫に決まってる。自分の中で繰り返される押し問答は、自身をますます不安へと駆り立てる。

 結局、机の上で斗南と手を重ねた。彼女を励ますためなのか、あるいは自分の方が縋ってした行為なのか。わからないが、斗南の手は温かかった。それだけでほっとした。きっと斗南も、同じことを感じた気がする。

 少なくとも、斗南は生きている。氷影は無事である。それを確かめ合うことで、春直もきっと助かると信じる勇気になった。春直の手も温かかった。必死に戦っているからだ。

 必ず打ち勝って、彼は帰ってくる。今は待つことしかできないけど、だからこそ全身全霊で待っていよう。決意を固めて、斗南はやっと涙を拭った。




 (つづく)

 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ