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音のないプロポーズ  作者: 神屋青灯
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音のないプロポーズ 45

 

――ねえ、ホッシー。頼みがある。


 考えていると、春直が肩をつついて文字を見せた。そういえば、今日はずっと手書きだ。春直の字は達筆というのとは違うけど、何だか可愛らしい。

 斗南は張り切って、なに?と訊いた。

――リハビリしたい。手伝ってくれる?

「リハビリ? 今日はお休みじゃないの?」

 斗南は意外そうな顔をした。昨夜傷が痛んだことを受けて、今日のリハビリは中止になっていた。

――うん。だから、自主トレしたい。早く歩けるようになりたいんだ。

 斗南は文字を読んだ後、春直の顔をじっと見た。春直からリハビリに前向きな言葉を聞いたのは、初めてだった。リハビリの時、春直はいつも辛そうで、傍から見るよりずっとしんどいのだろうと心苦しく思っていた。

 その春直が、自分で歩きたいと言っている。斗南は心に光が差すのを感じた。

「やろう! 私、何でも手伝うよ!」

 飛び跳ねんばかりに両手を取ると、斗南はさっそく立ち上がった。そんなに張り切ってくれると思わなかった春直は少し驚いたが、やる気が水増しされて気合を入れた。

「でも、痛みとか出たらすぐに教えてね」

――大丈夫。ホッシーが見ていてくれる。

「やや、ほんとに。悪化しちゃったら元も子もないんだよ?」

――だってホッシーの方がよくわかってくれるから。

 なんて無茶振りを。そう言いながら、斗南は笑顔だった。春直が頼ってくれる。信頼してくれている。春直だって同じ気持ちだ。斗南がいつでも見ていてくれる。助けてくれる。

 二人は笑い合ってから、立ち上がった。


 まずは立ったままバランスを取るところからだ。

 力の掛け方をきちんと体に覚えさせないと、何か不測の事態が起きた時に、転倒に耐えることができない。歩くより大切なことだと田中は何度も言っていた。

「次はその場で向きを変える練習だよね。えっと、利き手からだっけ、逆からだっけ…」

 案の定、斗南の方がちゃんとメニューを覚えていた。というか、嫌々やっていたとはいえ、言われるがままでメニューを覚えようなどと思ったこともなかったと気付いて、春直は複雑な顔をする。

「ちょっと待ってね」

 田中のメニュー通りでなくとも、どちらでもいいのではないかと春直は思ったが、斗南はすっと離れてカバンに手を入れた。わざわざ調べるのだろうか、と思って見ていると、ノートが出てくる。

 チェック柄にクローバーのシール……あれ、と思った。見覚えがある。春直は杖で床をつついて、斗南を呼んだ。

――ホッシー。それ、そのノート、何?

「え? あ、これ…。やあ、一応ね、先生の言ってた注意とか、書いておくと役に立つこともあるかなあって…」

 斗南は恥ずかしそうにノートを出した。簡単な図と細かな説明で、確かに今までやったリハビリについてが書いてある。

――こんなのずっと書いてくれてたの?

 早口になってしまい、斗南は理解できなかったか首を傾げたが、答えを聞く必要はなかった。ページをめくると、これまでの土日、すべての日付とメニューがある。春直の体調や反応なども添えてあった。

 あの日、リハビリの初日に、斗南が書いていたのは、仕事のメモじゃなかったのだ。

「春ちゃ…、そんなに見られると恥ずかしい……」

 斗南は嫌がったが、春直は無理やりノートを奪っていた。

――今日からリハビリ。春ちゃんが早く元気になりますように。

――立つだけでも辛そう。右手を支えてあげるといいみたい。

――ストレッチでは左を伸ばす時の方が痛そうにしてる。

――春ちゃんが少し歩けるようになった。がんばれ、春ちゃん!

 自然と涙が伝っていた。力が抜けそうになり、必死に左足を踏みしめる。こんなに応援されて、簡単に転ぶわけにはいかない。歩けなくてもせめて、立ち続けるくらいはしなきゃ。

 いや、立っていたい――ずっと。

「春ちゃん…」

 春直の足が少し震えている。痛みがあるのだろう。斗南は迷った。止めた方がいいだろうか。でも、春直は気迫に満ちていた。

 このまま、両足で歩けるようになるんじゃないか――。見つめていると、そんな錯覚が斗南を包んだ。信じるだけで動くような気がする。願うだけで怪我が治る気がする。でも、そんなのは幻想だ。春直の足は動くようにはならない。再三の検査で、それは確たる事実だ。

 願うだけでいいなら、いくらだって願うのに。手伝うことで叶うなら、何だってするのに。決して元に戻るわけでないリハビリを課されるということが、どれほど辛いだろうか。簡単に応援などしていいのか。何の権利があって、自分はこんな残酷なことを春直に強いるのだろう。

「…春ちゃん、少し、休憩しようか」

 斗南は手を伸ばした。だが、春直は首を縦には振らなかった。

――もう、少し…。

 既に息が擦れ始めている。止めなきゃいけない。わかっているのに、斗南は怯んでいた。このまま。このまま春直に任せていれば、奇跡が起きる。そんな夢物語にすがりたくて、終わらせることを恐れた。夢から覚めたくなかった。

 斗南が身体を近付ける。

「二人なら、三本の脚でも歩けるよね」


 そうなったらいい――。春直もまた、斗南に身を寄せた。



 (つづく)

 

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