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音のないプロポーズ  作者: 神屋青灯
53/60

音のないプロポーズ 53

 

 電話はまだ繋いでいる。


「着いたけど…。ねえ、影ちゃん、中にいるの?」

「ううん? 僕は自分ん家にいる。さ、押して押して」

 言われるがまま、インターホンを鳴らした。まあ、中に誰がいるのかは、もう消去法でわかる。返事がある、と同時に、氷影が電話で言った。

「一応、報告。僕、田舎戻れなくなった。じゃね」

「は? え、ちょっと」

 電話が切れた。それから、インターホンの返事はノックだった。つまり、中にいるのは春直ということだ。まあ当たり前である。ここは、春直が一人暮らしをしていた部屋なのだから。

「え? あ、えっと…お邪魔します…?」

 電話とインターホン、どちらに応えていいのか困惑しつつ、ひとまず扉に手を掛けた。鍵が開けてある。斗南はゆっくり玄関ドアを引いた。

「比野です…。お邪魔します…」

 声を掛けながら中に入る。佳之や直永がいるかもしれないと思った。しまった、そういえば、誘導に気を取られて手土産を買っていない。氷影が後から来るなら頼むしかない。何だかしてやられたような思いで室内へ上がる。


――いらっしゃい。

 リビングから、春直が顔を出した。笑っている。それから、立っている。もちろん右手には松葉杖があるのだが、左手で小さく手を振っている。斗南は少し驚いた。

「春ちゃん…! 大丈夫なの?」

 壁にももたれず、杖だけで立っているのに、春直はしっかり安定して見えた。招かれて室内に入ると、春直は左手にも杖を持ち、ゆっくりだが一人で歩いて台所へ行く。

「歩ける…の?」

 少し前まで、こんなことはなかった。リハビリで歩行訓練をしても、進むというほど前進できなかったはずだ。それが今、たった一人で室内を移動できている。

「お茶なんていいよ。私、やるよ」

 コップをすすごうとする春直を見て、斗南は慌てて後を追った。それから、二つ並んだコップを見る。同じコップは棚にまだあるが、出されていない。

「春ちゃんひとり…? ご両親や、影ちゃんは?」

 春直は、いない、と答えた。そしてまた笑う。まるで、以前の春直に戻ったみたいに、マイペースで屈託のない笑顔だ。

 

 以前、氷影と一緒にここへ来たことがある。

 あの時は、お酒とつまみを調達してからということで別ルートを通ったから、途中まで気付かなかった。まだ『さすけ』を見つける前なので、だいぶ懐かしい記憶だ。

 不躾と思いながらも、ちらちらと室内をうかがった。ずいぶん掃除されているようだ。今の春直が一人でやったとは考えにくい。斗南は首を捻った。

「ここに住んでるの?」

 春直はちがう、と答えた。

――今日と明日だけ、泊まりに来てる。自分の家なんだけどね。

「一人で?」

――カゲも後で来る。ホッシーも泊まってく?

 言ってからイタズラな目で笑った。からかわれているのは間違いないが、春直は何だか元気そうだ。斗南は少しほっとした。

――退院する前、母さんにやっぱり一人で暮らしたいって言ったら、とにかくできるのかやってみろって言われて、お泊り体験中。

 テーブルを挟んで座り、春直はスマホで色々な話をしてくれた。

「そうなんだね。大丈夫そう?」

――まだあんまりかな。家の外には行けないし、さっきも玄関まで迎えに行けなかった。でも、部屋が一階だったから希望はあると思ってる。

 斗南は、なるほどと頷いていた。

 希望。そんな言葉をこの一ヶ月、耳にしたことは一度もない。春直が前向きになっているのがわかった。喜ばしいことなのに、比較して今の自分を考えると、後ろめたくも思う。

――そういえば退院の日、いい#報__しら__#せがあったんだよ。

「いい報せ?」

 初耳だ。たった数日会っていなかっただけなのに、今の春直について、斗南は知らないことだらけだった。それまでは毎日、あんなに言葉を交わした仲だったのに。

――運転してた大学生の子、意識が戻ったって。まだ動けなくて、この先どこまで回復できるかもわからないけど、もう命の心配はないって。

 春直が滑らかにつづっていく。そういえば、入院していた時は、もっと指がぎこちなかった。痛みのせいだと思っていたけど、こういうところにも心境の変化が表れているのかもしれない。だけど……。

「それが、いい報せなの…? こんなこと言うの冷たいかもしれないけど、春ちゃんを……巻き込んだ人なのに…」



 (つづく)

 

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