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音のないプロポーズ  作者: 神屋青灯
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音のないプロポーズ 07

 

 直永は、加害者の容体など聞きたくないとばかりに言った。


「親バカと思われるかもしれませんが、あいつは子供の頃から注意深い子でした。視界の悪いところで車が来ていれば、十分過ぎるほど距離を取るようなやつです。その運転手は、居眠りでもしてたのですか」

 そう言うと、警官ふたりが顔を見合わせ、何かを躊躇う素振りをみせる。佳之が高い声を出した。

「そうなんですか? 春直は居眠り運転のせいで、こんなことになったんですか!?」

「奥さん、落ち着いてください」

 四十代くらいの男性警官は、努めて静かな口調で言うと、小さな深呼吸をする。相方の若い警官が目線を落とした。

「実は我々も、最初はそう思って現場検証をいたしました。よく言われるブレーキ痕というものがなく、時間帯も遅いため、その可能性が高いと」

 春直がくぐろうとした高架の壁に追突するまで、車には一切減速した様子がなかった。事故直後の検証では、居眠り運転によるものと結論付けられていた。

「ですが、搬送した運転手側…春直さんより五つ下になる、大学生の男性だったのですが、そちらを診られた医師によると、どうやら突発的な心臓発作を起こしたらしいのです」

 はっと斗南が息を呑んだ。

「持病もなく、予測できない発作だったと。それにより、彼は意識を失ったまま、車だけが暴走して事故につながったようです」

 直永が魂を抜かれたように崩れ落ちた。若い方の警官が、駆け寄って肩を支える。直永はされるがまま、壁にもたれて、動かなくなった。

「今後、彼に話を聞けるかどうかはわかりません。ただ、車内にはドライブレコーダーがあり、事故当時の記録も残っておりました」

 警官はまた呼吸で間を取った。

「発作のせいか、車が突然、大きく進路を変えました。雨でのスリップか、そのまま勢いを増し――その先に、春直さんがおられました。……春直さんには、一切非のない事故でした」

 気休めにもなりませんが、と警官は付け加えた。それから春直の顔を見つめ、痛々しそうに頭を下げる。若い警官も同じようにし、口を強く結んで目を閉じた。

「せめて、春直さんが回復なされますことを、心よりお祈りしております」

 そう言って、ふたりは静かに去って行った。


「心臓発作で、重体…」

 また刻を止めた空間に戻り、だが四人とも、脳だけは激しく働いていた。何かを考えていたわけではない。ただ同じ言葉だけが、ひたすら繰り返されている。

直永が沈黙を破った。

「春直は生きてる。でも、その子は死ぬかもしれない…。大学生だろう、成人はしているが、まだ子供じゃないか…。その子は――」

「やめて!」

 虚ろに呟く直永に、佳之が悲鳴を投げる。

「その子なんて言わないで。子供じゃないわ、責任能力をもった大人よ!」

「わかってる。でも、その子の過失ではない…」

 直永が、膝の上で拳を握った。目にしてしまった斗南は、いたたまれなくなり視線を逸らす。

「過失じゃない……それに、その子は責任を取れない。春直の足は、治せない…」

 直永の声が震えた。

「死んでしまったら、謝罪の一言すら聞けない……」

 怒りを、苦悩をぶつける相手すらいない。その絶望が、直永の魂を蝕んでいた。春直に非はない。なのに、相手にも過失がない。誰も悪くないのに、たった一瞬でふたりの人間が一生関わる傷を受けた。

「春直。起きてよ、春直…」

 佳之が春直の頬に触れた。四人がずっと飲み込みつづけてきた言葉だった。起きて。あなたが目を開けてくれたら、今はそれだけでいい。たった半日、目を覚まさない春直を前にしていただけで、四人の心から生気が蒸発しきっていた。


「――起きるよ」

 ふと、斗南が芯のある声で言う。

「起きる。春ちゃんは、帰ってきてくれる」

 佳之の目を見ては言えなかった。でも、きっと春直は目を覚ます。斗南には何の根拠もないけど、自信があった。だって、こんなにみんなが心配している。両親を泣かせて、友達に心配をかけたまま、いなくなるような春直じゃない。生気は蒸発したんじゃない。四人がかりで、春直に注いでいるだけだ。

「うん。帰ってくる。僕もそう思うよ」

 氷影が頷いて、斗南が顔を上げた。電話で言った時と同じだ。何の確証もない、けれど、言ってしまえば春直がきっと現実にしてくれる。大丈夫。帰ってくる。

「そう、だな…」

 直永も自身へ言い聞かせるように同意した。だが佳之だけは、最後まで言葉にできなかった。



 夜、斗南と氷影は自宅へと戻ることとなった。直永と佳之は泊まっていく。春直がいつ目を覚ますのかは依然としてわからないままだったが、その時には傍にいたいと、佳之は春直の手を握っていた。

 十数時間ぶりに触れる外気は、じめじめとまとわりつく不快なものだった。気付くと氷影は傘を失くしていた。タクシーから持って出たのかもよく思い出せず、どうしたものかとぼんやりしていると、受付の女性が気を利かせて貸してくれた。顔色を悪くした見舞い客の二人に、御大事にと心を込めてくれる女性だった。

礼を言って傘を広げる。歩きだすと、バタバタと重たい雑音が耳に障った。斗南はどこを目指しているのか、黙って進んで行く。

「ホッシー」

 手を伸ばして引き止めたら、右手が雨で濡れた。斗南はゆっくり振り返る。だが、何も見えていない目だ。精神も肉体も衰弱しきっていた。そういえば、丸一日近く、何も食べていない。

「どこか、寄っていこうか」

 なにより、このまま一人で帰すわけにはいかなくて、氷影はそう言った。

 一人で春直の事故を知って、不安に駆られたまま電話を掛けてきた斗南。

 どうにか支えてあげたいと思ってから、まだ何もできていないことが気がかりでもあった。

「静かなところに行こう。それで、少しでも何か口に入れよう」




 (つづく)

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